第四章――町のはずれの館にて②――
本題を掲げるとエリカは御者を気にする素振りで、三人に顔を寄せるように手招いた。そうして四人の顔が間近にそろうと、開いた扇子で話が外に漏れないようにしながら声を潜めた。
「彼女はローズ家から疎んじられていると言う噂が、貴族の間では囁かれているの」
「また噂?」
「ノア、黙って聞いて!珍しくも無い話よ、あることないこと吹聴されるものだわ。ただ彼女はローズ家唯一のご息女だし、不確かな発言で御三家を敵に回す愚か者はそういないわ。彼女が突如王宮ではなく、ネルサンの一般校に現れるまではね。彼女はローズ家からネルサンへ追放されたって、誰もが言っているの」
「追放って、そんなことある」
犯罪者に使われるような単語に、ライアは眉をひそめた。あの儚げな美貌の、素晴らしい歌声のご令嬢が実の身内から追放とは、イーグルが王都出身であることよりも想像し難いことだった。
「追放と言うよりも、
「なんでそこまで。何をしたって言うの」
「……彼女について、ずっと暗黙の了解とされていたことがあるの。〝エディリーヌ・ローズに関わることなかれ〟彼女に関わった者には、災いが降りかかるのですって」
災い。これまたお嬢様には似つかわしくない、おどろおどろしい言葉だ。ティネーフが確認するように口を開いた。
「――噂だろう?」
「そうよ、噂よ。ほとんどはね」
エリカはパチンと扇子を閉じると、上体を起こして座りなおした。三人も彼女に倣って姿勢を直した。今やエリカは貴族令嬢然としていた。
「こんな話があるわ。下級貴族の年の近い少女数人が館に招かれて、彼女の遊び相手をしたことがあったの。刺繍をしたり、歌を歌ったり……刺繍をしている時に誤って指を刺した少女が一人いて、その刺し傷がもとで数日、死の淵を彷徨ったわ。ティネーフは覚えているわよね、わたしの姉のことだもの」
「えぇ!?」
「ヘザー姉さんが?」
ライアとノアが、仰天してエリカとティネーフそれぞれを交互に見た。ティネーフの表情を見るに、過去に実際に起こったことらしい。
「僕らが七つか八つの頃だよね。あの時は本当に大変だった、原因不明の高熱が下がらなくて……姉さんの指が無くなりかけた」
「幸い、指は繋がっているし、今は元気に王宮勤めよ。彼女、刺繍があまり得意ではなかったらしくて、姉さんが教えていたそうなの。その時何か言われたそうなんだけど……内容までは覚えていないって。覚えているのは、彼女の様子が普段と違っていたらしいと言うこと。なんていうか、怒っているようだったって。別人みたいに」
エリカは神妙な顔つきになった。
「他にもあるわ。雇う予定だった彼女の侍女候補が突然急死したり、家庭教師が腰の骨を折って、そのまま二度と歩けなくなったり……一時期ローズ家の使用人は、入れ替わりが激しかったの。彼女に身近に接した人間であればあるほど、こういう話がついてくる。やがて誰かがそれとなく言いだしたのよ、関わるなと。――ローズ家の誰かかもしれない」
皆、背筋にぞくりとする物を感じていた。偶然だろうと笑い飛ばせるほど、気楽な者は誰一人いなかった。過去に彼女に関わって、危うく命か体の一部を失いかけた人物の身内が、この場に二人もいるのだ。
「身内からこんな話を聞いて、積極的に接していこうなんて思わないでしょう?そもそも彼女は一人でいるのが好きなようだったし。だからこそ、今日は本当に驚いたわ。今も、驚いているわ」
ライアははたと、思いついた。
「待って、災いが降りかかるっていうなら、イーグルはどうなるの?酷い目に合ったようには見えない」
「だから護衛だろうと言うことよ。いくら追放とはいえ、ただ一人野に放つには、外聞が悪すぎるわ。ローズ家は彼女の側に置く人間を、かなり厳選したはず。イーグルには、災いを物ともしない何かがあるのだと思う。ほら、これでも根拠が無いと言える?」
扇子で差されたノアは、顎に指を添え腕を組み熟考したが、反論できるだけの要素が無かったようだ。むしろ合点が入ったように、残酷な憶測を述べた。
「直系の一人娘がそれでは不名誉と言えるだろうね。――御三家はできればこのまま、彼女の存在を無かったことにしたいんだ」
「同情はするわ。――それでも彼女はローズ家だから、誘われたからにはわたしとしては断れないんだけど、皆はそうじゃないからね。途中で帰ったとしても角は立たないだろうし、なにより彼女自身には、あまり近づかないようにしてちょうだい」
エリカの眼差しは真剣だった。ライアはそのような話を聞いて、はいさようならと立ち去れるはずが無いと思えた。同時に、これからを期待していた分、落胆していた。
(災いってなんだろう)
ライアは静かに考えた。
エディリーヌの、あの素晴らしい歌声の一体どこに、禍々しい物を寄せつける要素があるのだろう。あの繊細な美しさのどこに、追放されるほど
(でもいつも孤立していた理由が、わかった気がする。多分、お嬢様は自分からまわりを遠ざけている……)
一人が好きと言う意見もわかる。しかしそう考えた方が辻褄が合うような気がした。
あの歌声と招待を受けただけで、人柄を勝手に判断していたところがあるが、それでも、クレア達合唱団の少女達を庇って立ちはだかっていた彼女に嘘は無いと思いたかった。エディリーヌの真っ青な顔色をライアは覚えていた。
ライアと同じで立ち竦んでいただけかもしれないが、それならそれで、普通の少女となんら変わりない反応と言えた。
(貴族の考えなんてわからないけれど、家族からも仲間からもこぞって避けられるのが、辛くないはずがない)
少なくともライアには、エディリーヌの生き方は痛ましいと思えた。常に伏し目がちで憂い気な表情が多い印象なのは、その生い立ちのためではないのだろうか。
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