第四章――町のはずれの館にて①――

 ライアの症状は、軽い打撲と脳震盪と診断された。他には二の腕と両膝に痣ができた程度で、目眩も頭痛も、しばらく休んでいるうちに治まった。

 劇場内のベンチでしばし、休ませてもらっている間に様々な事を聞いた。劇場のこと、旅芸人のこと。どういう訳なのか、彼らはローズ嬢の館に招かれることになったらしい。そしてそのお招きは、合唱団の少女達とライア達にも伝えられた。


「うまいもんたらふく食えるぞ!」


 ローズ嬢の伝言を伝えに戻ってきたイーグルは、かなり呑気な一言を残すと、疾風のように去ってしまった。貴族の館に招かれたと言うのに、ちっとも緊張や遠慮する様子が見られない。

 日が傾きだし、西の空が夕焼けに赤く染まり出す頃、屋根つきの馬車が、ライア達を迎えにやってきた。荷馬車以外の乗り物を利用することは、ライアには初めてだった。

 慣れた動作で恭しく扉を開ける御者に促がされるまま馬車に乗り込むと、中は天井から座るところまで、猫の背を思わせる手触りの良い布地で覆われていた。ラベンダー水でも吹きかけたばかりなのか、ほのかな香りが鼻腔をくすぐる。

 起毛の敷物は上等で、砂や泥のついた靴で踏んでいいものかと危ぶむほどだったが、エリカがこれまた慣れた様子で腰かけるのを見て、彼女に倣うことにした。

 走り出すと、どれほど立派に作られ、どれほど優美な馬を駆り、補正された道を行こうとも、やはり馬車は馬車なのだと思い知らされた。長く乗り続けていれば、ロス家の荷馬車と同じく、お尻が痛みだすだろう。

 道中エリカは恐ろしく静かだった。イーグルからの伝言も、快く対応していたのだが、彼が去った途端、貝のように口を閉ざしてしまった。

 うかつに話しかけられない気配が漂っており、馬車内でもそれは変わらず、同乗するノアもティネーフもいかにも居心地悪そうにしている。


(ティネーフが言っていたのは、きっとこの事だ)


 ローズ嬢とエリカが友人にはなれないと言っていた意味が、なんとなく察せられた。

 重い沈黙に耐えかねたノアが、何度目になるかわからない、なんとかしてくれの視線をライアに送ってきた。隣のティネーフも同じ表情だ。

 何を言ってもやぶ蛇の予感しかしなかったライアは、そのたび視線をそらして馬車の小窓から外を眺めていたのだが、町の喧騒が遠のくと、とうとう、見るものも無くなってきた。

 しかたなく、つとめて普段どうりの声で沈黙の帳を払った。


「結構走るね、もう町のはずれみたい」

「そうね」


 エリカはライアと同じように反対の小窓から外を眺めていた。彼女は姿勢を崩さず、硬い表情でいる。会話が続かない。

 しかし諦めようとすれば、ノアとティネーフのなんでもいいから会話を続けてくれという、心からの訴えが胸に突き刺さる。

 ライアはこっそり静かに吐息を落とし、もう一度試みた。


「クレア達はもうついてるかしら?話す暇がなかったから、向こうでたくさん話せると良いんだけど」

「そうね」

「わたし貴族のお屋敷って初めて行く。ほら、エリカの家にも行ったことなかったから。どんなところだろう。合唱団やわたし達が一度に招かれるくらいだから、きっと大きいんだろうなぁ」

「うちとは比較にならないでしょうね」


 ノアが馬鹿と唇を動かしたのがわかった。


(何か話題、話題を)


 ライアが最近の試験並みに頭を必死に働かせていると、エリカがぼそりと呟いた。


「――知ってたわ」

「な、何を?」


 全員に注目される中、エリカは硬い表情を崩さず淡々と語りだした。


「噂には聞いてたのよ。イーグルとエディリーヌ・ローズ嬢のことは。仲が良いらしいって」

「そうなの?」

「見たこともあったわ、普段能面みたいな顔している彼女が、イーグルとにこやかに話しているところとかね。でもイーグルは誰にでもあんな感じだし、気難しそうなお嬢様の話し相手にまでなれるなんてさすがだわ、くらいに思ってたわよ」


 エリカは視線を自分の手元に落とし、そのまま顔を覆って、深く長い溜息を吐いた。


「だからって何もこんな日に、あんなふうに見せつけることないじゃない……」

「それって、あの、やっぱり、二人は恋人同士って言うこと?」

「馬鹿!」

「だって!」


 動揺のあまり直球になってしまったライアを、今度こそノアが罵倒した。隣のティネーフは静かに目蓋を下ろし、何も聞いていない風を装っている。全てをライアに委ねておいて、二人のこの態度はあんまりではないのか。


「それはありえないわ!」


 泣きだしたかに思われたエリカだったが、勢いよく顔を上げるとライアに向き直った。御者にまで聞こえるのではないのかと言うほどの大声だったので、三人はびくりと跳ね上がった。


「だって彼、平民よ!貴族とは言えうちみたいな下級で、末っ子のわたしならともかく、相手はエディリーヌ・ローズ、三大公爵の直系のお嬢様よ!釣り合いが取れないにも程があるわよ!」

「そ、そう」

「そうよ!」


 エリカは燃える瞳で、鼻息も荒く言い切った。釣り合いが取れないと言う言い分はなんとなく理解できたが、しかし、噂にもされるような、どうにも親密そうな間柄とはどういう関係に当たるのだろう?

 ライアの怪訝そうな表情を読み取ってか、エリカは居ずまいを正した。


「あの二人は雇用関係よ。護衛と、雇い主だわ」


 ノアが眼鏡の奥を光らせた。


「それ、確かな話?」

「多分間違いないと思うわ。イーグルってね、去年まではお父様と一緒に王都に居たんですって」

「王都!」


 ライアとて見たことも行ったことも無い場所だが、イーグルと王都とはあまりにも結び付かなかった。王都と言えば、富裕層ばかりのイメージが強いのだ。

 野山を駆け、農場で動物と戯れているのが似合いそうなイーグルの出身とはとても思えない。


「ライア、王都には様々な人がいるものだからね。むしろ田舎から出た人が一番集まる場所が王都だからね」


 考えを見透かされるようにエリカに諭されて、ライアは頬を引きつらせた。


「イーグルはお父様の転職の都合で、自分だけ先にネルサンに来たと言っていたわ。今は学生下宿で一人で生活しているの。そしてその以前のお仕事っていうのが、護衛業だったらしいのよ。――ほら繋がってきたでしょう?おそらく、王都で秘密裏に、お父様共々雇われたのだと思うわ。下見も兼ねて、彼女より半年早くネルサンにやってきたのよ」

「じゃあお嬢様の唯一のお供がイーグルってこと?」

「イーグルの剣の腕前が群を抜いているのは、そういう訳があったのか。護衛業の父親から習っていたから」

「……一理あると思うけど、でも全部それエリカの憶測だよね」


 納得しかけたライアとティネーフをよそに、ノアは怪訝そうに眼鏡を指でかけなおした。


「根拠がないよ、全部たまたま都合が合っているだけだ。ローズ家がなんで秘密裏に護衛を雇って、娘につけて、ネルサンに行ってらっしゃいをするのさ。あの遠慮のなさが、彼女個人に気に入られているだけじゃないの。物珍しいだろう、イーグルみたいなタイプは、貴族の間じゃ見かけないから」


 確かにイーグルの性格上、それもあり得た。しかしノアの言い分だと、世間知らずのお嬢様と面白い平民の身分違いの恋……が、始まってしまいそうな構図である。

 エリカは眉尻を下げるとうんざりした表情になった。


「ノアはよっぽどわたしを絶望に叩きつけたいようね……なんなの、恨みでもあるの?」

「いや別に。事実をはっきりさせたいだけで」

「貴方のそういう所、つくづく敵を作っているわよ。ライアの苦労が知れるわぁ」

「わかってくれる?」

「大変な弟を持ったわね」


 エリカと頷きあい、友情を再確認しするライアを、ノアは白けた目で睨んだ。可愛くないのはそういう所だと、誰が何度言ったとて理解はしないだろう。


「……でも僕も、そういう理由だと思っていたんだけれど」

「なんですって?」


 ぽつりと呟いたティネーフに、エリカがかみついた。エリカの剣幕に、ティネーフはおろおろとたじろいだ。


「だから、その、以前、彼女とは友人になれないって言っていた理由が。イーグルがらみだと思っていたんだけれど」

「やめてよティネーフまで!」

「だって避けてたし、そういうことかと」

「そりゃ避けるわよ、だって彼女……」


 エリカの声に合わせたかのように馬車が、がこんと大きく揺れた。三人は舌を噛まぬように咄嗟に口を閉じた。石でも踏んだのか、程なくして御者のほうから謝罪の声がかかった。

 気を取り直してエリカはどこからか、レースをあしらえた小ぶりな扇子を取り出した。


「――根拠はあるわ。彼女がネルサンに来た理由よ」


 

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