第三章ーーイーグルと放浪一座③ーー


「あたしらね、知ってるかなぁ、ゼンドールってところから来たの。団員皆そこの出身」

「ゼンドールって……あんな辺境から!?」


 芸人の女、ディアマトラから告げられた遥か辺境の島の名前に、イーグルは仰天した。

 アルシェルク大陸から西南の位置にあるその島は、五つの島嶼とうしょで成り立つ群島である。火、水、風、土、どの四神の加護も届かぬ地で、そこかしこに魔物がはびこり国も無く、法も無く、それこそ人を見れば泥棒と思えどころではないと噂される。

 かつては罪人の流刑地だった。現在でもそこに行き着くのは、元犯罪者や、世捨て人ばかりと聞く。


「あたしのうちはね農場だったの。グフはそこで生まれた最後の仔。あっちじゃ普通の家畜は育たないのよねぇ、すぐ喰われるか襲われるかしちゃうから。グフみたいな魔獣の血を引いた獣が家畜代わりでさ、大陸で言うとこの豚さんに近いかな?」


 ディアマトラは、今は檻に入ったグフの鼻先を慈しみを込めて撫でていた。グフの深い寝息がディアマトラの黒い前髪を吹き上げるが、彼女は目を細めてされるがままにしていた。よほど気心が知れていると見える。

 魔獣では無いと知ってから見ると現金なもので、嫌悪感は消えたが、牙や爪が無くなるわけではなかったし、イーグルにはまだ豚さんと可愛気を抱けるほどの親しみはわかなかった。


「ゼンドールにしてはうまく経営してたほうだったんだけどさ、ある晩魔物に襲われて全部無くなっちゃってねぇ。新しくした護符がどうも偽物だったみたいで」

「それって家族は?」

「残ったのはあたしとグフだけ。で、拾ってくれたのが団長ってわけ」

「……そっか」


 ディアマトラは明るく笑って舌を出した。思わず、イーグルが眉をひそめるとオルカーが背中を力強く叩いて来た。


「気にすんなよ坊主、いちいち同情してたらきりねぇぞ。そんな奴らばっかりだからな。今回のようなことも、珍しかない」

「で、でも、これは、団長の人の良さが、わ、災いしたと思う」


 檻の反対側からぎょろ目の男――名前はギラムと言った――が親指をくるくる回しながら言った。


「い、いくら酒に目が無いからって、だからって、酒瓶一本で、引きうけちまうんだもの。酒にはぜ、絶対、混ぜものがされてた。ま、間違いない。し、四神の加護のあると、土地なら、魔物なんてそんなに、そんなに見ないから、グフを見せりゃ稼ぎになるなんてのも、あ、安直だし……」


 つっかえながら早口で喋るギラムは、立派な酒瓶を重そうに抱えてイーグルに突き出してきた。


「か、嗅いでみろ。の、飲むのはよせ、嗅ぐだけだ」


 言われるままに封の切られた注ぎ口に顔を近づけたイーグルは、たまらず咳きこんだ。嗅ぐより先に、激臭が鼻をついてきた。

 涙で滲む目をこすり、繊細な装飾を施された瓶のラベルを睨んだ。


「エルフ……〝エルフの涙〟って冗談だろ!オークの小便の間違いじゃないのか!」


 イーグルが叫ぶと団員達がげらげらと笑いだした。


「匂いだけでもヤバいとわかる代物を、団長は喜んで飲んでたよ。そして二日前にぶっ倒れてな」

「あれほど言ったのにねーコボルトって鼻が良かったんじゃなかったっけ?」

「だ、団長はお、お人よし。だ、騙されてばっかり」


 つまりはこうだ。放浪一座の団員はリヴァノーラについて早々、あの館長に一杯喰わされたのだった。彼らは一見魔獣と見紛うグフで観客を驚かせ稼ぐつもりのはずが、団長が盛られた酒で倒れ、好き勝手に利用されて今の結果なのだった。

 イーグルは個室の前で番をする仮面を横目に見た。中ではエディリーヌと団長が話し合いをしているところだった。


(あれはそういう意味だったのか)


 本物を見たことすら無いのかと、仮面は言っていた。魔獣だと信じ込みグフや団員を責め立てる人々の様子は、さぞや滑稽だったに違いない。

 さすがにその後は言いすぎだとは思うが、怒る理由もわかる。


「――あの、さっきはいろいろと好き勝手に言ってすみませんでした」


 イーグルは一呼吸置くと姿勢を正して謝った。芸人達は皆、突然頭を下げる少年にぽかんとした。


「ろくでもないとかそんなもんとか、失礼な事ばっか言ってすみません、ごめんなさい」

「えぇ!?やだぁやめてよ!」


  ディアマトラが慌ててイーグルの顔を上げさせた。


「グフが暴れたことには間違いないし、言ったでしょ、慣れっこだって。こんなこと初めてじゃないのよ、ここに来るまでの道中もっと胸糞悪い目にあってんだから。あの禿げデブ野郎はむかつくけどさ、君は庇ってくれたじゃない」


 イーグルは首を振ってディアマトラを見つめた。


「慣れていても嫌な事には変わりないだろ?庇ったからって、オレが言ったことは無かったことにはならないよ。だから、ごめんなさい」


 イーグルが再び頭を下げると、しんとその場は静まり返った。個室の向こうから団長の金切り声がし、廊下の方では歩き回る観客だろうか、それとも劇場関係者か兵士か、いずれかの足音がばたばたと響く。

 しばしの沈黙ののち、ディアマトラが震える声で囁いた。


「……やだぁ」


 イーグルが声の様子に恐る恐る顔を上げると、感極まった表情のディアマトラに両頬を手で挟まれた。息がかかるほど接近する彼女の香りや露出の多い肌は、意識せずにはいられないもので、イーグルは焦った。


「なんなのこの子、可愛い……ねぇ君、あたしらと一緒に仕事しない?あっちこっち行けて楽しいよぉ?」

「うわ出たな」

「ディ、ディアマトラの病気」

「えぇ!?」


 イーグルは上ずった声を発した。

「え、いや、オレ、学生だし。芸とかできること多分何も無い」

「いいよいいよ、全然いいよぉ、気にしない。あたしから団長にかけ合ってあげるからさ、一緒に行こうよ。ね?」

「いや、だから、そういうことじゃなく」

「君可愛いし格好いいし、あたし好きだなぁ。あの禿げデブみたいなのに絡まれたらまた守ってほしいなぁ……ダメ?」

「ダメって言うか、無理って言うか、誰を優先するかは決めているって言うか」

「ダメなの?」


 謝っただけなのに、何故そうなるのか。

 説得が通じなさそうな潤んだ眼差しのディアマトラを前に、イーグルは目をあちこち世話しなく動かしたが、オルカーもギラムも助けてくれそうに無かった。ひょっとしたら頻繁にあることなのかもしれない。

 男相手ならば突き飛ばすなりなんなりできるところだが、相手は女性である。

 泣かれでもしたら、わかったと言ってしまいそうな強引さがディアマトラにはあった。同級生の女の子から好きですと言われるよりも性質が悪い。


「反対だ」


 焦るイーグルを助けたのは仮面だった。


「こんな甘ちゃんチビまで護衛対象になるなんてごめんこうむる。断固反対」


 仮面の身ぶりは野良犬を追い払う仕草だったため、感謝する気にはなれなかった。ディアマトラは頬を膨らませて仮面を睨みつけた。


「雇われ護衛は口挟まないでよ。あんたとの契約はリヴァノーラまでなんだから、これから誰を入団させようが勝手でしょ」

「リヴァノーラを無事に出国するまでが、契約内容だ。出国後は知ったことじゃないが、滞在中はまだ契約期間だ。いくらでも口を出させてもらうぞ、少しでも働きやすい環境でいたいんでね」

「雇い主に背く気?」

「俺の雇い主はノックトック団長だ。俺の行動を制限したいなら、相応の金額を払ってくれ。そうすれば従ってやる」

「この金の亡者!ゴブリンだってあんたほどがめつくないでしょうよ!」


 ディアマトラは仮面に向かって舌を出した。

 イーグルは昔父が雇った何人かの護衛のことを思い出した。

 彼らは皆小さかったイーグルを何かと構ってくれはしたが、常に一歩後ろに下がっている印象だった。弁えていると言えた。


「なぁ結局あんたは魔法使いで良いのか?あんたもゼンドールの出身?」


 イーグルの質問に仮面はそっぽを向いた。団員達のように仲良くする気はないらしい、嫌われたものだ。


「構わない方が良いわよ、あいつ大陸についた時からずーっとピリピリしてんだから。船に乗ってた頃まではまだ可愛げあったわ。酔ってげっそりだったから」

「余計な事を言うなディアマトラ」


 ぴしゃりと仮面がディアマトラを黙らせた。


「何もそいつが気に食わないだけで反対している訳じゃないぞ。そいつには風の精霊シルフの加護がついている。旅には向かない」


 仮面の思わぬ発言に、イーグルはぎょっとした。


「なぁ、その加護って――」


 ずっと誰かに聞きたかった事を口にしようとした時、個室の扉が軋む音をたてながら開いた。

 中から団長とエディリーヌが現れて、団長は団員の方へ、エディリーヌはイーグルの方へとそれぞれ分かれた。


「お待たせ致しました。イーグル、疲れたでしょう?」

「全然。そっちこそお疲れさん」


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