第三章――イーグルと放浪一座②――

「皆様、こちらにいらしたのですね」


 涼やかな声がその場を遮った。声の主は、自然と道を開ける人々の間を、頬笑みをたたえて厳かな足取りで現れた。


「このたびは大変な騒ぎでしたね。けれどもう大丈夫、ローズ家から私兵団が来ましたから。あとは彼らに任せて、この場は納めましょう。さあ皆様」


 豊かに波打つ栗色の髪の少女の美貌に、誰しもが目を奪われた。

 小さな顔は色白で、陶器のようになめらかな肌。深く青い色の雫がいまにもこぼれ落ちそうな瞳は、長い睫毛で縁取られどこか憂い気である。薄紅に色づく唇は小さくて、そこから発せられる清廉な声は耳に心地よかった。指示することに慣れた声だ。

 ローズ家と聞いて、驚きつつも安堵する者が多かった。リヴァノーラの誇る三大公爵家の私兵団なのだ。魔獣への対処はお手の物だろう。

 イーグルは少女の出現に慌てて拳を引っこめた。人々を促す彼女の元に駆け寄りその手をとれば、指先はまだひんやりと冷たい。色白の肌も血の気が無く、無理に微笑んでいるのは明らかだった。倒れる寸前だったのだから当然だ。


「何してるんだよ。まだ休んでいなきゃダメだろ」

「わたくしはもう大丈夫。イーグル、貴方こそ何をしているの。今、何をしようとしていたの?」


 お見通しと言うように悲しげに潤む青い瞳に見つめられて、イーグルはぎくりとして言葉を詰まらせた。


「次から次へとなんなんだ!いいかげんにしろ!」


 どう言い訳しようかイーグルが考えていると、館長が口から唾を飛ばしながら叫んだ。


「何故ローズから私兵団がやってくる!?誰が呼んだ、誰が許可した!この騒ぎを一体誰が知らせたんだ!ここは、ここは私の劇場だぞ!小娘が許しも無く勝手なことをするな!」


 衛兵ではなく私兵団が来た理由をイーグルは知っていたが、それでも館長の言い分は支離滅裂だと思った。もうおとなしく黙っていてほしい。

 少女は館長の存在に気づくと、イーグルの手を放して薄水色のガウンの裾を翻し、膝を折って静かに一礼した。洗練された動作に館長が一瞬息を飲む。目の前の少女が何者であるか、気づきかけた時にはもう遅かった。


「ご挨拶が遅くなりました。わたくしは、エディリーヌ・メアリアン・ローズ。本日は一学生として、舞台に上がらせていただきました。私兵団を動かしたのはわたくしです、館長様へのご相談もなしに身勝手な振る舞いでしたわ。どうぞ無作法をお許しください……」


 エディリーヌは頭を下げた姿勢のまま、相手から何か言われるのを待った。だが待てども呼びかけは無く、いつ許しが下されるだろうかと考えた。


「エディ」


 イーグルに肩をとんとんと叩かれて、エディリーヌは顔をあげた。


「おっちゃんもう聞いてない」


 エディリーヌの目の前で、立ったまま気を失った館長が、白眼を向いた真っ青な顔をさらしていた。イーグルが軽く小突くと館長の体はゆっくりと真後ろに倒れて、重い音をたてた。


(赤くなったり青くなったり……なんかちょっとかわいそうなおっちゃんだったな)


 喋らなくなって初めて同情できる相手だった。



「こちらの美人の方が話はわかりそうだ」


 仮面が倒れた館長を杖で小突いた。


「少なくともこいつよりは。貴族のお嬢さん、あんたはなかなか目が良い。グフに睨まれて、悲鳴を上げない気概もある」


 仮面がエディリーヌに興味の矛先を変えたのがわかった。彼女の頭の天辺から爪先まで、確認するように仮面の嘴がゆっくりと上下する。

 蛇に睨まれたカエルよろしく、値踏みの視線にエディリーヌが硬直した。


「――それとも恐ろしくて声が出なかっただけかな?」


 仮面は意地の悪い口調で、黒い指なし手袋をはめた手を彼女へ伸ばした。

 彼女の豊かな髪の一房にその細長い指先が触れそうな所で、イーグルが間にずい、と割り込み手首を掴んだ。


「……なんだよ」

「エディに触んな」

「あ゛ぁ?」

「あ?」


 どすの利いた声で脅されたが、イーグルは平気で睨み返した。

 気易く女の髪を触る物ではないし、脅かすのもよろしくない。最初からずっと、仮面の行いはイーグルの信条に反している。

 今度こそ殴り合いになりそうな空気になりかけた時、浅黒い肌の男が仮面の後頭部を平手で叩いた。重い空洞音が響き、仮面がたまらずその場に膝をついた。音が中で反響して目眩がするに違いない。


「何をするオルカー」

「その辺にしておけ。子供をいじめる趣味はねぇぞ」


 オルカーと呼ばれた団員の男はそう言い捨てると、身構えるイーグルを見下ろして続けた。


「うちの護衛が調子に乗ってすまなかったな坊主。そっちの嬢ちゃんも、せっかくこの場を収めようとしてくれたのに。この通りこいつは態度がでかくて、俺達も手を焼いているんだ」

「こちらの方は団員ではないのですか?」


 気を取り直したエディリーヌが口を開くと、頭の両側を押さえながら仮面が立ち上がった。


「俺は護衛でね。この団に降りかかる、いらぬ火の粉を代わりに浴びる契約だ」

「焚きつけろと言う命令は、してないはずだが?」

「こちらからけんかを売った覚えは一切ない。勘違いして買う馬鹿が、多くて困る」


 お説教などどこ吹く風で仮面は手をひらひらさせた。オルカーが額に拳をあてて、大仰に唸る。


(食えない奴だ)


  そうイーグルは直感した。相手を挑発してかき回す。イーグルが間に入らなくても、仮面一人でこの場をどうにかしたのではないか。オルカーの様子を見ていると、けして良い結果を招く人物とも思えないが。

 そしてこの場をなるべく温厚に立ち去るにはどうすべきだろうと模索し始めたイーグルだったが、仮面はまだ執着を見せた。


「話の続きだ。お嬢さん、あんたはグフをどう見る?」


 突き付けられた杖先をイーグルの肩越しに見つめながら、エディリーヌは慎重に口を開いた。


「……大きな鉤爪と牙は得物を獲ることには適していますね。わたくし達をそう見たならばすぐにでも、食らいついていたでしょう。でもそうはしなかった、怯えているように感じました」


 魔物の類は基本的に人間に対して攻撃的だ。遭遇した場合には四神の護符を手放さず、逃げる算段をすべきである。


(手懐けることは難しく、できたとしたらそれはもはや魔物とは呼べなくなる……魔物とは呼べなくなる?)


 珍しく真面目にノートを取った教科書の一文を思い出し、イーグルはおや?と首を傾げた。彼が自分で気づくよりも先に、エディリーヌが答え合わせをしてくれた。


「この世の生きとし生ける物は魔力を持ち、それは五感に宿る場合もあれば、生成するための器官が存在することもある。魔物に属する物はすべて、その器官を持っています。その獣は器官を持ち合わせてはいるけれど、もはや機能していませんね。遥か前の世代で退化したと見受けられます。――魔獣ではありえない」

「え」

「ご名答!」


 間の抜けた声を出したイーグルとは裏腹に、仮面は満足そうに喝采した。きょとんとするイーグルに、エディリーヌは言いにくそうに告げた。


「リヴァノーラの結界は容易ではないわ。人の言葉を解する訳でもない魔物など、触れればたちどころに消滅する……魔獣も例外無くよ。国内に存在できるわけがないの」

「え……えぇ?」


 難しい言葉を並べたてられて、イーグルは頭を抱え込んだ。自分の中の食い違いをなんとか消化しようとすると、胡散臭げにことの成り行きを見守っていた芸人の女が、赤く紅を差した目を見開いた。


「すごぉい、見ただけでそこまでわかるなんて」


 明るく笑って、彼女はイーグル達の元に駆け寄り濃い化粧の唇で弧を描いた。


「お礼を言ってなかったわね、さっきは庇ってくれてどうもありがとう。格好良かったわよ君」


 屈託なく感謝されて、イーグルは気恥ずかしくなった。同級生の女の子とは訳が違う大人の女性の妖艶さにどぎまぎしていると、仮面が感じ悪く茶々を入れてきた。


「礼なんかすること無いぞディアマトラ。そっちの美人は心得があるようだから、団長に会わせるべきだと思うが。騎士気取りのチビは、お前を殴ろうとした禿げデブと大差ない馬鹿だ。目障りな事この上ない、消え失せろ――いてぇ」


 先ほどよりもはっきりと罵った仮面の言葉に、カチンとくるより先に報復がなされた。背後から膝裏を蹴り飛ばされ、かっくんと再び膝をついた仮面の横に、不健康に痩せて顎のとがった男が立っていた。

 身を少々屈めて、大きな布飾りを頭につけた子供に手を引かれている。長くてくせの強い前髪の隙間から、ぎょろぎょろと世話しなくこちらを窺っていた。


「お客様に対する口のきき方がなっていないのは、お前の方でしょう」


 丁寧な口調で、人によっては耳障りに聞こえるであろう、甲高い金切り声を発したのは、子供のほうだった。子供はぎょろ目の男を促して、よちよちとした足取りでイーグル達の方へやってきた。

 イーグルの腰ほどしかない背丈の相手を、彼はまじまじと見つめてしまった。

 布飾りと思った物は大きく尖った耳で、ゆったりと羽ばたいていた。大きな鷲鼻と、同じく大きな、真横に裂けた口。黒目がちで小さな目に、薄くて短い体毛に隙間なく覆われた肌。顔の模様などは、犬のはちわれそっくりだ。


(コボルト!)


 滅多に見かけることがない亜人種は、イーグル達を見上げて片眼鏡オラクルを指でくいっと持ち上げた。


「こんにちは、元気な坊ちゃんと麗しいお嬢さん。一瞬エルフかと見紛いましたよ、今もこの世に居たならば、きっと貴女のような美しさだったことでしょうね。――話が脱線しましたね、失礼。私はこの放浪一座の団長、ノックトックと申します」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る