第二章――その名はエディリーヌ③――

 劇場に向かう道中は賑やかだった。屋台を時折冷やかし、路上の音楽に耳を傾け鼻歌を歌う。

 絵を描く芸術家にチョークを渡されて、促がされるまま石畳に直接落書きをしたりもした。普段なら怒られる行為だが、絵描きいわく、祭りだから許されるはずとのことだった。

 ノアは絵心が無く、描いたものが馬だと誰も気付けなかった。笑いを堪える皆を見て、ノアはわかりやすく拗ねた。

 イーグル一人が、容赦なく笑い飛ばしていた。大声でいつまでも笑った。ノアが冷ややかを通り越して殺人的な眼差しになっても笑い続けた。

 一緒にいるうちに気づいたがイーグルは良くも悪くも裏表が無いのだとわかってきた。さきほどのライアに対する発言も、悪気があったわけではなく、思ったことをそのまま口にしており、嫌味はほとんど含まれていなかった。

 そこぬけに明るく、楽しいことはとことん楽しまなければ損と言うようなイーグルにつられているうちに、最初はむしゃくしゃしていたライアも気にしなくなっていった。そしてもうひとつ発見した。


「疲れたら言えよ優等生、おチビなんだから」

「同年代の同級生の中で、一番のチビはそっちだ」

「あっ言ったな、年下だから気を使ったのに。劇場に着いたら見えないだろうから、肩車でもしてやろうと思ってたのに」

「誰も頼んでいないお気づかいを、どうもありがとう。巨人でも見かけることがあったら肩車してくれるように、頼んでおいてあげるよ」

「嫌味だなぁ、優等生。そんなんじゃ友達できないぞ」

「結構だね。お前みたいに年上ってだけで無駄にからんでくる奴は、こっちから願い下げだ」

「だって実際、年の差があるだろう。オレは十六で優等生は十二、あれ十三だったか?まぁどっちでもいいや。オレのほうが年長だし。どうだまいったか」

「なにがまいっただ、なにが!」


 ノアの嫌味に屈せず会話を続けられる同級生を、ライアは初めて見た。身内同士が友達であるティネーフはともかく、ほかの同級生に対するノアの態度は、極めて最悪だ。

 最初は友好的に接してくる相手でも、ノアが無愛想なうえに口が悪いと知ると、やがて諦めて、遠ざかるのが常だった。それで済めば良いがそれがきっかけで嫌がらせを受けることは多かった。

 しかしイーグルには、それが通用しないようだ。ノアの態度も嫌味も、彼にとっては取るに足らないことらしい。エリカやティネーフ、最初はつんけんしていたライアにも変わらず接していた。


(イーグルってすごいのかもしれない)


 半分感動するような気持ちで、ノアとのやりとりを眺めていたライアだった。


「最初に合唱団の演目があるわ。これ、うちの学校の生徒よ、クレアが出てるの。間に合ってよかった」


 エリカが、たどり着いた劇場前の看板を示して言った。ライアも一緒に見てみると、合唱団のほかに、目を引く名前があった。


「放浪一座?」


 ライアの声に気付いたエリカが、あぁ、と呟いた。


「旅芸人よきっと。よく劇場に入れてもらえたわね。普通こういう人たちって、自分達のテントに客寄せするものだわ。……にしてもそのまんまな名前ねぇ」

「ふうん。てっきり流浪の民の集まりかと思った」


 ライアは、父の手紙を思い返した。近々帰ると言っていたって、まさか芸人に混じってはいないだろう。

 入り口で慣れた手付きの会計に貴重なおこづかいを払い、今日一日有効の入場券をもらって中に入ると、これまた人のすし詰めだった。


「うわぁ、すごい人」


 ライアは思わずぼやいた。初めて入った劇場内部は、想像よりだいぶ広かった。フィージィ家の居間とロス家の居間が、あと二つは入りそうだった。

 だがそれでもあふれかえる、薄闇の中の着飾った人、人、人――暗幕のかかった舞台は遠く、たどりつけそうにもなかった。


「もっと早く来るんだったわね、これじゃあ最前列は全部埋まってしまってるわ……」

「最前列じゃなくても良いところはあるって。ほら、あっちあっち」


 ため息を吐いたエリカの手を、イーグルは何の気負いもなくつかんで引き、人ごみをかき分けだした。


「え、ちょっと待って!」


 突然移動し始めた二人に、残りの三人があわてて後を追いかけた。  

 小柄な姉弟にとっては、険しい道のりを歩かされた。見知らぬ誰かにぶつかったりぶつかられたり、足を踏んだり踏まれたりと散々な目にあった。慣れないドレスを着ているため、いつもと勝手が違ったのだ。少しかかとの高い靴も、素早く動けず足が痛んで移動の妨げだった。

 ライアが人の少ない所を求めて階段にたどり着き、数段昇って手すりにもたれかかった時、ふいに手を握られてぎょっとした。


「ノア?」

「はずれ、ぼく」


 ライアの手を握っているのはティネーフだった。後ろにいたはずが、いつのまにか追い抜かれていたようだ。

 こちらも少々息切れしてはいるが、ライアほどではない。ティネーフにはまだ笑う余裕があった。


「あぁ、ティネーフ」

「エリカ達とはぐれたよ。イーグルは人ごみを避けるのがうまい」


 更に、少したってからノアも階段に上がってきた。


「やっと追い付いた。うろちょろするなよライア、迷子にでもなりたいの?」

「それはわたしのせりふよ」


 疲れた様子で憎まれ口を叩くノアに、ライアは不満をまくしたてた。


「ドレスって、こんなに動きにくいとは思わなかった。軽やかなイメージだったのに。貴族の人たちって、常にこんな格好で疲れないの?」

「常にってことはないと思うけど」

「合流はあきらめよう二人とも――暗くなってきた」


 ティネーフにそう言われあたりを見ると、段々と明かりが消され暗くなり始めていた。それに気付いた人々の声も、段々と静かになっていく。ひそひそ声にはまだ程遠いものの、暗がりの中一点に集中された舞台上にはすでに、合唱団の面々が立ち並んで準備をしていた。


「ここで観ることにしよう。探すのも一苦労だし、終わってからの方が見つけやすいと思う。階段だけど下の入口よりは良いよ」


 ティネーフの提案に姉弟は頷いた。確かに階段上と言うのは、少々心もとない気がしたが、人がいくらかすいていたし舞台が程良く見下ろせた。


「賛成、人ごみはうんざりだ」

「わたしも。踏みつぶされちゃうかと思った」


 ライアがノアと苦笑して、段の上に腰かけた時ティネーフがぽつりと言った。


「二人きりの方が、あっちも都合が良いだろうし……」

「え?」


 ライアはティネーフに顔を向けたが、舞台上に向いている彼の表情は見えなかった。もっとも、この暗がりではどこを見ていようと同じことだった。

 それに、そのことを考えている暇はなかった。壇上から、合唱団の音合わせが聞こえ始めたからだ。ライアは舞台に注目した。


「クレアはどこかしら。クレアは上手だから、きっと先頭にいるはずよ」


 ライアは声をひそめた。下の段からノアが呟いた。


「皆同じ格好してるから、ここからじゃわからないって」


 ノアの言うとおり合唱団の少女達は皆、薄水色の質素なガウンに身を包み髪を高く結い上げていた。王都の聖歌隊の真似なのだと、ライアは気付いた。

 音合わせが終わり周りの声もいよいよひそかになった時、並ぶ列から一歩前へ進み出た少女がいた。

 遠目にも際立っているとわかる美貌を見て、ライアは仰天のあまりノアの肩を揺すった。


「ちょっとノア。あの一番前に出た人って、あれって、ローズのお嬢様じゃない?」

「はぁ?そんなわけ……」


 否定しようとしたノアの言葉が、尻切れとんぼになったので、ライアは壇上の少女がローズ嬢であることを確信した。

 エディリーヌ・ローズ。ネルサンの学校生徒で、この名を知らぬ者はいなかった。

 ローズ家はリヴァノーラ建国より王家に仕えてきた、三大公爵家と呼ばれる貴族の家のひとつだ。

 由緒正しい貴族のご息女が何の気まぐれか、半年前に王都よりネルサンに転入してきたことは、未だ記憶に新しい。ライア達と同じ学年とは言え、神官として王宮を出入りしててもおかしくない立場の少女なのだ。

 ネルサンの学校に通っていること自体場違いなのに、ましてやこのような庶民の舞台で、芸人の真似ごとなど間違ってもありえないのである。


「どうしてあそこにいるの。合唱団に入ってるなんて、聞いたことないわよ」

「知るもんか、貴族の考えなんて」


 驚くライアをよそに、ローズ嬢は一礼し、背筋を伸ばして歌い始めた。

  

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