第一章――流浪祭②――

 ライアとシーナは二人の男衆より先に、朝食を取り始めていた。いつもならもう羊囲いからロブが戻っているはずなのだが、珍しいことに、先に台所にあらわれたのはしかめつらのノアだった。


「おばさん、ライアにスキレット叩くのやめさせてよ。朝から頭痛がする」


 席につくなり言い放ったノアに、ミントティーの注がれたカップを差しだしながらライアは言い返した。


「ああでもしないと起きないくせに」

「自分で起きる前にライアが起こしに来るんだろ。ほっといてくれれば、もっと気分良く起きれるのに」


 ノアは手渡されたカップを、ひったくるように受け取った。

 対するライアもむっとしてオニオンスープの皿をわざと強めに、テーブルに置いた。澄んだオニオンスープの中でいくつもの波紋が生まれた。


「いっつも夜更かししてばっかりのあんたが、雄鶏の鳴き声で起きれたことが一度だってあった?」

「あんなに雄鶏が鳴いてる中で、よくあれほど遠慮なく金属音をたてられるよね。近所の目ってものを、少しでも考えたことあるわけ?」

「この村でご近所を気にするって言うなら、たまには机から離れて、きびきび働いたらどうなの。まともにパンも焼けないくせに。記憶が正しければ、最後にあんたが炊事や洗濯を手伝ったの、一年以上は前じゃない」

「お生憎だけど、ぼくは二年も進級してるんだ。ぎりぎりの点数しか取れない誰かさんと違って、期待されてる分学ぶことが多いんだよ」

「なんですって?」


 シーナはやれやれとこの犬も食わない姉弟げんかを、傍観するに決めていた。けんかのあと二人が互いにつんけんするとしたって、その怒りが長く続いたためしはないのだ。物を壊されそうになったら止める気だった。

 睨み合いから口げんかへと発展しそうな気配がしだした時、やっとロブが羊囲いから帰ってきた。


「おやロブ、遅かったこと。先に食べてるよ」

「ああ」


 シーナが話しかけるとロブは大きな体を大儀そうにゆすって、空いてる椅子に腰かけた。


「いや何、柵から脱走しちまった奴がいてな、追い回してた。しかしあのチビめ森に入ったところで母親が恋しくなって、べぇべぇ鳴いて自分から戻ってきよった。人騒がせな奴だよまったく」


 首に巻いてるタオルで汗を拭きとりながら、ロブは深くため息をついた。ライアはすかさず、ぬるめにしておいたミントティーをロブに差しだした。

 ロブは受け取り一口飲むとにこやかに笑った。


「――ああうまい、お前さんの淹れてくれるお茶で生き返る心地だよライア」


 いつものほめ言葉だった。ライアは微笑み返して、ノアにおじさんの爪の垢でも、煎じて飲ませてやりたいと思った。

 ロブが麦わら帽をとるとすっかり寂しくなった頭が、あらわになった。ロブの頭のてっぺんはつるりと禿げていて、後頭部と耳の後ろに残った毛髪も、色を失いつつあった。おじさん、おばさんと、二人を呼んではいるものの、ライア達姉弟とは孫ほど歳が離れていた。


「ところで、今日は何かポストに届いてたかね?」


 ロブの言わんとしてることがわかり、ライアは肩をすくめた。


「いつもと同じ。なにも来てない」

「今日もか……アウルが連絡をよこさなくなって、もう二年近くだな」


 ため息をつくロブをノアは横目でちらりと見やって、すぐに、興味のない素振りでパンにかじりついた。

 アウルとは姉弟の父親の名前だった。


「ふん、あれがまじめに手紙を寄こし続けたことなんか、これまで一度だってあったかね。私は覚えがないね」


 遠慮ない口ぶりでシーナが言い捨てた。たとえ手紙が来たとしても、文章らしい文章は書かれていない。時たま思い出したように金が送られてくるくらいだ。

 勝手な事この上なく、おまけにあちらからの一方通行なので、エレナが亡くなったこともまだ知らせられていない。二年程前から、連絡も仕送りもぷっつり途絶えていたので、正直誰もがあきらめの気持ちを抱いていた。


「いい加減諦めて帰ってくりゃいいんだよ。結婚して子供がいる以上、やるべきことはもっと他にあるだろうに……」


 まったくその通りだと、ライアは心の中で同意した。

 アウルの旅の目的と言ったら、聞いて呆れるようなものだった。実際、そこまでひどくはないのかもしれない。それを生業にして生きる学者は少なくないし、若者は夢をはせて旅立つものなのだろう。

 しかし納得できるものではなかった。アウルの旅とは、お宝探しなのだ。この大陸に伝わる、その名も忘れ去られた偉大な魔法使いが隠したとされる、唯一無二の秘宝を閉じこめた小箱――ラピスラズリの小箱。

 アウルは流浪の民とあだなされる旅人の一人なのだ。見つけだして、一攫千金でも狙おうと言うのだろうか。憧れを持つ気持ちはライアにもわかる。もっと幼いころは、小箱を求めて旅立つ自分を、冒険を、空想して遊んだりしたものだ。

 けれど家族も顧みなくなるほどのめりこむ人の考えはわからなかったし、わかりたくもなかった。

 アウルは無責任であり、彼が旅の最中さなかで命を落としたとしても、エレナが亡くなった時よりもずっと悲しみは少ないと思われた。



 ライア達姉弟が生まれ育ったこのリヴァノーラという国は、アルシェルク大陸の主国アルゼンの隣に位置している。ぐるりと円の形で森に囲まれ、穏やかな気候に色どり豊かな四季。魔法使いの教育に力を入れていることで近年、諸国から注目を受け始めている。一般市民の子供らが通う学校でさえ、基礎的な魔法学科を設けていることは、リヴァノーラ以外の国ではほとんどありえないことらしい。

 ライアはと言えば、この魔法学科を数学の次に苦手としていた。筆記試験はともかく、実技などお話にもならない。もっとも、ほとんどの生徒がライアと同じであり、よほど才能か興味が無い限り、基礎学科だけで終了するのが大概だ。


「あぁいやだ、今になって正しいほうの答えばかり頭に浮かんでくる。試験中じゃなきゃ意味ないのに。あぁでも、やっぱりあっちで正しかったのかも…いや、でも……」

「うるさいな。じたばたしたってもう、どうしようもないだろ」

「試験結果が張り出される日に、そこまで堂々としていられるノアは異常よ」

「試験なんて、授業で習うことばかりじゃないか。不安がる方がどうかしてる」


 生意気に言い捨てると、ノアは小さな体で果敢にも、掲示板の前の人ごみに潜っていった。

 ライアは弟ほど意欲的に結果を知りたいわけではなかったので、もう少し人が減るのを待つことにした。しかし、なんだか、異様なほどの数の人が集まっていた。入学したての下級生までいる。

 どういうことだろうとライアが首をひねっていると、聞きなれた友人の呼び声がして、ライアはあたりを見回した。


「ラーイアー」

「エリカ」


 人ごみの中からあっぷあっぷしながら、友人のエリカと、彼女のいとこのティネーフがライアのもとにやってきた。


「やっと抜け出せたわ」と、エリカ。

「おはようライア」と、ティネーフが言った。

「おはよう二人とも。ねぇ掲示板を見てきたんでしょう、どうだった?ついでに私の分も見てない?」


 エリカは手ぐしで黒い巻き毛を整えながら、首をふった。


「自分のを見るので精いっぱいよ。他の人の分なんて、とてもとても。とりあえずわたし達は補習無し」

「ノアは?さっきすれ違ったと思った。ついでに確認してるんじゃないかな?」

「どうだか。ついでで確認してくれるとは思えなし、いくら同じ学年でも、ノアはまだ十二だからこの人波じゃあすぐ流されちゃう」


 十五、十六の生徒達の波の中では、本来下級生のノアなど数分だっていられないだろう。いくら二年も進級してると言ったって、体格差ばかりはどうにかなるものではなかった。実際、知識だけで補えることは少なかった――同学年の生徒の中には、年下の優等生を快く思わない人が少なからずいて、嫌がらせを受けることもしばしばだった。


「それにしたって、ちょっと変じゃないのこの人だかり。下級生までいるし、まさかノアのような進級生だなんてことはないでしょう」


 ノアがまだ戻ってこないことを気にしながら、ライアは言った。するとエリカが愉快そうに笑った。どうにもその理由を知ってるような含みのある笑い方で、彼女の愛嬌のあるこげ茶の目が煌めいた。


「ふっふっふっまだ気付かないの?ライア・フィージィ」

「なあに、変な笑い方して。知っていらっしゃるなら、田舎者のわたしにぜひとも教えて下さいません?エリカ・シャリスお嬢様」


 エリカは抱えていた教科書の間から、真新しい一枚の印刷紙を取り出してライアの顔の前に広げて見せた。ライアは刷られたばかりで、まだかすかなインク臭の残ったその広告をびっくりして二、三度、読み返した。そこに書かれていることは、とても重要な事柄だった。


「下級生の棟の広告はあっという間になくなっちゃったみたいよ、皆何枚も持っていったのね、きっと。なぜこんなに人だかりができるかわかるでしょう?」

「でも、これ、本当に?」


 ライアは思わずしどろもどろになって、エリカを見つめた。エリカはいよいよこらえきれない様子で、頬を紅潮させて言った。


「本当よ本当。開かれるのよ、十年に一度のお祭りが!」

「おなじみの豊穣祭じゃないのね?実は間違いでしたなんてことないのね?」

「ここまで大勢の人に、期待させておきながら間違いだったと言われたら、わたし、国王陛下だけでなく風の女神ですら恨んでやるわ」

「本当に、本当に、豊穣祭じゃないのね……」

「だからそう言ってるじゃない」


 事態を呑みこんだライアは、エリカと手を取り合い歓声をあげて飛び跳ねた。そこへ、ノアがちょうど戻ってきて、女子二人の大騒ぎにぎょっとして後ずさった。


「……何ごと?」


 同じく一歩下がっていたティネーフに訊ねると、彼はけげんな表情をした。


「見てないの?掲示板の前に広告があったのに」

「興味ない」


 二人が聞いてなくて良かったと思いながら、ティネーフは自分用にもらってきた広告を、ノアに差しだした。


「そうも言ってられないかもよ。ほとんど、二十年ぶりなんだから」


 ノアは広告を受け取ってうさんくさげに内容を読み取った。それは人々が忘れかけていた、十年に一度執り行われるアルシェルク大陸の大祭――流浪祭の開催を告げる知らせだった。


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