序章2
「どうしてラピスラズリなの?」
物語の最後の一文を読み終えると、娘が訊ねてきた。ベッドの中だが、少しも眠たくないという様子だ。一方娘の隣、並んで寝かされている弟のほうは小さな寝息をたてていた。
姉弟にせがまれ物語を読み聞かせていたエレナは、本を閉じつつこたえた。
「さあ、どうしてかしらね」
布団をエレナが整えると、弟が少々むずがって、ぱちりと目を開けてしまった。しかし、こぼれおちるような笑みを浮かべるエレナがいるのを見て取ると、再び、夢の中へと戻っていった。
「ほとんどおとぎばなしだからね。いったい、いつからそう呼ばれるようになったのか、なぜラピスラズリなのか、誰も知らないことなのよ。小箱を見た人はいないもの。誰が初めにそう呼んだのかしらね?」
「ふしぎだね?」
「そうね、不思議ね。でも全部が全部、わからないことだらけというわけではないの。小箱をつくった魔法使いと、秘宝を欲しがった王様がいた国は、すくなくとも大陸については、このアルシェルク大陸のことではないかと言われているのよ。どの国にもそんな魔法使いや王様が居たと言う記録は無いけれどね」
「それ、ほんとう?」
驚いた娘が飛び起きてしまった。だがすぐにはっとして、居ずまいを正し隣の弟を見やった。起こしてしまったのでは、と考えたらしかった。ありがたいことに、弟が起き出す気配はこれっぽっちもなかった。もともと大人しい子なのだ。
エレナは娘をたしなめ、ベッドに戻らせつつ言った。
「もしかしたらの話だけどね。新しい地図にはもう載っていないけれど、アルシェルクの更に西に、文明の無い大陸があってね。ラピスラズリの小箱を探す人はまずそこを目指すわ」
「流浪の民だね?」
エレナは、そうよ、と微笑んだ。このおてんばな娘は冒険譚が大好きだ。
「ねえ、魔法使いはどこにいってしまったの。どうしておうちには、かえらなかったの?」
エレナは少々考えてから首をふった。。
「帰れなかったのよ。王様に、もう二度と会うわけにはいかなかったの。隠し場所を教えるように責められるだろうし、王様は諦めないでしょう…捕まらないよう、永遠にさまようことにしたの」
「えいえんって?」
「ずっと…ってこと」
「ずっと?ずっと……おかあさん、なんだかあたし、ねむたくなくなっちゃった。このままえいえんにねむれないかもしれない」
娘はすまして言った。どうやら新しく覚えた言葉を使ってみたくなったらしい。舌ったらずでまるでさまにならない。使い方もちょっと違う。
「まあ、それはこまったわね」
娘の訴えに、エレナはくすくすと笑った。わざわざ指摘して、水を差すつもりはなかった。エレナは寝間着のポケットから匂い袋をとりだし、娘の枕の下に置いてやった。
「ラベンダーのサシェよ。良い香りでしょう?ぐっすり眠れるわ」
生活のたしにと始めた、庭のハーブで作った新作だった。土いじりなどしてきたことのなかったエレナだが、性に合っていたらしい。隣人夫婦に、今度街で販売してみてはどうかと持ちかけられて色々と制作中だ。
サシェの香りを吸い込んだ娘の目もとが、少々眠たそうになった。けれども彼女は眠気を堪えて、言葉遊びを楽しみたがった。
「まだだめ。やっぱり、えいえんにだめ」
「こまったさんね、ライアは」
やれやれと、エレナは苦笑した。ならばお次はミルクかな、温めたミルクでさすがにこの子も眠るかな、と思いついたエレナだったが、ふと、同じようにまだ起きてるであろう、夫の背中が思い浮かんだ。
「じゃあライア、もう一つお話を聞かせましょうか。小箱の魔法使いの誰も知らない冒険…」
はたして、冒険好きのライアはこれに食いついた。
「きく!ききたい!」
エレナはただし、と細長い指を一本、口元で立てた。
「でも、今夜はこれが最後。このお話が終わるころには、ライアがちゃんと眠くなってくれないとだめ。でないとお話できないわ、眠れる?」
「ねむる、ねむる、ちゃーんとねむる。だからおはなしして、おかあさん」
条件をのんだライアを見て、エレナは目元をほころばせた。
「じゃあお話をしましょう。実は小箱の物語には続きがあるの…」
それは昔、旅の最中に夫が彼女に聞かせた話だった。あの頃は、自分が生まれ故郷を離れこんなに遠くに来るとは想像もしなかった。
どこまでも二人だけで歩き続けるのだろうと思っていた。二人がやがて三人になった。今では四人だ。忙しくて賑やかで、穏やかな日々。
エレナはもう、小箱を探そうとは思わない。
「…ある一人の流浪の民が、小箱を探す旅のさなかでこんな話を聞きました。ラピスラズリの小箱にかくされた秘宝は、どうやら、王様以前に本来の持ち主がいたらしいのです………」
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