第2話
【わけありの】
彼女の目は、ずるかった。
ずるいとしか、言いようがなかった。
語彙力がないと言われるかもしれないが、俺から語彙力を奪ったのも彼女なのだ。文句があるなら彼女に言ってやってくれ。
いや、やめてくれ。やはり、俺に全部言ってくれ。彼女を罵る言葉など、俺が全部消化しきってやる。
そんなふうに思わせるほど、そのふたつの目はどこまでも罪深く、ありとあらゆる感情をちっぽけに見せてしまうような深い影を持っていたのだ。
彼女の目のうつくしさを表すには、俺の言葉は稚拙過ぎた。長い睫毛に、どう見ても柔らかそうな薄い瞼。神様という神様が依怙贔屓を尽くしたような最高の密度の光と影を併せ持つ大きな瞳には、ダイヤ、水晶、オパール、サファイア、黒曜石。この世に存在する限りの宝石の良いところを隙間なく取り入れたような、至高かつ至上の色を持っていた。
すこし面長なおかげで広い頬は、この暑さのせいか、じゅわりと赤らんで血色がよく、白くも黒くもない、健康的という言葉を身をもって表すような色を持っていた。整えられていない太眉は彼女の芯の強さを表し、小ぶりで口角のすこし上がった紅い唇は彼女の表情の豊かさを伺わせた。鼻梁には赤く腫れを持った面皰が誇らしげに張り付いており、それがまた彼女の女子学生としてのあどけなさ、完璧でない感じを示すには十分すぎる材料となっている。はあ、愛らしいにも程がある。どうだろう、彼女の可愛らしさが伝わったか。お前も惚れるか。否、やっぱり言いすぎたか。彼女を好く野郎が増えると困る。いやでも、彼女を表すにはまだ足りない。
ここまで言えば気づいてくれるだろうと思うが、俺と彼女には、同じ位置に面皰があるという共通点がある。面皰の気持ちになってやろうよ。彼女の面皰は、彼女のその美しく控えめでするりとのびる鼻梁に在ることができて如何にしあわせだろうか。もう何も思い残すことがないだろう。彼女にとってはその面皰は忌み嫌うべき汚点であるかもしれないが、俺のそれに比べれば彼女の面皰はなんと尊いものであろうか。きっと彼女もテスト期間に勉強に勤しんでその貴重な睡眠時間を削ったのだ。そしてそのぶん、好い点数を取ったことであろう。俺の皮膚に棲みついた、油分を集め尽くして形成された鬱陶しく痛むこの面皰とは存在の価値が雲泥ほど違うのだ。
否、面皰ひとつでここまで語れてしまうと逆に気持ち悪いか。彼女に嫌われてはまずいからここらへんでやめておこう。
そんな俺の気分を察したかのように、鳥の鳴き声を模した電子音が青信号を報せる。俺たちは撚り集まるように国道に向かって走っていこうとする。最後にもう一度、彼女を盗み見る。彼女は面白いぐらいぽかんとした顔で俺を見たままで、その愛らしい目をいっぱいに見開いて、瞳を潤ませている。柔らかく開いた口から、白い歯がのぞいている。頬が紅潮している理由は暑さだけではないのかもなんて思ってしまう。実は彼女も、俺に会えて嬉しいのではないかとか、根拠のない予感が湧き出てくる。徐々に俺たちは、所謂2人だけの世界的なものに入っていこうとする。
そこで邪魔が入ってしまう。彼女の友達が彼女の柔らかそうな二の腕を袖の上から小突いて、顎先で国道を指す。何してるの、もういかなきゃ、そんな口の動きが見てとれる。
俺はなぜかとても切なくなる。そのまま、俺は力強くペダルを踏み込む。なぜか心は澄み切っており、これでいいやって、これ以上は望めないんだって、不思議に納得がいっていた。何か、これ以上彼女と関わることを望んだら、神だか仏だか天皇だかにこっ酷く絞られそうな気がする。もういいか。顔が見れたから。声が聞けたから。その軽やかな声で俺の名前を呼んでくれたらなんて、願うべきじゃない。
そう誓って、俺はまっすぐ登校した。もう、後ろは振り返らなかった。
後日、返ってきた古文単語の小テストは、いつものことだけれど、悲しめるぐらいには悪い点数だった。
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