覚醒

 入院してから、数週間が過ぎ、正生は久しぶりに学校へ登校してきた。

クラスのみんなが彼の復帰を喜んでくれた。

それを正生は素直に喜び受け止めた。

それは、普通の反応である。

しかし、以前の正生であれば、そういった反応は出来なかったはずなのだが、この時は、まだ誰一人として気付かなかった。

いや、気付けなかった。

何も知らない級友には、彼が心なしか前より明るくなったように感じられた。

まるで人が変わったかのように・・。

雄一は結局、この町に残る事にした。

原因は学校の転校が嫌だからということだった。

両親もはじめは反対したが、雄一の意志が勝り、学校の近くにアパートを借りた。

正生を見た時、雄一は一番喜んでいるように見えた。

入院の原因を作った張本人であるのだから、もう少し自重しても、とクラスのみんなが密かに感じた。

でも、所詮は他人事とあっさりと片付けられた。

今日は、久しぶりに全員が揃ったのだ。

少なからず喜ぶのが普通の反応であるだろうから。

ただ一人、不適な笑みを浮かべている少年を除いては。


この時から変化は緩やかに、しかし確実に起こりはじめていた。


数週間前、

 雄一が学ランのボタンを一気に開けた時、果たしてそこにあったのは、

自分と明らかに意識が違う「生き物」らしかった。

幻覚を見ているのだろうか、しかし、現実と冷静な部分の自分がそういった認識をさせてはくれなかった。

何故なら熱さと痛みは、すでに耐え難いものになっていたからだ。

傷のようなものは、雄一の体の中心を通るかのように赤い筋を作っていた。

その内側で何か得体の知れないものが、もぞもぞと動いているのがわかる。

まるでその光景は、さながら死体に群がる蛆のようだった。

徐々に赤い筋が拡がっていき、肉を破ろうとする音が、不思議なリズムを奏でていた。

それと共に骨の砕けているだろう音が加わり、心地よい旋律にしていた。

しかし、雄一は目を離す事も、気絶する事もできなかった。

 とうとう何かが雄一の体の中から生まれようとしていた。

丁度、心臓のある辺りから、人の指としか思えないようなものが、限りなく薄い表皮を突き破って出てきた。


「うわーっ!」


やっとのことで、声が出るようになったが、出るのは悲鳴だけだった。

しかし、誰も気が付かないのだろうか。こんなに大声で叫んでいるのに・・・。

次第に雄一は、そんな事などどうでもいいように考え始めていた。

もう助からないだろう、自分自身の冷静な部分がしきりにそう告げているからだ。

そんな雄一の考えをよそに、指は突き破って開けた穴を拡げようとしているらしかった。

徐々に筋が大きくなっていく、当然、拡がった部分からはきれいな赤色の液体があふれ出てくる。

そして、清水のように流れると、床一面を赤く染めていく。

それはとても美しい光景だった。


「クシャッ!!」


という音と共に、雄一の体から、新しい生命が飛び出した。

その姿は、唯一人の人物に見られただけで、瞬間的に何も無い空間に消えていった。


「ふぅ・・・。これでいい。」


最初、雄一に話し掛けた声が何気なくつぶやいた後、次第にその気配も消えていった。

元本体だった雄一は、満足げな表情をたたえながら、塵のように掻き消えていった。

と、同時にあれほど、床を染めていたおびただしいほどの血も蒸発してしまい、何事もなかったかのように、人気の無い廊下だけが残されていた。

その日以来、雄一は性格が変わってしまった。

しかし、他の者の目には、逆に同情を思わせた。

何故なら、その行動が、まるで道化師を思わせるようなものだったから・・・。


時は戻り、


「さてと、そろそろ授業に行くか・・・」


チャイムが鳴ったにもかかわらず、遅めに職員室から教室へ行こうとした北村裕昌は、それまで咥えていた煙草を、無造作に灰皿で揉み消すと、顰め面で立ち上がった。

その時、


「キャーッ!!」


という誰か女生徒の悲鳴が耳に入ってきた。

元々手癖の悪い裕昌はチャンスとばかりに目を細めると、ただでさえ醜悪な顔を、更におぞましくすると、教材を持って職員室を出ていった。

 裕昌が悲鳴のあったと思われる場所に辿り着いた時、何か得体の知れない者に一人の女生徒が襲われているようだった。

浮浪者なのだろうか、後ろ姿のため誰が襲っているのかが判らないが、襲われている女生徒はとても美しかった。

こんな美少女がこの学校にいたとは、裕昌は知らなかったが、学校指定の制服を着ている以上、生徒には違いないだろう。

得物はジャージのポケットにいつも忍ばせてある。

しかし、余計な事をして、自分に被害があったのでは、意味がない。

とりあえず、少し様子を見ることにした。


弱い者をいじめる人間の種類は2通りある。

一つは自分の力を誇示しようとする者、そしてもう一つは自分より弱い者をさらに陥れようとする者があげられるであろう。

裕昌は当然、後者だった。

今までその手に汚された女生徒は数十人にも上り、男子生徒にも容赦なく手を出した。

その中に泉正生という名前の少年もあったが、それは誰も知らないはずだった。

教師という立場を大いに利用し、抵抗できないものを徹底的に苛め抜く、そんな男だった。

不思議な事に、あれだけの事をされているにも関わらず、2人の息遣いすら聞えてこない。

心の中で色々な想像をしながら、授業の事など忘れたかのように目だけをギラギラと輝かせている。

浮浪者が立ち去るのを待っているのであった。

突然、浮浪者の全身が震えたかと思うと、女生徒の上に倒れ込んだ。


「ようやく、いったみたいだ・・・。早くどっかに行っちまえ・・・。」


醜悪な笑みを浮かべながら見ていると、浮浪者がゆっくりと起き上がりながら首だけを裕昌の方に向けた。

その顔に、不気味な笑みを浮かべて・・・。

もしかしたら、どこかで見たような顔だったかもしれなかったが、一瞬しか見えなかった。

突然、再び少女の方へ向き直ると、表皮を突き破って人間とは思えない姿となった。

全身が緑色の肌で、所々に触手のようなひだのようなものが出ており、それが別の生き物のようにワサワサと蠢いている。

そして、その醜悪な顔には大きな牙が伸びていた。

と同時に気絶している少女の柔らかそうな首筋に勢いよくかぶりついた。


「ぎゃーっ!!」


女生徒は、突然の痛みに目を覚ましたが、それも束の間の事だった。

一瞬のうちに、異形のモノに頭ごと食いちぎられたのである。

シューッっと音を立てながら、無くなった頭に対して心臓は血液を送り続けているようだった。

その勢いは、さながら、小さな間欠泉を思わせた・・・。

手足は、失った頭を探して、空しく何もない空間を泳いでいた。

しかし、それも長くは続かなかった。

廊下一面を真っ赤に染め上げた後、出血はゆっくりと収まり、湧き水のように静かに流れ出た後、音もなく止まった。

痙攣をしていた手足もやがて動かなくなった。

裕昌は、一部始終を見ていた。

誰かに押さえつけられたかのように、目をそらす事も、目を閉じる事もできなかった。

もしかしたら、あまりの恐怖に体が硬直していたのかも知れない。

そんな事よりも、「次は自分かも知れない」という恐怖の方が大きかった。

にも関わらず、体がぴくりとも動かないのだ。

完全に出血が止まった後、異形のモノはバリバリと残った体を食べ始めた。

裕昌は、いつの間にか失禁していた。

ピチャ・・・ピチャ・・・

時折異形のモノが垂らす唾液が床に滴り落ちていく・・・。


次はきっと俺だ・・・。次はきっと俺だ・・・。次はきっと俺だ・・・。


その考えだけが、頭の中を交錯している。

そうしているうちに少女の体は食われ続けている。


次はきっと俺だ・・・。次はきっと俺だ・・・。次はきっと俺だ・・・。


少女の体が無くなった時、異形のモノはゆっくりと裕昌の方へ顔を向けると、醜悪な顔に満面の笑顔らしきものを浮かべながら、近付いてきた。


今度は俺の番だ・・・。今度は俺の番だ・・・。今度は俺の番だ・・・。


「うわーっ!!」


気付くと、裕昌は何人もの女生徒に取り囲まれている。

どうやら気絶していたらしい。

ふと見ると、全員がくすくすと笑みを浮かべている。


「先生、どうしたんですか・・・?」

「こんな所で寝てたら、風を引いてしまいますよ。それに・・・」


女生徒が恥ずかしそうに下半身に目を向けているが、裕昌はそれドコロではなかった。


「化け物はどうした、あの化け物は・・・。」

「先生、どうかしたんですか? そんな事言って、私たちを脅かすつもりでしょう。」

「私たちはそんなの見てませんよ。それより、そんな格好でいると風邪をひきますよ。」


女生徒たちは、全く無反応だった。

言われるままに、下半身を見ると、失禁している。

でも、あれは確かに・・・。


「そんなはずはない!! 廊下中を真っ赤に染めて・・・」


しかし、周りを見たが、そういったものは全く目には映らなかった。


「はいはい、北村先生はよっぽど、怖い物を見たのね。・・・付き合ってらんないわ、行こ。」

「あ~あ、人が親切に起こしてあげたのに、何よ、あの態度・・・」


女生徒達は、半ばあきれたかのように、ブツブツと言いながら、遠ざかっていく。


「おい、お前ら、俺は本当の事を・・・。」


一瞬ひるんだが、引き止めて話を続けようとした。


「はぁ~い、それじゃ気を付けま~す・・・」


背中越しにそう言うと、クスクスと笑いながら女生徒達は、見えなくなった。


「くそっ!!」


罪の無い壁に拳を叩き付けると、痛みが走った。

相当の力を込めていたらしく、表皮を突き破って出血している。

不意に悪寒がすると、くしゃみが出た。

良く考えると、失禁していたことを思い出した。

苦笑いを浮かべようとしたが、ふと見た壁の血が顔のように変化しているのに気付き、動きが止まった。

壁についた血は先程の惨劇を起こした異形のモノの顔となった。


「ぐっぐっぐ・・・怯えるがいい・・・すぐにお前も先程のようになるのだから・・・」

「う、うわーっ!!」


狂ったかのように叫びながら、裕昌は職員室の方向へと走りはじめた。

その姿を見守っていた異形のモノは、不気味な笑みを残すと、血とともに消えていった。


 何もない暗い部屋で一人の少年が座っている。

ここは正生の心の中の世界・・・。

目を閉じているが、眠っている訳ではない、ただ、微動だにせず、静かに時を待っていた。

学校という一つの世界を魔界という名の世界へと変えるために・・・

その傍らでは、美しい翼を持つ異形のモノが静かにたたずんでいる。

それは、ルシファーとミカエルという名の正生という少年が創り出した心の産物だった。

本体である正生の為にのみ存在する心の一部が具現化したものだった。

もしかしたら、夢を見ているのだろうか・・・?

しかし、自らが創り出した悪魔と呼ばれる異形のモノ達の目を通して、見ていたのだ。

だから、全ては現実以外のなにものでもなかった。

今でも色々な生徒達の会話が聞こえているし、その姿も見えている。


「なんか息苦しくない・・・?」

「そう、別に・・・。」

「ならいいんだけど・・・。」


「水の味が変わってねぇか?」

「何、馬鹿なこと言ってんだよ、・・・いつもと変わりねぇじゃん。」

「そうか・・・?」


全ては自分自身で考えたこと・・・。

全ては自分自身で望んだこと・・・。

全ては自分自身で決めたこと・・・。


今では少し想像するだけで、色々な悪魔と呼ばれるモノを創り出す事ができるようになっていた。

それらを学校内に置くことによって、容易に人間たちを包囲しようと考えたのだ。

いまは少しずつ、誰の目に写ることもなく、悪魔は潜んでいる。

その影響を受けているのか、至る場所で緩やかな変化が起こりはじめていたのだ。


「あと、3人・・・、誰にしようか」


まるで、うわ言のように言ったことだったが、隣に座っていた伊藤美香に聞こえたようだった。


「ん・・・何か言った?」

「え・・・? ご、ごめん、ちょっと独り言を言ってたみたい・・・。」


正生は、瞬間的に現実世界に戻ると、美香にそう答えた。


「ふぅ~ん、あと3人って何のこと?」

「そ、そんな事言ってないよ・・・。もう、授業があと3分だねって言ったんだよ。」


苦笑いを浮かべながら、答えた正生の言葉に、美香はすぐ反応した。


「あら、本当、もうお昼休みじゃない、泉君ってば、そういうことには、反応が早いんだね。」

「そんな事は、ないんだけどね・・・」


今までロクに話すこともなかった女生徒たちとも、あの事件から少しずつ会話をするようになっていた。

確かに同情を呼ぶような事件であったから、仕方のないことであったろう。


「私、今まで泉君のことを誤解していたみたいね。だって普通に話せるもの。」


美香は一人で感心している、もしかしたら根はいい女の子なのだろう。


「そうなのかなぁ、僕自身あまり気にしてなかったんだけど、あの事故から何かが変わったような気がするんだ。」

「ふぅ~ん・・・」


美香がそう言うと、丁度授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。


「そうだ、泉君。たまには一緒にお昼を食べようよ。」

「え? あぁ、いいけど・・・。僕はパンを買わなきゃ・・・」


そう答える正生をよそに、急いで自分の弁当箱をつかむと早く教室から出ようと招いている。


「早くしないと、お目当てのパンがなくなっちゃうでしょ。急ぎましょ!!」


戸惑いながらも、正生は美香に促されるまま教室から出ていった。

その一連のやり取りを、雄一はうつろな目で眺め見守っていた。

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