朝に見える星
八月 脩
第1話
病室を出ると走って屋上へと向かった。
エレベーターが来るのを待ちきれず階段を駆け上がった。
途中、看護士さんに何か言われた気がするけど振り返らずに全力で走った。
最後の段を上り終えると、目の前の錆びて少し重くなった扉を思いっきり開けた。
そこには高い柵で囲まれた広めの屋上があった。
病院のシーツだろう。
白い布がたくさん干されている。
ベンチが3つ。どれも2、3人座れるくらいの長さのもので、そのうちのひとつに
瀬戸内 四葉が座っていた。
本を読んでいた彼女は僕に気がつくと
こっちだよ、と手を振って呼んだ。
「やぁ翼くん。よくぞここまで参った」
「まったく、驚かせないでよ」
僕は彼女の隣に座った。
瀬戸内さんは僕と同じ高校2年生。同じクラスになったことはないが、高校の入学式で一度話したことがある。きっと
彼女は忘れているだろうけど。
「ごめん、ごめん。びっくりした?」
「驚くに決まってるよ。病室に行ったら"屋上にいます。来なくでください。"って書いた紙切れがあるんだから」
「あはは、つい驚かせたくなったの」
彼女は幼い少女のような純粋な笑顔で笑った。
彼女の病名は"ヴィーナス・シンドローム"。
金星症候群とも言われていて世界でも数名しか発病していない奇病だ。
症状は3日で約1年程歳をとるというもの。これは金星の時間の流れと同じらしくそれが名前の由来だとされている。
人間の体がそんな負荷に耐えられる筈がなく数日で死んでしまうそうだ。
彼女が宣告された余命はたったの6日間。
今日で4日目だ。
信じられないけど、17歳の彼女が18歳になっているのが何よりの証拠だ。
彼女の余命は着実に縮まってきている。
隣に座っている彼女を見た。
本を読んでいる顔は穏やかでそして美しかった。
そんな彼女も明後日にはこの世からいなくなってしまう。
自分がどんな表情をしてたのかわからないけど、視線に気づいた彼女が言った。
「どうして悲しそうな顔をしてるの?」
僕は急いで両手で顔を覆い隠した。
きっと僕よりも彼女が悲しい筈だ。
なのに僕が悲しがってどうするんだ。
僕はあわてて笑顔を作ってみせた。
彼女はどう思ったのかわからないけど、
変な顔~、って言ってくすくす笑った。
そして、そろそろ行こうよ、と元気よく立ち上がった。
今日は彼女の要望でデートをすることになっている。
「今日はせいぜい私を楽しませなさい。翼くん」
「お任せください。四葉様」
僕はそっと彼女の手を握り、屋上をあとにした。
***
11月の風は凍てつくような寒さで
僕は思わず身震いをした。
隣を見ると彼女も寒そうに身を震わせていたから、大丈夫?と巻いていた長いマフラーを彼女にも巻いてあげた。
「えへへ、あったかいね」なんて少し照れながら言うから、体だけでなく僕の心まで暖かくなってゆく。
僕たちは市内で一番大きいショッピングモールにやって来た。
最初は二人で映画を観た。
タイトルは「朝に見える星」。
天体が好きだと言っていた彼女が観たがっていた映画だ。
一時間弱で終わったこの作品は、天体にそれほど興味がない僕にでも楽しめる映画だった。
それは彼女も同じらしく、さっきから映画の話ばかりだ。
「金星って"地球の姉妹惑星"って呼ばれているだね!なんだかロマンチック~」
「たしか、大きさと平均密度がもっとも地球に似た星なんだっけ」
「そうそう!それとか、暮れ方に1番光ってる星って金星だったんだね!知らなかった!」
彼女はキラキラと瞳を輝かせている。
「金星って"気温は鉛の塊をどろどろに溶かしてしまうほど高く、気圧は水深900mの深海と同じくらい高い。さらにはトルネード級のすさまじい強風が高速で金星を循環し、日中は硫酸の厚い雲が太陽を隠す。ひとたび夜になると、地球の時間で100日以上も続く。"なんだよね。地獄みたいだ…」
僕が言うと、彼女は首を横に振った。
「私は違うと思うな。きっと金星はいいところだよ」
「なんでそう言いきれるの?」
「だって、私と同じだから」
答えにはなっていないけれど、納得した。
彼女は自分の病気を美しく捉えている。
だから僕もそうしようと思った。
「そうだね。きっといいところだよ」
僕たちはその後、フードコートで昼食をとり、デパートを回った。
彼女の服を選んだり、ゲーセンに行って遊んだり、スイーツを食べ回ったりした。
彼女はとても楽しそうだった。
そしてそれは僕も同じだった。
楽しい時間というのはあっという間で、
デパートを出たときには空はオレンジ色に染まっていた。
そろそろ帰ろうか、と言ったら彼女が行きたいところがあると言った。
彼女に手を引かれるままついて行くと、デパートの隣にある海岸に来た。
夕日が水平線へと沈んでいっている。彼女はその光景を黙って見つめていた。
僕は彼女のその綺麗な横顔を盗み見た。
でも彼女が少し大人に見えて視界が歪んだ。
瀬戸内 四葉はもうすぐ死ぬ。考えないようにしていても何度も頭の中をよぎる。
僕が泣いているのに気づいたのだろう。
彼女は僕の左手を右手で包んだ。
「大丈夫だよ。私はいつもあの星から見てるから。」
そう言って彼女が指差した先には
夕日が沈んで群青色になった空に一際強い光を放つ星があった。
「人ってね死んじゃったら星に返るらしいの。だから私が死んだら大好きな金星に返るの。」
彼女の声がだんたんと震えてくる。
「死ぬのって怖いね…。私…死にたくないよ…まだ生きたい…翼くんと一緒にいたい…」
彼女は左手で涙を拭いた。
「でも、私は金星に返るから。翼くんのことずっと見てるから。だから、大丈夫」
彼女は今までで1番力強く言った。
瀬戸内 四葉は強くて美しい人だ。
僕はそんな彼女に惚れたんだ。
拭いきれなかった一粒の涙が彼女の頬を伝って地面に落ちた。
瞬間、僕は彼女を抱きしめてそっと唇を合わせた。
***
次の日彼女は死んだ。
誰もが眠りについている真っ暗な朝早くに死んだそうだ。
最期とは思えないほど綺麗な死顔だったらしい。
運命とは気まぐれだ。
彼女を予定より早く死なせたが、彼女とのデートはさせてくれた。
だから運命を憎みはしなけど感謝もしない。気まぐれって言葉が1番しっくりくる。
僕は彼女の担当の看護士さんから
「これ、四葉ちゃんから」
と手紙を貰った。
可愛らしい便箋には"翼くんへ"と書かれていた。
僕は便箋をそっと開き、中に入っていた手紙を読んだ。
翼くんへ
まずは今まででありがとう。
こんな終わりの近い私と親しくしてくれて。
翼くんは知らないだろうけど私ずっと前から翼くんのこと知ってたんだよ。
高校の入学式、私が大事な髪飾りを無くしてしまったときに翼くんが一緒に探してくれたの覚えてる?知り合いがいなかった私は君のおかげで見つけることができたの。
それからはクラスが違ったけど何度も君を目で追っていたんだ。
話したいけどきっかけが無いまま時間だけが過ぎていって、私はヴィーナス・シンドロームを発症してしまった。
最初はね、死ぬのが怖くなかったんだ。死にたいってわけではないんだけど、あのときの私には生きる意味がなかったの。
でも君はもう一度私の前に現れた。
そして私に生きる意味をくれた。
屋上を教えてくれてありがとう。
今では私のお気に入りの場所だよ。
小説を教えてくれてありがとう。
翼くんのおすすめはどれも面白かった!
デートを教えてくれてありがとう。
楽しかったよ。最後に翼くんがキスしてくれたの本当は嬉しかった。
恋を教えてくれてありがとう。
翼くんが最初で最後の恋だったんだ。
恋って幸せなものなんだね。
君は私に沢山のことを教えてくれた。
君は私にとっての生きる意味そのものだったんだよ。
だから自信を持って生きてください。
私は大好きな金星からずっと君のことを見守ってるから。
翼くん好きだよ。
四葉より
僕は読み終えると、そっと手紙を便箋の中にしまった。
外はまだ太陽が昇る前の静かな朝で
群青色の空には一際強い光を放つ星が浮かんでいた。
***
私が目を覚ますと、どこまでも果てしなく広がる広大なお花畑にいた。
黄色やオレンジ、紫や白など色とりどりの花が美しく咲いている。
空には惑星や星達が浮かんでいて
まるで宇宙にいるみたいだ。
私は理解した。
死んでしまったのだ、と。
確か彼に手紙を書いてそして……。
きっと安らかに死ねたのだと思う。
後悔や恐怖はなく、心の中にあったのは彼のことだけだった気がする。
その証拠に空に浮かぶ惑星のなかには
綺麗な青色の惑星があった。
教科書や図鑑で見たことのある星だ。
私はその場に腰を下ろすと青い星を見上げた。それが彼に誓った約束だから。
ふいに、風が吹いて花びらが舞った。
振り向いたらそこには
「やぁ、待ったかな?」
大好きな彼がそこにいた。
そして理解した。
彼もヴィーナス・シンドロームの患者だったのだと。
「あはは、つい驚かせたくなってね」
どこかで誰かが言ったセリフだ。
私の頬を一筋の涙が流れる。
「僕も君が好きだよ。四葉」
私は彼に抱きついた。
そして彼にキスをした。
これからは沢山の時間を彼と共に過ごせる。
私の好きなこの星で。
地平線の向こうでは太陽が昇り始めていて
頭上には青い星が光輝いていた。
朝に見える星 八月 脩 @shusuke0818
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