第18話 職人

 ウィンターキャンプは二日目を迎えた。


 各々でアップを終えた選手たちがパス回しを始めたところで須賀川が、日向ひゅうがともう一人を携えてピッチにやってきた。


 関口がその男が誰かに最初に気がついた。

 

「なんであの人がここに……」

 驚愕の表情を浮かべる関口。


 他の選手も次々にその男を認識して名前を口にする。


「眞崎さんじゃないすか!」


「オレ本物の眞崎さん初めて見た」


 眞崎、と呼ばれた男は軽く右手を上げて、応えた。


 日向ひゅうがが口を開く。


「さっき契約したばかりなんだが、ブンデスリーガ二部のフュッセンから移籍してきた眞崎稔選手だ。みんな宜しく頼みます」

 拍手が起きる。


 眞崎稔。


 元香取ディアーズの絶対的右サイドバックで、何度もタイトルを獲った黄金期のメンバーの一人だ。


 南アフリカワールドカップ後にドイツブンデスリーガ一部のエッセンで活躍したが、度重なる膝の怪我で二部のフュッセンに移籍したものの、なかなか復調せずその去就が注目されていた。

 

「スカさん、まさかのまさかですよ」

 中野が昨晩の須賀川との会話で新しいサイドバックの獲得を匂わせていた答えが眞崎と分かって驚きの声を上げた。


 須賀川が眞崎に挨拶するように促す。

「ミノ、みんなに一言」


 187cmの長身で、甘いマスク。

 そのくせ泥臭く体を張った守備を厭わず、ここぞというタイミングで右サイドを駆け上がって精密機械のようなクロスを供給する。


 エッセンのサポーター達は、献身的にプレーを続ける眞崎をこよなく愛した。


 眞崎へのチャント応援歌は、

「Mino〜 ah Mino〜 Unser Meister」(ミーノー、おおミーノー。我らがマイスター職人)だった。

 

 ルール地方のむくつけき労働者に愛されるこのチームに、職人的な献身性で眞崎は愛されたのだ。


 しかしその献身性が、眞崎のトップパフォーマンスを奪ってしまったのは人生の皮肉だった。


「怪我は治ってるんだ。まだオレはみんなとできるよ。だからよろしく頼む」

 再び拍手が起き、口々に眞崎に賛辞の声が上がった。


「でも、トモさんはどうなるんすか?……」

 関口が中野とのポジションの重複に触れた所でその場が固まった。


「お前って本当に無神経なやつだな」

 中野がニヤついた顔で言った。


「あ、いえ。プロですしね。ポジション争いは当たり前ってことっすか。」

 普段は歯に衣着せない物言いをする関口でも、流石にバツが悪そうに言った。


「俺はセンターバックにコンバートする。そこでもポジションを獲りに行かなきゃならないけどな」

 中野のコンバート宣言に、センターバックのレギュラー候補と考えられていた赤羽と山口の顔が引きつった。

 

 それはそうと、中野はもう気持ちの切り替えができているらしい。


「だけど何で眞崎さん、香取に戻らなかったんすか?」

 若手のGKの矢澤が率直な質問をした。

 矢澤は、正GKの粟尾の陰に隠れる形にはなるが、身長は長身の粟尾よりさらに8㎝大きく、カップ戦などでゴールを護ることがあれば抜群の安定感を見せる若手だ。


 眞崎は真剣な顔つきになって、

「確かに香取からは2番を任せると言ってもらえた。ただ、ここ数シーズンのパフォーマンスを見たら、それはオレに対する過去の労い以上のものではないし、それに甘えたらオレに選手としての将来はないと思ったんだ」

 全員が眞崎の言葉に集中している。


「それに、日向ひゅうがさんが、フュッセンまで来てくれた」


「GM、いつそんな」

 キャプテンの鈴木が驚いた


「えーと、二週間前です」

 

「二週間前って、年末ですか?」


「ええ。眞崎選手に会うならいつでも行きますよ」

 フランス人フリーエージェントの、ジャックから売り込みがあったのは年の瀬の28日だった。

 社長の山際に相談したが、

「悪いが、渡航費を捻出できない」

 と、頭を下げられたのだが、日向ひゅうがは諦め切れなかったのだ。


 年末年始で渡航費は高かったが、旅行を名目に自腹でオーストリアとの国境の街、フュッセンに翌日には飛んでいた。


「こりゃある意味公私混同だな」

 頭を下げながらそんな言い方で日向ひゅうがへの感謝を口にした山際に、


「構いやしませんよ。山際さんも『ゲームを楽しめ』って言ったじゃないですか」

 山際は、そうだったかな、と頭を掻いた。

 そして、


「眞崎には金使ってくれていいよ」

 と言って日向ひゅうがを成田空港から送り出したのだった。


 ケガが多く、ブンデスリーガ二部からの出戻りの元日本代表とはいえ、古巣である香取がオファーしたであろう金額になるべく遜色がないようにしなければ眞崎の気持ちをつなぎとめることは出来なかっただろう。


 その意味では関口の年棒を少しでも抑えられたこと、中野をエウリントンの穴埋めとして使おうという須賀川のアイディアは眞崎の獲得にどれだけ役に立ったか、山際は思い知ったであろう。


 眞崎と日向ひゅうがは、選手全員に改めて挨拶をしてピッチを辞した。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 ガビアータ幕張のオフィスにほど近いホテルオークマの一番小さなバンケットルームで、眞崎の入団記者会見が行われた。


 日向ひゅうがと固く握手をして報道陣のカメラの放列を浴びる眞崎。


 はにかんだような、優し気なかつての笑顔が戻っていたようだった。


 そしてガビアータの黄土色にブルーのストライプが入った今年のホームユニフォームに袖を通して、くるりと背中を見せると、背番号は2がついていた。


 中野が昨シーズンまで付けていたナンバーだった。


 質疑応答では、報道陣からはやはり香取ディアーズに絡んだ質問が多く出たものの、既に午前中ピッチで矢澤に答えた通りの対応で事が済んだ。


 眞崎が背番号を中野から奪い取った、と解釈した報道陣の一部からポジションの重複についての質問も出た。


「月刊フットボール通信の野島といいます。日向ひゅうがGMにお聞きします。中野選手は一旦0円回答で契約解除になった経緯がありますが、やはり眞崎選手の控えに回るという事でしょうか?」


「えーと、そうですね。プロなんで、ポジション争いは当たり前です」

 と、コンバートについては煙に巻いた。


 プレシーズンマッチが始まれば、対戦チームはまずその布陣に驚き、中野の秘めたセンターバックへの適性にもう一度驚くはずだ。


「今年は幕張がリーグを面白くしますよ」

 そう日向ひゅうがが締めくくり。1時間ほど続いた会見は終わった。


 翌日の数社のスポーツ紙の1面に眞崎の写真が踊っていた。


 また、小見出しで、


「ケガと中野とのポジション争いに注目」

 と書かれているのを見て、山際も、須賀川も大笑いした。

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