第14話 新監督誕生

 一週間くれ、とGMになった日向ひゅうがが姿を消した。


 なんでも、会社の売却に目途がついたとのことだ。

 

 コンサルタントは全部契約社員だし、めぼしい資産はないだろうが、上手くいっている事業ののれん代はべらぼうな金額になるだろうから、まとまった資金がある会社ではないと買収は難しい。


 もっとも、こうしたスタートアップを買うこと自体がこの日本でも一般的になってきたことは日向ひゅうがには追い風である。


 一週間後きっかりに日向ひゅうがは海浜幕張の事務所に顔を出した。


「一週間、始動が遅くなってすみませんでした」

 

「それは大丈夫ですよ。ちゃんとリストアップされた選手には既にウチのスカウティングチームが接触を始めています」

 山際がそう言うと日向ひゅうがは少し安心した顔をした。


「それで、進捗は?」


「まあまあという所じゃないですかね。既に内諾を取った選手は5人いますが、3人はチームが吹っ掛けてきてね」


「わかりました。引き続きお願いします。それから、『0円提示』の方はどうですか?」

 「0円提示」とは、解雇通知である。本来、リーグの規約で解雇通告は11月30日までに行わねばならないが、今シーズンは新型コロナウィルスの影響により、大幅に緩和されて12月31日まで期限が延長された。


 そもそも11月末に期限が設定された理由は、解雇された選手の次の移籍先がなるべく早く見つかるようにとの配慮なのだ。

 しかしながらこの温情が裏目に出ることがある。

 

 数年前、最終戦に降格がかかっていた東京ブリッツの主力選手が3人ほど試合前に11月30日が来てしまったため、解雇通告を受けながら最終戦に臨んだという事態が起きた。


 主力選手はモチベーションが保てず、結果、東京ブリッツは降格の憂き目にあった。


「そっちの方は粛々と。エウリントンにも既に通達はしましたよ」


「エウリントンはいい選手なんだけどな。1億円の価値はないですよ。仕方ない」

 その点については山際は完全に同意だ。


 主力でチームを去ることになったのは、エウリントンと右サイドバックの中野、そしてインサイドハーフの庄司の3人だった。


「違約金払ってでもいらなかったです。中野と庄司は」

 時折、日向ひゅうがは冷酷なことを平気で言う。


 山際はそれが気にならないではなかったが、性格なんだろうと理解するようにしていた。


「3人が抜けて、年棒は1億6千万円浮きました。関口の引き留めにはいくら積み増しますか?」


「噂の類ですが香取ディアーズが4000万円のオファーを出しているという話です。今年と比較すると年棒が約8倍ですね」

 山際は役員会で左サイドバックの関口の引き留めが最大の補強と説明していた。


「山際さん、関口にいくら出しますか?」


「難しいですよね」


「3900万円で残留しなかったら関口も出していいです」


「え、ちょっと待ってください」

 慌てたのは山際だ。


「彼が他のチームに行くことと、ウチから居なくなることは、あわせると倍の損失ですよ。100万円をケチる意味が分かりません。ここはエウリントン資金もあることだし、ドーンと」


「関口はいい選手であることに異論はありませんが、2000万円で彼くらいのパフォーマンスが出せる選手はいますよ」

 さすが「歩く選手名鑑」だ。


「わかりました」


「その代わり、関口には須賀川が来ることを伝えても構わないです」


「どういう事ですか?」


「関口は『サカやろ』のプレイヤーとして須賀川の事を尊敬しているという話を聴きました。今度は監督として尊敬させてやりますよ」

 山際は、


「それで、監督だけど、本当に須賀川でいいのかな?」


「ええ。彼じゃないとだめです」

 交渉は日向ひゅうがが直接やるという事だった。


「須賀川には、いくら払いますか?」


「彼にはベースの年棒とインセンティブを設定します。実際には勝利給です。あの人の場合、インセンティブが結構効くはずです。ゲームやっててそう思いました」


「GMの直勘に従います。じゃあ進捗はLINEでもいいので適宜連絡取りあいましょう」

 山際はそう言って会議を締めくくった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「あれ、どうしたの? 日向ひゅうがさんから連絡くれるなんて」

 ジムでマシンを使って汗を流しているときに、須賀川は日向ひゅうがから電話を受けた。


「須賀川さん、今日中に会えないかな」

 なんだかいつもとは感じが違う日向ひゅうがの声に少し戸惑ったが、


「ああ、そろそろジムを切り上げるから、新高輪プリンスのロビーでいいかな? 一時間後。何の」


「いいですよ。じゃあ後で」


 須賀川は言葉を遮られて一方的に電話を切った日向にちょっとムッとしたが、いつもあんな感じだし、と直ぐに忘れた。


 時間通りに須賀川が指定した新高輪プリンスホテルのロビーにやってくると、日向ひゅうがが手を挙げて座っていた椅子から立ち上がった。

 

 日向ひゅうがは相変わらずラフな格好をしている。


「どうしたの、急に」


「僕、サッカー関係者になったんですよ」

 と言って日向ひゅうがは名刺を取り出した。



「ガビアータ幕張 GMって、なにそれ? よく意味が分からないんだけど」


「書いてある通りですよ」


「会社はどうしたの」


「売った」


「どこに?」


「日本ICM」

 日向はソリューションビジネスに特化したアメリカIT企業の雄のひとつ、ICMの日本支社に事業を売却したのだった。


「それはすごい。で、いくらで?」


「まあまあだったよ」

 話をはぐらかす日向ひゅうが


「で、GMさんが俺に何の用…って、コーチか何かで雇ってくれるの?」


「うん、須賀川さんにはトップチームで指揮を執ってもらうよ」

 須賀川はそれを聞いて全身から力が抜けたような気がした。



 いつかは監督業をやってみたかったのだが、こんな形で、こんなに早く、よりによって日向からそんなオファーをもらうとは思いもしなかったのだ。


「いつから来れる?」


「明日でも。一応聞いておく契約金は?」


「2000万円+勝利給。少ない?」


「いや、やらしてくれ。」

 須賀川との交渉時間は5分だった。

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