第5話 役員会-1
入れ替え戦が終わった1週間後の川島製鉄本社役員会室。
外は朝から季節外れの土砂降りである。時折遠雷の音も聞こえてくる。
重厚な木製のドアの向こうには、創立125年を迎えたこの重厚長大な企業のトップたちが一堂に会している。
そんな場にガビアータ幕張球団社長として出向している山際徳克はGMの園田と共に月例の役員会に呼び出されていた。
土砂降りに遠雷。今日の会議を想像するとこれ以上なくマッチする状況だった。
山際が電話を受けたのは入れ替え戦の行われていた最中だった。
ガビアータはその入れ替え戦では難なくJSL-B3位のモンターニャ山梨を破り、どうにか残留を決めていた。
選手の中には安堵のあまり泣き崩れるものも居たが、サポーター達は相変わらず冷めていた。
その後、電話の主、役員会議長である代表取締役社長の
「12月18日(水)11:00に役員会にてガビアータ幕張株式会社の202x年度予算及び経営方針について再度説明願います」
との短い一文が記されていた。
つまり「抜本的な経営改善案を提出すること」
これが山際に課されていた議案であった。
一週間ではとても間に合わないと山際は思ったが、経営改善案自体はもう山際が就任して以来常に親会社である川島製鉄から要求されていたことだ。
要するに山際の怠慢である。
山際は大学を卒業後、27年間川島製鉄の財務畑を歩いてきたファイナンスのプロであったが―― というのは表向きであり、その実は昼行燈を絵に描いたような人材であり、ガビアータへの出向は山際へのラストチャンスのようなものだった。
出世レースでは早々にリタイアし、本社では、彼の姓をもじって「窓際さん」と陰口をたたかれていた。
ガビアータの社長として経営を立て直すことができれば本社への復帰が認められ、失敗すれば川島製鉄の名がついた零細子会社への出向の岐路に立たされていたのだ。
もっとも山際は子供のころからサッカーに親しんでおり、就職先に川島製鉄を選んだのは既にプロ化していたガビアータの存在があったからだ。
選手としての実績はないもののサッカーを愛し、できれば自分の手でガビアータを再生させてみたい、それが山際の夢でもあったのだ。
しかしこの昼行灯は本社からの要求を積極的にこなす事もなく単純に過去の実績ベースでの予算案しか示してこなかった。
やりたいことと、できる事は違う。
川島製鉄の決算は国内主要上場企業の中では珍しく12月であり、連結決算の対象なのでガビアータ幕張も12月決算である。
そのタイミングに合わせた、という見方もできるがこの時期に来年度の予算について説明するのは明らかに遅すぎる。
実際には山際は8月の段階で202x年度の予算について役員会の承認を得ている。
当時、要するに親会社とてこのチームを抜本的に改革する気など毛頭なかったのだ。
しかしながら今になって親会社が山際を追い詰めるような指示を出したのは新型コロナウィルスショックによる業績低迷にある。
新車販売が低迷し、大型のデベロッパーのプロジェクトも頓挫して鉄鋼の需要は落ちに落ちた。
鉄鋼産業は川島製鉄に限らず、最王手の亜細亜製鉄も赤字に喘ぐほどであった。その環境下でガビアータは明らかに川島製鉄本体の足を引っ張る存在になっていた。
せめて損益分岐点まで立て直す必要があり、それができなければ売却も検討する必要に迫られていたのだ。
当然の如く、その頃ガビアータの幕張新都心にある事務所では、
「親会社がチームを売却したがっている」
という噂が立っていた。
社会情勢やチームの現状を見るとそんな噂が立ってもなんら不思議はなかったが、川島製鉄は明治から続く日本の基幹産業の雄である。
それ故か「プライド一流、実力二流、給料は三流」と業界で揶揄されるほどの社員の傲慢さで悪目立ちしていた。
売却だけは避ける―― それが面子を保つために必要だった。
会議に先立って、園田はGM職を辞することを決めていた。
否、山際の責任において園田にクビを宣告したのだ。
園田は現役時代フランスリーグで活躍し、ガビアータの監督を務めた後GMに転身した。
GMとして何ら実績を作ることができず、最終節では試合が終わるや否や逃げ出すなど到底容認できなかったのだ。
その後釜を誰に据えるかは基本的に球団社長の山際の専権事項であったが、もちろん親会社の意向も汲まねばならない。
GMの仕事は大まかに言えば、チーム戦略をもとに監督、コーチ、選手を編成し契約を実行することだ。
チームによってはチーム戦略そのものを担当させることもある。
ガビアータは正にこの戦略に主に親会社のサッカーの素人が口を出すことが問題を引き起こしていた。
山際は、自分の進退をかけるにふさわしい男を一人頭の中に思い描いていた。
頭の中で、何度も準備した原稿を思い出し、プレゼンテーションのシミュレーションを行っていたが声を出すわけにもいかず気ばかりが焦ってきた。
そうこうして役員会室の扉の前で待っていると、その重いドアが開いて、役員室の秘書が近づいてきた。
「お時間ですのでお入りください」
促された山際は、念のためにネクタイを再度締め上げ、秘書よりも先にドアを静かに開けて、
「失礼します」
と言って入室し、一堂に会した役員たちに園田と共に頭を下げた。
山際と園田に、役員たちの耳目が集まった。
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