第24話

 既に一時間。

 会話が続いている。


 この場には自分の他に教皇とアグニとナナ。そして、護衛もかねているのか侍女が教皇の斜め後ろに、そして初老の執事がテーブルの側で待機している。


 呼び出されたのは法務都市ユグユグの五つの教会のなかで一番綺麗な北の教会。その広く美しいガーデンだ。広々とした庭には時々の花が満面にほころんでいる。


 国王がいる席なのに従者が少なすぎるのではないかとはアグニの言葉。しかし教皇はアグニがいるのならと笑って見せていた。確かにアグニに教皇を害そうとする意思はなく、そも害そうとするなら既に事は済んでいる程度の膂力を持っている。何人が教皇を護っていようが意味などなく、逆に何者かに襲撃されたとしてもやはりアグニがいれば事足りる。


 ──て、言っても。見えないところに眼があるのは当然かぁ。


 それが教皇の指示なのか、自ら進んでの事なのかは分からないけれど。警戒はされている。


 ──魔族をやっつける力の持ち主、だものね。白髪青年アグニ君は。


 魔族という、既存生命と異なる存在は、世界に蔓延る生命体を滅ぼせるだけの圧倒的な力を行使できる危険生物だ。それがなぜ、害意を向けるのか、その手法が直接的ではないのかなど、いまだ不明な部分は多々あれど、本来ならひと種が束になったところで到底太刀打ちできないのが魔族である。


 ──それが、あんな方法で覆しちゃうんだもん。……アグニ、恐ろしい子。


 何度も言うが磨法は万能じゃない。どこぞの絵本のように王子さまを蛙に変える事なんて不可能で、やらやら、もし成そうとすれば、立ちはだかる壁は堅くて分厚い。


 であれば、あの時アグニはどうしたのか。


 簡単だ。


 と、一時いっときだけでもあの山羊面本人の脳に誤認させればいい。ようは、山羊面魔族の『魔法』という世界改編技術を強制的に発動させ、年老いた山羊へと、魔族自身の技術で肉体を変化させたのだ。


 ──て、考えるのは簡単だけど……実際それを実行するのにどれだけの演算と磨力と想像力が必要なのか、見当けんとうもつかないわね。


 ガーデンは晴れた空の下で煌めくように綺麗な花をそよ風に揺らして、心地の良い時間を作っていた。一面の花が波のようにさざめく。


 教皇は言う。我が国を救っていただいて感謝します、と。三国間での魔族討滅作戦はひと種存亡を決める大事であり、しかし手を出しあぐねていた我らをアグニ殿が救ってくだすったのです、と。


 下を覗けば白髪男子はニコニコしていた。流暢に相づちを打っているようだがこめかみ辺りを流れる冷や汗がアグニの心理状態を表していた。


 ──あらら……。


 会話は続く。

 耳に遠い話し声で。


 そう言えば、と気がつけば。教会も、教皇の装いも、金ぴかではなかった。このガーデンに続く回廊も、道々横並びになっていた信徒や警備や護衛達も、落ち着いた配色の建築や、修道服や鎧姿で、あの気持ち悪くなる金ぴかはあの大司教の息のかかったものであったらしいことが伺えた。


 ──教皇にも口出しさせてなかったってことよね。大司教の手腕なのか、魔族の誘惑の力のせいなのか分からないけど……ほんと、ギリギリだったみたいねぇ、この国。


 乾いた笑いが口の端しに引っ掛かる。溜め息が抜ける。魔族の誘惑の力が恐ろしいものだと改めて思いしる。


 そして。


 誘惑といえば、と。ニーポの視線がガーデンに向いた。視線の先には綺麗な花がガーデン一面を覆い尽くして揺れている。


 ──てか、この花の海を泳ぎ回りたい衝動を押さえるのに必死なあたしって、実はちょーぜつミーハー妖精なのかしら!?


 ニーポには見える。とっても甘い蜜をふんだんに蓄えた花達が手招いているようすが。


 ──くっそぅ! 直接な誘惑しやがって! さすがは妖精を神の使いだと祭り上げる宗教国家。あたしの誘い方が分かってらっしゃる!


 じゅるり、と。知らぬ間に口の端に垂れる欲望を拭って口をへの字にひん曲げるニーポ。甘味は生命にとって麻薬なのである。


 ──でも……あたしは……。


 そこで、ふと。思考に陰りが生まれた。


 ──あたし、なんでここにいるんだっけ?


 仕組まれたことだった。

 ニーポが捕らえられたのも。マギ研から逃げ出したのも。追われ、逃げ延びた先にアグニが居たのでさえも。


 ──昨晩アグニが寝てる間に寝顔を見に来たあの男が、アグニのお父さんだったのよね。


 ニーポが捕まった場所も、逃げ回った道も、全てはニーポとアグニを出会わせるための演出。途中でジャイアントオークが現れたのはアクシデントだったらしいが、あの演出を仕組んだのはアグニの父ジーグであったと言う。


 ──自分の息子がどんな風に成長して、どれだけ過去を克服させることが出来たのか確かめたかったってのは、あたしも分からないことじゃない。子供は、いないけど! 分からないことじゃない! まあ、いきなり『魔族を討伐してきなさい』なんて言えなかったんでしょうねぇ、親としてはさ。


 でも、だからと言って自分が怖い思いをしたのは納得がいかないニーポ。自分より十倍以上大きな身体で「実験材料ゲット!」とかはしゃがれても恐怖するしかないのだから。


 ──それに。


 ニーポはアグニの頭の上から横を見る。浅葱色のローブについたフードを目深にかぶって、アグニに寄り添うナナを。


 ──三国同盟が主だったんだろうけど、アグニっていう救世主を見いだして、救世主の保護者を拝み倒したあの執事さんの目的は、別にあったんだよね。


 とどのつまりは、あの執事。


 若き日の悲惨な戦場で命を繋いだその時、なんの気まぐれか助けられた夜鳴鬼女ゴブリンに恋をして、生まれた一つの命。


 それが、ナナである。


 ナナが生まれて数年の歳月が流れたあと、隠れ住んでいた森に手勢率いるガマグッチ・エロペロンがやってきて存在を知られ、妻を殺され、娘を捕らわれ、自身も良いように使われていた。


 ──考えるだけで吐き気をもよおす事だってきっとさせられてきたはず。それをあの執事さん、大司教の側近にまでなり上がって自分の娘を救う道を選んだ。その道を歩くって、どれだけ痛かっただろう。


 チラと視線を向けてみれば初老の執事は銀色のトレーを片手に屹立したまま、一切揺れずにそこにいた。表情を作らずとも厳めしい面で、そこに。


 ──抱き締めたりとか、頭撫でたりとか、したいと思わないのかしら? せっかく自由になれたのに。


 そうは思うが二人に変化はない。一晩中、アグニの隣に居たナナである。ニーポが知る限り二人が喜んでいる場面など目にしていない。


 ──でも……無味乾燥って言葉を当てはめるには状況がねぇ。お互いにこれまでの事を考えると逆に顔を会わせづらいってこともあるでしょうし。


 ニーポはアグニにぴったりと引っ付くナナを見下ろして鼻から息を抜いた。鼻から息を抜いて、その光景をよくよく見下ろして、それから、モヤッとした。


 ──……いやいや、て言うかさ。くっつきすぎじゃないか、あれ? ん、いや、いいのよ、別に。あたしなんてアグニの頭に抱きつけるし。頬擦り出来るし。……ううん、違う。だからどうしたって訳ではないの。別にアグニに誰がくっつこうとあたしには知ったことじゃないの。関係ないの。だから、ほら。あたしの可愛い顔だってひきつったりしてないの!


 その言葉が真実を表しているかは秘密である。

 けれど、頭のなかでいつも通り騒がしいニーポも、この瞬間に感じる寂寞とした想いは隠しようがなかった。


 ガーデンの美しさも、花花はなばなの芳しさも、テーブルで交わされる会話に至っても。遠く、霞んで、色褪せている。


 教皇の口からこぼれる賛辞が、感謝が、どこぞの商工会長の朝礼のように詰まらないのは仕方がないにしても、其だけではないうら寂しさがニーポの胸を漂っていた。


 ──はぁ……どうしようかしら。


 原因は分かる。

 理由も分かる。


 理由も原因も理解してこそ、胸に籠るため息は深く濃い青色なのだ。


 ──嬉しいことよね、これ。本当なら、自由を喜んでそこらじゅうの花に飛び付いたって良いのよ。なのに。


 離れられない。


 優しく揺れる髪が自身を支えるアグニの頭の上から。


 ──アグニはあたしを護るために、あたしを匿ってちゃんと生活できる組織を見つけるために、隣に居てくれたんだもん。これ以上は迷惑、だよね……。


 失くなったのは理由。消えたのは意味。

 隣に居て大変な事もあったけど、一緒だからふざけあい、笑いあえた場面はとても多い。


 森での出会いも、坑道での迷いも、平原での戦いも、料理屋での食事も、気色悪い教会を見上げたときも。事あるごとに、声を掛けてくれた。大丈夫だよ。守るよ。任せてと、何度だって微笑んでくれた。時に弱ってしまう場面だってあったけれど、アグニは優しくて、優しくて、優しくて──。


 その優しさは自分だけに向いている訳じゃないって分かっているけれど、これ以上は、目的も理由も意味もなくした自分が触れたらダメな優しさだって分かっているけれど、それでも。


 ──ああ、ここで終わりかぁ。それは、とっても……嫌だなぁ……っ!!!


 なにかが決壊する瞬間だった。


 とくに我慢していたわけじゃない。我慢もなにも、そのときが来た自分自身でも、それに気が付かなかった。涙が溢れていることに、気付けなかった。


 だから、その時。テーブルで交わされていた会話が。アグニが発した一言が何を指しているのか、分からなかった。



「お断りします!」



 瞬間。教皇の斜め後ろにいた侍女の表情が険しくなり、教皇自身も僅かではあるが驚いた。


「理由をお聞かせ願えませんか?」とは、教皇の弁。


「え、だって一緒に居たいのにここでお別れだなんて嫌に決まっているでしょう?」

「そこをおして、お願いできませんか? それに、妖精殿の意向も聞くべきでしょう。ナナさんに至ってはお父上との関係も考えれば、この場に残るという選択は決して間違ったものではないと、お思いになりませんか?」


 しかし、そう言われたとて「嫌です」と。


 口元だけで笑うアグニは突っぱねる。


「ニーポもナナも、俺は一緒に居たい。確かに、教皇の言うことは間違ってないとおもいますよ? ニーポやナナが、ここに残りたいっていうなら、俺は気持ちを尊重する。でも、俺の想いは変わらない。──ひと、従うわけにはいかないんです。俺も、ニーポも、ナナも、あんた達が我が物顔で生きていくための道具じゃない。ナナに限って言えば教皇さんとこの宗教組織に居ても酷い目に遭ってるんだ。もし教皇さんなら、自分の娘を預けたいと思うんですか? 仮に入信させたとして、目を離しても安全だと言えるんですか?」


「……いえ、アグニ殿の仰ることに間違いはない。お恥ずかしい話ではありますが、我ら黄金の稲穂の中にも信心を持ち、人種をお救いになられる陽乃守神ヒノモリノカミの意思をたっとく思われない方々も居ります。けれど、アグニ殿のお力添えあって魔族の襲来という破滅の危機を乗り越えた私たちは、生まれ変わったのです。そしてより良いひと種の発展と幸せのために──」



 大きな溜め息が美しいガーデンに落ちる。


。そればっかりだ。人種のなかでだけ幸せを願うその狭量が……人種のなかでのみ発展し豊かさを手に入れようと夢想するその厚かましさこそが……、教皇?」

「……!!」


 動きは一瞬。教皇の侍女が瞬く間にテーブルを飛び越え、隠し持った小さなナイフをアグニの首もとにあてがった。頭の上のニーポも、隣のナナも、正面の教皇も、反応できない。


「訂正して下さい。いくら魔族を撃退した御方でも教皇様を貶める発言は看過できません!!」


「貶めるもなにも、本当の事では?」


「ッ!!!」


 ぐっ、と。首に当てられる刃に力が加わった。

 やっと事態を飲み込めた教皇が動く。


「お止めなさい、フリッタ。刃を納めなさい」

「ですが……!」


「良いのです。私たちが信じる神は、か弱き人種が他の異人種に虐げられぬよう、始祖にお知恵を授けて下さったのです。その教えが時を経て黄金の稲穂の教えとなり、今では、国家内国家として国まで持つようにもなりました。事実、我らが信じる教えは他人種を排斥する一面を持っているのも確かなのです」


 侍女は奥歯をグッと噛んでナイフを引っ込めると、姿勢を正して「失礼しました」と頭を下げた。


「申し訳ない。どうも先走るきらいがある者で」

「構いませんよ」


 短いやり取りがあった後、お互いを推し量る様に視線を重ねるアグニと教皇。先に息を切るのは教皇だった。


「──分かりました。アグニ殿の意向、受け取ります。今回の件、全面的に私どもの不手際。エロペロン元大司教のことも、その下で国の治安を司る僧兵の私物化も、ナナさんや他の虜囚達のことも。何より、魔族のことも。教皇である私の力が及ばなかったが故に招いた惨事。それを締め括っていただいた上に、これ以上はなにも求めません。ですが」


「ですが?」

「私も一国を背負った一人。お手助けの一つとしてアグニ殿の旅に微力を添えたい。──これを、受け取っては下さいませんか?」


 差し出されたのは一つの指輪だった。銀色のリングに刻印が彫られたもの。彫られているのは。


「うま?」

「ええ、馬です。それは法務都市ユグユグが都市国家になったときに造られた、磨法馬車の制御に必要なものです。車を引くのは磨法により自動化された鋼鉄の馬。引かれる車は空調完備の黒樫造り。強化磨法で速度と硬度を跳ね上げた特別仕様のものです。ぜひ、お受け取りください」


 価格にして幾らだろう? と考えるのは下衆だろうが、それが技術的にも社会的にも価値あるものだと気付くのに時間は必要なかった。それになんと言っても馬車が一台あるだけで旅はずっと楽になる。空調まで完備されているなら気儘な旅暮らしのなかでハードな環境に陥っても、快適さなど徒歩と比べるべくもない。


 しかし答えは。

「お断りします!」


 ハッキリと、大きな声で、笑みまで浮かべて。

 教皇と侍女の表情が意表を突かれたように動いた。困惑より怒りの色が濃いのは侍女の方だ。


「理由は、お伝えした方が良いですか?」

「……、いいえ。それがアグニ殿の考えであれば、理由を尋ねることも必要ありません。私どもからはなにも受け取れないのですね」


「まあ、そうなりますかね。俺は俺の意思で此処に居るので。たとえジーグ父さんに導かれていたとしても、俺が俺の頭で考えて、そうしたいって思ったからニーポを守るし、ナナの傍に居たいって思えてる。そこに、あなた達の都合は含まれてない。もし俺がそれを受け取ってしまったら、俺は余計なしがらみを背負うことになりますから」


 ふう、と納得した溜め息が聞こえた。教皇の目に年経た故の、頂上に居るが故の、羨望が滲む。


「まあ、と言って格好つけても……こればっかりは俺の一存で決めるわけにはいきませんけどね。あ、馬車の事でなく」


 アグニは言葉を繋げて視線を配った。隣にいるナナと、目の届かないニーポに。


「二人はどうしたい? 残りたいかな、この場所に。ナナはお父さんが居るし、ニーポはそもそも本洗礼を受けて黄金の稲穂に入信するのが目的だったじゃない?」


 ニーポとナナの視線が自然とぶつかった。慌てて目元を拭うニーポはちょっと恥ずかしそうだ。


「……あんたは、どーすんのよ」

「わ、わたしは……その……」

「まあ、聞くまでもないわよねぇ」


 そして何故か、アグニはニーポからのポコポコ──ニーポコされる。


「痛いよ、ニーポ」

「もう良いわよ、それ!」

「そう?」

「そうよ」

「なら、答えを聞いても良いのかな?」

「ええ、もちろん」


 ニーポはアグニの頭からナナに移って、胸を張るように宣言する。さっきまでの寂しさが嘘のような満面の笑みで。



「あたし達はアグニと一緒にいるわ。どんなことがあったって、離れてあげる何て思わないで!」



 浅葱色のローブについたフードで目元を隠すナナと、その頭の上でちょっと偉そうに胸を張るニーポの想いを受け取ったアグニは、ちょっとだけ唖然とした様な顔をしてからにっこりと笑顔を作った。


「大丈夫、任せて!」



 そうして──。


 目的もないぶらり旅が始まった。アグニには見聞を広めるためなどと言う広大無辺なものがあるけど、あまりに大きすぎてぼやける目的などあってないようなものだから、この旅にハッキリとしたものはない。


 その場その場で興味を探し、その時々に移り変わる天気のように、風の吹くまま気の向くままで世界を見る。


 巻き込まれるに任せることもあるだろう。

 その言葉を撥ね付けることもあるだろう。


 それでも。


 アグニもニーポも、新たに加わったナナにしても、ただ世界を遊ぶ事にした。


 楽しく苦しく、時に悲しくも、世界はもっと広いのだから。

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