第23話

 アグニが目を覚ましたのは、豪華なベッドの上だった。天蓋やら、沙羅の花が銀糸で縫い込まれた瀟洒な蚊帳やら、手触りや寝心地だけで睡眠導入をしてくれるのではと思えるサラフワな寝具に包まれての起床なんていままで経験したことのない寝覚めだからもう、寝起きドッキリ大成功だった。


 ──え、なにこれ。天国? 極楽? デーヴァローカ? アースガルズなら俺泣いちゃう。


 仰向けに横たわったまま自分でも意味不明なことを考えて、視線を動かす。どうやら部屋だった。当たり前だが、部屋だった。宿屋の部屋が4つくらい入るほどの広さが、透き通る蚊帳の向こうに見てとれる。首を動かせばどうしてそこを選んだのか分からないニーポが抱き付いていることに気づき、左隣にはナナの裸体が自分の裸体に抱き付いていることにも気づい──、


「なんで!?」


 もう完全に寝起きドッキリ大成功だった。


 急に胸が高鳴っちゃうアグニは白く色抜けした髪が色づくのではないかと思うくらい頬を紅潮させて息を飲む。こんなとき瞬きが多くなるのはどうしてなのかと考える余裕さえない。


 さて、そんなときに他から声でも掛かろうものなら油断しているにゃんついた声だって漏れてしまうものだ。


「おはよう御座います。アグニ様」

「にゃあぁんっ!」


 男児あるまじき乙女声である。


「…………」


 驚いて上半身を跳ね起こすアグニは、掛かるシーツを胸元に手繰り寄せて声の主を視界に収める。首に抱き付くニーポが滑り落ちてシーツを転がった。それでも起きないのだからニーポの寝汚さ足るや想像するまでもない。


「なによもう、ビックリしちゃうじゃない!」

「申し訳御座いません。アグニ様」

「って、あんたか……」

「どなたかとお待ち合わせでしたでしょうか?」

「いや、そういう訳じゃないけど」


 アグニは息を吐き、改めてベッドの横、部屋の扉付近に恭しく立つ初老の執事に向き直った。寝乱れた髪をバリバリと掻いて、あくびを一つ漏らした。


「そっか。おれ、気を失ってたのか」

「はい。魔族を殴り飛ばしたあと意識を保っていられなかったのか、そのままわたくしどものいた部屋まで落下して来られました。僭越かと思ったのですが、そのままでは怪我をしてしまわれると思いわたくしめが抱き止め、そして、この部屋へと運ばせていただきました」


「とぅき……♪」

「有り難う存じます。その言葉を励みに、精進して参ります」


 やはり恭しく頭を下げる初老の執事はそれから、アグニに事後を説明した。


 アグニが山羊面魔族を殴り飛ばしたあと──あまりのことに水を打ったように静まり返ったあの部屋に、法務都市ユグユグの正義の稲穂正規治安部隊、聖貴城都アレクトールの第零特殊大隊、そしてブリアレオス皇帝国の魔法技術革新機構研究室特別潜入班[眼に映らぬ梟インビジブルオウル]の面々が大挙してやってきた。驚くのはそれを知らぬ虜囚と、ニーポとナナ。初老の執事は彼らを迎えると、一人の大柄な騎士に歩みよった。その騎士の名をジーグという。


「諸事情諸々は、実のところ三国で秘密裏に共有していたのです」


 それは大司教ガマグッチ・エロペロンが都市国家を内側から乗っ取ろうとしていることがバレていたからだけではない。その裏で人類共通の外敵である魔族が、暗躍していることを受けての三国の共闘であった。


「しかし、相手は存在は知られているものの、それ以外にこれといった情報のない化け物。我々にとっては、圧倒的な力と、魂まで惑わす魔力を備える凶悪で御座いますから、警戒はできても進展のない日々が続いておりました。ですが──」


 そこに現れたのが莫大な量の磨力を内包したアグニだった。


「一から十まで、ということは御座いませんでした。アグニ様のご尊父、そしてご母堂ともに、はじめは大反対だったのです。しかしわたくしがどうしてもと頭を下げた。だから、彼らには悪意など微塵もありはしないので御座います。そこはどうか、ご理解いただきとうございます」


「……。まあ、その話を聞かされたあの夕方に、驚いたのは間違いない、かな。でも、それはほんの少しだった。だって、ジーグ父さんもメリッサ母さんも人助けをしたんですよ? 俺から文句が出るなんてありません。ただ一つ、なんの言葉もなく、顔を見せることなく皇帝国に戻ったジーグ父さんには後で文句を言ってやりたいところですけど」


 肩を竦めるようにアグニは反応して先を促す。


「で、その変態ヒキガエルと山羊面魔族は、いまどうなっているんですかね。一様、手は打っておきましたけど、確認する前にこんな状態になったので」

「そう、ですね……では、お伝えいたします」


 初老の執事はなにかを噛み締めるように、ほっとした様に、言葉を飲み込んだ。


「まずはガマグッチ・エロペロンの処遇ですが、あの者は懲役刑になったと聞き及んでおります」

「懲役……この国の法にも死刑があったと思いますが?」

「お怒りはごもっともで──」


 アグニは人差し指を振った。


「キレてない、キレてなーい」

「キレ……? お怒りではないと?」

「殺す! 何て言ったけど、俺も人殺しをしたい訳じゃない。ただ、大司教の身分にあって、その権力を傘に、守るはずの女子供を虐げていたその罪が死刑以外の罰になるその事実に少し驚いただけですよ。いや、本当に。マジマジ」


「……。やはりお怒──」

「キレてなーい」


 アグニはまた人差し指を振った。

 初老の執事は咳払いを挟んで続ける。


「懲役は八十年。毎日の麦踏みと、穴掘りを義務付けられるとのこと。もちろん、麦踏みは季節ものですので、他にも負う刑は追加されていく様です」 

「執行猶予や仮釈放は?」


「……、申し訳ありません。わたくしの不勉強でアグニ様の仰っていることが詳細に理解できませんが、言葉面から判断しますところでは、エロペロンにこれから先の行動の自由は無いことを、お伝えいたします」

「ああ、大丈夫ですよ。俺も自分が何を言ったか分からないので。たまにあるんですよね、理解も経験もしていない言葉が不意に出てくることが」


 こう、ポロッと──と言ってアグニは笑う。


「でも、おそらく聞きたかったことは間違いないと思うので、GJっす。さすが熟練執事っす」

「ありがとう御座います」


 初老の執事はやはり恭しく頭を下げて、姿勢を戻した。それを眺めてアグニが感じることは。


 ──いや、それ実質死刑だよね? 行動の自由も釈放もない八十年とか!? ちょー怖い。てか、終身刑ならそう言って欲しい。


 アグニは微苦笑で流す冷や汗がとても冷たく感じられた。


「なら、あの山羊面は……?」

「両の目を潰し、手足を切り落として、舌を切り取ってから下半身を石膏で固め、背の羽を抉り取りました」

「くぁwせdrftgyふじこlp!!!」

「……。冗談で御座います」


「初老の執事はちょー紳士っていうイメージから冗談なんて言わないと勝手に思ってた自分が恥ずかしいですごめんなさい」

「こちらこそ。申し訳ございません──しかし」


 執事はなんと言っていいものかと思案するように一拍、口を閉じた。


「……アグニ様ならば、あの魔族がどうなったかなど、わたくしに尋ねられなくとも、ご自身が一番、お分かりなのではないですか?」

「う、うん? なんのことです?」


 アグニの目が泳いだ。初老の執事はなにかを察したように息を漏らす。


「ならば、お伝えしましょう。──あの山羊の面貌をした魔族は。正真正銘、この世界から消え去ってしまったのです」

「へ、へぇ~。それで?」


「あの時、アグニ様が城の上空から魔族を殴り、地面へとめり込ませたあと、アグニ様が落下してきました。そのままでは危険と思い受け止めさせていただいたと言うのは、先に話したことで御座います。しかし、その直後のこと、まるで時間が経つことが発動条件とでも言うように魔族の周囲に幾つもの磨法陣が浮かび上がり、幾多の光に場が包まれました。そして、その光が引いたあと、魔族がめり込んでいた場所には、がおりました」

「ほう! それで!?」


「その山羊は年老い、痩せ細り、節榑立った身体が哀愁を漂わせるほどに弱々しい見た目で御座いました。か細く鳴き、震える足腰など、もう幾ばくの時も残されていないのだな……そう感じ取れるほどに。今朝には起き上がることも出来ない老衰ぶりでした」

「ほほぉう。それはそれは! なら、魔族は元々、何らかの形で変貌してしまっただったのでしょうな!」


「……アグニ様がそう仰るのなら、そう、なので御座いましょう。なんと言っても、今回の魔族関連事件を解決に導いたのはアグニさm──」


 それはシーツの海の合間から。


「そぉんなわけぇぇぇ…………あるかぁあぁぁぁぁあぁぁ!!!」


 全身に展開された装着装甲型パワードスーツの全機能を解放してからの、ブーストフライングキック妖精ニーポちゃんである!


 下から顎先へと閃いた直線的な跳び蹴りは、弾丸のような鋭さでアグニに命中。アグニはちょっと舌を噛んだ。


痛いよニーポひはいひょひーほ

「うっさい! 世界改編レベルの磨法なんて使いやがって!! そりゃめちゃんこお強いアグニ君だって気絶くらいするってぇのよ!?」


「あらやだ、ニーポちゃんたら。心配してくれたんだ、嬉しい」

「だっ……から。そうじゃなくてね!?」


「赤くなっちゃってかわいい。好き」

「好きとか!?!?!? そうやってすぐに誤魔化そうとするんだから!!」


「べ、別に煙に巻こうとなんてしてないんだからねっ!」

「だからそー言うとこやぞ!?」


 寝起き一発、跳び蹴りをかましてぎゃあぎゃあと喧しいニーポちゃん。と言うより。寝起き一発喧しいアグニに巻き込まれて喧しくならざるを得ないのかもしれない。


 初老の執事のことなど忘れたようにしばらく騒いでから一息つくベッド上の二人は、一連を眺めていた初老の執事に呼ばれる。


「そういうわけで」

「どういうわけよ?!」

「事件解決の直接の功労者であるアグニ様、そのお仲間である妖精様には、招待状が届いております」


「招待状?」と、荒れた息を整えるニーポを頭に乗せて、アグニは執事を見る。


「誰からだろうね、ニーポ」

「そりゃあ……」


 この状況で招待状。魔族を討滅したアグニと、その頭上を止まり木にする妖精族のニーポを招待しようと考えるの者など、決まっているはずだ。


「はい。この国の王であらせられるお方──教皇猊下にあらせられます」

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