第21.5話

 誰かを思い通りに動かす。


 この字面を見れば不穏な感情が沸き上がる。誰かを操ってやろうという正の感情だろうが、誰かに操られたらどうしようという負の感情だろうが、それが不穏であることは間違いない。心に卑しさがあっても正しさがあっても、その結果が生む状態を好ましいと考える人間は、悪党を除けば居ないはずだ。


 言葉を変えれば、それをというのだから。


 だが、人はそれを確信犯的に実行してしまう。それが正しいことだと信じきり、それこそが善行だと考えることが多いのだ。


 例えば、学校の先生が言っていたから。

 例えば、社会正義が定まっているから。

 例えば、父母にそう教わったのだから。


 正しいことを教えられたと思えば、ないしは親兄弟にそうしつけられてきた者にとって、それは間違いないことであり、其処に社会規範や社会常識などが真実味を付け加えたのなら、物事がどれほど凄惨で残虐でおぞましくともと思い込み、そうして、他人にもそれが正しいと吹聴することになる。


 しかし、それは間違ったことだろうか?


 新しい知識に影響されて生き方を変えることの何処に、という字面が持つ卑しさがあるだろう?


 親が伝える事の中には子供が人間社会で過ちを犯さない為の教えが含まれているだろうし、教師が伝える学問には学徒の将来を左右する知識が詰まっている。そしてそれは友人や知人にだって言えることだ。新しい知識を得て考えを変え、己にとって正しい道を歩んでいくために、彼らが発信する言葉を聞くことの何が間違いだろう。


 けれど、その情報の中に我欲を満たすための理由が微かに混ざってしまうのもまた事実。


 一人の少女を救うため、己の立場から伝えられる精一杯のなかに、助け出すことでを夢想してしまうこともある。


 あらゆる手段を講じ、人脈を、金を、立場を利用して外堀を埋めるように。周囲の人間の心を、思考を誘導して思い通りに動いてもらうために。


 彼はあらゆる手段を使った。

 彼はあらゆる感情を使った。


 彼は全てを使い、全ての想いを注ぎ込んで、若き日に戦場を共に駆けた旧友にさえ、その頭を地に付けて頼み込んだ。


『彼女を助けて欲しい』と。


 彼が死んだと思い込んでいた旧友は涙を流して喜んで、、力を貸すことを約束した。


 それから一年。


 ──時が来た、と。

 彼と旧友は文を送りあった。


 決行の日取りをしたため合い、両者互いに持てる力を出し合う。


 作戦の目的は、法務都市ユグユグの国家に対して反乱を図る大司教ガマグッチ・エロペロンの捕縛。抵抗激しいときには討伐もやむ無し。


 なにより。

 暗躍する魔族への対処こそ第一に。


 これが大義。


 その大義の影に、本命である『少女の救出』が実行される。


 たった一人の女の子を救い出すために考案され、実行されるこの大仰な作戦は、帝国と聖法貴国ロシスマンの同盟さえ利用したもの。


 そして、彼の旧友が絶大なる愛情を持って育て上げた青年と、その青年が出会った妖精の旅路、その一歩目を飾り、人生さえも左右する大いなる企てせんのうの一つ。


 真摯な愛情で育てられ、大きな優しさと力を持つ青年に内情を聞かせれば動かざるを得ないと、彼は信じたし、その旧友も分かっていた。



 だから──。



 彼は青年に、妖精に、少女の命運を頼む。


 シルバーブロンドの髪を撫で付けた執事服の初老の男は地に額を打ち付けるように頭を下げて、全身で、懇願する。


 想いを語り、作戦を語り、未来を語り、期待を語り、希望を語り、成功を語り、正義を語り、そして己の、醜さを語り、不甲斐なさを語り、失望を語り、苦渋を語り、怒りを語り、身勝手さを語り、涙を語って、全てを吐き出しても地に伏した形を崩さずに。


 初老と称される程度の時を生き、それでも己の無力さを噛み締める彼は、過去に大きな傷を抱えて、それでも旧友の愛を受けてなんとか真っ直ぐに立つことの出来た自分の半分ほどしか生きていない青年に「どうか!」と叫ぶ。


 これが洗脳でなくて何だと言うのか。

 これが脅迫でなくて何だと言うのか。


 青年に与える圧力は何一つ無く、選択権は青年の側にあったと誰が言えると言うのか。


 それを押しても、尚。

 初老の男は頼み続けた。

 そうして、引き出された言葉が。



「大丈夫です。任せてください!」



 肩に手を置かれ、顔を上げた先には力強い笑みがあった。


 零れたのは感謝の一念。

 溢れたのは滂沱の涙。


「ありがとう。本当に、ありがとう……」


 初老の男は動けなかった。青年達が動き始め、その場から姿を消した跡もしばらく。


 糸のような月が淡く照らしはじめる夕刻の赤のなか、初老の執事の横顔には、感謝に似た悔しさが奥歯を噛み締めさせる様子を浮かばせていた。


「ああ、本当に……ありがとう……。これで、やっとあの子を……彼女との……約束を……っ」


 誰の耳にも届かぬ呟きは、沈む陽に溶かされ、消えていくのだった。

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