第20話

 行動は早かった。


 目的さえ決まればうだうだしている時間のなんと無意味なことか、と言うようにアグニは部屋を出る。窓から? 違う。なんのこと無く扉から。


 頭の上には一連のやり取りを静観してなんだか胸のなかがモヤモヤするニーポが陣取り、左となりには一歩足を出す度にキョロキョロ辺りを警戒するナナがアグニの手を両手で握っている。


 あまりに無策。無謀。無防備。ナナが失敗した時のために配置についていた複数の暗殺者が呆気に取られる程度は、その行動は理屈に合わなかった。


 だから。部屋の扉がなんの警戒もなく開いたときなど、暗殺者の一人は「遅かったな。思い出作りに一発やってやったのか?」と軽口を叩いていたほど。


 しかし、扉の向こうから現れるのは白髪はくはつの男。言うのは、その頭に乗る150ミリのマシーン妖精フェアリーニーポちゃん。その瞳はゴミを見る。


「変態」

「な──っ!」


 小さくても女の子から突き付けられる無類の罵詈に興奮……もとい驚愕する暗殺者は、瞬間的に状況の異常さに警戒を表す、が。


「静かにしてね」


 その一瞬の間があってアグニが動かないはずはない。人差し指を黒ずくめの暗殺者の額にトンと当てて意識を奪った。そしてそのまま足を進める。途中途中で出会う暗殺者の意識を刈り取りながら、のんびりと。宿屋の一階に着く頃には、頭の上からため息が聞こえてくる。


「はぁ……アグニって、東西南北中央不敗って知ってる?」

「知らないはずなのに知ってるよ、ニーポちゃん。ちょー、強い悪役だよね」

「まあ結局、東西南北中央不敗にはなってないし、悪役なのかもよく分からなかったけど、コメディーとしては良いわよね、あの展開」

「あれれ? てことは俺、コメディー枠扱い?」

「なにも考えずに危険に飛び込んでなんのハラスメントもなく事件を解決する人間を、一般人は望んでいるのかしら……」

「俺ツヨ系なんてそんなもんじゃないかな」

「失われた三十年の社会変遷のなかで求められるものが変わったのねぇ……」

「ニーポちゃん。ぼかぁ、君が言っていることが分からないよ。ニーポちゃん」


 そんなことを言い合いながら、なんの躊躇もなく宿屋の玄関を開け放つ。外には、息を潜めて何かしらの合図を待っていたのだろう黒ずくめが計8人。アグニは、突然の事態に驚いている彼らに向かって笑って見せた。


「やあ、こんばんはクソヤロウども! 突然だけど羞恥プレイを始めるよ? みんな、準備はいいかなー?」


 右手を右耳に当てて返事を待つ仕草だった。

 暗殺者の中の一人が黒ずくめの隠された口角をひきつらせる。


「ほう……良い度胸だなぁ。クソガキが」


 一人が動けば周りも動く。夜の闇に隠れていた連中がゾロゾロとアグニを取り囲む。糸のような月に照らされるリーダー格っぽい暗殺者が、ぬるりとアグニの眼前に姿をさらした。


「……どうやら、中の連中はみんなやられたらしいな」

「ヤってないよ!? イヤらしい!!」

「そうじゃあねぇよ!? ふざけんな!!」


 なんだかノリの良い暗殺者だった。


「……で? 黒ずくめの皆さんは暗殺者ってことで良いの?」

「暗殺者、か……いつの間にかそんな糞のような肩書きが付くようになったが、まあ、その通りだよ。俺たちはあんたを殺して、頭に乗ってる妖精を確保する為にここにいる」

「大司教の命令で?」

「ふん……何処から出た指令かなど関係ない。我々は駒に過ぎんのだからな」


 そうだろう──と、問うように視線が動く先は、アグニの影に隠れて震えるナナだった。ビクッと肩を跳ね上げて、小さな体をさらに縮こめる。


「様子を見るに、そこの夜鳴鬼女ゴブリンは寝返ったようだが、どう転がろうが所詮この世は弱肉強食だ。個人の腕力はもちろん、社会権力に逆らえるほどの力など我々にはない。どうせ逆らえぬ力ならば、こうべを垂れて汚れた地面に額を擦っでも生き残るしかない。──暗殺者と呼ばれようともな」

「ふーん……」

「分かったか? 分かったなら、妖精を渡して、さっさと死ね。言う通りにするなら瞬きの間に殺してや──」


 瞬間、ため息混じりにアグニの目付きが変わった。疲れたと言わんばかりに目蓋を半分下げたのだ。


「くっだらない!」


 しかし、それを言ったのはミニマム妖精ニーポちゃんだった。怒髪天を衝く、というように。


「あんた、そんな理由付けて、俺には無理だ不可能だとか言いながら、今まで生きてきたんでしょ!? 無理が何? 不可能がなんだって言うの!? あんたは自分を諦めただけじゃない!!」


 ニーポはアグニの白髪の上で足を踏み鳴らす。


「いい、よく聞きなさい。あんたの種族なんて知らないけどね、ここにいるナナちゃんはあんたよりずっとひどい目に遭ってきてるの! 世の中から夜鳴鬼女ゴブリンなんて蔑まれて、備わった身体能力と、女であることが暗殺者向きだからって、幾度も糞を喰らって生きてきてるの!? あんたに分かる? 進化の果てに手に入れた本能に逆らって『殺してください』って言ったこの子の覚悟が!! あんたみたいに生きるためには他人を殺すのも仕方がないなんて言いながら任務のあとには酒場で愚痴を言い合うだけの連中がこの子と一緒だなんて思わないで!! 本当にムカつくから!!!」


「え、ニーポはなんでそれを知ってるの?」

「知らないわよ! ただの感ですがなにか!?」


「感なのに言っちゃえるニーポちゃん。其処に痺れる憧れる」

「うっさい! せっかく良い感じに怒ってたのに茶々いれなくてもいいじゃない!? ……ほら、流れ止まっちゃったでしょ?! どーすんのよ!! これじゃあたし大間抜けじゃない!」


「大丈夫。最近の子は感情なんて何一つ汲み取れないおバカさんばかりだから」

「そう? ならいいわ!!」

「んな訳あるかぁ!?」


 なんだかノリの良い暗殺者だった。

 閑話休題。



 そして、暗殺者の殺しに始まりの合図はなかった。数にして八人。まさしく四方を超えて八方から同時に攻撃が飛んでくる。


「この一撃で終わりにしてやる!」


 一人は正面からの攻撃。風石──風を発生させる磨鉱石から溢れる気流を強化倍増して鋭利な刃物に変えるリーダー格っぽい黒ずくめ。そして残りは逃げ道を塞ぐように毒を塗りつけたダガーを無数に投げつけた。


「退路は塞いだ! 死ねぇい!!」


 物量は圧倒的。逃げ道も塞がれた。眼を瞑っても見える己の最期。


 しかし。

 それもこんな一文が付いたら話は変わる。


 ──本来であれば。


「よっ」

 軽い掛け声と一緒に右足で地面を踏みつけると、宿屋の前の道が大きく立ち上がった。まるで水面を叩いたときのようにと言えばイメージしやすいかもしれないが、大地は普通そんな反応をしないのだから虚が衝ける。


「……、は?」

 体面を何処かに落としてきたらしい黒ずくめ連中は、気の抜けた声で眼を大きく開く。立ち上がった地面が自重にしたがってゴシャと崩れれば、アグニの足元は大きく抉れていた。


 焦りが滲む。


「くっ、磨法か……いったい、どんな磨法を使ったか分からんが、そんな大仰な磨法そう何度も使えるものでもあるまい! 残念だったな! 我々にはまだまだお前を殺すに十分の手段が──」

「ほっ」


 次の瞬間、アグニは足元の崩れた地面を足先で掬うように持ち上げると、その土塊を蹴りつけるようにリーダー格っぽい暗殺者以外を次々に狙い撃った。計七度。「がっ」やら「ぐふっ」やら「ンモゲ」やら汚ないうめきが連続し、次々に暗殺者達は地に伏していく。


 だが、リーダー格っぽい暗殺者に、一連の行動が理解できない。


 何度も言うが、磨法は万能な技術などではない。自身に備わった磨力、世界の自然科学的な知識でもって描かれる磨法陣と、圧倒的鮮明さによる想像力を混ぜ込んだ、この世界に広く伝わる技術体系だ。完成された磨法陣さえあれば一般人でも火を着けられるが、足踏み一つで大地を捲り上げるなど暗殺者にも想像できるはずはなく、土塊を飛ばす速度だって、目にも止まらない速さなど理屈に合わない。


「貴様、いったい何者だ……ッ!!」


 焦る暗殺者に問われ、アグニは答えを探す。


「そう言われても。人間社会での肩書きってそんなに必要? 大商会の元締めでも、国の王様でも、貴族や騎士でも、はたまた娼婦や下男や奴隷であっても。それこそ、勇者や英雄、あんた達みたいな悪党であっても、あんたがあんたであるように、俺は俺以外の何者でもない。もしそんな肩書きに誇りを持ったら、万一その肩書きを名乗れなくなった時に俺は俺じゃなくなっちまうだろ。人の頭の中や社会の誰かがつけてくれた名札で生きてないんだよ、俺」


「戯れ言を!!」

「いや、マジマジ。あんただって『俺は誰某だれそれの部下である』ってことは事実かもしれないけど、あんたがそれを続けるか辞めるかの決定権はあんたの手の中にあるはずだ。何処の学院を出たとか、どの国に奉仕しているだとか、家族のためだとか、己の野望とか色々あるだろうけど、そんなの全部、自分の軸に置いたら駄目なことだろ。だから──」


 アグニは真面目な様子なんて一ミリもない顔つきで続ける。


「俺はここにいる。俺は俺が俺であるってこと以外を、軸に置いてない。重要なこと、大切なことは沢山ある。けど、だからってそれが俺の人生を一から十まで決めるなんてあっちゃいけない。俺はそう教わってきた。そんな大きなものを、俺は受け継いでいる。。なあ、あんたはそうじゃないのか?」

「……ッ、うるせぇ!! 貴様に何が──!」


 どうしてかいきり立つ暗殺者は、その肩書きが示すような速度でアグニへと突っ込んでいった。一般人なら知覚できても反応できない素早い攻撃。一振のダガーがアグニの首もとへ奔る。


 だが、しかし。


「ああ、分からないね。望んで殺しが出来る奴の考えなんて。


 醜く歪む表情で、アグニの拳は黒ずくめの顔面を強く、殴り付けていた。


 ドッッゴンンンンンッ!! と大気が揺れる。


「よし。一丁上がり」


 満足そうに肩から力を抜くアグニ。

 見渡してみれば大きく抉れた地面と、盛り上がった土塊が道を汚していて、日が昇ったあと馬車とか通れない感じになっているが、そんなこと気にする必要がないと言わんばかりの表情だった。

そのせいで近隣の物流が滞り、経済的損失に繋がろうとも、アグニの表情は満足そうだったのだ!


「…………」


 頭の上の妖精は言葉に含ませる。

「アグニくぅん?」


 未だにビクつきながら手を握るナナも。

「アグニ、さん……?」


 その言葉に何一つ彼を責める意味など含まれていない。


 いない、が。

 言葉にはニュアンスと言うものがあるのも事実だった。


 しょんぼりした溜め息が一つ漏れた。

「暗殺者達を縛り上げたら、あとでやっておきます……ごめんなさい」


 白髪頭の青年は命を狙われるという大きな危機を乗り越えて、なんだかスッキリしない気持ちを持て余したのだった。

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