第18話

 閑話休題という枕が人生に存在するかは、当人が生きる目的を定めているかに是非されるが、そも人生に、否、人ないしはこの世界に存在理由を求めた場合、本道の定まらない其が意味のある言葉になることなどあるのだろうか?


 そんな文句がいつか読んだ書物に書かれていたことを不意に思い出すアグニは、解放されたその足で街を見て回っていた。


 世はきらびやかだ。


 聖法貴国ロシスマンの内側に存在を認められた国内国家──法務都市ユグユグ。街並みは整備され、五芒星の角の其々の頂点に立派な城のような教会が立つ。真北にある教会が一番大きいのは其処が教皇ーーこの国のトップがいる教会だからだ。教会をそれぞれ繋ぐ道には商店が並び、人々の顔は華やいでいる。故に。


「活気があるね、ニーポ!」

「……」


 しかし。

 だと言うのに。


「……そーね」


 ニーポの反応は悪かった。それも、とっても悪い。己の意志にそぐわないバッドエンディングを強制的に見せられたのにそれを見せた相手は満面の笑みで八重歯をキランキランさせながら話しかけてこられるときの心情にとても良くにた感情が見てとれるくらいに、悪い。


 だからアグニはちょっと前から戸惑っていた。


「えっと、ニーポさん……?」

「……」


 連れていかれた教会から解放されて、賑やかな街を見て回ってる頃から、いや、教会に連れていかれる馬車の中から、ニーポの様子は変だった。いつもならこの街の賑やかさに負けない喧しさを発揮するニーポちゃんだと言うのに。らしくない。


 ──まあ、ねぇ。状況が状況だし解らないことはないけどさぁ……。


 アグニは未だに胸元から出てこない150ミリのマシン甲冑アーマーニーポちゃんを見下ろしながら、自分の笑顔が困っていることを自覚した。


「あ、ほら、ニーポ! あのお店で売ってるの、はちみつ水じゃないかな。あれ、甘くて美味しいんだ。昔、ジーグ父さんが『母さんには内緒だぞ』って買ってきてくれたことがあってさ」

「知ってるわよ。からかってるの?」


「まさかそんなつもりは……じゃ、じゃあ、えっと……あれは!? 氷河蜥蜴アイスリザードの串揚げ! 衣はサクサク、お肉はジューシー。けど熱々かと思いきや、口のなかに広がる爽やかで、涼風すずかぜに似た冷感は新たな食文化の幕開──」

「なにソレ不味そう。あたしの演算を狂わせて発狂させたいのね? そりゃあ脳内新境地パラダイスの幕開けになりそうよね。ヘイヘイ、朝から晩までパァリナーイ、ヒュー」

「やめて棒読みが寒ざむしくて泣けてきちゃうからやめて……!」


 賑やかな街並み、華やかな表情の人々。明るい雰囲気の中にあって、とっても暗いニーポちゃん。その対照的な空気が自分の服の中から染みだしているアグニにとって、居心地が悪いことこの上ない。


 ──そして居心地悪いからって逃げ出すこともできないこの状況……辛い!


 ニーポの気持ちを考えると、余計に。

 だって自分のことのように分かっちゃうのだ。何年も何年も自分の道を悩んでいたアグニだもの。状況も環境も、何もかもが違うと言って、悩んでいるときのモヤモヤ感やイライラ感の全部が違うことなんてない。


 だから。

 アグニは苦く口角を持ち上げて、息を吐いた。

 そして、小さな体に見合わない大きな溜め息をつくニーポを横目に(いや、下だけどね!?)、商店でいくつか買い物をしてから街の広場へと足を向けるのだった。


「ここで良いかな、と……」


 そこは広場の中でも一段高く作られた場所。周囲を見渡せる位置に置かれたベンチに腰を下ろして、買ってきたものとバッグをそこにのせる。


 広場に響く声。吹き抜ける風。いつの間にか晴れ渡る空。植え込みの緑が目に優しく、文句一つなく落ち着ける空間。さっきまで金や銀や赤の目に痛い場所にいたから余計に安らぎを感じられるのかもしれないけれど、間違いなく法務都市ユグユグ屈指の安心できるスポットだった。


「さて、ニーポ君。怒らないし文句も言わないから出てきたまえよ。アグニさん、元服からもう何年も経ってるから、少しの悩みなら聞いてあげられちゃうんだぞぅ? はちみつ水も買ってきたから、ね、ニーポ君」

「……」


 そんな場所の恩恵あってか、浮かない表情ではあるものの、ようやくアグニの胸元からニーポが出てきた。出るまえにキョロキョロと周囲の確認を怠らない挙動は怯えた子猫のようで、警戒してますよと言外で伝えている。胸元から這い出たニーポは埃っぽいアグニの膝に移動するけれど、まだ、互いの視線が触れ合うことはない。


 でも──。 


「ニーポ」


 そっと、向けられるその小さな背中に声をかけ続けるアグニ。


 放たれる声。言葉。それが無機質ではないことを知っている。


 こもるのだ。感情が、気持ちが。相手への想いが。触れられるほどそこにあると、アグニは経験している。


 だから。


「ニーポ」


 呼ばれる己の名に、包み込む様な色が見えるニーポの小さく愛らしいその唇から、溢れる。


「……へぶぅ」


 膝に座る150ミリのマシン妖精フェアリーの背中がふると震えた。奇妙な息遣いが、漏れて聞こえる。


「……ったよぅ──」

「……うん」

「こわかったよぅ……」

「うん……」


 そして、不意に振り返って仰ぎ見るニーポは、不細工な顔をしていた。


「ごわがっだよぉぉぉうぅ! アグニのばぁがあぁぁあぁ!!」


 それは唐突のように見えて。けれど、溜まりにたまった複雑な感情の発露であって。


「なんで、いきなりこんな、敵の本拠地みたいなとこ来るかなぁ!? 意味分かんないってのよ、本当に!! 分かるでしょ! 魔族と繋がってたってだけで、あたしが逃げ込める場所じゃないって!! なのに、なんで……ばがぁあ!!」

「そっか。不安にさせたんだ」

「ぞうよ、ぞの通り! だっで……ぐしゅう……だって不安にもなるでしょ!? あたしは元々マギ研の連中に狙われてて、国を跨げばって思ったらすぐに宿屋で襲われて。アグニはちょくちょく厄介事に首を突っ込むし、魔族にだって狙われるし! いちよう言っときますけどねぇ、魔族って人類史を終わりにさせようとしてるんじゃないかって、大きな戦争の影には魔族が潜んでいるんじゃないかって言われるような、厄介な連中なの!! そもそもが表の世界に出てくる事が珍しいレアキャラで、普通なら人間が相手できるような存在じゃない化け物なの!! アグニのお陰で難なくクリアできたけど! できちゃったけど!! でも! 普通は無理なの! それが、なのに! そんな奴と繋がってた連中のド本丸じゃあないのよ、ココ!?」


「うん、そうだね。おれもビックリした」

「ビックリした、で済ませないでっ!!」


 ニーポはアグニの膝をポカポカした。全力ポカスカだ。不細工に歪んだ表情で、最大限の感情表現である。


 そんな抗議を受けながら。アグニは。

「でもね、ニーポ。俺はこれが最善なんじゃないかって思ったんだ」


「バカなの、アホなの、なんでなの!?」

「んー、なんでって言われたら、そうだなぁ……ニーポが求めていることを達成するには、保護してくれる場所が必要で、保護してくれる場所にはニーポを外敵から守れるだけの力も必要でしょう?」


「そ、そうね……」

「だとしたら、優しいだけの老夫婦じゃあニーポを守れない。どころか、ニーポを預けることで危険に晒すことにもなる」


「だから、当初の目的地に来た。そういうこと?」

「だね。マギ研がどんな目的で動いているのかなんてその名前から考えなくても分かる。ジーグ父さんとメリッサ母さんが暮らす皇帝国の一派閥がニーポに悪さをしようとしてるなんて実は考えたくないんだけど、でも実際にニーポはそこから逃げてきた。なら俺はニーポを信じるし、ニーポの命に触れた責任をとる。そして、ニーポが求めるのは安心で安全な居場所。なら、その為に現状で考えられる最善を、最善となる可能性を一つずつ確かめるのが、いま俺がとれる最善の行動じゃないかなって……そう思った。だから、俺はここにいるんだ」


 別にアグニだって『敵の敵は味方』という単純な思考でここにいるわけじゃない。そもそもマギ研と法務都市ユグユグの連中は手を組んでいるように見えている。


 けれど、いま考えられる最善は、ニーポが力を持った組織に保護される事だ。


 マギ研の全てがニーポの捕獲をお題目に掲げていられるほど小さな組織だとは考えにくいけれど、組織は組織。集団の力を個の力が押し返せるほど、社会は非力でも優しくもできていない。


 だからこそ、アグニは確率は低いものの成功すれば強固な結果にベットした。


 ──それに、俺の予想が正しければ、あのヒキガエル大司教と法務都市ユグユグの意思は、別のところにある。でなければ、いまになって『教皇に確かめる』なんて言葉は出てこないはずだし。


 法務都市ユグユグとマギ研と魔族が一本の線を共有していたのは目で見てきた通りで、であれば、魔族に変身する前の男──頬のこけた苛立たしげな乗り合い馬車の乗客は、ずいぶん前にニーポの事を知っていたことになる。複数の組織が一つの目的を持って動くとき、情報の共有は常であり、なれば大司教はどうして目の前にニーポが現れるまで教皇と意思の疎通をしなかったのか。


 答えは二つに一つ。


 報告は上がっていたがそれを信用していなかった。あるいは、他に個人的な思惑があったか。


 そしてそのどちらだったとしても、法務都市ユグユグおさ的立ち位置にいる教皇と大司教との繋がりは太くなければ密でもないことが、あの一言には含まれている。


 ──まあ、他になにか事情があったってい可能性もなくはないけど。


 それを踏まえても、最善を追うことに致命的な危険が潜んでいるとは思えない。例え刺客を差し向けられたとしても。


「だから、ね。ニーポ。信じて? 俺が守る。俺が、叶える為の力添えになるから。絶対にニーポが安全に暮らせて、安心できる居場所を見つけて見せるから。だから、心配しないで」


 アグニはそう言うと、ニーポの小さな頭を人差し指の腹でそっと撫でた。いまだ唇を尖らせるニーポはされるがまま、上目遣いにアグニを見上げた。


「なにそのオレガオレガー。そんな承認欲求丸出しのオコチャマンみたいなこと言われても逆に不安になるんですけど」

「あれー。渾身の格好良いセリフだと思ったのにその返し。元服越えてるアグニさんだって泣いちゃうんだからね?」

「冗談よ!? だから涙目にならないで!!」

「泣いてなんかいないやい……!」


 グスッ、と鼻をならすアグニにニーポは溜め息を吐いて、頭の上で固まるアグニの人差し指を両手で包んだ。


「ありがとう、アグニ。たぶん、信じきれてなかったんだと思う。アグニのこと。──ごめん」

「そっか。そうだよね。いいよ、そんなこと。当たり前だと思うし」


 突然助けてと言ったのはニーポだけれど、見知らぬ相手を命がけで助け続ける他人など、人の社会を多少なりとも知っていれば疑いたくもなるのは仕方のないことだ。特に、人の悪意に晒されて、そこから逃げてきたニーポにとって、他種族のヒューマンを警戒するなと言うほうが無理な話だろう。今までの言動を見ていても、どこかで不安は鎌首をもたげてしまう。


 けど、それでも。

 ニーポは。


 両手で包んだアグニの指を抱き締めるように頬に寄せて伝えることが出きる。


「ぜーんぶを信じることはたぶん、すぐには無理だと思う。けど、あたしはアグニのこと信じてるから。──だから、お願い。あたしを助けて」

「うん、任せて」


 頬を染めるように、そして大きな笑みを咲かせるように、ニーポとアグニは視線を合わせた。


 そして二人は、ベンチに広げた露天の商品で遅めの昼食をとると、伝えられた宿屋に向かった。


 この先の展開は相手の出方次第。

 だが、アグニは思っていた。


 ストーリーの山場はもう目の前に迫っているだろうな、と──。



 その、帰途でのこと。


「突然のお声がけ、失礼いたします」

 夕刻の紅さが空をおおう頃。アグニたちは呼び止められた。


 恭しい声の響きを持っているその主をアグニたちが振り返ってみれば、そこに、清廉とした雰囲気が形となったような初老の男性が佇んでいた。


 その初老の男性は振り向いたアグニが返事をする前に頭を深々と下げて、懇願する。


「どうか、お願い致します。わたくしの話を聞いて頂きたい。そして、わたくしどもの願いを叶えるお力添えを、どうか、どうか……」


 焦げるような夕焼けに炙られて、初老の男性から大きな焦燥が滲んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る