第17話
その空間を言い表すには、この言葉が適当だと思われた。アグニとニーポはその空間で周囲を見渡して小声で言い合う。
「すっごい、広い。気持ち悪いくらい広い。公共体育館を三つ四つ並べたくらい広い。体育館って言葉は良く分からないけど、ちょー広い」
「けど、この内装はどうにかならなかったのかしら。金ぴか過ぎて目が痛い。所々に入った銀色や赤色が気色悪い。もう帰りたいんだけどいいかしら?」
そもそも、そんな配色の十字架を掲げた宗教に助けを求めて、洗礼までしようとしていたのはニーポであるが……アグニはそこには触れずに微笑むだけにとどめる良い子だった。
さて、荒野の一件から二人が連れてこられた場所は、
そしてそこの主である人物こそ、大司教──ガマグッチ・エロペロン。金と銀と赤の布と意匠が此でもかと使われた衣装に身を包む、ド派手なヒキガエル顔の男である。
「ふぅむ……」
大司教はでっぷりとした肉体を揺するように、だだっ広い空間の中央は奥に備わった派手な椅子の上で身じろいだ。
「……それで、どうなっている?」
簡潔な質問は僅かな苛立ちを含み、アグニとニーポの前で片膝をつく兵士の肩をビクリと震えさせる。
「ハッ! すなわち例の己を魔族と誇った輩は我々──正義の稲穂は僧兵部隊が到着したとき既に地に付した状態であり役に立たず、大司教様に応援を希った皇帝国のマギ研なるもの達は殺気立つ己を律せずにいたので、此のままでは大司教様への誓いを反故にしかねないと思い、やむを得ず目的の妖精とそのともたる男をこの場へと連れてきた所存にございます!」
「そうか……よい、下がれ」
「ハッ!」
下がっていく兵士に一瞥をくれて、目蓋に半分隠された大司教のギョロとした目玉がアグニに向いた。
「して、そちは何故ここに居る?」
「何故とは不躾なお言葉ですね、大司教様どぉの。先程の兵隊さんが言った通り、こちらは連れてこられた側です。理由もなにも、こちらが聞きたい。道中馬車のなかでは一切を知らぬ存ぜぬと質問を撥ね付けられたのですから」
「ふむ……大司教である私、ガマグッチ・エロペロンがそちの胸元に隠れた妖精を欲している。それだけでは理由にならぬか?」
「そちらの兵隊さんにも言いましたがね、この妖精は──ニーポは、犬や猫とは違う。いいや、犬や猫だって引き取ろうと手を挙げる人間を、飼い主は見極めるものでしょう。それが例え一国の王であろうが、高官であろうが、大司教であろうが、変わるものじゃないでしょう」
互いの視線がぶつかった。周囲の空気がざわつく。大司教の険が際立ち、ヒキガエル顔が更に似る。
「ほう。愉快であるな。皇帝国から流れ着いた若造には、私という人間が同じ所に立っていると思うらしい」
「もし大司教様の信奉する教義に年功序列のようなクラス分けがあったとして、どうしてこちらがソレに準ずる必要がありますか。入信したわけでもあるまいに」
「郷に
「極東の島国のような、小さな考えを押し付けないでいただきたいのですがね。矮小すぎて涙が出てしまいますよ」
「小さき事だと?」
大司教の口角がつり上がった。愉悦、にしては唇の端に掛かる色は明るいものではない。
しかしアグニは、
「確かに、尊重は必要でしょう。ですが、ニーポを必要として俺たちを連れてきたのはそちらだ。それも、ほとんど強制的に。であればそちらこそ礼を尽くすのが適当だと思いますがね?」
揺れない。揺るがない。微動だにしない。正論は人間関係を構築するときには邪魔になることがあるが、論として正しいことを曲げるのは邪ななにかがある時でしかない。その邪を飲んででも成し遂げなければならないことも世の中にはあろうが、今この時におもねる相手とは思えない。だから、アグニはその場に立ち続ける。見極める為に。ニーポが所属して命が守られる組織かどうかを。
──って、言っても。マギ研と組んでいた時点で可能性ってないようなものだろうけどね。大司教とマギ研は完全な仲良しこよしでもないみたいだけど、其処にある互いの事情なんて今の俺には分からないし。
可能性として薄弱ではあるが、もしもがあるとすれば、可能性はそこだけ。互いに妖精を欲している組織があって、互いにその利用法が違っているのであれば、「共用しましょう」とはならないのが人の世だろう。
──それも、片方は実験用に、もう一方は教義による神の使いとして。もしこの場がマギ研の力の強い場所なら対応も荒々しいものに変わっていただろうけど、そうじゃあないなら話が通じる可能性が……ないこともないようなそんな気がする!
アグニは、大司教の雰囲気と容姿から漂う胡散臭さに、己の言葉がぶれることを改めて知った。
「で、大司教様。そちらはどうしてニーポを必要としてるんです? 教義は何となく知っちゃアいるんです。妖精って存在を神の使いとしてのポジションに据えているのがそちらの教えだってね」
「ならば、それ以上に理由が必要か?」
「ここまで言っても分かりませんか……」
これだから読解力がない奴と喋るの苦手なんだよ──と、内心がっかりしつつ。
「要するに、利用方法が問題だって言ってるんですよ。こちらは大切な
だからだろう。その場、広い広い空間にさざ波のようなどよめきが起きたのは。宗教国である
「貴様、無礼であろう!!」
「大司教様の御前でなんたる態度か!」
それでも、アグニの足はふらつかない。首を回して槍先が定まっていることを確認しても、やはり、変わることがない。
「ほう……この状況でも変わらんか。何かの間違いかとも思ったが、報告にあった魔族らしき者の敗北も、幸運のなせるところではないらしい」
大司教はヒキガエルに似た面をつまらなそうに歪ませた。
「して、求むるはなんぞや?」
「ニーポの命の保護と尊厳ある自由。その確認」
「尊厳とは何を指す?」
「自然権の保持。それすら守れないのであればこの国にニーポを預けることはできません」
「やむを得ずも違えた場合には如何にする」
「責を問うことの愚かしさを理解しても、怒りの矛先は大司教様の喉笛に」
「結果、
「それが責任であると理解します」
ふぅむ、と。数段高くなった位置から見下ろす大司教は唸り、しかし半分閉じられた目蓋を持ち上げることはせずに最後に問う。
「小さな野火が拡大し、広大な平野を舐め尽くすように、己の仕出かしたことが思いもよらぬ者を窮地に立たせることは良くあることだと思わぬか?」
「例えば身内、ですか?」
「私には分からぬが、そうであることもあろうな。──それが皇帝国の騎士だとしても、な?」
その瞬間だった。
圧倒的な圧力としてアグニから磨力が迸った。
不意に発せられた圧力に、アグニに矛先を向けていた兵士が軒並み崩れ落ちる。
無言で成り行きを見守っていたニーポから小さな悲鳴が上がるのは、その圧に抑えきれない害意が含まれていたからか。
「もしもで語るにしては冗談が過ぎますよ、大司教様」
「なに、可能性の話は何を語ってもゼロにはなるまい」
「だとしても、です」
そして、アグニと大司教の視線がぶつかり合うことしばらく。緊張伴う静けさを破ったのは大司教の方だった。大きな溜め息を伴って。
「実のところ、妖精を連れた者がおると聞いたのは最近でな。であれば、お連れしたいと言い出したのは私の独断なのだ。しかし、私の独断で動いてもらう人員はこの国の治安を守りし守護部隊。言葉も態度も固く意志疎通に行き違いがあったことと思う。そして、妖精を我らが教会に迎えるに当たって私にはその権限が至らないのは必定で、なれば私よりも上の権限の持ち主たる教皇猊下に事を報告しなければならないのだ。私は【黄金の稲穂教】に善かれと思った行動をとったまでだが、万一に貴殿らが否を持つのであれば致し方ない。諦めよう。だが、一考の余地あらば、幾ばくかの時を用意してもらいたい。教皇猊下のご意志を仰ぎたいのでな」
突然の弁舌の変化。国の高官が使うその場しのぎの論法。
──煙に巻くってか。時間稼ぎで好転するていどだと思われたのかなあ。
感情に流されて言ってしまったことが後になって恐ろしくなる。特に権力者に向けて放った言葉が翻って己に刺さるなんて良くある話だ。しかし、アグニにそれが通用するかは別の話である。
──それとも……?
アグニは色々に頭を働かせて大司教の言葉に了承を返した。三日後、再びこの場所で。宿は用意するから、その間に国を見て回って判断の足しにしてほしいとのことだった。
宿の場所と名前を聞き、適当な返事をして、アグニは息が詰まりそうな広範な空間から踵を返す。空間酔いでもしたような顔色のニーポをチラと見下ろしてニヒルな笑みを口の端に引っ掛ける。
──さぁて。どうなるんだろ。動かないでいてくれると嬉しいんだけど……むりかなぁ……。
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