第16話

 そうして、アグニとニーポは目的地を失った。


 周囲には敵、敵、敵。

 目に映らない連中が帝国の一組織──磨法技術革新機構研究室なのは予想でしかないが、目に映る前方と背後に居並ぶのは聖法貴国ロシスマン聖貴城都アレクトールと、法務都市ユグユグの正規軍。


 であれば、匿って貰おうとしていた教会組織は敵側ということになる。法務都市ユグユグの母体となっているのは宗教、詰まりは思想であり、教会組織だ。より正確に言えば教会が人民の──ヒト種の思想を集めて力を持った結果、聖法貴国ロシスマンという国の内側に法務都市ユグユグという新たな力を産み出したということになるのだから。


 アグニは周囲への警戒はそのまま、服の中でプルプル震える妖精に話しかける。


「ねぇ、ニーポさん。出会って、約束を交わして、ボディーガードになって十日もたっていないのに、もう雇い主の目的がなくなりましたけど、これからどうすればよろしいのでしょうかね?」

「し、しらないわよ!? てか、あたしだって知りたいところだっての!! 安全だと思ってた目的地が実は敵側だったのよ?! これからどうすればいいのよぅ!!」


 ニーポは頭を抱えてギャースと小さく喚く。


 そこへ、法務都市ユグユグの僧兵の列から、他とは格好の違う兵が進み出てきた。


「我ら【黄金の稲穂教】は治安機関である正義の稲穂! 都市国家とも認められし大いなる教えを広むる、絶対なる正義なり! 大司教エロペロン様より下賜されし強権は、教義により独立せし法務都市を守護し、発展させる為のものである! なれば我ら正義の稲穂は貴殿に要求す! 貴殿と共に行動せし妖精を此方へ引き渡せ! もし抵抗するならば、当方正義の稲穂及び聖法貴国ロシスマン聖貴城都アレクトールの屈強なる兵、並んで皇帝国は磨法技術革新機構研究室なるものら全ての剛力を持って事を成すと宣言せん! 返答は如何に!」


 ──とか、言われてもなぁ……。

 アグニは言葉を受けて静かに周囲を見渡した。その表情には汗が滲む。


 ──不味い状況っぽいねぇ。前門の虎後門の狼ってレベルじゃない。暴力で片付いた魔族は良い。もし起き上がってくるとしてもなどうにかなる。……けど、この状況ではなぁ。三つの国の組織が動いて、ニーポを捕まえようとしている。でも、その理由が分からないときてる。マギ研は分かるよ? 研究の材料としてニーポを欲しているんだから、捕まえようとするのは自然な流れだと思う。法務都市ユグユグも教義の中に妖精を神の使いとして見ているらしいから、何故と言うのは理解できる。けど、その二つが手を組むってどういうことだ? ニーポの利用方法が異なるのに。理由だけを見れば相反しそうなもんじゃないか。


 そして一番の不思議は。

 ──聖法貴国ロシスマン。どうして欲しがる。聖法貴国ロシスマンの国教は法務都市ユグユグと同じだってことは知ってる。けど、国の軍を動かすとなればそれなりの権限を持った人間の命令じゃなきゃならないはず。故郷の図書館で知った限り、法務都市ユグユグの軍は大司教って奴が動かしているけど、その権力で聖法貴国ロシスマンの軍まで動かせるものなのか……?


 アグニは一気に思考を回して奇妙なこの状況を整理していく。返答を急かす声が途中で割って入ったが、完全に無視を決め込んでいた。


 ──つって、誰がこの兵隊連中を動かしているにせよ、この状況で下手を打ったら三ヶ国から狙われる可能性がある。把握が優先だ。現状は、暴力でなんとかなるステージじゃないし、地面にめり込んでいる山羊面魔族を見ても周りは動じていない。なら、この魔族と周りの連中の関係なんて言わずもがな。あるいは、この状況すら魔族が用意したレールの上で、この先に大きな争いを予定しているなんて可能性だって十分にあり得……ん?


 ここで、とアグニは気付く。


 ──もし山羊面魔族が三勢力と繋がっていたとして、


 その瞬間、アグニの胸が跳ね上がった。山羊面との初めての接触は、この国に入って最初の乗り合い馬車のなかではなかったか。頬のこけた、苛立たしげな男として。


 ──ってことは、さ。初めから監視されてたってこと? こっちはなにも知らないのに、向こうにはこっちの情報が筒抜けてるって考えなきゃいけないってこと? ……ああ、ちょーヘビー。向こうに渡して不利になる情報なんてないけどさ。コンチクソウ気分はやる方ない。そして結局、俺が分かってるのはたった二つ。一つ、この状況で暴力には頼れないこと。そして二つは、必ずニーポを守り抜くってこと。


 それがアグニにある核。命に関わった自分が、果たすべき責任。


 ──まあ、これだけ分かってれば十分ではあるけど、ねぇ……。


 表情に出すことなくため息を身体から抜いて、進み出てきた兵士に視線を向けた。途端。


「返答は如何に! このまま反応なき場合は、従うつもりなしと判断し、実力をもって対処する! 早急なる返答を!!」


 苛立ちが募る声に押されるように、アグニは口を開いた。取り敢えず腹の探りあいだ。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、兵隊さん。これは一体どういうことです。急に出てきて、妖精を渡せと言われても『はい、そうですか』何て言えるはずがないでしょう。木や石でもないんですから。まずそちらから詳細な説明を、お聞かせ願いたいんですがね?」


「知らぬ! 我々は大司教ガマグッチ・エロペロン様より仰せつかったことを成しているだけである! 委細承知したいのであれば、我々と共に同行し、自ら尋ねれば良かろう!」

「え、一緒に行っても良いんですか?」


「共に行動するものあったとき、同道させてはならぬと、わたしは聞いていない! 我ら正義の稲穂は治安を司り、法務都市ユグユグの平和を守る、【黄金の稲穂教】の一組織である! 同道するものありしときには引き離せと命令を受けていない限り、ヒト種の意思を無下にはできない! それは【黄金の稲穂】の教義に反する行いである!」


 言葉を聞いて、アグニとニーポは顔を見合わせた。状況がいまいち飲み込めない。だって、いまの言葉と周りを囲んでいるだろうマギ研の態度が違いすぎる。見えなくてもざわついてるのが分かる。まるでペットと飼い主で思惑にズレがあったような。


 ──てか、周りの連中(マギ研)がざわつくってことは、命令や認識に混線がある……? それともこれも演技か? 


「返答は如何に!」


 ──ったく! こっちは考え中だっていうのにあの上官っぽいのは急かしてくるし……はあ、適当な答えを出すには時間が足らない、か。


 アグニは周囲のぐらついた害意と、聖法貴国ロシスマン聖貴城都アレクトールの軍勢、そして法務都市ユグユグの兵隊達へと順繰りに注意を向ける。このまま考えなしに逃げ出すことも出来ることを確認し、最後に胸元から顔を出すニーポを見下ろした。


 小刻みに揺れる身体を必死に押さえつけようとして口許に力の入った不細工顔の妖精は、青い顔で今にも泡でも吹きそうだ。


 ──まあ、それはそうだよねぇ。ニーポから見れば、十倍以上の体躯をもった連中が自分を捕まえようと迫っているわけだし。それも、三つの国に所属する組織が一堂に会して……。ほら、考えただけでチョー怖い。


 だからアグニは色々考えるのを止めた。そして、おもむろに両手をあげる。


「了解しましたよ、兵隊さん。言う通り、一緒に着いてくことにします」


 言ったとたん、ニーポがアグニを見上げた。その驚きが見ずとも伝わるが、アグニは言葉を翻さない。


「ならば、その妖精を此方へ! 貴殿には一切動かぬことを約束され──」

「けど、一つだけ条件があります」

「大司教様より、そちらの条件を飲むことを許されていない!」

「飲んではいけないと言われてるとか?」

「その様なことも言われてはいないが……」

「なら、聞くだけなら咎められないはず。そのあとで判断すればいいんじゃないですかね?」


 二呼吸分の間が開いてから。


「よかろう。貴殿の条件とは如何に!」

「引き渡しは俺が直接そちらのトップにする。それだけの簡単な条件ですよ。もしこれが許されないのであれば、こちらも貰います」


 言葉の途中、視線を地面にめり込んだ山羊面魔族に向けた。


「ぬう。それが貴殿の意思であるか」

「ええ。こっちだって旅の道連れをそう易々と引き渡せるほど腐っていないつもりなんで。身の安全が保証されたと判断できるまでは、俺はニーポを守り通しますよ」


 むう、と唸る兵士は逡巡する間でアグニの向こう──居並ぶ軍列へ視線を投げた。そして僅か。何かの動きがあったのか、条件を了承する旨を口にした。


「……、わかった。貴殿の求めを許諾しよう」

「よかった、話の通じる人で」

「言語とは御本尊たる陽乃守神ヒノモリノカミからヒト種に下賜された崇高なる物。無下にしてよい物ではないとは、教義である!」

「ほほう。それは素晴らしい教えですね」


 アグニは調子をあわせて笑って見せた。 


 ──まあ、見えない連中のざわつきは、その教義に反対みたいだけど……。


 しかし、そうであっても。見えない連中もこの場で騒ぎを起こしたくはないらしく、遠くに見える岩場の陰に隠されていた馬車にアグニ達が案内されていても、手を出しては来なかった。


 そして。

「これから法務都市ユグユグに向けて移動を開始する!」


 掛け声と共に動き出す馬車。隠されていた馬車は5台で、その場の全員が乗り込んだようだった。見張りのためだろう屈強な兵士の間に席を指定されたアグニは、プルプルしながらこちらを見上げる150ミリのマシーン妖精フェアリーに片目を瞑る。


 ──大丈夫、任せて。


 身の安全のために目指していた目的地は、管理人が悪者と通じていたという三文小説にありがちな王道展開。それでもアグニは笑うのだ。


 だって、これ。

 ちょーつまんないだしw

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