第12話

 緊迫していた。


 人の往来が激しく、普段ならそのような空間が出来ることもない大通りで、しかし。道幅いっぱいに人は避けていた。出来上がった空間には恐怖が満ち、中央に取り残された三人の存在が一際に目立つ。


 それは、突き飛ばされたように姿勢を崩し地面に座り込む小柄な女と、異様な雰囲気を漂わす山羊の角をこめかみから生やす頬肉の痩せた男。


 そして間に割ってはいる天使の光輪らしきものを頭に頂く、アーマー装備の妖精。妖精は両手と、その背の蜻蛉のような羽を目一杯に広げていた。その羽にある電子回路じみたなにかに光が走っているのは、妖精の興奮を表しているかのように見える。


「や、やめなさいよ! このへちゃむくれ!! あんた、自分がなにやってんのか分かってんの!? 悪魔みたいな角なんか生やして、俺カッコいいとか何処の厨ニだって話だし、意味分かんないのよ。厨ニ患者の仲間が欲しいなら平行世界案内番号のコールセンターガールに頼んで魂のリプレスして貰いなさいよ! トリップなら安いわよっ!!!」


 しかし、すでに見た目から山羊男に変貌している相手には伝わらない。そもそも、瞳孔が人のものではなく長方形タイプの山羊のものになってるからとか関係なく、妖精が何を言っているのかその場の誰にも伝わっていない。


 口角から泡立ったヨダレを垂らし、小刻みに震える頭を傾げる山羊男は、躊躇なく拳を振り上げで殴りかかってきた。


「ブエエエエエエエエエエエエッン!!!!」


 咆哮が轟く。

 妖精が身を固くして眼を瞑った。


 その直前で──。

 見馴れたグローブをつけた拳が、山羊男のそれを迎え撃つ。


「──ッッッ!!!」


 瞬間、パンッと水風船が破裂するような音が鳴り、山羊男の腕が弾け飛んだ。あまりにも一瞬のことで、当事者も観衆も頭が追い付かない。僅かの沈黙が周囲を席巻する。


 そこへ、アグニの声。

「ちょー焦ったけど間に合ったぞバカ野郎ぅ」


「ギョッ……ブャアアアアアアアッ!!!!」


 感覚と認識の齟齬が埋まれば痛みが襲う。山羊男の汚い悲鳴が上がった。


「まだやるかな?」

「……ッ!!!!」


 男はボロボロに吹き飛んだ己の腕を押さえつけて、歪んだ顔でアグニを睨み付けた。だが、旗色が悪いと見ると衆人を押し退けて路地へと逃げ出していく。


 アグニは相手が逃げたあともしばらく警戒していたが、周囲の人間と眼があったことで、自分達が大通りの流れを止めてることに気付いた。途端に今までの焦りや怖さが一気に冷めて、人の視線が集まる居心地悪さを味わう。


「ああ……ほんと、スマホがあったらって思うとちょー怖いな衆人環視──ん? スマホってなんだ……?」


 息を吐き、ニーポに向き直るアグニ。その小さな動きだけで、周りからの警戒心が見える。何処かからなど「ヒッ」と引きつった声まで聞こえる始末だ。


 ──まあ、腕がはぜるとこ見ちゃえば仕方ないとは思うけど……何だろ、ちょっとへこむ。

 しかし、緊急的な危機は退けた。気持ちを落ち着かせるような間を開けて、アグニはニーポに笑いかける。


「待たせてゴメン、ニーポ」

「ほ、ほんとよ! なにやってたのよ! あんな奴にパンチされたらプチっと殺されてたわよ! もうプチコロよ!?」

「何をって、ニーポを待ってた」

「うぐ……そうかもしれないけど!!」

「怖かったよね」


 ニーポは泣きそうだった。いまだに身体が縮こまっているところを見ると、いっぱいいっぱいだったのが分かる。けれど、そこはミニマム妖精ニーポちゃん。赤い顔して胸を張って見せちゃうくらい強がり可愛い妖精なのだ。


「ふ、ふん! 誰が怖いもんですか。あんな、女の子に手をあげる卑劣漢に、おお、遅れをとるストロング妖精ニーポちゃんにみみみ見えるって言うの?」

「えー。だって、プルプルしてるよ?」

「武者震いだし!」

「声も震えてるのに?」

「武者声よ!!」

「なにそれ知らない。ぷふっ」

「~~っ! うっさい!! ってか、あたしよりそこの子を心配してあげなさいっての!」


 ニーポが指差すのは、あさぎ色のローブを着た女の子。そう言えば、と視線を向ければニーポよりさらにカタカタと身体を震わせながら、アグニのことを潤む瞳で上目使いに見上げていた。


「大丈夫?」

「ごめんなさい……許してください。助けて、下さい……」


 幼い容貌。眼は大きく、肩は薄く、手足は短い子供の体型。なのに男の欲望を刺激する、あまりにもアンバランスな存在。それが、あさぎ色のフードの下から、ローブの中から、匂い立つフェロモンのように、その女を形作っていた。


 そんな彼女を見た瞬間、アグニは──。

「やめた方がいい。それはバカを調子づかせるから。沢山の生徒を見てきたけど、そんな顔を作る子達は皆、辛そうだったよ」


 自分で経験のない言葉を喋っていた。すぐに自分を取り戻すアグニだが、なぜあんな言葉が出てきたのかが分からない。


「え。アグニ、どこかで教師でもやってたの?」

「ううん、全く身に覚えがない。だから、そんな不思議な眼で見ないでニーポ。なんか痒い」

「ふぅん……アグニってたまに変なこと言うわよね。まるで、他の世界を見てきたような……」

「なにいってんの。俺は俺。アグニさんですよ。ニーポちゃんって不思議乙女? 他に世界なんてあるわけ──」

「あるわよ。腐るほど」

「はへ……?」

「ああもう! そんな話はいいのよ。この状況を何とかするのが先決でしょう!! ほら見て。周りの人だかり。いつまでもここにいたら衛兵にしょっぴかれて、数日は軟禁状態よ」


 そんなニーポの言葉が契機になったのか、遠くからピリリリーッと笛が聞こえる。


「だから、ほら。行きましょ。急がないと捕まっちゃう」

「そうだね。ちゃっちゃと移動しますかね」


 アグニはそう言うと、状況がいまいち掴めていない表情の座り込む女の子を抱き上げた。「わ、わわっ!」と慌てた声が聞こえる。


「え、アグニ、連れてくの?」

「え、連れてかないの?」

「え」

「え」


 お互い奇妙な顔で見つめあっちゃう二人は、だんだんと近づいてくるけたたましい笛の音の方向に視線を向けて、もう一度見つめあっちゃう。


「ニーポ……だめかな?」

「~~ッ! 仕方ないわねぇ!」

「さすがプリティー妖精ニーポちゃん。知ってた、優しいって」

「うっさい! とっとといくわよ!」


 アグニは抱き上げた女の子に視線を向けてうなずくと、ニーポを頭にくっつけて建物の屋根へと跳び移った。それを見ていた周囲の人々は唖然とした様子でそれを見送った。いくら磨法が世界に認められた技術体系だとしても、なんの用意もなく(磨法陣も描かず)人を抱えて屋根まで跳ね上がる膂力なんて獲得しえないのが、一般常識だからだ。



 聖貴城都アレクトールは広大だ。

 八角形の城壁の一辺は五キロメートルもあり、であれば、壁から中央に聳える城まで約十キロメートルになり、中心点を通った壁から壁までの直線距離は約二十キロメートルにもなる。


 この広大さはひと種が集まるもののなかで一番広く、そしてそのなかでは、ピザのピースのような区分けがされていて、中には地下坑道が掘られるような場所や、湖がある区域などがある。東地区には、さまざまな研究所が。西地区には広大な農地が。南地区には職人連中が働く工場こうばが。北地区には鉱石の採掘場が──と言うように。観光や、物流の要所としても発展した聖貴城都アレクトールは、言うまでもなく人がとても多い。東西南北を交じって貫く、十字街道と呼ばれる商店が多く集まった大通りには言わずもがな、少し外れた道であっても人足は絶えることはない。


 だとしたら、だ。

 建物の屋根を移動する男はさて、どんな顔して地上に降りればいいだろう。


 それが、あさぎ色のフード付きローブを纏った幼い見た目の女の子を抱き上げる男だった場合、選択肢はいくつ残っていて、そのなかの幾つが正解なのだろうか?


 女の子をプリンセスみたいに抱き上げ真っ最中の旅に出てまだ五日も経ってないアグニは、地上五階の建物の屋根の上で嘆いた。


「ここから降りてごはん食べたいなぁ……」


 くぅー、とまるで少女のような可愛い音がお腹から上がった。釣られてなのか、抱き上げる女の子のお腹も鳴る。


「お腹へったよね」と、アグニ。

 女の子は自分のお腹を押さえてプルプルと首を降った。


 屋根から下を覗いてみれば、軽装鎧けいそうよろいを着た警備兵が複数人で走っていく。そう簡単に飛び降りるわけにもいかない状況だなぁと口がへの字になる。


「わー、兵隊さんちょー頑張ってるね、頭の上のニーポちゃん」

「ちょー頑張ってるね……じゃあないわよ。ほんと、どうすんのコレ? あと、あたしをちょー有名作品に出てくる魚の子みたいに呼ばないで」

「あれ、テンション低いね」

「いつでもあたしが元気一杯に突っ込んであげるなんて思わないで。はあ……それで、どうやって下降りるの? まさか、夜まで待つとか言い出さないでしょうね」

「んー、それはさすがに。てか、なんで俺ら探されてんの?」

「そりゃあ、あんた。重要参考人以外にないでしょうよ。派手な登場と派手な撃退。しかも相手は山羊の角を生やした


 その言葉にアグニの動きが止まった。


「は、魔族って……マジ?」

「マジ。あたしも最初は、山羊角パーン種かと思ったんだけどね。でもあの男、馬車で見たときは角なんてなかったでしょ? けど、あの時にはガッツリ生えてたじゃない」

「そりゃあもう、すごい勢いで生え散らかしてたね。でも、磨法で特徴を隠してた獣人って可能性もあるんじゃないか? ほら、この国はひと種以外は奴隷にするって話だし」

「その可能性はある。けど、もし磨法で角を見えなくしていたとすれば、そんな他人の認知に関わるような高度な磨法を使い続けるなんてそれこそ魔族以外にそういないのよ。もし人だったら、高名な研究者かなにかで、しかも魔力量だって大きくなくちゃならないんだから。見た目で失礼だけど、馬車でのイメージとは違いすぎる」

「え、てことは、俺って魔族に手を出したの? 見た目はちがくても人型生物である人類種じゃなくて、そもそも生命体として異なった食性をしてる魔族に? 不味いよね?」

「だから、そういってんでしょーが」


 ニーポは溜め息を吐き出した。そしてようやく、アグニはニーポのテンションが低い理由が分かった。


 魔族とは、そもそも。生命体なのかすら分かっていない種族の総称で、アグニが言葉にした通り、食性として何をエネルギー源に活動しているのか不明の存在だ。一説にはという未知の力を糧としているとも言われ、人類が体系化した=とも、その磨法を起動させるための生体エネルギーとも異なる何かで生きているらしい。


 そして、ニーポやアグニが言葉に驚きや疲れを滲ませているのは、その何だか分からない存在が往々にして人の社会を混乱させる行動ばかり取るという一点に尽きる。特に戦争。自ら手を下すわけでもなく、誘惑という方法で。


 そんな魔族との接点を持ってしまった。ならば探されていることも納得できる。特にこの不寛容社会であれば、ソレと争っていたアグニ達でさえ関係者として法的罰則を受ける可能性はあるし、話を聞かれるだけであっても、ソレと至近に居たという理由で『魔に汚されしもの』とか考えられて長いこと隔離される可能性もある。ならば、ニーポからこぼれた溜め息がアグニの白い髪を揺らし、それをもってドンヨリムードがムーブしちゃっても不思議はない。


「えぇ……ねえ、ニーポ。あの山羊の角男が魔族だってバレてると思う?」

「バレてなかったらこんなに大勢で追ってくると思う? いいえ、今バレてなくても。もし捕まったあと、『あの男って魔族だったんじゃね?』とか考えられる可能性があるってだけで面倒なのよ。魔族は、人間をおもちゃにして戦争を引き起こしかねないんだから」

「そっかー……」


 人の欲と恐怖を利用して、最悪の場合には大戦を引き起こす。それが魔族。魔族が発端の争いなど枚挙に暇はなく、世界にあった大きな戦でさえ、いくつかは魔族が関わっていたのではと言われるほど。

 アグニは難しい顔で唇を少し突き出して考える。視線を上に向けたり、地上に向けたり、虚空を見つめたり。最後に腕のなかにいる女の子へじっと視線を投げ掛けて、息をついた。にかっと笑って見せると、ビグーッと身体を振るわせられて何だかやるせないアグニ君だ。


「……まあ、いいや。とりあえず誰にも見られずに下に降りて、人に紛れちゃえばそうそう見つからないでしょ。なにせ、途中で見た城都内専用の木馬を使った移動手段が縦横無尽に走ってるんだから──ニーポ、お願いがある」

「なによ?」

「向かいの建物が今いるとこと同じ高さだから、最上階の窓、開けてきてくれると嬉しい」

「……は?」

「跳び移る、ってか飛び込むから」

「ほんと、埒外な奴ねぇ。アグニって」

「ニーポが居るから頑張れるんだよ」

「へぇ、そう……」


 ニーポは白髪頭を何故かニーポのポコポコ──略してニーポコしてから、フィーンと飛んだ。


「待ってなさいよ、アグニ! あんな窓なんてすぐに開けてきちゃうんだから!」

「あれ、元気になった?」

「なな、なってないわよ! 勘違いすんな!? いい? そこでじっとしてるのよ、ぜーっっったい! 動いちゃダメなんだからね!!」


 そう言ってアグニを指差すニーポは窓を開けに飛んでいった。


 二人残されたアグニと、プリンセス抱っこの女の子。しばらくニーポの言いつけ通りじっとしていると、アグニに声がかかった。


「……なかよし、なん、ですね」

「お、ちょっと驚いた。初めて話しかけてくれたね。ありがとう」

「いえ、そんな……!」


 言葉が躓くような間が空く。


「なかよしに見えるかな?」

「え……違う、です、か?」

「そうならいいなって思ってる。けど、ニーポと出会ってまだ五日も経ってないからなぁ。本当のところって分からないんだよ」

「そう、なんですね……でも、なかよしにみえます、よ」

「そっかな、ありがとう。嬉しい」


 アグニはニシシと笑った。笑って、見渡す。澄んだ空と聖貴城都アレクトールを。地上五階のその屋根から見渡す景色はあまりに広大で、街を囲む反対側の壁はそこからでも見えるけれど、つつけば崩れそうなほどちっぽけに映る。耳には人々の活気のある声や、職人街区からの鉄を打つ音が聞こえて、自分達が潜った南西城壁門はずいぶん遠くにある。


「けっこうな距離を逃げてたんだな、俺」


 地元を出て五日も経ってないのにちょっとだけしみじみするのは風景のせいか、アグニが情緒豊かなのか。そこでふと気付くのはプリンセス抱っこ状態で長いこと逃げて、体勢とか大変じゃないかなこの女の子、ということだった。


「身体、いたくない? 大丈夫?」

「えっと、はい……平気、です。逆さに吊るされても……我慢、できます」

「え。しないよそんなこと」

「でも、叩いたり、蹴ったりは……や、です」

「だから、しないよ!?」


 女の子はフードの下からアグニを見て首をかしげた。本当に? と言わんばかりに視線に問われる。珍しい色の瞳と小さくかしげられた首に僅かたじろぐアグニは、カクカクと首肯して見せる。


「やさしい、です……」

「いやまって。これで優しいとかない。いや本当に。あれ、まさか。俺って女の子に手を挙げて喜ぶ変態に見られてるってこと?」

「みんな、そう、ですよね?」

「いやいやいや」

「……?」

「まって、そんな不思議そうな眼でこっちを見ないで。その認識になった君の過去とか想像しちゃうから。想像したら泣いちゃうから、ほんと待って!」

「でも……」


 そこで、だった。

 あさぎ色のフードの下からちょこっと見えていた女の子の瞳はまた影に隠れ、暗く淀むように言葉が続いた。


……」

「……、え?」


 ニーポからの合図があったのはこのタイミングだった。向かいの建物の窓が開き、窓際でニーポの羽が光って点滅していた。小さな身体を大きく開いて、両手を振っている。


「あ……妖精さん。開けたみたい、ですよ?」

「あ、ああ」


 アグニは取り合えず話を切り上げることにした。いつまでも屋根の上というわけにもいかない。数歩の助走をとり、出来るだけ衝撃のないように柔らかく跳ぶ、そのなかで。


「すぐに、分かります。そしたら……アグニさん……」


 ──わたしのことを。


 アグニの心がざわついた。女の子はフードの影に隠れたまま。ニーポが二人を迎えて、その日は近くの宿屋に部屋をとった。


 何事もなく次の朝を迎えたアグニとニーポは、女の子が居なくなっていることに気が付いた。街では、魔族が出たという噂が夏場に繁茂する下草のように徐々に、しかし急速に広まっていた。

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