第???話
それは普通、物語のなかで語られるには暗がりの闇色濃い奥まった部屋での会話で、良く晴れた日のテラスには相応しくない内容だった。
半裸のでっぷりとした男は柔らかいタオルで汗を拭きながらテラスに置かれたテーブルにつく。
「それで、例の話はどうなっている」
「はい。外交取引としての話はにべもなく。ですが、一派閥が我々の話に興味があるということでございまして、協力の用意があるとのことでございます」
答えたのはシルバーブロンドの髪を撫で付けた初老の執事だった。ティーポットを手に静かにたたずむ姿と、テラスから望める広大な庭に咲く色とりどりの花が、場の雰囲気を落ち着かせている。甘い香りが鼻腔をくすぐっていた。
「そうか。して、その派閥とは?」
「磨法技術革新機構研究室──通称『マギ研』なる派閥でございます」
「ほう、磨法研究の……」
半裸のでっぷりとした男はテーブルに用意されている飲み物に手を伸ばした。ふわりと薫るのはアッサムの甘い薫り。庭に咲く花の匂いと合間ってトロリと溶けるような薫りになっているそれを優雅な所作で飲む。だが、どうしてだろう。どこを切り取っても優雅さが男には似合わない。
「まさか──他国の磨法技術開発は虎の子にあたる秘匿すべきもの。にも拘らず、手を組みたいとは。裏は調べてあるのだろうな?」
「はい。派閥内の急進派がその大多数を占め、室長自らが打診してきました。室長がいうには貴族派閥との繋がりもあるそうで、どうやら、国の技術を渡してでも此方と組む必要があるのだとか」
「その理由とは?」
「名が示す通り、磨法技術の発展と革新とのことでございます」
「革新、のう」
半裸のでっぷりとした男は顎下に蓄えた贅肉を揺らして皮肉げに笑った。
「ならば何故、私なのだ? 教皇の老いぼれのところに話を持っていく方が利に叶っているだろうに。まさか、大司教の肩書きに大層な権限が与えられていると思っているのではあるまいな」
「そこまでは如何ともし難く。ですが、表向きは国内国家としての足場を固め、列記とした独立国として旗をあげたように見える我が国の悲願を叶える為には、大司教様こそ玉座に相応しいと考えているようでございました」
「ふん……見え透いておる。此方を利用する腹積もりであろうに」
「で、御座いましょう。教皇エウロペウスに近くも遠い立ち位置を確立なさっている大司教様は、治安活動としての僧兵という力を手にしてらっしゃいますので。それが目当てかと存じます」
ぶふー、と。椅子に体を預けるような格好で息を吐く大司教。それがゲル状生物の見た目に似るのは、身体中の肉が弛みを帯びて弛緩しているから。大司教は手に持ったカップを眺めるために持ち上げると、一拍。急に投げ捨てた。
「気に入らんのう。この私、大司教ガマグッチ・エロペロンを利用しようとは」
「仰る通りでございます。大司教とは『大いなる教えを司る者』、云わば民を導くお方に他なりません。であれば、利用しようなどと、考えただけで天罰が下ってもおかしくない所業に御座いましょう。……ですが」
初老の執事は投げ捨てられたカップの替わりを用意すると、紅茶を注ぎ、再び直立不動の姿勢で主の側にたたずんだ。
「彼らは役に立つ連中だと、わたくしめ等は愚考するに至りました」
「どういうことか?」
「恐れましては、大司教様の偉大なる宿願は、役に立たぬ今の教義を廃し、武力をもって国を独立させること。果ては
「ふぅむ……」
大司教ガマグッチ・エロペロンは鼻を鳴らすように息を
「確かに、な。あの国の磨法技術は欲しい。それに、私を利用するツケなど、後でいくらでも払って貰えば良いというわけか。……ふん、気に入らんな。貴様は私の利益を、私よりうまく引き出しおる」
「滅相も御座いません。大司教様のご教育の賜物でございます」
初老の執事は恭しく頭を下げた。エロペロンはそれを当然のように聞き流すと、一気に紅茶を喉に流し込んだ。
「まあ、よい。そちらはお前に任せる。手を結ぶ証として腕の立つものを一人送ってやれ。必要とあらば兵力の500や1000好きに使うがよい」
そう言って席から立ち上がると半裸のエロペロンは部屋に戻っていく。その背中に執事は尋ねた。
「腕の立つ者であれば、誰でも良いのでございますか?」
「好きにしろ」
「かしこまりました」
まだ日の高い時間だというのにカーテンの引かれた部屋に戻っていく大司教。執事が通り道を作るためにカーテンを持ち上げると、テラスに香る花より遥かに甘ったるい薫りの煙がムワリと舞い上がった。隙間から見えるのは薄暗い部屋に陶然とした視線をさ迷わせる、白く汚れた全裸の女性たち。
「……」
執事の表情など何一つ変わらない。礼を表す姿勢のままそれを視界の端に見て、初老の男はスッと眼を閉じた。
音が伝播するとき、それが波状であると知覚するのに大袈裟な計測機器は要らない。テーブルに水を入れたグラスを置き、水面に向かって声を出せばいい。そして、声というものが解剖学で知りえた声帯という膜が震えることで発生している事を理解すれば、磨法技術が体系的に広まっている世界に於いて『遠くの者と会話が出来るはずだ』と思い至るのは難しくない。媒介とし周囲の空気に流れを与えるクリアグリーンの磨鉱石──『風石』が必要だが、その風石に磨法陣を彫り込めば、離れた対象の相手との会話が出来る。
そんな風石を使って、初老の執事は広い屋敷のなかを移動しながら命令を飛ばしていた。
「ええ、大司教様のお言葉はきちんと頂いております。彼女を使います。方法は此方に任せて頂いて結構。ですので、一度わたくしのところまで連れてきて下さい。今度のお話は少々複雑で、
そんな風に言葉を継ぐ執事は、己の仕事の拠点である執事室の扉を開いた。室内は簡素で、執務机といくつかの背の低い本棚、そして唯一大きなクローゼットだけ。執事はその大きなクローゼットを開けてアイテムを数点取り出した。
「彼女をわたくしの部屋まで連れてくる前に、湯浴みをさせてください。大司教様のお屋敷ですので、汚れていては失礼に当たりますからね。いいですか、充分に綺麗になってからですよ。もし、汚れた部分があったなら──分かっていますね?」
念を押す執事の何一つぶれない声に圧力を感じて、連絡を受けた相手は息を飲んで了解を伝えてきた。
風石に刻まれた磨法陣に魔力を流すのをやめて、執事はクローゼットから取り出したアイテムを机に並べる。小瓶。貝殻。小型の霧吹き。布。そして、ハサミやナイフといった刃物。
「あとは……」
バサッと絨毯敷の床に広げられるベッドシーツほどの少し厚めのシート。綿で織られた三重構造。間に挟まれた布地には生地いっぱいに磨法陣が描かれている。執事はそれを見下ろして嘆息した。
「やはり、床というのは見た目がよろしくありませんか……絨毯があった方が身体に負担が少ないと思ったのですが、ふうむ、少々固いですが机の上にいたしましょう」
そうこうと、アイテムの位置や広げるシートの位置を調節しながら、今から来る訪問者を出迎える準備を整える初老の執事。一通り準備が終わって部屋を、忘れているものがないかを俯瞰して確認していた、そんなタイミングで。
トントン……と。
部屋の扉が叩かれた。
「お入り下さい」
「し、失礼します……」
扉の前にいたのは小柄な体躯に幼い容貌の女。彼女は、おずおずと部屋に入るとうつむいたまま扉を閉めた。
「では、始めましょうか」
執事はそう言って部屋のカーテンを引き、外からの日を遮る。これが始めてではない女は、湯浴み後に着させられたローブを脱いで、机に敷かれたシートの上に横たわった。
一糸纏わぬ小さな裸体。それは、眼を覆いたくなるほどの痣と傷にまみれていて。
「……」
執事は小瓶からトロリとした液体を手にとって、女の全身にそのポーションを塗りたくった。「んっ……!」と微かに漏れる女の吐息は、冷たさのせいか、痛みのせいか。しばらく同じことを繰り返し、今度は貝殻に収められた軟膏を特に目立つ傷口に塗っていく。
女は言う。「──ごめんなさい」
けれど執事はなにも返さない。
ただ淡々と女の身体を癒していく。
女は言う。「──ごめんなさい」
けれど執事はなにも返さない。
ただ淡々と女の傷を塞いでいく。
こぼれる汗があまりにもしょっぱくて、女はずっと謝り続けた。
全てが終わり、執事から次のターゲットのことを聞いた女は、あさぎ色のフード付きローブを身に纏っていた。
ターゲットは妖精。連れ去ることを絶対とし、邪魔する相手がいるならその排除。排除の方法は何でもいいが、危険だと思ったら戦闘は避ける。
「分かりましたか?」
「はい……」
「では、お行きなさい。屋敷の前に今回のメンバーが居ますのでそれと一緒に」
「一緒に、ですか……?」
「はい。必ず一緒に」
「……はい」
少しの沈黙が部屋に蟠った。
女の足がやがて動く。扉を開けて、部屋を出て、部屋でたたずむ初老の男に頭を下げて。女はなにも言わずにその場を離れた。扉は開けたままだった。それは執事からの要望だった。
扉を締めにいく執事は、歩いていく小柄な背中が見えなくなるまで見つめていた。
「──正義の神の公正なる審判が、あなたの上にこそありますように」
そして願う。
今度の相手が強きものであることを。
本当の意味に於いて、最強であることを。
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