第11話
三日間の馬車の移動は腰にくる。最初の一晩以外は途中で立ち寄る村の宿屋でベッドにありつけるとはいっても、狭い馬車の硬い木で造られた長椅子はアグニの尻を痛め付けた。お尻の皮膚が爛れちゃう! とか本気度60%で思えるくらい乗り心地は悪かった。
だが、そんな三日間を乗り越えて、今。
「やっとついたよ、
アグニは涙を流しながら、
「って! それ
「あ、これでお尻痛くないって思ったらつい」
「もう、勘弁してよね。そんなことやられたらオマンマの食い上げよ」
「! 一つのセリフにニーポの生き死にが掛かっていたなんて知らなかったんだ、ごめん……」
「冗談に決まってんでしょ!? そんなマジトーンで謝るんじゃないわよ!!」
真っ白な髪の毛揺れる頭の上から、ニーポはムキャーとアグニをポコる。小さな手を一生懸命振り下ろして、世の儘ならなさをぶつけていた。アグニはニーポのポコポコ──略してニーポコをされつつも、
──首都、
見上げる城壁は首が痛くなるほど高く、白亜と濃紺の二種類の石材で縞模様のように造られていた。パッと見るだけで城壁の上には鎧を着た見張りが絶えず歩き回っているのが分かり、城壁門にいる入門監視官など如何にもな見た目で、厳つい顔とゴツい体躯で入都希望者の荷物を改めている。
──ここでの
頭に浮かぶのは、初期洗礼を受けた村でのこと。結局、あのあと何かがあったわけではないが、アグニは脳裏に引っ掛かりを覚えていた。
──正義の神、か。
過去の出来事からちょっとした事で目を覚ますアグニの耳に、スルリと忍び込んできた祈りのような言葉。それは支えのない水の中ですがるような、ないしはもがくように聞こえて。
──人を殺そうってときにあの声だもんなぁ。ちょー辛そうだった。自分にはなにも出来ないって思い込んで、なにも考えないようにしてたあの頃の俺とおんなじような……。
アグニはニーポに髪の毛をケチョンケチョンにされながら、少しだけ唇に力を入れた。ニーポのポコポコ──略してニーポコが不意に止まる。
「え、なによ……そんなに痛かった?」
「ん?」
「なんか、変な顔してた」
「ああ、別に痛くないよ」
「もともと変だけど」
「あぁ、別に、痛くない、よ……」
「冗談よ」
ニーポはケチョンケチョンにしたアグニの前髪を頭の上から整えてフィーンと飛翔。そして顔の前に移動した。
「で、どうしたの?」
「いやホント、別になんでも」
「そう。──特別に、何でもない事はよく分かった。けど、別段何もなくたって、少しくらい何か引っ掛かってる。だから変な顔になったんでしょ? いいから、話してみなさいよ」
「……そう、だね」
顔の前で浮く小さな妖精の真摯な眼差しに、僅かに重い息を一つ吐き出して。話した。城門前にいる荷物の検閲官までの列に並びながら。気になったことを。なぜ気になったのかを。自分の過去も含めて。もちろん全部じゃない。全部なんて口に出せない。口に出せるほどの情景が頭に浮かんだら、うずくまってしばらく動けなくなる自信がアグニにはある。
だから、話しは短かった。他人に聞かせて気持ちの良い話しでないことも分かっているから、要点を、更にかいつまんで伝えればよけいに話しは短くもなる。
けれど──短い話しだからといって感情が汲み取れないほど経験が浅いミニマム妖精のニーポちゃんじゃない。この妖精、聞き終わった時には大号泣であった。
「なんて話を聞かせんのよ、バカァ……!」
「えぇー、バカとかちょー理不尽……」
そして気付けば列に並ぶ前後の人も、「こんな往来で話す内容じゃあねぇよなあ……(グスッ)」や「わざとなの? ねぇ、これわざとよね。泣かせに来てるわよね? ええ、もちろん泣きますけども……(ピエン)!」と貰い泣きしていた。
ニーポは「はぁ……」とため息めいたなにかを吐き出すと、フィーンと高い音を尻尾のようにひいてアグニの肩に飛び移る。
「まあ、いちおう分かったわ。変な顔の理由」
「ひどい」
「酷くない。酷いのはあんな話を滔々と話すあんたの方よ。アグニの髪がその若さでどうして真っ白なのかって理由も、数日前のワイバーンに怒った理由も、みんな昔の……言葉にしようとするだけで吐き出しそうな出来事が原因だったって」
「十歳越えてもオネショしてたんだぜ、俺!」
「どうしてそこでドヤ顔なの?」
「うんちさんも漏れてた!」
「……いや、うん。ソレに敬称を付ける必要はないわ。辛い子供時分を生きてきたってことは十分伝わった。──でも、もしアグニが考えてるような状況に襲撃者が置かれていたのなら……」
言葉に詰まったわけではない。が、ニーポは一度呼吸を挟んだ。考えてみれば、数日前の襲撃の理由は自分にある。ただの夜盗ならあんな手際をさらさず盗みを優先しているはずだ、と。であれば、襲撃者を庇うような発言は素直に受け取れないのがニーポの感情だろう。
「アグニは、相手を攻撃できる?」
「……、そう来たか」
「そりゃあねぇ。自慢じゃないけどあたしは、非力で可愛いニーポちゃんなの。人間の子供のおふざけに巻き込まれるだけで握り潰されるんじゃないかって思うくらいか弱いのよ」
「まじか。そんなアーマー装備してるのに」
「だからアーマーなのよ。出来ればもっと可愛いフリル付きのドレスとか、ストリートガーリーとか、アグニの肩を華やかに彩っているんですからね?」
「ストリートガーリーってなに?」
「……ホントへっぽこね」
と言った後で、ニーポは「あ、この世界にそんな言葉は生まれてないのか……?」と落胆した。
「で、どうなのよ。もしアグニがあたしよりその襲撃者を……」
「俺はニーポを守るよ」
言葉を被せる。その先を言わせたらダメだと意識せずに。言葉には口に出したら呪いになるものもある、と。
「同病相憐れむみたいな感覚は、まあ、確かに感じたけど、ソレはソレ。例えば無差別な犯行をするクレイジー野郎の過去がどうだったかなんて気にして『大丈夫君を助けるよ』とか叫んだところで、脳天カチ割られたら助けるどころじゃないんだから。そんなことで批判できる社会なんてもっと治安が万全に整って、医療機関も十全な、平和ボケることの出来る世界だけだろ……って、また経験のない記憶をベラベラ喋ったな、俺」
アグニは昔からの奇妙な感覚を追い出すように肩に担ぐボンサックの位置を直した。
「だからまあ、あんまり気にする必要ないよ。可憐可愛いニーポちゃん。君は俺が守る」
「……。ふ、ふん! アグニがそう言うなら守られてあげるわよっ。こんな可愛い妖精を守れるなんてそうあるもんじゃないんだから、か・ん・しゃ! しなさいよねっ」
「はいはい、感謝感激アメアラレー。飴にアラレは美味しいよーっと」
「~~ッ、もう! バカアグニ!」
さて。
そんなこんなで古い三文芝居じみたやり取りをしていたら、順番が回ってきたアグニ達。手荷物を見せたり許可証を見せたりして城都への進入を許可される。以外と、如何にもな見た目の監視官や検閲官は「お疲れ様です」の一言に「仕事だからねぇ」と笑ってくれるような人だった。審査の
そして、門を潜ってその場から少し離れた場所に陣取った二人は、息を抜いた。とにかく人の数が尋常じゃない。商店の数もその理由の一つだろう。もともと城壁門前の客を捕まえるために開かれた店が軒を連ねているから、余計に混雑を呼んでいる。中には、『獣人愛護団体に募金をお願いします』と叫びながら人波に流されていく人間もいるが、後から衛兵らしき人物も窺えて矢鱈と騒がしい。これを活気というのか……と黄昏た様な溜め息を吐くアグニがこの流れのなか、人通りのないスポットを見つけられたのは幸運でしかなかった。
「しっかし、スッゴい人の数ね。街が大きいから仕方ない部分はあるんでしょうけど、街に入るだけで長蛇の列。街に入っても黒山の人だかりじゃない。まあ、ここ城都にあるお城は、この国で観光の一つにあげられるほど豪華なお城らしいし、貿易の拠点としても有名な場所だってのは知ってたけどさ」
「俺、人に酔って気持ち悪い」
「もうなの!? ちょっと、しっかりしなさいよねっ! 街に入ってまだ五分もたってないわよ」
「ニーポ。時間じゃない、気持ちなのさ」
「なに『え、私たち友達なの?』って質問に返すパリピみたいなこと言ってんのよ!? そんな陳腐な決め台詞言ってる暇があったら、深呼吸してお腹でも暖めてなさいよ!!」
ニーポは、白髪という見た目のせいで体調が少し悪くなっただけなのに命の危機に見えるアグニに呆れる。
──なんなの? ワイバーンやっつけた時みたいな格好いい時とのこの落差。まったく、あたしを守ってくれるんじゃなかったのかしら……。
そんなことを思いつつも、しかしニーポは。
「いい、ここで待ってなさいよ。休める場所がないか、上から見てくるから」
とアグニを気遣っちゃうミニマム
「え、待って。その間、俺一人?」
「当たり前でしょ。アグニが飛べるならいざ知らず、歩くのも難しいからあたしが飛んで見てきてあげるって言ってんのよ──あ。まさかあんた、寂しいの?」
「そそ、そんなわけあるか! 違いますー。寂しくなんてありませんー。だから、そんなニヤニヤした目で見ないで下さいー!」
「アグニ、アグニ」
「なに……?」
「かわいい」
アグニは両手で顔をおおった。満足するまでケラケラ笑ったニーポは白い髪が覆うアグニの頭をポンポン叩いてからフィーンと宙を舞う。
「んじゃあ、ちょっと行ってくるわ。アグニちゃん、泣かないで待ってるんでちゅよー」
「泣くかよぅ!」
耳まで赤くなるアグニに、ぷーくすくすと笑って飛んでいくニーポちゃん。その後ろ姿を指の間から窺うアグニは自分に肩を落とした。簡単に人に酔ったこともそうだけれど、何より感じるのは、今さっき飛んでいったばかりのミニマム妖精が居ないことに寂しさを感じちゃってる己に対しての情けなさだ。
──やっばい。ひとりぼっち、ちょー不安になる……どんなけミジンコマインドなの、俺。
ため息が重たかった。空気が暗かった。それが、自分が発している雰囲気のせいだと気付いて余計に背中が丸くなっていく。
地面に落ちた視線をあげれば、人は多い。誰も彼も、忙しそうだったり楽しそうだったり。けれど一概に、彼・彼女らは充実した表情をしていた。実際などは分からなくとも、今のアグニの眼にはそう映ってしまう。孤独、孤立。いま世界には自分一人なんだと、大勢の往来を眺めて感じてしまう。
「……ジーグ父さん、メリッサ母さん。俺、全然ダメだ。もう帰りたい……」
そのときだ。
「きゃあああああああああああああああっ!」
絹を裂くような悲鳴が雑踏の中から上がった。
僅かに反応が遅れた。咄嗟に体を動かすことが出来なかった。失敗は考えの甘さ。直結するのはこの場にいないニーポの姿。ゾワリと這い上がってくる恐怖は、過去と重なる己の無力だ。
「ニーポ!!!」
叫ぶが早いか、焦燥に追い立てられるアグニの足は煉瓦敷の街道を踏み抜き、疾風のような速さと烈火のような勢いで地を蹴って、壁を足場に、屋根さえ駆け抜けて現場を見つける。
黒山の人だかりにポカリと開けた奇妙な穴。
中心に、くずおれて怯えるあさぎ色の外套を纏う小柄な体躯。対して、苛立ちが表出する頬肉の痩せた男。見たことがあった。二人とも同じ馬車に乗っていた。だが、見たことないものも一つ。
──男の頭に、角?
ヤギのような円を描く角が、男の側頭から生えている。
そして、なにより。
「や、やめなさいよね! このへちゃむくれ!」
心配の対象が、二人の間に割ってはいるという一番危険な場所で手を広げている。それを眼にしたアグニの頭は、瞬間。白熱したのだった。
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