第10話

 翌日。

 村の五人組が事情聴取のために訪れた。犯人の面貌や背丈、襲撃される心当たりや、アグニ個人の情報など、改造された風石や光石によって録音録画されて、解放された時には馬車が村を発つ時刻ギリギリだった。


「ほら、急ぎなさいよ!」

「分かってるよ、ニーポ」


 村の外れに置かれた馬車の停留所に向かって走るアグニは、頭の上で髪を引っ張るニーポに返事をする。


 昨晩はよく眠れなかった。襲撃のあとですぐに眠れるほど図太く出来てない繊細ボーイアグニ君だ。ニーポを守るため番をしていた。朝方になってようやく目を閉じることが出来たものの、それから幾ばくもなく事情聴取が始まったから宿屋を離れる準備も出来ていなかったのだ。取り敢えず宿屋のおばちゃんが気を利かせて作ってくれたサンドイッチを持って宿を飛び出た。と言っても、御者の「馬車が出るよー」の声と同時に馬車に乗り込むことは出来たからなんの問題もなかったが。


 複数台で隊列を組む馬車の一番後ろに乗り込んむと、それにはアグニ達の他に二人の乗客がいた。足元に大きなザックを置いて、あさぎ色のフード付きコートを着てうつむく小柄な女商人と、どこかイライラしてる風の頬肉のこけた男。男がトントンと足を世話しなく動かしているのも苛立ちの様子に見えて、だからと言うわけではないが、アグニは女商人が座る側の長椅子に腰を下ろした。


「ふぅ……」


 アグニは一息つくようにちょっぴり行儀悪く椅子にもたれ掛かる。ニーポもアグニの頭の上でグデェと力を抜いて、白い髪の上にミニマムあんよを投げ出した。


「はぁ、本当に。なんなんだバカヤローって感じだったね、ニーポ。ぜんぜん疲れがとれた感じがしないや」

「そうねぇ。入国初日からアレじゃあ、この先が思いやられるわよねぇ」

「でも、俺、守れた!」

「なんで片言?」

「わかんない!」

「まあ、なんでも良いけど。……ねえ、アグニ」


 言って、ニーポは頭の上から肩に移動した。耳元に直接言葉を残すように、そっと伝える。


「ありがとう、助けてくれて」

「ん。約束だし」


 それから、ニーポは再びアグニの頭の上に戻り、まただらしない格好でグデェと溶けた。今度は白い髪をベッドに見立てて横になる。


「……で、次は聖貴城都アレクトールだっけ?」

「なんで疑問系ニーポちゃんなの? 目指してるのはニーポなのに」

「いや、うん、確かにそうだけど。良いじゃない、アグニも覚えてなさいよ」

「俺は覚えてますー」

「ならもったいぶらないで教えてくれても良いじゃない!」

「ふむ……。ま、そっか。そうだね」


 アグニは少しだけ頭が単純な子だった。いや、昨日からの疲れと眠たさでそうなっただけだが。


「ニーポの言う通り、次の目的地は聖貴城都アレクトールだね。関所の入国許可と初期洗礼の証を持って行かないとダメなところ。この馬車で町を二つ越えた先にある国の王都で、そこで準洗礼の証を貰うことが次のクエスト」

「そう……ま、まあ知ってたけどね! ちょっと試してみたの。一緒に旅してるんだし、ちゃんとクエスト完了するためにはお互いの認識にズレがあったらいけないと思って!」

「そうなんだ。ニーポはえらいなぁ」

「そうよ、えらいの! 旅は道連れなの!」

「約束もあるし、ニーポが心配するのも仕方ないかぁ。ごめんよ、心配掛けて」

「そ……! そこは、もう心配してないけど……~~ッ! なんなのよ、もう!」


 ニーポはアグニの頭の上でジタバタしそうになった。だってなんだか恥ずかしい。羽に見える電子回路がほんのり色づくくらい照れてしまうのだった。


 さて、一通りの掛け合いを終えてダラァと腑抜ける二人は、しばらくぼうっとしていた。馬車から見える御者のおっちゃんの背中の向こうに見える前を走る馬車や、他の乗客を見るでもなく見るアグニ。呆けすぎて馬車に乗ってどれほどが過ぎたのか分からず、腹が鳴ってようやく「そういえば!」と今朝宿屋のおばちゃんが持たせてくれたサンドイッチを思い出した。気付けば、苛立たしげな様子の頬のこけた男も干し肉をバリバリと食っていた。


 アグニは荷物の中から宿屋のおばちゃんが包んでくれたサンドイッチを取り出して膝に広げる。


「サンドイッチ食べるけど、ニーポもお腹すいた? それとも後にする?」

「……」

「あれ、ニーポ?」

「……」

「なんだ、寝てるのか」

「……ッ! 寝てない、全然寝てないし! 授業とか全然答えられるし!」

「授業?」

「あ……なんでもない」


 辺りを見回して自分が寝ぼけていたことを悟るニーポは、ヨダレで濡れた口元をぬぐった。見ればアグニの白い髪の毛も濡れているけど、今は気付かなかったことにするミニマム妖精ニーポちゃん。


「で、ニーポも食べる?」

「食べる」


 返事をして頭から降りる。トンボみたいな羽がフィーンと高い音をたてて小刻みに震えている。大きく羽ばたかなくても飛べるのは、ニーポが妖精だからか。それとも、ニーポの特殊性か。どちらにしろその羽は──。


 ──綺麗だなぁ。

「な、なによじっと見て」

「ううん、何でもない」


 アグニの膝に広げられたサンドイッチの前にニーポは座った。固めの歯ごたえの黒パンに、葉菜ようさいとチーズが挟まったシンプルさ。別添えで薫製肉があるのは心遣いだろう。それも、アグニのサイズとニーポのサイズのものが揃っているのがなんとも憎い優しさだ。


「やっばい、ちょー美味しそう」

「あのおばちゃん、結構やるじゃない!」


 さっきまでヨダレを垂らして眠っていたとは思えない目の輝きで、またヨダレを垂らすハラペコ妖精ニーポちゃん。


 そんなとき、だ。

 くぅー、と可愛らしいお腹の音が、車輪が轍を踏む音のなかで響いた。


「あら可愛い、ニーポちゃんたら」

「あたしじゃないわよ!」

「え、じゃあ……」


 横に目を向けてみればあさぎ色のフードの影で、顔を紅くする女商人がお腹を押さえていた。


「あ……」


 女の子のお腹の音を知り合いのものと勘違いした時の、微妙な居たたまれなさの正体とは何なのだろう──アグニは膝の上から飛ばされる呆れた視線に苦く笑むと、隣の女性にサンドイッチの包みを向けた。


「えっと……もし良かったら一つ、どうですか? 今朝、宿屋のおかみさんに包んで貰ったものですが」


 すると、フードを被った女商人は差し出された包みに釣られるようにサンドイッチを見た。しかし確りと見定めるような見方ではなく、恐る恐るといったふうで、どこか顔を見られまいとしている様子だった。


「えっと、その……ワタシは……」

「あ、ああ! 大丈夫です。怪しいものじゃあないです。怖くもないです! 毒とか入ってないし、怪しいクスリも混ぜてないです! ほ、本当ですよ? だから、ほら、ひ、一口だけ……一口だけでいいですからっ!」

「あからさまに怪しいじゃない!!」


 すぱーんっ! と。ニーポが何処からともなく取り出したスリッパでアグニの奇行を突っ込んだ。


「痛いよ、ニーポ」

「痛いよ、じゃあないわよ! そもそも痛いはずないじゃない! ミニマム妖精ニーポちゃんは非力だもの! そうじゃなくて、言い方! もっとほかに言い方ってものがあるでしょーがっ。なに怪しい実演販売の人みたいなことやってるのよ。この洗剤飲めるのとか言い出しそうな勢いだったじゃない!!」

「洗剤は飲めないよ、ニーポ」

「あったりまえよ!」


 はあ、と息を吐いて。全身全霊で怪しいアグニ君になっていたアグニに、ニーポは言う。


「いい? こういう時は相手に選択権を与えたら駄目なの。どうぞって一言を添えたら、相手の膝にでも置いておけば良いのよ。要りますか? なんて聞かれて『わーうれしーありがとー』って答えられない人だっている。もし本当に必要ない物であれば食べずに棄てるか突き返すかするもんよ。相手に選択を委ねているようで、実は選択を狭めていることもあるんだって、覚えときなさいよ。バカアグニ」

「そっか。おれ、間違ってた」


 話を聞いて素直にうなずくアグニは、フードに隠れてよく見えない女商人に笑い掛けて、彼女の膝にサンドイッチを置いた。


「良かったら、食べてください」


 そして、自分の膝に残った分をモシャモシャ食べ始める。


「あ……」


 女商人はなにかを言いかけた。言い掛けて、でも言葉は続かなかった。ちょうどそのとき、向かいに座っている頬のこけた男が、歯に挟まった干し肉を取るためか、舌打ちをしたように聞こえた。お腹を鳴かせた女商人は、アグニから貰ったサンドイッチをジッと見つめていた。小さなニーポだけがアグニの膝の上からフードの奥を見て、目をそらすようにサンドイッチを頬張るのだった。



 辛いことも、悲しいことも、痛いことも、したくないし、されたくない。多かれ少なかれ、生物は同族に対してこういった感情を持っている(もちろん自己優先主義な生命も少なからず存在する)。


 それは人類以外もそうであると、とある書物は述べた。即ち、人類種であるところのヒューマン、エルフ、ドワーフ、ジャイアント、マーマンやタンガタに、陸上哺乳類の特徴を持つ獣人種といった人の形をした生物だけではなく、彼らが食物としている動物にも意思があり、情動があるものもいると。その書を読んだ者は馬鹿馬鹿しいと一笑に付す。あるいは、可愛そうにと菜食主義になりもする。そしてその研究が進めば進むほど、両極端の思想や思考を持ちやすいのは、体毛が少ない種類の人類種であることが分かってきた。


 つまりは、は別のものだ、という思想を強くもつ人種ひとしゅである。森林を伐採し、河川の流れを変え、山をも平たく削って己の棲みかとする。そんな人種ひとしゅが、自分と似た姿をもつものの、自分達とは違う能力や生態の存在を、別種ととらえるに時間などは掛からない。


 だから、人は神を創った。


 我々より大きく、力強い異能を司り、世界さえ創りたもうた全知全能の存在を。


 そして、そんな存在に選ばれたものとして、人種ひとしゅを数えた。


 鋭い爪や牙もなく、強靭な肉体も持たず、空を舞う翼も、大海を渡るヒレも、森の賢者のような大それた磨力もないヒューマンが、他の人類種より唯一優ることができたものが想像力であれば、それを神に選ばれたことの理由とするのも想像できないことではない。


 そしてその想像力をもって、人は他の人類種との間に溝を創った。神に選ばれた存在が我々であり、その他の存在は異教の邪心が神の真似事として作った出来損ないである、と。世界のヒエラルキーは、私たちこそ頂点だと。


 さて、ここで。

 そう言った刷り込みをヒューマンに与えるとどうなるのか? 


 決まっている、図に乗るのだ。


 そして、他者を攻撃し始める。

 はじめは亜人種や異人種が標的だった。次第に同じ人種ひとしゅにも攻撃の矛先は向いた。肉体的弱者をいたぶり、金銭的弱者から富を奪い、さらにはどんな仕事をしているかでさえ蔑みの標的になった。生まれや容姿など、口にするまでもない。


 人種ひとしゅの世界ではそれが当たり前のように行われている。私は違う! と息巻く連中も単純にそれが攻撃になっていると気付けないだけだ。


 であれば。


 ここ、世界の大国であるうちの一つ、聖法貴国ロシスマンではどのような社会や文化が醸成されるか、そのアンダーグラウンドにはなにがあるのか、想像に難くないだろう──。



 夜。

 魔物避けの磨鉱石をぶら下げた男が、列なす馬車から離れ、近くの森で一人の女を待っていた。


「遅せぇ。時間をずらして来いとは言ったが、どんだけ待たせんだ、あぁ!?」


 男は、人目を気にするフードを被った小柄な女を殴り飛ばした。


「ご、ごめんなさい……でも、みんなまだ寝るような時間じゃ、ないし、焚き火の輪から抜けるには、準備が……」

「うるせぇ! 口答えすんじゃねぇよ!」


 ドス、と重たい音と共に男の靴先が女の腹にめり込む。二度、三度。めり込む。


「ごめんなさい。ごめんなさい……」


 男は地べたで小さくなる女を荒い息づかいで見下ろして、その顔に唾をはく。


「立て。そこの木に手をついて後ろを向け」

「……はい」


 小柄な女は言われた通りの体勢になると、自らコートの裾を手繰りあげた。男の口角が不気味に歪む。


「へ……素直にそうしてりゃあ良いんだよ」


 時間は掛からない。添えられ、分けいる感覚が背筋をゾッとさせる。肉を打たれる痛みなどとうになくとも、自分の声が煩わしい。


「なあ、どうだった。貰ったパンの味は。二日ぶりの食料だよなぁ? 旨かったか、えぇ?」


 男の質問は答えを求めていない。森の木々の間から見える馬車の列と、その近くで焚かれる火の明るさを見せつけるように、男は女の顎を後ろからつかむとその方向に向けさせた。焚き火に当たる青年の顔が遠くに見える。


「はっ! 今時珍しいやつだよなぁ。腹の音一つで、テメェのパンを分けるんだから。──ああ、優しいヤツだなぁ」


 男はニタニタと気色の悪い笑みで女の耳元に囁く。そのとき、肉を打つ男のリズムが僅かにずれた。絡み付く蠕動に、気付いた。


「……おい、お前。まさか……」

「ン……っ」


 男が笑う。


「あのガキを見てか?! パンを貰っただけなのに、もう種族本能が疼いたのか!! ぎゃひひひ、ぎゃーひひひひひひ!!!!」


 笑いながら、男のリズムが早くなった。打ち付ける力も強くなった。その度、女は悔しさで奥歯を噛み締めた。


「さすがだ! ぎゃひひ! さすがだよ、夜鳴鬼女ゴブリン!! お前って種族はこうでなきゃあなぁ!!! 卑しい卑しい淫売女いんばいた!?!!」


 男は叩き続ける。下卑た声を夜の森に溶かして、何度も何度も、白く汚し続ける。

 

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