第7話

 洞窟を出て、関所をくぐり、近くの町までの交通馬車に乗り込めば、目的地までそう遠くない。だから、頭の上にニーポを乗せたアグニははじめ、洞窟で拾ってきた幾つかの風石に面白半分で加工を施しながら馬車に揺られて、のんきな旅を満喫していた。聖法貴国ロシスマンの中央に位置する都市国家──法務都市ユグユグまで、移動時間だけならばおおよそ一週間程度で到着できると、関所の守衛のおっちゃんから聞いていたからだ。


 しかし、実際には聖法貴国の首都である聖貴城都アレクトールを通り抜けるとき通行証を手入し、大渓谷で洗礼を受ける必要があるからもっと多くの時間が必要だ。大渓谷とはその名の通り超広大な大地の亀裂で、そこにかかる橋は全長で二十キロの長大さ。磨法技術の発達なくしてこの大渓谷に橋は掛からなかっただろうといわしめる、それはそれは立派な渓谷橋である。そこで入手できる洗礼者の印というアイテムがないと、法務都市ユグユグには入国出来ないのである。


 そしてさらに、それだけではない。

 

 聖貴城都アレクトールに入るときも、入国時に関所から発行された滞在許可証を持って、聖法貴国が認可する初期洗礼を受けただけしか城都には入れない、という規則が存在しているのだ。


 簡潔に換言するなら、人種以外は町に入ることも許されない。そもそも異人種は、入国すらできないのだ。門前払いならいいほうで、テロリストとして捕まり、奴隷の身分として一生涯を聖法貴国に閉じ込められるなんてこともある。


 聖法貴国に暮らす人々は嘯く。

『それのなにが悪いのですか? 自国を守るための取り組み、法律なのですよ。私たちは自衛しているだけです。異人種は、我々、ひと種と根本が違う。乱暴者が多い。嘘つきが多い。だからこそ、聖王さまは我々人種をお守りくださる法を作ってくださったのです。おお! 法治国家万歳! 聖王陛下万歳! 教皇猊下万歳!』


 さて、そんな法治国家である聖法貴国ロシスマンに入国したアグニとニーポは、のんびり馬車に揺られていた。時に柔らかい陽に暖められた風がアグニの白い髪を撫で、ニーポの鼻をくすぐる。相乗りの他の乗客と談笑したり、関所町で買ったパンを頬張ったり、時間がとても優しかった。ああ、こんな気持ちの良い時間は久しぶりだ──アグニとニーポはそう思うことができていた……と、いうのは。


 嘘である。

 とんでもなく。

 嘘である!


 本当は走っていた。アグニとニーポはそれはもう全力で、全開で、爆走していた! 広い広い大平原を超速ダッシュ真っ最中だった!!


「ああ、これも嘘です! ニーポは走ってません! 俺の頭に引っ付いてるだけの、ミニマム妖精きゅーてぃーニーポちゃんです!」

「ちょっ! なにいってんの、なにいっちゃってんの! てかいま言うことじゃないわよね、それぇ!」

「タイミング的にはベストパーソン」

「パーソン!?」


 アグニの言葉が乱れているには訳がある。それは現在超速ダッシュしていることにも関係する重要で、一大事な、ひとつの事柄に集約する。


「ちょっともう! アグニのおたんちん! あたしがあんたの何であるかなんて今は脇に置いときなさいよ! 今だけは! だってそうじゃないと……食べられちゃうわよ、あたしたち!」

「ですよねー!!」


 超速ダッシュのアグニ君の背後には、硬鱗飛竜ワイバーンが大口開けて甲高く吠えていた。

『ギャオオオオンンン!』、と。


 それも一匹だけじゃない。二匹もいる。全高四メートルで、全幅なら七メートルに届く空飛ぶ蜥蜴が、バッサバッサと羽ばたきながらアグニたちを追いかけてくる。


 ここでひとつ注意だが、普通ならワイバーンに追われる状況で走って逃げるなんて不可能だ。秒速でバクリと食われてモグモグゴックンだ。ならばどうやってアグニ君は逃げているのか。そこはやっぱりアグニ君。一般的な移動磨法を自分で魔改造し、靴の内側に磨法陣を縫い込んだ特別シューズを使い超速ダッシュで逃げている。それが出来ちゃうチーターなのがアグニ君なのだ。だが、現状をみてもらえば分かる通り、逃げきれる速度は出せていない。時速換算で80~100キロ程度。いや実際、空飛ぶ蜥蜴から逃げていられるだけで十分すごいことではあるが、結局逃げきれなければ大型爬虫類のエサでしかない。


 ──本当のところもっと早く逃げることはできるんだけど……制限時間三秒だし、あんまり意味ないよね! ここ、大平原だし!!


 だから二人は焦っていた。


「わー、ちょー怖い! ニーポさん、ねぇ、ニーポさん! ほんとマジでオシッコ漏れそうっすニーポさん! 大きな蜥蜴が空から襲ってくるってちょー怖いっす!」

「ぎゃー! そんなこと報告すんな、バカアグニ! いいから走りなさいよ! 逃げきってから用を足しなさいよ! 大体、アグニがちょっかい出すからこんなことになってるんじゃないの!」


「えー、俺のせい?」

「どー考えてもそうでしょうが!? 折角ゆったりまったり馬車の旅だったのに、こんな面倒ごと引き受けてくれちゃってからにぃぃいぃ!!」

「でも、仕方なくない? 馬車に揺られてたら遠くで剣撃の音が聞こえてきて、遠見とおみつつを覗いてみれば攻撃磨法の発光と一緒にワイバーンと戦ってる冒険者が見えちゃったんだもん!」


「だもん! ……じゃあないっての! 冒険者だってどこかで受けたクエストを攻略してただけかもしれないじゃない!」

「いや、あれは違いましたー。十人近くいた冒険者はみんな深傷ふかでをおってましたー。だから、ここは俺が何とかしてやるぜっ! 的なノリで首突っ込んだだけですぅー」

「なにふてくされてんのよ、意味分かんない! て言うか、ノリと勢いで首突っ込んでんじゃないってーの! あーもう! 馬車に乗るのだってただじゃないのよ?! それを急に飛び降りて……走り出したと思ったら遠くのワイバーン目掛けて全力投石とか──あり得ないわよ!」


 ニーポはムキャーッ! と暴れだしたい気持ちをぐっと押さえてアグニの頭にしがみつく。自身妖精なのだから空を飛ぶことも可能だが、今は一人になりたくないからアグニの頭にしがみつく。いや、だって、もし空を飛んで自分一人が標的になったら……そう考えるとゲロ吐きそうなほどおっかない。


「っていうかアグニ! そろそろ大丈夫なんじゃないの!?」

「はぇあ!? 大丈夫ってなにが? もういない? ワイバーン、もういない?!」


「ちっがうわよ、バカアグニ! あんたが自分で言ったんじゃない! ほら、走り出す前に『周りに人目がなくなったら合図をくれ(キリッ!)』ってぇ!! もう見えないわよ、馬車も冒険者も。あたしたちしかこの平原にはいないわ、よ……っていうかなにこれ、広大な平原に孤立してるこの感じ。ちょー怖いんですけどぉ!? ワイバーンってドラゴンの下位互換だからあんまり怖くなさそうなイメージだったけど、実際ちょー怖いんですけど?! もぉー、ホントになんとかなるんでしょうね? 助かるんでしょうねぇ!? て言うかダズゲナザイヨー!!」


 それはニーポが涙目になった時だった。


 アグニは突然ブレーキを掛ける。


 地面を削り、時速換算で100キロほどの速度を一気にゼロにしたのである。追い掛けていたワイバーンも、獲物の急な行動に思考を遮られたのか、アグニの動きにつられて空中で姿勢をとどめて伺う様子。


「そっか。なら、もういいか……」


 転瞬──ドクンッ、とアグニを中心にして何かが広がった。目に映らない黒さが波紋のように空間を侵食し、一瞬にして空気を塗り変える。まだ日も頂点に昇りきらぬ時分に広がる闇に等しき波動が、惑星ほしの重力にまで影響を与えたかのように他者の呼吸までをも圧迫し始める。


「メリッサ母さんや、ジーグ父さんに言われて育ったんだよ。こんな世の中でも、人を助けられない人間にはなるなって。俺がどんな経験をしたかを知って、どれだけ傷ついたかを知っていても、ここまで辛抱強く色々なことを教えてくれた両親が、言っていたことの一つなんだよ」


 アグニはそっとニーポを自分の頭の上からおろすと、くらい眼光をワイバーンに向ける。


「だから首を突っ込んだ。冒険者が良い奴だとは思わない。本当は、ワイバーンの方が犠牲者なのかもしれない。冒険者なんだから、クエストの最中に命のやり取りがあって当然で、本来なら助ける必要なんてないんだろう」


 でも──アグニは脳裏に焼き付いた映像を、無意識に過去と重ねる。


「十人近い冒険者が戦ってた。遠見の筒からは結構なレベルの冒険者に見えた。けど、十人のなかで生きていたのは三人だけだ……あとの奴らは身体が食い千切られてた。みんな、一ヶ所だけを齧られるように、だ」

「それって……!」


 ニーポから伝わる驚き。ニーポの気付きを、アグニは肯定する。


「ああ、コイツらは遊んでた。人を食い散らかすことで──。確かに、きっとワイバーンは悪くない。人の生活圏に侵入したところで、人だって何者かからその土地を奪って住み着いた略奪者なのは間違いないんだ。だったら後からワイバーンが人を襲って、その土地を奪うことがあってもワイバーンを恨むなんておかと違いだ。──けど俺は! 奪う命で遊ぶことだけは許しちゃおけねぇんだ!!」


 ドロリと溶けグツと煮える視線。あるのは正義などではない。ただの怒りということでもない。たったひとつの感情が人間の行動を決定付けるなんて、あるはずがない! 怒りも、悲しみも、悔しさも、子供時分の過去から今現在に至るまで。全ての経験が複数様々複雑に絡みに絡んで、その拳を強く握らせるのだ!


 アグニはポケットから石を二つ取り出した。クリアグリーンに輝く風石。馬車のなかで彫り込まれた精緻な電子回路のような磨法陣が、流し込まれる磨力に反応して石を輝かせる。


「さあ、行くぞ! 硬鱗飛竜ワイバーンだかなんだか知らねぇが、空飛ぶ蜥蜴なんざ石ころだけで充分だ!!」


 アグニが吠えるのと硬鱗飛竜ワイバーンが行動を再開するのはほぼ同時だった。


 野性を生きるワイバーンの強靭な体躯がアグニに迫る。磨法で肉体を強化したアグニは投石ホームに入り──直後。


「──────ッッッッ!!」


 投げられた石が硬鱗飛竜ワイバーンにぶつかる寸前で大気をあらゆる方向に引き裂き、対象を粉微塵に粉砕した。


「……」

「……」


 その場に残るのは、口をあんぐり開けて呆けるニーポと、大平原の広範囲を凄惨な事件現場みたいな状態にしたアグニ。


 後に『極一する颶風Barn Storm』と名付けられる磨法はこうして生まれ、そして──。


「内蔵が……あちこちに……ぅぷっ! おげぇええぇ、おろろろろろらろらろろろろろろろろろろーッッ!! ……やりすぎ、ちゃった……げぼげろおろろろらろろろろろろろろろろろろろろろろろーっ!!!」


 生みの親のアグニを、ゲロンチョアグニ君に変えたのだった。


「って、ちょっと! なに、え!? なんで吐いてんのよ!! 確かにちょっと極悪な光景だけど! 内蔵や脂肪がリアル&グロテスクだけど! しっかりしなさいよ! ああもう、バカアグニー!!」


 実はこの後、ニーポもモライゲロンチョする羽目になるのだが、そこは乙女のなんやかんやを守るために割愛させてもらいたい。だって、いくらミニマム妖精ニーポちゃんでも、女の子なんですもの……ッ!

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