第6話

 磨法鉱石の採掘が盛んだったらしい。


 そうアグニが耳にしたのは、皇帝国と聖法貴国とを繋ぐ洞窟のなかだった。


「この二国間を隔てるアノリス山脈は良質な磨法鉱石、通称『磨石』が採れるのよ。だから、少し前の時代では帝国と聖国で採掘権を争ってよもや戦争も、って所まで行ったらしいわ」

「それなら本で読んだ。けど、磨石の採掘中に大きな事故があってどっちの国も先を争うより採掘範囲をきっちり決めた上で、互いに不干渉に徹したって」


「それも一度や二度じゃなく、何度も事故ったらしいのよね。なんでもその事故ってやつが、両国の無作為な掘削が原因で崩落が頻発したからだっていうんだから、人って愚かよね」

「まあ、計画的に掘っていっても崩落する危険性があるのに、山の両側から競って穴をあちこちに伸ばしていけば、それはね。でも──」


 言いながらアグニは、洞窟の壁に等間隔でぶら下がるランタを少し揺らした。


「そのときの採掘ラッシュで見つかった磨石のひとつ、発光石があるから、俺たちはこうして暗い洞窟のなかを松明片手に潜らなくても済むわけだ」

「まあ、ね。地面に転がってる透き通る緑色の鉱石──風石ふうせきもその時に見つかったものよね。弱い気流を作り出すなんでもない磨石も、洞窟の中の淀みがちな空気に動きを与えて、あたしたちが酸欠にならずに済むようになってる。この二つのお陰で、洞窟観光なんてあたしにはなにが面白いのかわからない事業も、帝国じゃ始まったし。──意味のないものを楽しむって、人以外にはあまり見ない習性よね」


「習性とか言われるとモヤるな」

「そう? 自分達が他の生き物とは違う高尚な存在だなんて考えてるのひと種だけじゃない。自分も動物だ! っていう奴だって、どうしてか豚や蝿と同列に言われると怒るし」


「そう言われると余計にモヤるな」

「ふん。所詮は自意識ばっかりの低俗な生き物って訳よ。もちろん、低俗であることと高尚であることは反発しないけれどね」


「さらにモヤるから、小難しいこと言わないで」

「頭を使いなさい、アグニ。そしてあたしが目的地に着くまで楽させなさいよね!」


 そう言うニーポはアグニの頭の上に寝そべりながら、アグニの瞳を覗く。なにがそんなにご機嫌なのか、笑顔満点フルチャージである。……いや、若干ニヤツキ感が見えるから満点ではないかもしれないが。


 さて、皇帝国から聖法貴国までの洞窟探検的道のりは、血沸き肉踊るような活劇じみた冒険ではなかった。そもそも、発掘で広がった洞窟だ。モンスターなんているはずがない。壁には明かりが用意され、空気に淀みがないように空調も効いている空間だ。歩いて十五分もすればお隣の国、聖法貴国に到着する。


 と、言っても。


 きちんと道順通りに進めばという但し書きは、どこの街道を進んでいるときにも付き物ではある。そう、例えば。道順を知らせる案内板が老朽化で折れ曲がっていて、示す矢印が他の道を指しているなんてことさえなければ、道に迷うなんて万に一つもない。或いは、洞窟を毎日のように行き来する行商人が近くにいれば、その後ろを着いていくだけで看板なんて見ることもなく通り抜けられる程度の洞窟が、アノリス山脈にあるトンネルなのである。


 でも、そんな不幸や時の運が偶然重なるとどうなるのか?


 それは、三十分ちかく歩いた結果、明かりが途切れた場所で立ち尽くす男の頭上から上がった声が、簡潔に説明してくれた。


「完っ全に迷ってるじゃないのよ、これぇ!」

「そうみたい」 


 目の前に広がる闇は、どこまで続いているのかわからないほど深く暗い。

 そんな、踏み入れたら体に這い上がってきそうな闇の手前で、アグニは頭を掻く。


「いやー、道間違っちゃったね、ニーポ」

「間違っちゃったね……じゃないわよ! どーすんのよ!」

「どーするって、そりゃ戻るよ?」

「ちゃんともどれるんでしょうね!? 人間の無策が産み出したこの蟻の巣みたいな洞窟から、無事に出られるんでしょうね!?」

「まあ、落ち着きなよ。落ち着いて、まずは俺の髪の毛を貴族が悔しいときに噛むハンカチみたいにしないでくれると嬉しいな」


 アグニは頭の上で暴れているニーポを肩の上に移動させて、荷物を漁る。ボンサックから取り出されるのは……、


「テレテレッテテー。未知知みちしるベー!」


 何処かで聞いた覚えもない記憶から再生される聞き馴染みのある音程を口走りながら、アグニは手のひらサイズの三角錐をニーポに見せた。クリスタルのような材質の三角錐の中には、光るなにかが入っている。


「それが道しるべ……?」

「違う。未知、知るべ」

「は……ギャグ? ねぇ、こんな時にギャグなの? バカなの? チヌの?」

「やめて。ネーミングセンスが壊滅的なのは自覚してるから。そこは流して。可愛い女の子からそんな目を向けられたらちょー怖くてガクブルしちゃうから」

「かわっ……ま、まあ、良いわよ。別に名前がどうのって場合じゃないものね。で、一体それはなんなのかしら?」


 ニーポはほんの僅か頬を染めて先を促した。こんな時にも『可愛い』に反応しちゃうのは女の子なら仕方ないのだ!


「このアイテムは俺が作った『迷子になっても近くの村まで案内してくれる』ものなんだ。まあ、言ってみればコンパスだね」

「コンパスって、方位磁石ってこと?」


「それを磨法によって改造した、って言った方が近いかな。そもそも、方位磁石は方位を知るためのものでしょ? じゃあ、コンパスを使って方位を知るのは何のため?」

「目的地に向かうためよ。そんなの常識じゃない。バカにしてるの?」


「バカになんてそんな。でも、目的地に向かう為っていうのはその通り。だったら──直接目的地を示すアイテムがあったらはやくない? みんな迷子にならなくて済むじゃん。寂しくないじゃん! って思って作ってみたのがこれ。ほら、今も中の光点がひとつ所で点滅してるでしょ? 光が点滅する方向に向かえばどんな場所でも脱出できちゃう優れ……」

「ポヘ……ェ」

「……って、あれ。ニーポ? どうした、口から魂はみ出した顔して」


 アグニからは自分の左肩の上でポカンと口を開けているニーポの少しだらしない顔が見えていた。


 さて、ここで。何でニーポがだらしない顔をしているのかという理由に迫るわけだが、思い出して欲しい。磨法とは何であったか。そう、この世界で磨法とは技術体系として根付き、生活に浸透しているものである。だからその技術に対して魔法の字をあてず、研磨の磨をあて、磨法という言葉になったのだ。


 確かに、磨法は想像力が発動の肝になっているものだが、想像力とは空想の力ではなく、現実に則した知識が大本になって生み出されるものだ。



 故に、1マイクロ単位でも『己への疑い』があれば磨法は現実に発現してくれない。無意識に疑ってもダメ。特に新しい磨法を作り出そうとする時、一度でも失敗した磨法はそのあと何度挑戦したとしても成功してくれなくなってしまう。失敗したという記憶が、成功への想像を邪魔するからだ。


 だから、この世界に浸透する磨法は先人が遺した宝も同然。磨法研究も盛んに行われてはいるが、既存のもののバージョンアップが関の山で、新開発・新商品など生まれることは殆どない。


 それを、だ。

『作ってみた』である。


 ニーポは、アグニの軽さに開いた口が塞がらない。けど、いつまでも締まらない顔をしているわけにもいかず、大きく息を吐き出すとかぶりをふった。


「アグニ……」

「どうした?」

「あんたはバカみたいに賢いわね」

「バカなのか賢いのか」

「どっちもよ──はぁ」


 実はとてもすごいことをしてるアグニだが、それがどれほどすごいことなのか、言葉にしようとすれば万の言葉を用いなければならないからニーポはため息をはく。


 ──想像力は空想力じゃない。子供が自由な発想をしているように見えるのは、AとBの関係性を無視しているに過ぎないから。だから、事実を知識として保持しなければならない磨法は、子供には使えないし、雨が飴に変わることもない。


 けど──と、ニーポはアグニの肩の上からソレをみやる。


 ──いまアグニの手にあるものはその法則に当てはまらない。まるで、を元にして生み出されたみたいに……。


 肩から頭によじ登るニーポはそこに寝そべると、ペチペチアグニの額を叩いた。


「ほんと何者なの、アグニって」

「何者といわれても、アグニさんはアグニさんでしかないのよな」

「ふん、変なの」

「そう?」

「そうよ。変なアグニ」


 ヌフフ、と妙な笑いかたをするニーポ。アグニも悪意のないニーポの笑い声に口許を緩ませる。


「さぁて、行きますか」

「ええ、出られるのならさっさと出てしまいましょう。もしあたしが閉所恐怖症になったらアグニのせいなんだからね! れっつらゴーよ、アグニ!」


 そんな掛け声に笑うアグニは『未知知るベー』を片手に出口を目指して足を出した。


 そして十五分ほどを手にした道具のナビに従って歩けば、視界の先に洞窟の出口から漏れる外の光を目にすることが出来たのだった。

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