第1.5話
死を待つ者がいた。
死を望む者がいた。
死を願う者がいた。
それは神という存在への呪詛。
産まれてしまった己への怨嗟。
生物として何故そう造られたのか分からない。だが、彼女たちは雌雄を持たない種族だった。
いや、違う。
雄が産まれることのない種族。雌のみで種の鎖を連綿と紡ぐ種族だった。
しかし、彼女は単為生殖で次世代に子を残していくような、魚類や爬虫類や昆虫類でもない。
彼女は人類の近傍種──ヒューマノイドだ。エルフやドワーフ、種々様々な獣に似た特徴をもつビースト属と同じ、
肉体的特徴として他種族より体が小さく、けれど俊敏であり、産まれてから死ぬまで幼い容姿を維持する種。
そう、単為生殖生物や自己増殖する菌類とは違い、小配偶子が必要な種であること──それが彼女ら種族を社会の中で貶めた。
彼女らが子をもうけるには、他種族から子種を分けてもらう必要がある。ヒューマン。ドワーフ。エルフ。どんな種族が相手でも妊娠し出産できる特異性。遺伝子がとても柔軟で、それこそ鳥人や魚人が相手でも子を残せる。生物としてひとつの行き着く先の様にも思える種族。
しかし──雌しか存在しない種が、雌しか出産できない種が、それも自らの種族のみの外見的特徴しか産めない種が、血というものに『価値』を見出だす社会の中でどう扱われるのかなど、考えるまでもない。唯一、その雄が何者であったのかを示すものは身体の何処かに現れる小さな痣だけ。
ならば──農家の血。鍛冶屋の血。聖職者の血。商人の血。貴族の血。王家の血。貧民から王公貴族、果ては魔族まで。それだけじゃない。各家庭の個人に冠された名に至るまで、人々に力を与えている『○○家の血』。そんな世界で、雌しか産めないのに他種族の子種だけは欲しがるとなれば、その扱いに遠慮などなくなる。
だから彼女らは、姿を隠した。
人類から、他のヒューマノイドから。
森に山に、洞の中に身を潜ませた。
その小さい肉体を。
死ぬまで幼い容姿を。
闇に溶かした。
自身に唯一備わっている俊敏性を最大に活かして生き長らえ、いつの時代にも絶えない戦場を大砲の硝煙燻るなかを歩いて、死にかけの戦士を犯して子をもうけ、その肉を食らって空腹を満たしながら生きてきた。
それは未来への希望などではない。
生物が持つ根源たる願望。
種の保存。
死が恐ろしい。
自死すら許さない強烈強固な生物学的本能こそが、彼女たちが進化の末に手にいれたもの。惨めさを両手で抱えて未だ足りないほどの感情を胸に押し込めて、涙をこぼしながら瀕死の戦士を犯して食らう彼女ら。
そしてそれは、時に目撃された。
夜の戦場で瀕死の戦士を犯して食らう化け物として。呪詛のようにあめきながら、新月のマントを羽織り、戦士の上で踊り泣く怪物として。
故に彼女らは、その不気味さからいつしかこう呼ばれるようになった。
──
だから彼女は死を待っていた。
だから彼女は死を望んでいた。
だから彼女は死を願っていた。
「ああ、正義の神がいるならどうか私を殺してください。こんなにも悪いことを、たくさん、たくさん、たくさん、たくさん、たくさん、たくさん、たくさん……したのですから……ッ!」
石造りの堅牢な牢。人ひとりがようやく入れるような縦穴の底で、その祈りは凝った空気に混じる。
「物を盗みました。嘘をつきました。人を堕落させ、罪を着せ、父に子を殺させ、母に子を犯させ、最後に私が殺しました」
罪の告白。それが何者かに強要されたことだとしても。肌が擦りきれるほど強く腰を打ち付けられ、そうやって身籠った体に拳を叩き付けられまいと、その嘘を何度も信じてしまったためだとしても。
「ああ、正義の神よ。私のような悪行を何故許しておられるのです。早く私を殺めてください。それでも生きたいと思ってしまう卑しき私を、惨たらしく引き裂いてください。魂をゲヘナへと投げ捨てて、永遠の炎で無窮の苦痛をお与えください」
痩せた身体には無数の傷があった。生き物として輝くはずの瞳の奥は絶望に食いつかれていた。自身の感情とは無関係で、己の意思とは解離していて、男も女も区別なく差し出される手は無類の痛みを伴っていた。
「どうか、どうか。糞尿にまみれ、ヘドロを塗り込んだような私の魂に、一縷の慈悲を、惨憺たる死を、お溢しください……私は子を殺したのです。私は子を食らったのです──おお、正義の神よ! 私に死を! 無惨に引き裂かれ、蛆集る最期を世に晒すとしても! 私のような
小さな体で。
幼い容姿で。
彼女は願う。
毎夜、人がひとりようやく入れる穴ぼこの底で、
圧倒的な死を。
惨たらしい死を。
無惨極まった死を。
けれど、夜は明ける。
彼女の願いなどなかったように。
彼女は思う。幾度の夜を越えただろうか、と。
石造りの壁には多い尽くさんばかりの罰の印。
ひび割れた唇と、艶のない髪と、その容姿には見合わないボロボロの瞳で、彼女はそれを見上げる。
──ああ、今日も赦されなかった。
罰の印はもう彼女には数えきれないが、そろそろ二千に届く。それだけの長い間、彼女は夜にあめいていた。彼女にとっての本当の夜明けを、待ち望んでいた。
そして空が白み、小鳥のさえずりが届く頃。
足音が聞こえる。
彼女の耳が捉えた、始まりの音。
次いで重たい鎖の音が地面を這う。小さな肉体のその細い首に巻かれたゴツゴツした輪に、気味の悪い振動が伝わる。
穴の淵にとまる足音の主は乱暴に鎖を引っ張って、怒鳴るように、何処か下卑た響きを持つねっとりとした声を張り上げた。
「朝だ、メスガキ。乾く間のない股ぐらを引っ提げて、今日も
首にはまったゴツゴツした首輪に力が加わり、首吊りのような格好で穴から引き上げられる彼女は、そこでも窒息寸前まで続く緩やかな引き上げに耐える。
地上に上がったときには小便を漏らし、胃液を吐き出して噎せ返り、ついでのように蹴りを入れられて、それでもノロノロなどしていればさらにひどい目に遭う事を知っているから、行動を開始する。
目の前に投げ棄てられるように紙切れが落ちてくれば、そこに今日のターゲットが記されていた。
「晩の祈りまでに事を成せよ、ゴブリン。大司教様に拾われ、お情けまで頂いている身に感謝しながら、大司教様の為にご奉仕してこい」
彼女の一日はこうして始まる。
何を言われても、何をされても、飼い主に敵意や害意を向けてはならない。厳つい首輪に埋め込まれた輝石に封じられている『
だから彼女は、今日も。
己れに対して呪詛をはく。
──今日こそ、卑しきこの身に無惨な滅びを。
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