第16話仇討ち商売と高級文官登用試験

「この度は助太刀ありがとうございました。

 感謝の言葉もございません。

 これは些少ではございますが、御礼の気持ちでございます。

 ご笑納ください」


 母親か姉から教えられたのだろう、丸暗記したと思われる内容を、必死で話すアンドレアスの姿が可愛らしい。

 もう十歳の男子で、形だけ成人させているが、まだまだひ弱い。

 普通なら従騎士として、父親も下で正騎士になるべく修業を始める年頃だ。

 だがここで父親を殺された不利が出てしまう。

 親身になって庇ってくれる者もいなければ、教えてくれる者もいない。


 我が家が騎士家なら、アンドレアスを預かってあげるのだが、家は足軽でしかなく、何の助けにもなってあげられない。

 ゾルムス伯爵家内に信頼できる騎士家があれば、そこに頼むこともできるのだが、そんな騎士家があるのなら、あれほど仇討ちに困る事はなかったのだ。

 腹の立つことに、親戚ですら関わり合いになる事を避けていた。

 

「気を使っていただいてありがとうございます。

 遠慮せず納めさせていただきます。

 少し心配なことがあるのですが、アンドレアス殿を従騎士として預かってくれる騎士家はあるのですか?」


 人助けした時の御礼は遠慮せずにもらう、エルザ様に教わった事だ。

 相手に恥をかかさないようにするのも、貴族士族の礼儀だと教わったのだ。

 それを守りつつ、思い切って心配に想った事を聞いてみた。

 余計なお世話かもしれないが、聞いておかないと今夜眠れなくなってしまう。

 

「あの、その、姉上、母上」


 アンドレアス殿には可哀想な事をしてしまった。

 不意に練習していない事を聞かれても、わずか十歳のアンドレアス殿に、適切な返事ができるはずがないのだ。

 狼狽する姿を俺に見せるのは、とても恥ずかしかっただろう。


「ご心配していただきありがとうございます、バルド様。

 幸いな事に、エルザ様の格別のご厚誼で、シュレースヴィヒ伯爵家のアルベルト・リッター・クライン様がアンドレアスを指導してくださるそうなのです。

 もし次のゾルムス伯爵が問題のある方だった場合は、シュレースヴィヒ伯爵閣下がアンドレアスを騎士に取立ててくださるそうでございます」


 アンドレアス殿とゾフィー殿の母親、アグネス様がうれしそうに話してくれる。

 アグネス様のその気持ちは理解できる。

 できる事なら、問題が起きてシュレースヴィヒ伯爵家に移りたいのだろう。

 それくらい、親類を含めてゾルムス伯爵家の騎士達に嫌な思いをさせられ、信用できなくなっているのだ。


 それはそれとして、まだ暗闘が続いている事が分かってうんざりする。

 恐らく、ゾルムス伯爵家には三大宮中大公家の誰かが当主として飛ばされ、シュレースヴィヒ伯爵と敵対を続けるのだろう。

 恐らくコンラディン家の子弟は謹慎処分になるから、リウドルフィング家の子弟の誰かになるだろう。


 その新当主が、仇討ちで有名になったバルク家を不当に扱い、アンドレアス殿がシュレースヴィヒ伯爵家に主君を替えたら、新当主の評判は地に落ちる。

 そこまで計算して、全ての準備を整えていたとしたら、シュレースヴィヒ伯爵も結構な陰謀家だと思う。

 俺にはとても真似でいない事だ。


「本当にありがとうございました。

 色々とご心配していただき、ご厚情感謝の言葉もありません。

 これからも宜しくお願い致します。

 バルド様も無理はなされないようにしてくださいませ」


 俺が余計な質問をした所為で、覚えていたことが飛んでしまったのだろう。

 帰りの挨拶は母親のアグネス様がしてくださった。

 アンドレアス殿が少し落ち込んでいるようなので、本当に申し訳なく思う。

 まあ、俺も弱年だし、少々の失敗は許してもらうしかない。

 俺だって想定していた人生から激変してしまっているのだ。

 色々と失言もすれば、失敗もする。

 それが当然だと、自己弁護する事が増えてしまった。


 最後にアグネス様が俺の事を心配してくださっていたが、全てはシュレースヴィヒ伯爵の陰謀と、エルザ殿の何も考えていない好意の所為だ。

 エルザ様は、俺の名を売る事が、不正を打ち破る最良の方法だと思っている。

 だから毎日のように仇討ちの話を持って来てくださる。

 その所為で俺は勉強する間もなくなり、闘技場で仇討ちの助太刀を繰り返す。


 まず間違いなく、エルザ様の裏にはシュレースヴィヒ伯爵がいる。

 シュレースヴィヒ伯爵は、エルザ様と俺の名を売る事で、何か利があるのだ。

 十中八九世論を味方につける事だと思うのだが、他にも何かあるかもしれない。

 それが俺の命にかかわらない事ならいいのだが、宮廷の権謀術数に情などないとフォレストが断言するので、心配でたまらなくなることがある。





「バルド様、一大事でございます。

 高級文官登用試験が延期になりました。

 それに従い、高級武官登用試験も延期になります」


 フォレストが調べてくれてきたことを教えてくれたが、青天の霹靂だった。

 まさか、高級武官登用試験ではなく、高級文官登用試験が延期になるとは、思ってもいなかった。

 フォレストの話を詳しく聞いて、その理由が分かったが、両閣下の不退転の決意に、少々恐怖を覚えた。


 まあ、今上陛下が今回の不正を激怒されているという噂が漏れ聞こえてくるから、その怒りに後押しされての事ではあるが、毎年の上級文官登用試験でも不正があってことを前提に、上級文官登用試験を合格しているにもかかわらず、今上陛下の口頭試問を辞退した者を再試験するなど、宮中を大混乱させる断行だ。


 これを断行する前に、世論を味方につけて、反対し邪魔するのが確実な貴族連中を潰したのだろう。

 特に、旗頭になるコンラディン宮中大公家とリウドルフィング宮中大公家を、先に解体したのが大きい。


 シュレースヴィヒ伯爵には反対できても、激怒する今上陛下に反対はできない。

 下手に反対したら、今上陛下に不正に加わっていると思われてしまう。

 まあ、ほぼ間違いなく不正に加わっているのだが、全体的に疑われているだけと、今上陛下に不正したと目をつけられるのでは天地の開きがある。


 コンラディン宮中大公家とリウドルフィング宮中大公家が健在ならば、今上陛下の従弟という立場を盾にとって、自分達が疑われずに反対が可能だったろう。

 だが両宮中大公家は解体されてしまった。

 今残っている宮中大公は、ルイトポルディング宮中大公のヴィルヘルム卿だけで、しかも皇位に全く興味がなく、日々安楽に暮らせれば十分という人だそうだ。

 お気に入りの近臣さえ無事なら、シュレースヴィヒ伯爵と敵対はしない人らしい。


 結局、上級文官登用試験で不正していた者が、一斉に摘発逮捕された。

 宮中の上級騎士職が務める文官職が、ほぼ全員処分された。

 普通なら宮中の事務が大混乱するはずなのだが、全く問題ないらしい。

 いかに名門功臣士族家の子弟が、名ばかりの存在だったか分かる。

 実際の仕事は、本当に能力のある卒族や下級士族がやっていた証拠だ。


 毎日のように、今上陛下が、最近高級文官登用試験と上級文官登用試験に合格した者を、直々に再試験していると聞く。

 それが口頭試問だというから、以前の俺のような小心者の場合は、実力が発揮できないという心配もあるが、普通は大丈夫だそうだ。

 何と言っても謁見権がある上級士族の子弟だ、幼い頃から宮廷行事に出席して、場慣れしているそうだ。


 だから毎日のように、何十もの名門功臣士族家が処分されたという噂が流れる。

 実際に上級士族街では、屋敷から出ていく家が多い。

 父子で不正を行っていたことが証明され、官職を剥奪されたうえに皇都追放処分となり、縁戚の領地持ち貴族士族を頼って地方に落ちていくそうだ。

 自業自得とはいえ、哀れなものではある。


 まあ、お陰で俺が勉強する時間が増えたともいえるが、最初から今年は合格できるとは思ってもいなかった。

 それに実際問題として、勉強時間が極端に少なくなってしまっていた。

 今も相変わらずエルザ様に追い立てられ、仇討ちの助太刀をしている。

 助太刀の日ではなくても、敵を追い詰めるための調査に駆り出される。

 それがなくても、実戦形式の鍛錬に追い立てられる。


 俺にだって、幼い頃から父上や御爺様に鍛えられてきた自負がある。

 いや、父上や御爺様からだけではなく、フォレストたち忍者からも鍛えられているので、並の騎士には勝てると思っている。

 だが、エルザ様には全く歯が立たない。

 まるで赤子のようにあしらわれてしまうのだ。





「畏れ多くも今上陛下直々の御下問である、謹んで答えるように」


 今思えば、直接今上陛下と話したのかどうか定かではない。

 侍従長か、それとも侍従の誰かだったのか、それすら定かではないが、今上陛下に代わって俺に質問していたような気がする。

 顔も覚えていないし、声の特徴も覚えていない。

 覚えているのは、口頭試問の場にシュレースヴィヒ伯爵マクシミリアン卿と、イェシュケ宮中子ウィリアム卿がおられ、温かい視線を送ってくださっていた事だけだ。


 まあ、最初から合格できるなんて思ってもいない。

 場慣れできるまで、毎年受験すればいいと思っていた。

 十八歳で何か御役目をもらい、それから十年二十年かけて、合格できれば運のいい方で、普通は名門功臣貴族家や、名門功臣士族家の縁者が、四十代五十代になってようやく合格できるかできないかの難関試験なのだ。


 そういう意味では、仁君だったと平民たちから追慕されておられる、八代目皇帝陛下がカロリング諸王から皇帝を継がれた際に、父親が近臣として皇城に入り、下級士族として皇国直臣となったのがシュレースヴィヒ家だ。

 その立場から、実力で高級文官登用試験に合格された、シュレースヴィヒ伯爵の智謀が計り知れない。


 イェシュケ宮中子も高級文官登用試験に合格されているが、実力で合格されたかどうかは分からない。

 本人や家族が不正に加担していなくても、家臣たちが勝手に不正を行っていた可能性もあれば、取り巻きが忖度して合格させた可能性もあるからだ。


 まあ、最後の最後、今上陛下の口頭試問は、多くの重臣護衛がそろっている、衆人環視の前で超難問をだされるのだ。

 不正で高級文官登用試験まで上がってきた者に、答えられるはずがない。

 まあ、問題が事前に漏洩している可能性もあるが、一問は今上陛下が直々に考えなければいけない建前だから、余りにも回答がおかしければ疑われる。


 だからこそ、高級文官登用試験の筆記で合格したことになっている不正者は、口頭試問を畏れ多いと言って辞退していたのだ。

 家格を満たした者なら、上級文官登用試験に合格した時点で、高級文官登用試験を辞退するのだ。

 それが怪しくて、多くの者が再試験となり、家を潰すことになっている。


 まあ、俺は不正なんてしていないし、小心でしどろもどろになっているのは、誰が見ても明らかだったと思う。

 答えられたのか、答えられたとしても、なにを答えたのか、全く覚えていない。

 だから合格するなんて全く思っていなかった。


 なのに、なぜ合格してしまったのだ?!

 全く訳が分からず、聞いた直後は硬直してしまった。

 まあ、合格したとしても、官職が与えられるとは思ってもいなかった。

 俺はまだ十四歳の若輩で、登用される最低年の十八歳になっていないのだ。

 だから合格の知らせがあっても、余裕を持っていたのに、明日皇城に登城しろなんて、あまりにも急過ぎる。

 宮中貴族に相応しい衣装なんて持っていないよ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る