第6話騎乗訓練と報復合戦

「頼もう、頼もう!

 バルド・フォン・アルベルト殿は御在宅か?

 シュレースヴィヒ伯爵の騎士、エルザ・リッター・クラインと申す。

 ぜひ話したい事があって来た、お取次ぎ願いたい」


 中級武官登用試験の合格が発表された翌日の早朝、まだ日が明けて間もない時間に、馬を駆ってエルザ様が我が家を訪問された。

 もう起きていたの迷惑だとは言わないが、流石に驚く。

 いったい何事が起ったのかと身構えていると、可憐な容姿に全くそぐわない、ずかずかという表現がぴったりとした歩き方で、アーダに案内されて俺の部屋までやってこられた。


「おお、もう勉強しておられたのか。

 そういえば、中級文官登用試験にも合格されていると言っておられたな。

 文武両道とは感心感心。

 だが武人の本分は武芸だ、私が相手をしてやるから鍛錬をしようではないか」


 口に出して有難迷惑とは言わないが、内心の気持ちは嘘偽りなく迷惑だ。

 上級武官登用試験よりもが一カ月も前に、上級文官登用試験が行われる。

 それに俺は文官になりたいのだ。

 軍事政権の皇国では、圧倒的に武の方が重んじられているのは分かっている。

 だから、エルザ様が親切で教えてくれようとしえいるのは十分理解できる。


 だが、武が重んじられている分、文官枠の方が採用されやすいのだ。

 アルベルト家のように、皇室皇国に眼をつけられている家は、文官の方がまだわずかでも役職を頂ける可能性があるのだ。

 何より、俺が人殺しに忌避感を持っている事が大きい。

 俺には武官は務まらないと思う。


「心配するな、大丈夫だ。

 皇国の馬場は借りれないし、無理に借りると直臣たちから恨みを買うが、シュレースヴィヒ伯爵家の馬場を確保してある。

 皇国の直臣であろうと、貴族家の馬場にまでは口出しできんからな」


 エルザ様の美貌と押しに圧倒され、しどろもどろの挨拶をしているうちに、何時の間にか、シュレースヴィヒ伯爵家の馬場で騎射の鍛錬をすることになっていた。

 自分の気の弱さに落ち込んでしまうが、恋する男の性と自分を慰めるしかない。


「エルザ様、この御厚情は決して忘れません。

 どうかこれからも見捨てずに可愛がってやってください」


 屠殺場に引き出される家畜のような気持ちといえば、大袈裟過ぎるかもしれないが、大切な上級武官登用試験の勉強ができず、騎射の鍛錬をさせられる身としたら、忸怩たる思いなのは確かだ。

 だが母上にとっては、とてもありがたい事なのだろう。

 エルザ様に深々と頭を下げ、御礼を言上している。

 母上だけでなく、屋敷に残っていた家族全員が一列に並び、異口同音に御礼を言上し、深々と最敬礼している。


「気になされることはありませんぞ、御母堂、ご家族の方々。

 バルド殿とは肩を並べて戦った仲だ、手伝える限りのことをさせてもらう。

 ああ、シュレースヴィヒ伯爵家の馬場は下屋敷の方にあってな、少々遠いのだ。

 通うのに歩いていては時間の無駄だから、しばらくは私の従騎士にする。

 普通の騎乗はできるのであったな?」


 あれよあれよという間に、俺はエルザ様の従騎士にされてしまった。

 戦国時代ならば、見所のある若者を、身分に関係なく従騎士にすることがあったとは聞くが、太平の世となった今では、全く聞かない。

 直臣陪臣にかかわらず、どの騎士家も経済的に大変なのだ。

 跡継ぎではない子弟の生末に頭を痛めているのだ。

 縁も所縁もない若者を従騎士にする余裕があるのなら、家を継げない子弟を従騎士にするのが普通なのだ。


「ふむ、なかなか見事な騎乗ではないか。

 付け焼刃ではこのような騎乗は無理だ、幼い頃から鍛錬してきたのだな。

 感心、感心、これならば上級武官登用試験も期待できるな」


 確かに、俺は馬術もそれなりに上手いと思う。

 怠惰に暮らしてきた貴族士族卒族には劣らないと思う。

 だが問題は、俺が小心者だという事だ。

 多くの採点役がいる上級武官登用試験では、緊張して実力が発揮できない。

 それが自分自身で分かっているからこそ、口頭試問のない上級文官登用試験に集中したかったのだ。


 それに、皇国の貴族士族も怠惰惰弱な者ばかりではない。

 誇りをもって文武に励む者もいる。

 能力のない子弟を廃嫡にして、一族一門の者に家を継がせる貴族士族家もある。

 小心者の俺が、そんな誇り高い者を超えて、よい成績を上げられるとは思えない。

 だが、心から俺を支援しようとしてくれているエルザさんに、やりたくないとは、口が裂けても言えなかった。


「手本を見せてやる、盗めるところは盗め。

 自分に合わぬと思ったところは、父祖から教わった技を極めろ」


 困った事に、シュレースヴィヒ伯爵家下屋敷の馬場には、多くの見物人がいた。

 小心者で見物人がいると実力が発揮できない俺には、試練の場だった。

 だが、上級武官登用試験のよい予行練習なのは間違いない。

 しかし、この鍛錬が毎日続けられるのには、本当に困った。

 あまりに激しい鍛錬だったので、自分の屋敷に帰っても、眠くて勉強にならない。





「今回の件は、色々と考えねばならない事が多くてな。

 エルザの話だけでは偏ってしまうので、バルドの率直な意見が聞きたい。

 ヤーコプは大金でバルドを雇おうとしたと聞く。

 何故断った、何故戦った。

 建国皇帝陛下の法に従う振りをして、ヤーコプに雇われた方が、安全で楽だし金儲けになったであろう」


 緊張で身体がガタガタと震える。

 なんでこんな事になってしまったのだと、今更どうしようもない事を、繰り返し考えてしまう。

 正直な気持ちを話す方がいいとは分かっているのだが、口がろくに動かない。

 だって、当然だろう、皇帝陛下を除けばこの国で最も権力を持っている、シュレースヴィヒ伯爵閣下から直接話を聞かれるなんて、誰が想像するんだ。

 俺は皇都警備隊足軽の孫でしかないんだぞ。


 だから、しどろもどろで、つっかえつっかえの話になってしまった。

 それでも、怒る事も呆れる事もなく、最後まで話を聞いてくださった。

 最初は全く気がつかなかったが、シュレースヴィヒ伯爵閣下の横に堂々とエルザ様が並んでいた。

 いったいどんな関係なんだと、嫉妬の炎が心に沸き起こってしまう。


「聞きたいと言ったのは余である、どれほど時間が掛かろうと、どれほど上手く話せなくても構わない、包み隠さず全てを話すがよい」


 何度もそう言ってくださり、小心者の俺から話を聞いてくださる。

 だから、上手く話せなかったけれど、自分の想いを伝えられた。

 建国皇帝陛下の盲人保護の政策を、とても素晴らしいと思っている事。

 だが、その政策を盲人が悪用している事。

 資金が皇国の貴族士族卒族の寄付なのだから、低利で貸すべきだという事。

 盲人が金を貸した士族卒族の妻女を売春宿の売るなど、死罪が当然だという事。

 そして、言うか言わない迷いに迷ったが、アルベルト家の誇りにかけて言わねばならないと、処刑を覚悟に口にした事。

 それは、下級士族と卒族が、シュレースヴィヒ伯爵閣下の政策による物価高で困窮しており、盲人金に頼るのもその影響がある事。


「よくぞ命を賭けて申した、天晴である。

 余もまったく同様に考えておるが、他に方法がなかったのだ。

 だが、諦めているわけではないぞ、新たな方法を考えておる。

 バルドが申したように、建国皇帝陛下が定められた盲人の保護は大切な法である。

 本来ならば、盲人が正業である歌舞音曲で生活できれば一番だ。

 だが現実には、皇都にいる三千七百ほどの盲人のうち、正業で食べて行けている者は七百ほどしかおらん。

 残り三千の盲人は、金貸しで生きておる。

 金貸し以外で盲人が暮らしていける道がないか、皇国は考えているのだ」


 俺の失礼な言葉を聞いても、シュレースヴィヒ伯爵閣下は怒りだす事もなく、真剣に聞いてくださった。

 そして真摯に答えてくださった。

 世評とは全く違う、民の事まで考えておられる、温かみのある方だと分かった

 手段を択ばず、王国をよくしようとされている事がよく分かった。


 だが、この姿も偽りかもしれない。

 この場で殺されなくても、後で暗殺されるかもしれない。

 それくらいの覚悟をして、シュレースヴィヒ伯爵閣下の政策を批判した。

 皇国の大臣筆頭の政策を批判するのだ、それくらいは覚悟して当然だった。

 アルベルト家が根絶やしにされるかもしれないが、戦国時代の名声を貶めないためには、口にするしかないと思ったのだ。

 とはいえ、正直小便をちびりそうになるくらい怖かった。


 だが、恐怖に耐えながら口にしたかいはあった。

 皇国の政策が大きく変えられたのだ。

 盲人が金貸し業を独占する権利は、建国皇帝陛下の定めとして引き続き認められたが、金利の上限が定められたのだ。


 盲人から借りる以外の方法、相対貸しといわれている、友人知人間の貸し借りでは、年間の利息が表向き一割五分となっている。

 だが、実際には、もっと高利息でないと借りれないのが実情だ。

 真っ当な下級士族や卒族には、もう友人知人に金が貸せる者などいないのだ。

 だから、どうしても、盲人から借りなければいけない。

 年利六割から十日で一割という、とんでもない利息で借りることになっていた。


 だが今回シュレースヴィヒ伯爵閣下が定められた利息は、年利五分という、信じられないほど低い金利だった。

 今迄は最も低い金利でも、一年間小金貨一〇〇枚を借りた場合、一年後には一六〇枚にして返さなければいけなかった。

 高い金利の場合は、十日間小金貨一〇〇枚借りたら、十日後には一一〇枚にして返さなければいけなかった。

 それが、一年間小金貨一〇〇枚借りても、一〇五枚だか返せばいいのだ。

 この決定に困窮していた下級士族と卒族は歓喜した。


 だが問題がないわけではない。

 一番の問題は貸す資金をどこから集めるかだ。

 今迄は凄く高い利息で金を貸していたので、表向き金貸しができない豊かな者達が、盲人に資金を貸していたのだ。

 さもしく汚いこと極まりないが、金に余裕のある貴族や神殿が、苦しむ皇国士族卒族を追い込む事になるのを知っていて、盲人に資金を貸していたのだ。


 だが、それも、シュレースヴィヒ伯爵閣下は解決された。

 悪質な高金利を取っていた盲人や、士族卒族の妻子を売春宿に売っていた盲人を、情け容赦なく処刑して、全ての財産を没収したのだ。

 その調査と処分は苛烈で、資金提供していた貴族や神殿を恐れさせていた。

 そのの調査と処分を実施したのは皇都警備隊だったので、その苛烈さを御爺様や父上から聞かせてもらっていた。


 ヤーコプ個人から没収された資金は、小金貨で一〇〇万枚を超えていたそうだ。

 処分された盲人全部の資金を合計すると、小金貨で四〇〇〇枚を超えていたというのだから、とんでもない金額だ。

 

 だが、これだけ資金を集められたのには、裏もあった。

 御爺様と父上の話では、盲人に資金を貸していた貴族と神殿を、シュレースヴィヒ伯爵閣下は脅迫されたのだそうだ。

 帳簿上盲人に資金提供していたことになっているが、これは借りていたの間違いであろうと、貴族と神殿を強請ったのだそうだ。


 もし貴族と神殿が金を惜しんで資金提供していたと言えば、建国皇帝陛下の定めを破ったとして、功臣譜代貴族家であろうと、有力な神殿であろうと、跡形もなく叩き潰されていただろう。


 そんな事は彼らも分かっているから、大金を失うことになっても、シュレースヴィヒ伯爵閣下の絵図通りに動くことになる。

 盲人に提供していた資金が没収されたのに加えて、同額を借りていた金として皇国に提出したのだ。

 そうしなければ絶対に許さんという、シュレースヴィヒ伯爵閣下の無言の脅迫に、渋々屈したのだ。


 シュレースヴィヒ伯爵閣下を怒らすのは危険すぎる。

 政策批判をした時、よく生きて帰れたのもだ。

 もう二度と、シュレースヴィヒ伯爵閣下が怒る可能性のある事は絶対にしないと、心の中で硬く誓った。


 だが、大損をさせられた貴族や神殿も、やられっぱなしではない。

 嘘八百の悪質な噂を流して、シュレースヴィヒ伯爵閣下の功績を悪評に転換させてしまったのだ。


 表向き小金貨で一〇〇万枚もの利益を蓄えていたというヤーコプだが、実際には小金貨で一〇〇〇万枚もの蓄えがあり、その大半をシュレースヴィヒ伯爵閣下が着服したという噂を流したのだ。

 いや、ヤーコプだけからではなく、処分した全ての盲人から、合わせて小金貨で一億枚もの金を着服したと言う噂を流したのだ。

 そんな悪質な行いに、とても腹が立った。


「フォレスト、仕事を頼みたい」


「シュレースヴィヒ伯爵閣下の悪評を流した貴族と神殿に、報復するのですね」


「分かってくれていたか。

 方法は問わない、徹底的にやってくれ。

 資金が必要ならば、大金貨十枚を使ってくれ」


「そんな必要はありませんよ。

 今回の件では、下級士族や卒族は大喜びしているんです。

 貴族や神殿が盲人に資金提供していた帳簿の写しを、瓦版の版元に流せば、それで全て解決です。

 金を使うどころか、情報提供料をもらえますよ」


「分かっているだろうが、この件にアルベルト家が係わっている事は秘密にしたい。

 貴族や神殿に恨まれては困るのだ」


「分かっております。

 間に幾人も挟んで情報を流しますので、御心配には及びません」


 どうやら俺は、シュレースヴィヒ伯爵閣下を尊敬してしまったようだ。

 清濁併せ吞む英雄というのは、あのような方を言うのだろう。

 あのような方を陥れようとする者に権力が渡ってしまったら、皇国が大混乱してしまうかもしれない。

 多くの民が、困窮することになるかもしれない。


 アルベルト家が復権できるように乱世を望むのなら、シュレースヴィヒ伯爵閣下が失脚するように画策すべきだろう。

 だが俺は、多くの民が飢えに苦しみ死の恐怖に晒される、乱世など望まない。

 俺の望みは、皇国の太平の世が長く続き、民が笑い暮らすことができる平和の中で、アルベルト家が復権する事なのだ。

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