第5話世評と中級武官登用試験
俺が人殺しに二の足を踏んでいると、エルザ様が飛び出してきてくださった。
情けない話だが、心底安心してしまった。
年上の騎士の方とは言え、女性に助けてもらって安心するなんて、男として最低なのだが、偽りのない本心だった。
「建国皇帝陛下と今上陛下の名を騙る不埒者!
シュレースヴィヒ伯爵家の騎士、エルザ・リッター・クラインが成敗する!」
そう宣言された時には、ヤーコプ配下のゴロツキたちが次々と殺されていた。
俺も慌てて槍を振るって戦いに加わった。
殺人を冒す忌避感を乗り越えられたわけではないので、どうしても殺さない程度の攻撃になってしまい、腕と脚を槍で貫く二度手間になってしまう。
一撃で首を刎ね心臓を貫くエルザ様とは大違いだ。
徒士街で傍若無人な借金の取り立てをするだけに、相手に逆らう意思をなくさせようと、二十数人で押しかけていた
そのうちの二十人近くをエルザ様が皆殺しにしてしまわれた。
その中には首魁のヤーコプもいて、盲人であろうと情け容赦されなかった。
その技の冴えは、憧れている俺でさえ恐怖を感じてしまうほどだった。
俺は人を殺すことができず、十人に満たないゴロツキに手傷を負わせて、無力化しただけだった。
「今から皇都警備隊に届けを出してきます。
御当主は支配頭に届けを出していただきたい」
「必ず支配頭に届けさせていただく。
あ、申し遅れました!
私は無役徒士のマックス・リッター・クリンガーと申します」
「私の方こそ自己紹介が遅れました。
皇都警備隊足軽、ヴィルヘル・フォン・アルベルトの孫。
バルド・フォン・アルベルトと申します」
エルザ様に見守られながらマックス様との挨拶を終え、俺はアルベルト家を管轄する皇都警備隊本部に事の次第を報告するために出頭した。
エルザ様は、本来は主君であるシュレースヴィヒ伯爵に報告し、シュレースヴィヒ伯爵から皇国に報告してもらうのだが、有り難い事に、俺と一緒に皇都警備隊本部に出頭してくださった。
ありがたい事に、この無礼討ちを見物していた徒士家の半数の方が、俺達と一緒に皇都警備隊本部に同道してくれて、証人となって証言してくれるという。
残る半数の徒士家の方も、当主が所属している騎士団や徒士団に出頭して、ヤーコプたちの無礼を証言してくださるそうだ。
マックス様も、無役徒士を管轄している人事省に行かれ、事の次第を皇国に報告してくださるそうだ。
徒士家の方々の心根が素晴らしいと言えればいいのだが、そうとも言い切れないのが人間の汚さで、心底にはアルベルト家と同じ思惑がある。
これもエルザ様のお陰なのだが、誰しも皇国家臣の中で最高の権力者、シュレースヴィヒ伯爵に知己を得たいのだ。
最低でも目に付けられたくはないのだ。
シュレースヴィヒ伯爵の騎士を名乗ったエルザ様に悪印象を持たれたくないのだ。
だが、お陰で、厳格な条件を満たす必要がある無礼討ちを、認めてもらえそうだ。
絶対に必要な、無礼討ちを行う必要があったという、正当性を証言してくれる証人を数多く得ることができたのだ。
証人がいないと、ヤーコプが口にしたように、士族卒族としての名誉を保った刑ではなく、罪人として斬首にされてしまう。
いや、それだけではすまず、罪人の家として取り潰され財産も没収されてしまう。
だからこそ、直ぐに証人が見つからない無礼討ちでは、家族家来友人が必死になって証人を探すことになるのだ。
それに、例え証人がいなくても、まずは担当の役所に届けなければいけない。
無礼討ちを行った者には、どんな事情で行ったにしても、人一人を殺した重みを知らしめるために、二十日以上の自宅謹慎が申し付けられる。
そして無礼討ちを行った際の武器は、証拠品として押収される。
それは騎士の証である槍であろうと、考慮される事はない。
「なんたることだ。
父上から伝令が来て覚悟はしていたが、本当にやってしまうとは思わなかった」
「そうだぞ、バルド。
御爺様から伝令は来ていたが、本当にやってのけるとは思わなかったぞ」
「申し訳ありません。
御爺様や父上に迷惑をかける心算はなかったのですが、大爺様が勝負時だと言われたので、覚悟を決めて断じて行いました」
情けない話だが、俺の根性なしは家族にバレていたようだ。
もしかしたら、大爺様も俺にはできないと高を括っていたのかもしれない。
全てエルザ様にやらせて、俺には参加させない心算だったのかもしれない。
手を汚さず、美味しい所だけ手に入れようとしていたのかもしれない。
だが、本当にそうなら、大爺様を心の中で蔑んでしまう。
「シュレースヴィヒ伯爵家の騎士、エルザ・リッター・クライン殿。
皇都警備隊足軽、ヴィルヘル・フォン・アルベルトの孫、バルド・フォン・アルベルト。
貴殿たちの届け出に対する証人が、皇都警備隊本部に多数来ておる。
皆由緒ある皇国徒士家の方々で、証言を疑う余地は全くない。
だが、事は建国皇帝陛下が定められた法に関する事だ。
流石に直ぐに無罪放免という訳にはいかない。
事が事だけに、皇国最高会議で正邪を確認せなばならぬ。
皇国最高会議で正邪が定まるまで、皇都警備隊の牢屋で待つか、屋敷で謹慎するか、好きな方を選ぶがいい」
エルザ様と俺を取り調べていた皇国警備隊騎士が、吐き捨てるように言い放った。
俺独りだったら、皇都警備隊の牢屋で暗殺されていたのは間違いない。
シュレースヴィヒ伯爵が怖くて、エルザ様を牢屋に入れられないのだろう。
だからといって、エルザ様だけ返して、俺を牢屋で殺しても意味がない。
そんな事をすれば、シュレースヴィヒ伯爵に悪事の証拠を与える事になる。
お陰で俺は自宅謹慎を選ぶことができた。
「大変だ、大変だ、大変だ!
これを見てくださいよ、バルド様」
代々アルベルト家に仕えてくれる、小者のフォレストが瓦版を持ってきた。
フォレストは、戦国時代からアルベルト家に仕えてくれる忍者の末裔で、大陸が統一されて一四〇年も経つのに、いまだにアルベルト家に忠誠を尽くしてくれている。
「なにごとだい、フォレスト」
「なにごとじゃありませんよ。
この瓦版を見てくださいよ」
フォレストはわざわざ木版摺りの瓦版を買ってきたようだ。
瓦版というのは、皇室や皇国、時には貴族や士族の悪事を書き立てる読み物だ。
読み物とはいっても、綴じた立派な本ではない。
瓦程度の大きさの劣悪な紙に、版木を使って文字や絵を刷ったモノだ。
普通の瓦版は小銅貨三枚か四枚で売られ、人気のある話題では小銅貨十枚で売られるので、どの版元も人気の話題を探している。
瓦版の内容を読んで少々驚いた。
まだ昨日の事なのに、エルザ様と俺が無礼討ちをしたことが書かれていた。
どこでどう調べたのか、エルザ様と俺の名前だけでなく、その出自も正確に書かれていて、戦国時代のアルベルト家の活躍まで書かれていた。
「バルド様、でもこれじゃあバルド様はエルザ様の引き立て役だ。
もっとバルド様の活躍を書くように、版元に文句を言ってきます」
フォレストの身贔屓が激し過ぎて恥ずかしい。
瓦版はエルザ様の活躍を過大に書いてはいるが、決して俺の事を貶めてはいるわけではない。
エルザ様を百人斬りとしてもてはやし、俺の事は。それを助けて十人を倒したと書いてある。
エルザ様ほどではないにしても、少し多めに書いてくれている。
「確かにエルザ様が斃した人数を大幅に水増ししてはいるが、俺の倒した人数も少し多めに書いてくれているし、貶めているわけではない。
それに瓦版も商売だから、人気の出そうな美人騎士の事を褒め称えて、若年の俺を従者扱いするのは仕方がない。
むしろ俺の事を従騎士と誤解しそうな書き方をしてくれてるから、足軽の孫よりも身分を高くしてくれているぞ」
「ちくしょう!
騙されちまったぜ!
主役はバルド様だと思ったから、十文も出して買ったんだ。
こんな内容だと知っていたら、十文も出して買わなかったのに!」
フォレストは身贔屓が激しいから、俺を主役に今回の無礼討ちを見ているが、事情を知らない多くの人からすれば、美しい女騎士が主役になる。
彼らからすれば、二十人斬りの女騎士よりは、百人斬りの女騎士の方が面白い読み物だし、斬られたのが多くの人から蛇蝎の如く嫌われていたヤーコプだから、なおさら拍手喝采なのだろう。
「あなた、バルド様にそんな事を言っても仕方ないでしょう。
それよりも、もっと情報を集めてきてください。
もうバルド様の中級武官登用試験まで日数がないのですよ。
今回の件で試験が受けられなくなったら大変です。
皇国の上層部がどう考えているか、特にシュレースヴィヒ伯爵がどう考えてるのか、早く正確に集めてきてください」
「そんな事は分かっているよ。
お前こそバルド様のためにさっさと飯を作れよ」
フォレストに小言を言っているのは、フォレストの妻で女忍者のアーダだ。
普段はアルベルト家の女中をしてくれていて、腰元にも下女にのなってくれる、アルベルト家にはなくてはならない存在だ。
それにしても、相変わらず仲のいい夫婦だ。
その証拠に、下は二歳から上は一〇歳までの子供が四人もいる。
「言われなくてももう作っていますよ。
バルド様、バルド様の大好きな脂の乗った鮪が手に入ったので、鉄板でソテーしました、熱いうちに召し上がってください。
足らなければ葱と一緒に煮た物も用意しております」
「そうか、それた有難い。
脂の乗った鮪は大好きなのだ。
直ぐに食べさせてもらおう」
アーダは俺の好みをよく理解してくれている。
それだけではなく、何も言わなくても体調を見抜き、身体を整えるような献立を用意してくれるのだ。
女忍者だから、それくらいできて当然と言う者もいるかもしれないが、そんな簡単な事ではない。
主家に対する忠誠心と愛情がなければ、とてもできない事だと思う。
それは、鮪の脂を残さず食べたい俺の好みを理解して、他の家族は七輪で塩焼きにするところを、俺にだけ鉄板でソテーした物をだしてくれる所に現れている。
薬味というか付け合わせというか、刻み葱を加えてくれているが、その量が多過ぎず少な過ぎず、絶妙な量を一緒にソテーしてくれている。
口に入れた時に鼻から抜ける葱の風味が、俺好みで嬉しくなってしまう。
無意識に立て続けに、鮪ソテーをおかずに三杯の白飯を食べてしまっていた。
謹慎中で屋敷からは出れないものの、中級武官登用試験に向けて弓術と槍術を中心に、激しい鍛錬を繰り返しているので、とても腹がすくのだ。
塩味の鮪ソテーを食べた後は、醤油味の葱鮪鍋が食べたくなってしまった。
そう思ったとたん、さっと葱鮪鍋と白ご飯が目の前に出されるのだから、アーダにはとてもかなわない。
アーダの予想通りに食べてしまったのだろう。
男茶碗に六杯も食べてしまったが、それも全て流れるようにお替りが出されて、七杯目が出されることはなかった。
俺も家族も内心で心配していた、中級武官登用試験の受験資格だが、謹慎中にもかかわらず、何の問題もなく受験することができた。
普通なら血縁のない皇都警備隊の誰かが見張りに就くのだが、今回は血縁にもかかわらず、御爺様と父上が見張り役になっていた。
御爺様と父上に見られるというのは、以前の俺の性格なら緊張してしまったと思うのだが、今回は緊張することなく実力を発揮することができた。
中級武官登用試験に合格すれば、皇国の徒士役職に就任することが可能なのだが、家格が徒士役以上の者が役職数いる場合は、家格が下の者に役職が回ってくる事は滅多にない。
よほど権力を持った者の支援があれば別なのだが、それには莫大な裏金が必要なので、役職に就くために借金をする者もいる。
問題は、中級武官登用試験に合格した者には、上級武官登用試験を受験する資格が与えられれる事だ。
何が問題かといえば、騎乗資格のない足軽のアルベルト家では、大手を振って騎乗訓練ができない事だ。
中級武官登用試験は、騎士に相応しい武力があるかを試験するのだが、当然騎乗能力が試される。
特に犬追物、笠懸、流鏑馬の技が重視される。
大爺様も御爺様も父上も、上級武官登用試験を合格されているので、幼い頃から直々に教えていただいているから、できないわけではない。
だが、家格が騎士以上で、大手を振って練習できる家に比べれば、圧倒的に不利なのは間違いない。
特にこれから受験日までの二カ月は、訓練用の軍馬を借りる事も、訓練のための馬場を借りる事も、とても難しくなるだろう。
騎士以上の家柄の受験生から見れば、家が足軽でしかない俺が合格して、自分が不合格になるのは恥なのだ。
金や権力があるのなら、軍馬や馬場を借り切って、俺が練習できなくするのは当たり前の戦術だと思う。
それに俺自身は、武は俺の本分だとは思っていない。
瓦版で騒ぎ立てられたから、世間から誤解されているかもしれないが、俺の本分は文だと思うのだ。
だから来月の上級文官登用試験の全力を注ぎ、上級武官登用試験は切り捨てるつもりでいたのだが、そうはいかなくなってしまった。
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