第2話危地と好機

 俺が急いで駆け戻った時、女騎士は全身数か所に手傷を負っていた。

 それでも怯む事なく、ゴロツキ卒族たちと剣を交えていた。

 獅子奮迅という言葉が思い浮かぶくらい、勇ましい戦いぶりだった。

 俺などが助太刀しなくても、彼女が勝つ可能性が高かった。

 だが、実戦に絶対などない事は、常に犯罪者と戦っている父上や御爺様から、厳しく言い聞かされているから、躊躇うことなく助太刀した。


 まだ剣も槍も届かない遠くから、拾った石を使って投擲術を駆使する。

 今流行りの道場剣術では卑怯と蔑まれているが、実戦ではこの上なく役に立つ。

 また戦国の世が来たときのために、父や御爺様から叩き込まれた技だ。

 皇国によって太平の世を迎えた大陸が、また戦国の世になるときなど想像もつかないが、常に備えるのが武に生きる家の定めだ。


「ギャア!」


「ウッオ!?

 なにしやがる!」


 俺は槍の間合いに入るまでに、五つの石を投擲した。

 直接槍で刺し貫くのとは違い、さほど禁忌に感じることなく、頭部に石をぶつけることができたのは、直接手に殺戮の感触がないからだろう。

 槍で突き殺した時には、肉を刺し貫くときの感触や、貫かれた筋肉が槍を締め付ける感触、何より刺し貫いた人間の心臓の脈動が槍に伝わってくるのだ。


 まだ人間を刺し殺した事はなく、父上の命令で犬を刺し殺した事しかないが、あの時に感じた生々しい感触は、未だに悪夢となって跳び起きてしまう。 

 だが投擲術には、そのような嫌な感触がないから、怖気ることなく急所を狙えた。

 地に伏すのは女騎士が斃した十人程度のゴロツキ卒族と、俺が投擲で倒したゴロツキ卒族が五人。


 たった五人だが、それがゴロツキ卒族が築いた包囲網を崩壊させた。

 それでなくても、女騎士は一人で二十数人と戦い、そのうちの十人程度を独力で斃すほどの実力者だ。

 後方から投擲を受けて狼狽するゴロツキ卒族なら、簡単に隙をつける。

 包囲されて手傷を負っていても、連戦で疲弊していても、援軍というのは最後の死力を生み出してくれる。


 俺の方に気を向けたゴロツキ卒族を情け容赦する事なく斬り、次々と絶命させていく姿に、戦場の死神を思い浮かべてしまった。

 その見惚れるほど整った美しい容姿とは裏腹に、気高い騎士の心と、悪鬼羅刹のような非情な心を、併せ持っているのだろう。


「やあ、助かったよ、少年。

 いや、少年は失礼な言い方だったな。

 その服装は卒族の部屋住みかな?

 助太刀ありがとう。

 それで、姫君たちはどうしたのかな?」


 助太刀に来た俺に対して、非礼にならないような聞き方をしてくれているが、その真意は、姫君たちをどうしたのかと詰問しているのだ。

 無責任に放り出してきたのなら許さないぞと、責めているのだ。

 自分の命よりも、か弱き姫君たちの安全を優先すべきなのだと、俺に教え諭し叱っているのだろう。

 ここは自分の名誉のためよりも、女騎士殿の心配を取り除くべきだな。


「父配下の王都警備隊員と行き会いましたので、彼らに屋敷まで護衛を頼みました。

 腕も心根も信用できる者達です、ご安心ください」


「分かりました、年少の身で心利いたはからいですね、ほめてあげます。

 お前達、姫君たちが無事に屋敷に戻られているか確かめなさい。

 急いで馬車を元に戻すのです。

 これ、お前達も見世物ではないぞ、手伝わぬなら立ち去れ。

 さもなくばゴロツキの仲間とみなして斬り捨てるぞ!」


 女騎士は人に命じることに慣れているようだ。

 こんな風に命令されても、全く違和感もなければ敵意も生まれてこない。

 よほどの大身士族の家に生まれたのだろう。

 代々皇国の役職についている、一代貴族扱いの宮廷士族の子女かもしれない。

 表向きは一代貴族家でも、代々その御役目についていれば世襲貴族と変わらない。

 我が家がどれほど努力しようと、官職が得られないはずだ。


 まあ、でも、この女騎士の気高い騎士道精神を見れば、皇国の直臣団が腐りきっていない事も分かる。

 実子を徹底的に鍛えているのか、一族の者を養嗣子に迎えているのかは分からないが、皇国の役職に就けるだけの実力を叩き込んでいるのだろう。

 自分のさせられている勉学や武術を考えれば、宮廷貴族に相応しい勉学と武術を会得する努力は、並大抵ではないだろう。


 更に言えば、人間の格というものだろうか。

 この女騎士は、命令をしても反発心を刺激しないだけの風格を養っている。

 現に姫君たちの不幸を面白可笑しく見ていた連中が、蜘蛛の子を散らしたように逃げているのだから、よほど女騎士が怖かったのだろう。

 その時に文句の一つも口にしないのは、自分達の行いを恥じさせるだけの何かを、女騎士は備えているのだな。


「では、私はこれで失礼させていただきます」


「ダメです、貴男も同行しなさい。

 貴男を疑っているわけではありませんが、姫たちの無事を確認するまでは、同行してもらいます」


 念の入った事だが、それくらいの用心は必要だな。

 俺が嘘を言っていないとは限らない。

 これを好機とみて姫君を攫い、身代金を要求する可能性が全くないわけではない。

 みすぼらしい服装をしているわけではないが、普通の卒族は貧乏なのだ。

 シュレースヴィヒ伯爵が大臣筆頭になってから景気がよくなってはいるが、その分物価が高くなり、同じ卒族でも貧富の差が広がっているのだ。


「分かりました、騎士殿の疑念は十分理解できます。

 ただ礼金目当てに助けたと思われたくないので、姫君たちの無事が確認できましたら、直ぐに立ち去らせていただきます」


「ほう、それは潔い事ですね、感心しました。

 ですが貴男は騎士でもなければ家を継いでいるわけでもありません。

 褒美は素直に受け取り、相手の顔も立てねばなりません。

 貴男は聡いようなのではっきり言いますが、氏素性を明らかにして、助けた相手に不安を与えないのも、助けた者の責務ですよ」


 また言い負かされてしまった。

 年長の騎士家の方が相手とはいえ、女性相手に反論の一つもできないとは、俺もまだまだ未熟だな。

 そんな気はなかったが、中級文官登用試験に合格した事で、思い上がっていたのかもしれないな。


「分かりました、同道させていただきます。

 名乗り遅れましたが、私はバルド・フォン・アルベルトと申します。

 王都警備隊所属の足軽、アルベルト家の者です」


「ほう、元は貴族家の者か、仔細がありそうだな。

 では、私も名乗らせてもらおう、私はエルザ・リッター・クライン。

 シュレースヴィヒ伯爵家の陪臣騎士、アルベルト・リッター・クラインの娘だ」


 なんと、大臣筆頭のシュレースヴィヒ伯爵閣下の家の方でしたか。

 家臣の娘に、これほど気高い方がおられるなら、賛否両論、毀誉褒貶の意見が激しいシュレースヴィヒ伯爵閣下ですが、悪い人ではないのかもしれません。


「では、馬車に乗せてもらって屋敷まで案内してもらおうか」


「どうぞ、お二人ともお乗りください」


 俺の身分から言えば、大身士族家の馬車には乗せてもらえないんだが、姫君たちの命の恩人という事と、シュレースヴィヒ伯爵家の陪臣に恩知らずな所を見られて、それがシュレースヴィヒ伯爵の耳に入るのを恐れたのもあるだろう。

 何の躊躇もなく馬車に乗せてもらえた。


 流石に大身士族家の馬車だ、乗合馬車とは違ってよいクッションが敷いてある。

 しかも石畳を敷き詰め整備された王都内の道だ。

 振動が少なく乗っていてもお尻が痛くなることがない。


 俺を慌てさせたのは、馬車の室内の立ち込める濃密な女性の香りだ。

 戦って汗をかいたエルザ殿の香りなのか、先に乗られていた姫君たちの香りなのか分からないが、俺の劣情を激しく刺激しやがる。


「屋敷に着きました。

 姫様方のご無事を確認させていただき、御当主様にも事情を話しをさせていただきますので、しばらく応接室でお待ちください」


 正直家臣達の言葉に安堵した。

 魅力的なエルザ殿と狭い馬車で二人きりでいるのは、劣情をもよおした俺には拷問に等しく、いたたまれない気持ちだったのだ。

 これ以上濃密な女性の香りを嗅いでいると、理性が保てなくなるかもしれないと、恐怖すら浮かんでいたところだった。


 先を行くエルザ殿の魅力的な曲線に視線が行ってしまい、自分がこれほど女性に弱い卑しい男なのだと初めて気がついた。

 これではゴロツキ卒族を非難などできない。

 よほど自分自身を諫め律するか、早めに妻を迎えるかしないと、恥知らずな行動に出てしまうかもしれない。


「こちらでしばらくお待ちください。

 直ぐに御飲物を持ってまいります」


 案内してくれた侍女の言葉で、自分が激しく渇いているのが分かった。

 人生初めての実戦で渇いているのか、それとも人生で初めて女性に劣情を感じて渇いているのか、自分では全く分からない。

 だが喉が渇いているのは間違いなく、一気に飲んでしまった。

 上等な美味しいお茶を用意してくれたのだろうが、全く味が分からなかった。


「直ぐにお替りをお持ちさせていただきます。

 姫様たちのために戦ってくださったのですもの、喉が渇いていて当然でしたね。

 気の利かない事をしてしまいました」


 姫様たちのお気に入りなのか、それともこの家の当主の信頼が厚いのか、外出する姫君たちと一緒だった侍女が、直ぐにお茶のお替りを用意してくれようとする。


「ハンナ、ハンナ!

 ああ、こちらでしたか。

 早くニーナの所に行って安心させてあげて。

 恩人の方々には、父の用意ができるまで、私が挨拶させていただきます」


 礼儀など後回しにして応接室に入って来たのは、先ほど助けた姫君のうち年長の方だったが、年少の姫君が今回の件で心に傷を負っているのならしかたがない。

 

「ご無礼致しました。

 妹のニーナが今回の件で少々取り乱しております。

 重ね重ねご厚情に甘えさせていただくことになりますが、御容赦願います」


「いや、気になさることはない。

 あのような事は、普通は姫君に起こる事ではない。

 助かったとはいえ、取り乱し、心許す相手に側にいて欲しいのは当然だ。

 我々の事は気にせず、ニーナ姫の事を優先されてください」


 エルザ殿が俺に確認することなく返事をされた。

 まあ、ここで足軽の、しかも不浄役人の息子に承諾を取る騎士はいない。

 それに、エルザ殿の考えには俺も賛成だ。

 攫われ恥辱を味あわされる直前だったのだ、一生心に傷が残るかもしれないほどの事件の被害者になりかけたのだ。

 最優先で心の傷を癒してあげるべきだろう。


「先ほどはろくに御礼も申せず失礼いたしました。

 この度は普通ならありえないようなご厚情を賜り、感謝の言葉もございません。

 この通りでございます」


 身分の高い大身士族家の姫君に、ここまで深々と頭を下げてもらうと恐縮する。

 その真摯な表情と誠の籠った言葉だけで、勇気を振り絞ったかいがある。

 それに俺は、最初は勇気がなく足が出なかったのだ。

 誇り高いエルザ殿の姿を見なければ、見て見ぬ振りをしていたかもしれない。

 そう思うと、これほどの礼を取ってもらう事に、少々胸が痛む。


「いや、いや、騎士として当然の事をしたまでです。

 それはここにいるバルド殿も同じでしょう。

 バルド殿は王都警備隊の足軽家の者、家を継いでいないとはいえ、王都の治安を守る覚悟は、幼い頃から叩き込まれているはずです。

 現に姫たちを助けに割って入ってくれました」


 エルザ殿がほめてくれるが、あの時の心の葛藤を思い出すと、身の縮まる思いだ。

 だがここまで来た以上、堂々と勇者を演じるしかない。

 この家の当主殿が、皇国の高位役職に就任しているのなら、我が家は望外の知己を得て、試験の成績通りの役職を得られるかもしれない。

 父上や御爺様が試験の成績通りに評価してもらえたら、騎士級の役職に就ける可能性がある。


 そこまでは無理でも、不浄役人と蔑まれる王都警備隊の足軽から、正規騎士団の足軽に移籍できるかもしれない。

 役得が減ってしまって生活は苦しくなるが、それを足掛かりにして、俺の代では試験の成績通りの役職に就けるかもしれない。

 ここが勝負時だとは思うのだが、俺自身に大きな問題がある。

 父上や御爺様と違って、俺の本質は小心者だと自覚しているので、できるだけエルザ殿の陰に隠れていよう。


「おお、貴君たちが娘たちを救ってくれた勇者か!

 この度は望外の馳走かたじけない。

 余に出来る御礼はなんでもするから、望みを言ってくれ」


「お待ちくださいませ、殿。

 それは幾ら何でも直接過ぎて失礼でございますよ。

 まずは名乗られて、この方々の姓名をお聞きいたしましょう」


「おお、それもそうだな。

 余は皇国に仕えるイェシュケ宮中子家の当主ウィリアムだ。

 横にいるのは妻のメリンダだ。

 実は余は養子でな、家の実権は妻が握っておるのだよ。

 わっはっはははは」


 これは驚いた!

 イェシュケ宮中子家といえば、皇国でも重要な役目を果たしておられる。

 しかも本家のイェシュケ辺境伯家といえば、皇国貴族の中でも有名な武断派だ。

 代々子弟が多く、多くの貴族家と縁を結んでいるとも聞く、

 ここでウィリアム様の好意を獲得できれば、本当に父上や御爺様が騎士役を得られるかもしれない!

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