没落貴族バルドの武闘録
克全
第1話出会い
根を詰めた勉強に疲れ、気晴らしの心算で家を出た。
普段は勉学に厳しい両親も、十四歳で中級文官登用試験に合格した事を認めてくれて、今日だけは大目に見てくれたようだ。
来月には中級武官登用試験があり、その後も毎月上級文官登用試験、上級武官登用試験、高級文官登用試験、高級武官登用試験と続くが、十四歳でその全てに合格しろというほど、両親も強欲ではない。
いや、七代一四〇年もの長きにわたって、没落した家を再び繁栄させようとしてきたからこそ、両親もその厳しさを身をもって知っているのだ。
父上もまた文武官登用試験に挑戦し続けた過去がある。
今に至るまで、高級文武官登用試験には合格できていないが、上級文武官登用試験には合格しているのだ。
だがそれも仕方がない、上級文武官登用試験の合格者は、上級文武官登用試験に合格したものの中から、たった三人と決められているからだ。
上級文武官登用試験に合格している父上は、本来ならば、騎士に相当の役職に就けるはずなのだ。
にもかかわらず、皇国直臣の貴族士族からは不浄役人と呼ばれる、王都警備隊の足軽に甘んじているのは、皇室の直臣が優先されてしまう悪弊があるからだ。
我が一族には、不浄な役目しか与えられない、決定的な汚点があるからだ。
父上も母上も、ひとまず俺が父上以上の役職が得られる試験に合格した事に安心している。
強力な縁故があれば、徒士の役職に就ける事になると思っているのだ。
いや、そんなことができるのなら、とうに父上は騎士の役目に付けている。
七代に渡る報われない努力の結果、半ば諦めが先にきてしまう。
「キャアアアアア。
姫様、姫様、姫様。
誰か姫様をお助け下さい」
思わず悲鳴の聞こえた方に眼をやると、大身士族の馬車が薙ぎ倒されている。
どこかの貴族家の卒族が、馬車から二人の幼い姫君を引きずり出している。
おそらく日雇いの卒族なのだろう、雇われた貴族家の名を使い、やりたい放題だ。
姫君二人を輪姦しても、家名の恥を恐れて泣き寝入りすると読んでいるのだ。
このような悪行を何度も繰り返しているのだろう。
助けに入ってやりたいという気持ちと、二十数人のゴロツキ相手には勝てないという思いが、激しく心の中で葛藤する。
物心ついた頃から、文武を叩きこまれてきた俺だが、本質は臆病者なのだ。
武官登用試験試験も受けているし、父にも祖父にも中級武官登用試験合格間違いなしといわれているが、自分では殺し合いの実戦は無理だと理解している。
「止めないか、卑怯者どもが!
天下の大道でそのような無法が押し通せると思っているのか。
止めなければ人攫いとして斬る!」
十七八の美女が、美しい顔とはそぐわない大声で威嚇した。
一瞬美少年かとも思ったが、美しい声に女性としか思えない。
見た目は、男色趣味の貴族の小姓かとも思えたが、わずかに胸のあたりがふくらんでいるので、女性だと思う。
「はぁあ?
何言ってやがる、色小姓が。
邪魔しやがるとお前のケツも一緒に掘ってやるぞ」
「うひゃひゃひゃひゃ。
そりゃあいい、一緒にさらっちまえ」
ゴロツキ足軽たちが、聞くに堪えない悪口雑言を並べ立てる。
「では、死ね!」
男装の女騎士が、ためらうことなく卒族を斬り殺した。
「うぎゃあぁあああ」
鮮血が辺り一面に広がり、ここまで血臭がしそうな惨劇だ。
間違いなく一太刀で殺している。
美しい見た目からは想像もできないが、人を殺すことに慣れた凄腕の女剣士だ。
だが相手のゴロツキ卒族も、悪事に手慣れた連中だった。
多勢に無勢を利用する方法を知っていて、女騎士を包囲しようとしている。
遠く離れているにもかかわらず、俺には女騎士の決意が見てとれた。
騎士として、か弱い姫を助けるためなら、死をも恐れないという決意を。
俺は、このような現場にいながら、直ぐに助けに入れない己を恥じた。
主家に忠義を尽くすために、皇室と戦い死んでいった先祖に恥ずかしかった。
生き残った傍系に過ぎないが、それでも伯爵家の末裔なのだ。
ここで姫君の助けに入らずして、剣を持つ資格などない。
こんな卑小な人間が、騎士を望み貴族に返り咲こうと考えるなど、先祖の行いに比して恥ずかし過ぎる。
そうは思ったものの、一歩踏み出すには万余の勇気が必要だった。
怖気づいてしまって固まる脚を、自らの矜持を総動員して叱咤激励し、最初の一歩を踏み出すことができれば、後は勢いに任せて駆けることができた。
女騎士を助けるのではなく、彼女が護ろうとした二人の幼い姫たちこそ護らなければいけない。
包囲され危険に陥る女騎士を助けても、姫たちがゴロツキ卒族どものねぐらに連れ込まれたら、それは女騎士の誇りを傷つけ自害に追い込むだろう。
自分が足手纏いになるくらいなら、死を選ぶだろうことは、この危険な状況で助けに入った事で一目瞭然だ。
女騎士の気高い心を貴く思うからこそ、彼女を見捨てても姫たちを助けなければならない事くらい、俺のような未熟者でもわかる。
だから駆けに駆けて、年長の姫様を担いで逃げている卒族に追いついた。
だが、それでも、相手は犬猫ではない、人間なのだ。
護身のために常に手放さない槍をしごいて繰り出し、突き刺す事はできたが、一撃で殺す急所を突くことができなかった。
つい急所を外し、太腿を突きさすのにとどめてしまった。
自分の意気地のなさに、忸怩たる思いで心が一杯になるが、自分を可哀そうに思っているような恥知らずな時間などない。
幼く体重が軽い年少の姫君を担いだ卒族が、先を逃げている。
「貴族家の名を騙って人攫いが逃げるぞ。
その者たちは貴族家に皆殺しにされるぞ
捕まえれば恩賞は思いのままだぞ。
逃がせば貴族家が処分されるぞ」
俺は追いかけながら、思いついたことを大声で叫んだ。
だが間違ったことを口にしたわけではない。
姫を攫われた大身士族家は、下の姫君を助けられなければ、家名を恥じて被害届は出さないだろうが、ここまで大事になった事件をなかった事にはできない。
かかわった俺自身が、王都警備隊足軽家の息子だ。
女騎士が斬り殺した日雇い卒族や、俺が足を刺して動けなくした卒族を調べれば、どこの貴族家に雇われていたかは直ぐに分かる。
貴族家が賄賂や権力で王都警備隊の口を塞ごうとしても、王都の民が噂を流す。
貴族家は名誉を守るために、犯行にかかわった卒族を皆殺しにするしかない。
そうしなければ、貴族家が姫君をさらわせたと王都の民は噂する。
本当かどうかなんて、王都の民には関係なのだ。
普段から偉そうにして威張り散らしている貴族家の評判を落とせれば、それで満足なのだ。
それに、ここまでくれば、礼金目当てに卒族を捕らえようとする者も現れる。
二十数人が一団となっていれば恐ろしくて手が出せないが、幼い方の姫君を担いで逃げている卒族は一人きりだ。
助けられれば、大身士族家か女騎士から礼金がもらえる。
いや、現場も見ていない者に詳細は分からないが、王都警備隊から賞される事だけは確かだ。
俺が追いつければそれが一番なのだが、年上の方の姫君を抱き槍を持っていては、さすがに直ぐには追いつけない。
体力には自信があるが、相手も日雇いのゴロツキとは言え卒族だ。
それなりに日頃から鍛えていて体力もある。
それが悪事を働くためであっても、体力と武力があるのは役に立つ。
俺は、世の中や人に期待し過ぎていたようだ。
誰もさらわれている姫君を助けようとしない。
まあ、最初の自分の行動を思い起こせば、それも当然だろう。
誰だって自分の命は大切だし、何かあった時には、残された家族が哀しむのだ。
一家の大黒柱を失ったりしたら、家族が路頭に迷うのだ。
俺は貴族家が卒族を処分すると思っているが、下劣な貴族ならば、この人さらいをやらせている可能性もなくはないのだ。
俺よりも世間の辛酸を舐めて生きている庶民なら、そう疑ってもしかたがない。
実際そんな下劣な貴族家も確実に存在するのだ。
投擲術を使って逃げる卒族を斃すか、それとも小柄を投げるか、一瞬迷ったのだが、少しでも手元が狂えば幼い方の姫君にあたる。
走り回って息が荒い状態では、とても百発百中とはいかない。
卒族がねぐらに逃げ込まない限りは、苦しい追いかけっこを続けるしかないと決意した時、不意に卒族が立ち止まった。
「ぜぇぜぇぜぇぜぇ、近づくな。
ぜぇぜぇぜぇぜぇ、近づくと、ぜぇぜぇぜぇぜぇ、この娘を殺すぞ」
有難い事に、俺より先に卒族の息が上がってしまったようだ。
逃げきれないと判断して、脅しにかかって来た。
だがこれで、少なくとも俺が撒かれてねぐらに逃げ込まれる事だけはなくなった。
一ケ所に留まってくれれば、王都警備隊が駆けつけてくれる。
だがこのまま時間を使ってしまったら、女騎士が危険だ。
先ほどの現場では、女騎士が十数人のゴロツキ卒族と戦っている。
普通なら確実に女騎士が殺されてしまう。
殺されなかったとしても、あのゴロツキ卒族たちの事だ、その場で輪姦しようとする可能性が高い。
そんな事になったら、女騎士は確実に自害するだろう。
あの誇り高い行動を見れば、恥を忍んで復仇にかけることはないだろう。
この現状を見れば、俺以外の人間が助けに入るとも思えない。
一対一の状況でも、俺を助けようとする人間、さらわれそうな姫君を助けようとする人間すらいないのだから。
「ギャァァァァ!
なにしやがる、クソガキが!」
このままなす術もなく時間が経つのかと思っていたら、さらわれかけていた年少の姫君が、ゴロツキ卒族の腕に噛みついた。
噛まれたゴロツキ卒族が視線を俺から外し、年少の姫君を殴りつけようとした。
助けようという意識もなく、父上と御爺様に叩き込まれた家伝の槍術が、無意識に繰り出された。
いや、それ以前に叩き込まれた足裁きで、ゴロツキ卒族の目の前に迫っていた。
無意識にしごき繰り出した槍ではあるが、それでも人殺しに対する禁忌が心のどこかにあったのだろう、急所を避けて、姫君を殴ろうとしている右腕の付け根を刺し貫いていた。
ここでまた逡巡してしまった。
このまま二人の姫君を護って屋敷まで送り届けるか、女騎士を助けに戻るか。
女騎士の望みは二人の姫君を助ける事だから、また何が起こるか分からないこの場に、二人の姫を残して助けに戻る事は絶対に望んでいない。
そんな事は分かっているのだが、助けに戻りたい気持ちが胸に渦巻く。
俺一人が加わったところで、圧倒的に不利な事は変わらない。
女騎士と俺が敗れてしまったら、せっかく助けた姫君たちがまたさらわれてしまうかもしれないのだ。
そんな事になったら、女騎士に軽蔑されてしまう。
俺が最優先にしなければいけないのは、姫君たちを無事に屋敷まで送り届ける事だと、分かっているのに迷ってしまう。
そんな優柔不断な自分自身が情けなく、嫌気がさしてしまう。
「卒族殿?
私達を助けてくださってありがとございます。
この御恩は生涯忘れません。
この期に及んで更なる願いを口にするなど、身勝手極まりないのは理解しておりますが、どうか御願いでございます。
先ほど私達を助けようとしてくださった方を、助太刀してあげてください。
あのままでは多勢に無勢、殺されてしまうのではありませんか?」
大人しい被害者の姫君でしかなかった人が、くっきりとした気丈で優しい女性として、俺の中に認識された。
女騎士よりはふくよかで優しげな顔つきだが、この姫君も世に稀な美貌の持ち主で、ゴロツキ卒族たちが眼をつけたのも当然だと思う。
だが優しげなのは表面だけのことで、心の中には士族の誇りと矜持が生きている。
自分の安全よりも、命の恩人に恩を返す事を優先するだけの強さがある。
俺などとは根本的に違う、持って生まれた強さなのか、教え叩き込まれた士族家の誇り高き家訓なのか、俺には違いが分からない。
だが、だからこそ、助けに行ってはいけない事が分かる。
この姫君に蔑まれることになろうとも、女騎士の決意を無にしてはいけない。
命懸けで姫君たちを助けようとした尊い行動を、俺の私欲や見栄で無駄にする事は、絶対に許されない。
「それはできません、姫君。
ここで戻ってしまったら、あの女騎士殿の誇り高く尊い行いが無になります。
騎士を目指す者として、騎士殿の想いを無駄にはできません」
「そう、ですね。
その通りですね。
恥かしことを口にしました。
忘れてください」
俺と同じか少し年下だろうに、よく躾けられている姫君だ。
多くの堕落した貴族士族とは一線を画す家に生まれ、誇り高く育てられたのだな。
俺の言いたい事を理解してくれた。
「若旦那?
こんな所で何をされているのですか?」
助かった!
父上直属の配下と出会えた。
この者達なら信頼できる。
「この姫君たちは人攫いの被害者だ、屋敷に送り届けてくれ。
俺は人攫いどもを取り押さえてくる」
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