第3話御礼と提案

「私は、シュレースヴィヒ伯爵家に仕える騎士、アルベルト・リッター・クラインの娘、エルザです。

 望みは家から独立して後宮の騎士となる事です」


「ほう、後宮騎士を目指しておられるのか。

 余が手助けしてあげられるのならいいのだが、シュレースヴィヒ伯爵に無断で勝手もできぬから、後日話をさせていただこう」


 エルザ様は凄い女性だが、なるほど、心に期す望みがあったのだな。

 実家を出て新たに家を興すなんて、今の時代にはとても難しい話だ。

 それを成し遂げようとするからこそ、常に心身を鍛え、騎士の理想像を体現しているのだろうな。


 それと、矢張りイェシュケ宮中子閣下は凄い権力をお持ちのようだ。

 言葉を読めば、後宮の騎士にエルザ殿を採用する事も不可能ではない口ぶりだ。

 ただ他家に仕える騎士家の子女を、それも今皇国で一番権力を持っている、シュレースヴィヒ伯爵閣下に無断で採用できないというだけの話のようだ。

 シュレースヴィヒ伯爵閣下が認められたら、新たに家を興せるのだな。

 妬むわけではないが、羨ましい話だ。


「私は皇都警備隊に所属する足軽、ヴィルヘル・フォン・アルベルトの息子、バルドと申します。

 私の望みは、父祖を官吏採用試験の成績通りの役職に就けていただくことです」


「足軽がフォンだと?

 ヴィルヘル・フォン・アルベルト……

 なるほど、あのアルベルト家の末裔なのだな。

 そういう事なら理解できる、苦労しているようだな。

 ふむ、だが流石にアルベルト家の扱いは余独りでは難しい。

 知り合いと話をしてみるので、少し時間をくれ」


「ありがとうございます。

 何分よろしくお願い致します」


 たぶん、無理だな。

 戦国乱世の最終段階で、最後の最後まで皇室に抗った王家の忠臣として、形振り構わず皇室に損害を与えたのがアルベルト家だ。


 一時は千を超えた大小の王家が大陸に興り、権謀術数の限りを尽くして戦い、敵国の家臣を引き抜き自国の家臣の裏切りを防ぎ、興亡を繰り返して生き残った皇室を、最も苦しめたと言われるのがアルベルト家だ。


 忠誠を尽くした王家も、アルベルトの本家も滅び、今は傍流の我が家が本家となって細々と家名と血統を残している。

 アルベルト家が残っているのも、戦国の雄アルベルトの名声を貶めるために、卒族として見下げるためだとも言われているくらいだからな。

 どう考えても試験の成績通りの役職にはつけそうにない。


「殿、用意ができました」


「入れ」


 イェシュケ宮中子閣下に仕える家臣が、とても美しい化粧箱を二つを恭しく持ってきたが、恐らくエルザ殿と俺への礼だろう。

 望みを適えるとは言ってくれていたが、少なくとも俺の望みは期待薄だ。

 最初は何も貰わない心算だったが、期待してしまったから、その分落胆してしまい、心に大きな虚無感が広がってしまう。


「即物的で恥ずかしいのだが、余の力では二人の望みを直ぐに適える事が難しい。

 恥ずかしい話だが、とりあえず現金で御礼をさせてもらう」


「いえ、最初から無理な望みを口にした事は理解しております。

 寡聞にしてアルベルト家の事情は存じませんが、この者は最初黙って立ち去ると申しておりましたが、私が礼を受けるのも助けた者の責任と言い聞かせ、ここまで同道させたのです。

 イェシュケ宮中子閣下が望みを適えられない事を、この者は知っているのでしょうから、気になさることはないのではありませんか」


「エルザ殿にそう言ってもらえると、少し心が軽くなる。

 望みを適えられなかった時には改めて挨拶させてもらうとして、とりあえずこれを受け取ってくれ」


 エルザ様は、見事に礼儀にかなった態度で、イェシュケ宮中子閣下の御礼を受け取られたが、その姿はとても美しく目が離せなかった。

 俺も同じような所作で受け取れればよかったのだが、身体が強張ってしまって滑らかさに欠けてしまっているのを、自分自身が嫌というほど自覚していた。


 エルザ様は女性だし、俺は弱年だ。

 酒食でもてなすのも遅くまで引き留めるのも、逆に無礼になると思ってくれたのだろう、ティータイムでもてなしてくれただけで開放してくれた。

 俺としても粗相をする前に開放してくれて助かった。






 帰りはイェシュケ宮中子閣下が馬車をだしてくださったが、むせかえるような濃密な女性に香りに激しく劣情を刺激されていると、エルザ様が話しかけてきた。


「バルドは来月の中級武官登用試験を受けるのだったな」


「はい、エルザ様」


「まあ、平静に普段通りに出来れば大丈夫だろう。

 だが少々心の鍛錬が足らないようだから、自信が持てるように試験日まで鍛錬に励む事だな」


「はい、ありがとうございます」


 僅かな間に、俺の心の弱さを見抜かれてしまっている。

 これでは劣情に陥っていた事まで見抜かれているかもしれない。

 赤面の想いだが、これだけは今更どうしようもないな。


「では私は先に失礼させてもらう。

 私も改めて礼に伺わせてもらう」


「え、あ、それは、その」


 イェシュケ宮中子閣下の馬車は、それぞれの屋敷まで送ってくださったのだが、身分差から先にエルザ殿の住むシュレースヴィヒ伯爵閣下の屋敷に馬車はつけられた。

 そしてエルザ様は降り際に俺に礼を言ってくださったが、焦ってしまってろくに返事もできなかった。


 確かにエルザ様の助太刀に入ったが、御礼はイェシュケ宮中子閣下から頂いているから、改めてエルザ様に御礼を言ってもらう事も、屋敷に来てもらう事も、全く考えていなかったのだ。

 それなのに屋敷まで来て礼を言う心算だと言われて、激しく動揺してしまったのだが、俺はエルザ様に恋心を抱いてしまったのだろうか?






 馬車の中で独りになってからの時間がとても長かった。

 未だに馬車の中に残る、濃密な女性の香りにむせかえりそうになる。

 劣情が激しく刺激されて、恥かしいやら情けないやら、途中で馬車から降ろしてくれと言いそうになったが、たぶん大金が入っている化粧箱を持っているので、それも言いだせない。


 皇国で一番権力を持っているシュレースヴィヒ伯爵家の屋敷は、宮城の直ぐ側にあって、毎日の登城に便利になっている。

 だが不浄役人と言われる王都警備隊が与えられる屋敷は、貴族街でも士族街でも卒族街でもなく、平民街に屋敷が与えられている。

 これこそが、皇都警備隊が不浄役人と蔑まれている要因だ。


 貴族士族卒族でも、皇室直属の者達は、直臣と呼ばれ同じ階級でも一段高く評価されている。

 一方皇都警備隊は士族でも直臣ではない。

 皇都警備隊だけではなく、皇国の各役所に採用されている形の者達は、士族でも皇帝陛下に拝謁する資格がなく陪臣同様に扱われている。

 表現は正しくないかもしれないが、直臣が皇帝陛下の家臣なのに対して、役所採用の者達は皇国の出先役所に仕えている形だろうか。


「ありがとうございます。

 手数をお掛けしました」


「いえ、こちらこそ姫様を助けていただき感謝の言葉もありません」


 普通なら御者だけで送ってくれるだろう所を、士族級の従騎士を護衛に付けてくれたのは、大金を持っている事と、騎士階級のエルザ様が一緒だったからだろう。

 もう同格のエルザ様がいないのだから、俺にぞんざいな口調を使っても構わないのに、主家の姫君を助けた恩人として俺を遇してくれる。

 普段同じ卒族にすら下に見られれることが多いだけに、気持ちが温かくなる。


 互いに丁重な礼を返して別れた後で、屋敷に入って父上と御爺様に今日起きたことを話したのだが、既に大体の事を知っておられた。

 俺が護衛を頼んだ配下の者達から話を聞き、更に皇都の民から情報を集めて、どういう事になるのか推測していたそうだ。


 父上も御爺様も、期待と諦めの相半ばした表情をされている。

 過去にも同じような機会があり、その度に期待が裏切られてきたそうだ。

 だが、今回の相手は単なる直臣士族家ではなく、皇国で大きな権限を持つイェシュケ宮中子家だから、つい期待してしまうのだろう。


 家族の前で頂いた化粧箱を開けて確かめたら、大金貨が十枚も入っていた。

 通常は小金貨八枚と穀物俵が五俵で一人扶持だ。

 穀物俵の中身の量が違うのは、一年間に成人男子が食べる量に由来ししている。

 また、あまりにも広大な大陸を統一した皇室が、味方に加えた貴族士族家の領地で生産できる穀物や主食が違う事も理由だ。


 耕作不能な穀物を、大陸共通の食糧にしてしまったら、現地に合わない穀物を無理に生産しようとしてしまうから、その貴族家の領地や風俗にあった穀物を基準にして幅を持たせているのだ。


 皇室は本来米を基準にした扶持制度をっていたので、主食であり兵糧でもある米一年分、一石と同等の小金貨八枚を一人扶持としている。

 だが地方に貴族家では、小麦や大麦、北の地方ならライ麦、南や西の地方なら蜀黍や玉蜀黍が扶持に使われていることもある。


 アルベルト家が受けている扶持は七人扶持なので、小金貨五六枚と玄米三五俵だ。

 ただ実際には、小金貨ではなく使い易い小銀貨八九六枚や小銅貨五八二四〇枚で貰う事も可能だ。


 平民街で換金してしまうと、わずか百分の三ではあるが手数料を取られてしまう。

 皇国が支給してくれる時に指定すれば、手数料が取られなくてすむ。

 小金貨五六枚を小銀貨に変えると、本来は八九六枚なのに八六九枚と小銅貨七枚くらいになるので、貧乏な卒族にはとても大きな問題なのだ。


 米俵二俵半が小金貨一枚分の価値があるので、実質小金貨一一二枚が同心家の年間の収入なのに、俺がもらった御礼は、小金貨百枚分の価値がある大金貨が十枚だ。

 不浄役人と言われる警備隊足軽は役得が多く、騎士団足軽の三倍から十倍の年収があるので、単純に計算するわけにはいかないのだが、大金貨十枚なら騎士団足軽の九年分の年収に匹敵するのだ。


 姫君たちの命の恩人とはいえ、思い切ったお礼だと思う。

 それを確かめた父上と御爺様は、期待と不安の半ばだった表情を、ほぼ落胆一色の表情に変えていた。

 これだけの御礼を支払った以上、イェシュケ宮中子閣下は我が家を騎士家や徒士家に取立てる気がないと思ったようだ。


「この金はバルドが自由に使うといい」


 父上がとても気前のいいことを言ってくれた。

 御爺様も何も言わない。

 これから試験が続く俺の気合を保たせるためなのか、それとも今回の出会いを生かすために金を使えてという意味なのか、俺には分からない。


 だが今は、知己を得たエルザ様とイェシュケ宮中子閣下との縁を深くする前に、来月に控えた中級武官登用試験に備えなければいけない。

 エルザ様に言われた通り、緊張する実技試験でも普段通りの力が出せるように、鍛錬を積み重ねないといけない。


 父上や御爺様は再来月の上級文官登用試験の方を心配してくださっているが、俺自身はそちらの方が自信がある。

 皇帝陛下直々の口頭試問がある、高級文官登用試験は全く自信がないが、筆記試験の成績だけで合否が決まる上級文官登用試験なら、実力で突破できると思っている。

 俺は化粧箱ごと大金貨十枚を自室に保管し、疲れが今日の興奮と緊張を上回るまで槍術と弓術の鍛錬をした。






「頼もう、頼もう!

 バルド・フォン・アルベルト殿は御在宅か?

 私は昨日知己を得たエルザ・リッター・クラインと申す。

 ぜひ話したい事があって来た、お取次ぎ願いたい」


 昨日の今日で、しかも早朝早々に、御礼に来て頂けるとは思わなかった。

 これには父上も御爺様も驚いていおられた。

 いや、隠居されている大爺様も珍しく驚いておられた。

 とてもか細いとはいえ、皇国最大の権力者、大臣筆頭を務められているシュレースヴィヒ伯爵閣下との縁だ、大切にしなければいけないのは誰にだってわかる。


 だが同時に、昨日の一件を考えれば、役目を蔑ろにする姿も見せられない。

 現役の警備隊足軽は、実は御爺様なのだ。

 父上は一代抱えの警備隊足軽を確実に継承するために、見習いとして無料奉仕しているのだが、実務的には既に仕事を継承していた。


 だから、警備隊本部には二人とも出仕しなければいけない。

 俺と母上だけでは、自信を持ってエルザ様を御迎えする事ができない。

 賄賂を贈ったり、目に余る接待は逆効果になると分かっているのだが、大臣筆頭のシュレースヴィヒ伯爵閣下に仕える騎士家子女に相応しい、絶妙な接待はしなければいけないのだ。

 だが俺や母上では、その微妙な加減が分からない。

 そこで今年七七歳の大爺様に助けてもらうことになってしまった。


 流石に長年皇都警備隊でもまれて来られた大爺様だけあって、エルザ様に対する対応も完璧で、俺が堅物だと思いこんでいたエルザ様に心からの笑顔を浮かべさせる。

 亀の甲より年の劫とはよく言ったものだと思った。


「いや、これは愉快な話を聞かせて頂いた。

 長年皇都警備隊に務めて来られた方は、私のような若輩者では経験できない事を、数多く経験されておられる。

 後学の為にもっとお話を聞きたいのだが、その前に言っておかなければいけない事がある。

 恥ずかしながら浅学でアルベルト家の事を知らなかったのだが、屋敷に帰ってから父上に教えていただいて事情が分かった。

 今のままでは、どれほど頑張っても、皇都警備隊の足軽から抜けだすのは難しいと、父上から教えられた。

 そこで提案があるのだが、聞いて頂けるかな」

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