ぼくとタマさんと秘密のノート
彩瀬あいり
01 タマさんと神社の秘密 1
ぼくの家には、猫がいる。名前はタマさん。
タマさんがいくつなのか、だれも知らない。八才のぼくが生まれたときにはもう家にいて、赤ちゃんのぼくといっしょに寝ている姿が写真に残ってるんだけど、いまと変わらない大きさをしている。
そもそもタマさんはもと野良猫で、突然どこからかやってきたということなので、何才なのかはおかあさんも知らないんだよね。
床に寝そべっているタマさんのとなりに座って、ノートを広げた。窓にレースのカーテンをかけてあるおかげで、あんまりまぶしくないんだ。
猫は、家のなかでいちばん快適な場所を知っている動物だと、ぼくは思う。
タマさんのいるところは、夏はすずしいし、冬はあったかい。
いまは春だから、ぽかぽかひなたぼっこができる場所にタマさんはいる。
えんぴつを持って、考える。
さて、今日はなにを書こうか。
これは、ぼくの「秘密のなんでもノート」だ。
日々、思ったことや気がついたことを書いていく、いろんなことがつまっているノート。学校で先生に見せるために書く日記とは、まったくべつのもの。あれは、先生に見せてもいいことしか書いてないから。ぼくのとっておきの秘密や事件は、ほかのひとには言っちゃいけないんだ。
ちいさいころのぼくはとても好奇心おうせいで、なんでも知りたがったし、それでいて秘密をかかえることがニガテだったので、なんでもくちにしてしまって、びみょーな空気になることが多かった。いわゆる「空気がよめない」ってやつ。
そんなぼくに、おとうさんがくれたのが、一冊のノート。横にうすい線がたくさん引いてあるやつ。おとうさんがいうには、「だいがくノート」っていうらしい。
だいがくは、大学と書く。
おとうさんが仕事に行っている場所とおなじ。つまり、おとながつかうノートってことだ。
小学校でつかっているノートとはぜんぜんちがっていて、クラスのなかで、こんなものをつかっているひとはそうはいないだろうとジフしている。
この大学ノートを、ぼくは五才のころからつかっているのだ。
タケル。秘密にしておきたいことがあれば、このノートに書きなさい。
これはおまえだけのものだから、他の誰も見ることはない。
もちろん、おとうさんだって見ないし、おかあさんも見ない。
ぼくがまた、いらぬくちをきいてしまって、怒っている女のひとにおかあさんがあやまった日、おとうさんがそう言ってノートをくれた。
かしこいぼくは、よくわかった。
それからぼくは、言いたいことはぎゅっとのみこんで、ノートに書くことにしている。
これは、こころの整理に役にたっている。
ぼくがなにをふしぎに思って、なにが知りたいのか、ノートに書くことでよくわかるようになったからだ。
考えるぼくのとなりで、タマさんが大きなアクビをした。そしてまた、床にアゴをつけて目を閉じちゃった。
身体の左がわを上にしているから、トレードマークがよく見える。
まっしろい毛のところに、三角の形をした茶色い毛と、まるい形の黒い毛が並んでるんだよね。猫の絵を描くとき、そのふたつをつけておけばタマさんになるので、うちにあるクレヨンや色えんぴつは、茶色がどんどんちいさくなる。
しっぽも楽しくてね、先のほうは茶色で、そこに向かってぐるっと
不機嫌そうにしっぽを振っているときの姿を、おとうさんは、タマさんトルネードって呼んでる。
見てのとおり、タマさんは三毛猫だ。
ぼくは猫のなかでも、三毛猫がいちばん好きだから、とうぜんタマさんのことも好き。
それは、生まれたときから知っている猫が三毛だから、三毛猫が好きなのか、三毛猫だからタマさんが好きなのか。
どっちなのか、わからない。
もしもうちにいたのが茶トラの猫だったとしたら、ぼくは三毛猫よりも茶トラ猫が好きになっていたかもしれない。
だけど、茶トラのタマさんは想像できないし、タマさんが三毛猫でなかったとしても、ぼくはタマさんをきらいになったりはしないはずだ。
ということは、ぼくはタマさんが好きなのであって、タマさんが三毛だから、三毛猫が好きということになるのかもしれない。
「よし。今日はタマさんのことについて書こう」
ぼくが言うと、タマさんの耳がピクピクした。
タマさんはこんなふうに、ぼくの言うことをわかっているような動きをするから、ふしぎでおもしろいんだ。
ぼくはまず、ノートにこう書く。
『タマさんは、人間のことばをりかいしているかもしれない』
そうだ。タマさんの絵も描いておこう。
あとでなにが書いてあるかわかるように、絵や記号を入れたり、色わけしておくとべんりなのだ。これは、おとうさんがおしえてくれたワザ。学校でも役にたっているし、先生にもほめられていることだったりする。
色えんぴつを取りに行く。部屋を出たところで、ノートを床に広げたままだったことに気がついて、立ち止まった。あれはいちおう秘密のノートだから、うっかり誰かに見られないようにしておくべきだよね。
くるりと身体をまわして入口にもどったぼくだけど、部屋に入るまえにまた立ち止まった。
ノートの前に、タマさんが座っていた。下を向いて、本を読んでいるみたいなかっこうをしている。そして、前肢をつかってページをめくったのだ。
一枚、もう一枚。
何ページかめくって、ふーと息をはく音がした。
「タケル、なにしてるの?」
うしろからおかあさんがやってきて、ぼくに声をかけたから、ビクってなった。
「タマさんが……」
「タマ?」
おかあさんに顔を向けたあと、もういっかい部屋のなかを見ると、タマさんは床にごろりと転がっていた。
あれ? さっきまで座ってたと思ったんだけどな。
「タマと遊んでたの?」
「ちがうよ。タマさんは寝てたから、タマさんについて考えようと思ったんだよ。あのね、さっきね――」
「ニャー」
ぼくの足もとにタマさんが来た。長いしっぽがぼくの足にからみついて、くすぐってくる。
つぎにおかあさんのほうへ行くと、足に頭をすりつけはじめた。
これをされると、おかあさんはメロメロになって、タマさんの言いなりになってしまうのだ。
じつはタマさんってば、これも計算していて、ごまかしているんじゃないのかな。
ひそかにそう思っていると、タマさんがいきなりぼくを見て、黄色の目をキランとさせる。
まるで、「言うな」ってケイコクしているみたいだ。
ぼくがうなずくと、タマさんはぷいと顔をそらせて、台所へ向かって歩いていく。おかあさんがパタパタとそのあとを追いかける。きっとおやつをあげるんだな。
食べさせてばかりだと太ってしまって、健康をソガイするっておとうさんが言っているのに、おかあさんはタマさんにあまい。
ぼくは部屋にもどって、ノートをとりあげる。ひらいてあるページは、庭の花についての考え。おなじ種類の花でも、ちがう色になったりするのは、どうしてなのかということにはじまり、おかあさんとぼくでは、おなじ花でも別の色が好きだったりすることも書いている。
おとうさんがいうには、色というのは、気持ちに影響を与える「シカクのコウカ」なるものがあるらしい。
たとえば、青い色はすずしい気持ちになるし、オレンジ色はあったかい気持ちになる、みたいなこと。
ポスターなんかは、こういうことを考えてつくればいいんだってわかったから、夏休みの宿題のときに役に立ちそうだった。
ちなみにこれは、春休みに書いたところで、さっきぼくがひらいていたのは、新しいページのはずなのだ。
――やっぱりタマさんが、このノートをめくっていたんだ。
ぼくが見たのは、まぼろしじゃない。
さすがに、人間が書いた文字まで読めるとは思わないけど……。
タマさんは、ぼくがタマさんのことについて書こうとしていることを知っていた。耳をピクってさせて、聞いていたんだから。
だから、なにを書いたのか、確認しようとしたのかもしれない。
それってつまり、知られたらこまるようなことがあるのかな?
帰ってきたおとうさんに、今日のタマさんの行動について訊いてみた。
おかあさんはおしゃべりだから、ぼくが学校に行っているあいだに、タマさんに話してしまうかもしれない。秘密をゲンシュするためには、男同士にかぎるよね。
おとうさんは、ぼくに言った。
「タマは器用だからな。そういうこともあるかもしれないぞ」
たしかに、それは正しいシテキだ。
タマさんは前肢をつかうのがうまい。網戸なんて、あたりまえみたいに開けてしまう。動くおもちゃをつかまえるのもうまいし、箱からちょっとだけ出ているティッシュペーパーを引きずりだすのは、うちのなかでいちばんうまいかもしれない。
だから、紙のノートをめくるぐらい、わけはない、かもしれない。
猫は人間のジャマをするのが好きな動物で、おとうさんが床に広げて新聞を見ていると、かならずその上に座って、文字を隠してしまう。ぼくが宿題のプリントを机に置いてやろうとすると、ぽんと机に乗ってきて、プリントを座布団にしてぼくを見る。
そんなふうに、すぐに紙の上に居座ってしまうのは、タマさんだけじゃない。クラスで猫を飼っている子もおなじようなことを言ってたから、まちがいないはず。
――あのとき、ノートをめくったのはタマさんのひとりあそびで、もしかしたらノートを布団にして寝ようとしていたのかもしれない。
やっぱり、ひとりで考えるより、おとうさんの意見をきいたほうが、整理できるなあ。
ぼくは、タマさんについて考えていることがバレないように、こっそり観察することにした。
秘密のノートは、タマさんが開けないようにカギつきの引き出しにしまってある。いつもはこんなことはしないんだけど、ネンにはネンをいれる必要があるのだ。
そんなふうにして過ごしていると、ぜっこうのチャンスがおとずれた。
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