第三話 流星群の夜


 あれから三年。色々あった。

 例えば、トールと一緒に、母方の叔父おじ様を落とし穴にはめて骨折させたり。

 例えば、港町カルテッドで奴隷を売っていた海賊を、また懲らしめたり。

 例えば、トールを自分の騎士に欲しがる公爵令嬢に、悪夢を見る呪いをかけたり……

 なぜか悪名ばかりを轟かせたけれど、トールと一緒なら怖いものなどなく、良いことも悪いことも、競い合うようにして共にやらかした。

 そんなこんなで、私は十四歳に、トールは十五歳になった。

 私はまだまだ子どもっぽいけど、トールは大人たちとそう変わらない背格好だし、ますます色男に。

「はあ……こいつばかりズルいわ」

 トール、街に出ると若い女の子たちに黄色い声を投げかけられる。

 すっかり紳士らしい振る舞いと愛想笑いを覚えているしね。

「ちょっとトール、女の子たちに無駄な愛想を振りまくのはやめなさい」

「仕方がないでしょうお嬢。オディリール家は悪い噂が立ちやすい。俺くらい愛想よくしとかないと」

「……確かに、今日だけで私、陰口めちゃくちゃたたかれてるわ。あなたを我が物顔で従えているところが感じ悪いんですって。あなたがかわいそうなんですって」

「おや、お嬢。俺はかわいそうなんですか?」

「知らないわよ。自分の胸に聞いてみて!」

 今日は父の仕事について、ルスキア王国第三の都市であるデルハーグに来ていた。

 ここは公爵家であるビグレイツ家の領地で、お父様はビグレイツ家の顧問魔術師でもあるのだった。

明日あしたは公爵様主催の舞踏会よ。トール、帰ったらまたダンスのレッスンしなくちゃ。あなた、ダンスが唯一苦手なんだから」

「わかってますよ。俺も恥かきたくないですし……でもゆううつだ……」

「あ、見てトール、可愛い」

 にぎわう大通りには様々な露店が立ち並び、私は天然石で作ったアクセサリーを売っている店で足を止めた。どれも高価なものではなかったが、東の国のデザインがざんしんで、ちょっと見入ってしまう。

「何か欲しいですか? 俺が買ってあげてもいいですよ?」

「い、いいわよ。使用人に買ってもらうほど落ちぶれちゃいないわ」

「でもお嬢、今日は十四歳のお誕生日ですよ。めでたく俺と出会った、お嬢にとって最も運の良かった日です」

「……言うようになったじゃない、あなたも」

 んーそうねえ~、そこまで言うんだったら~、この紅水晶のしずく型のイヤリングなんて、淡い色合いで可愛いわねえ~。

 なんて、まんざらでもなく品定めしていると、

「きゃあああ! ひったくりよ! 誰か止めて~~っ!」

 大通りから甲高い悲鳴が聞こえた。これだけ大きく管理された街にも悪党はいる。

 どうやら二人組の男が、中年女性のカバンを盗んで逃走中のようで、警備隊も近くにはいない。

「トール」

「はい、お嬢」

 私に命じられ、トールは腰の剣のつかを握り、飛び出す。

 そして得意の浮遊魔法で悪党どもが盗んだカバンをひょいと宙に浮かせた。

「ああっ」「カバンが飛んだ!?」

 悪党が慌てて足を止め、宙に浮くカバンを取り戻そうと手を伸ばした直後、トールの剣が無駄なく舞い、奴らの装備や衣服を切り落とした。

「ぎゃあ!」

 なぜか無駄に恥ずかしがる悪党二人組に向かって、

「メル・ビス・マキア───いばらよ拘束せよ」

 私は簡単な【草】属性の魔法を使い、ちょうど道の端にあったバラの植木を利用し、茨をズルズルと伸ばして見苦しい裸体を縛り上げた。

「イタタタタタタタ」「トゲが刺さるっ!」

 悪党どもは痛みにもだえているが、そんなことしたら一層トゲがお肉に食い込むわよ。

「あははっ、いいざま! 人のものを盗もうとするからよ」

「な、何だこのクソガキ~っ」

「そんな口利いていいの? もっと縛りをキツくしてやる!」

「お嬢、悪党で遊ぶのはそこらへんにしてください。どっちが悪党かわかりませんよ」

 トールがカバンを元の女性に返し、私をたしなめた。だいたいいつもこんな感じ。



「オディリール家の令嬢とその騎士がひったくり退治とは、恐れ入ったね。そういえば以前もカルテッドで海賊をつぶしたんだったか。いやはや、全く。末恐ろしい」

 別荘でダンスの練習をしていたら、この件を知ったデルハーグ公爵ビグレイツきように呼び出しを食らい、公爵様はあきれつつもこの件をねぎらってくれた。

「お前も気が気ではないだろう、エリオット」

「ふふ。マキアのことはトールが見てくれているので、私はそう心配はしておりませんよ、公爵様」

 部屋にはお父様もいて、ちょうど公爵様と明日の段取りをしていたみたい。

 公爵様はお父様より一回り歳上で子沢山。ちなみに私と同じ歳の娘スミルダ嬢がいるが、そいつがたいそう甘やかされ、わがまま放題。

 公爵様本人はまあ、父とも仲良く、悪くないお人柄なのだが。

「褒美と言っては何だが、城の隣にある星の観測塔の使用を許可しよう。前に興味があると言っていただろう?」

「ええっ、いいのですか公爵様!?」

 私は思わず手を合わせ、身を乗り出した。

 ビグレイツ家はデルハーグを見下ろす丘の上にあり、隣には星の観測塔がある。

「ああ、いいとも。マキア嬢は勉強熱心で感心だ。うちの娘にもそのくらい熱心なことがあればいいのだが……流行のドレスをコレクションすることばかりに執心で……」

「では早速、行ってきまーす!」

 公爵様の悩ましい話の途中ではあったが、私はトールを引っ張って部屋を出た。

 部屋を出ると例の公爵令嬢スミルダがいて、頭の両サイドにくっつけたクロワッサンみたいな縦ロールをいじりながら、

「ごきげんようマキア。今からあたくしが遊んであげてもよくってよ!」

「あ、ごめんスミルダ。星の観測でちょっと忙しいのよ。明日ね」

「…………」

 なんだかんだとおさなじみで構ってちゃんなので、スミルダは私と遊んでとしたがる。

 まあ、私もそう暇ではないので、今日のところはお断りするけど。

「いいんですか、お嬢。一応公爵様のご令嬢ですよ」

「いいのよ。前に金と権力の力でトールを横取りしようとしたもの、あの子」

「ああ……そんなこともありましたね。お嬢がスミルダ嬢に、悪夢を見る呪いをかけてあきらめさせたんでしたっけ」

「ええ。あなたを横から奪われるのは許せないもの」

「俺はお嬢のお気に入り、ですからねえ。モテる男はつらいですよ」

「……得意げな顔して。ムカつくっ!」

 そんな会話の途中、お父様に明日のことで聞いておきたいことがあったのを思い出し、「あっ」と立ち止まる。

「俺がお伺いに行きましょうか?」

「ううん、お母様へのお土産についてだから、私が直接聞くわ。トールは先に行って、準備をしていて。夏とはいえ、ここの夜は少し冷えるから」

 そして私は急ぎ足で引き返す。さっきまでいた公爵様の部屋に。

 スミルダもまだそこにいて、相変わらず頭のクロワッサンを弄っている。

「マキアったら戻って来ちゃってどうしたのお~。やっぱりあたくしと遊びたくなった?」

「違うわよ。お父様に伺いたいことがあったの」

 ドアをノックしようとした時、お父様の声が聞こえ、私は手を止める。

「実のところ……将来トールを、我がオディリール家の婿養子にと考えています」

「……!?」

 盗み聞きしてしまったその言葉に、私は目をパチクリとさせ、ついでにスミルダと顔を見合わせる。そして二人して、ドアに耳をくっつけた。

 婿養子? 婿養子ってことは、もしかして私の夫ってこと?

「……ほう。あの少年は魔術も剣術も、優れた才能を持っていると聞いている。器量もいいしな。うちの娘にも、何度あの子が欲しいと強請ねだられたことか」

「ははは。非常に頭の良い子で気が利くので、私もついつい仕事に連れて行くことがあります。そしてマキアに文句を言われてしまう。お父様がトールを連れて行くから私は退屈して死にかけた、とか」

「あははは。言いそうだ、言いそうだ」

 公爵様と同じように、隣のスミルダが「言いそうだわ」と。やかましいわね。

「しかしそれだけトールは有能だ。魔法も剣も、あれほどの才能を持つ者はそうはいないでしょう。娘のマキアが見つけなければ、今も奴隷の身だったかもしれません。そう考えると、やはり、あの子が我が家に来たことが運命……」

 お父様は、少し間をおいて、公爵様にある頼みごとを申し出た。

「できればトールを、マキアが魔法学校に行くタイミングで王都の騎士学校に入れてやりたいと思っています。しかしあの学校は推薦以外に入学のすべがありません。できればその際は、公爵様にお力添えを頂きたく」

「なるほど。承知したよエリオット。お前とは長いつき合いだ。それに顧問魔術師であるオディリール家の発展は、我がビグレイツ家としても望ましい……」

 公爵様とお父様の会話を聴き終え、私はお父様に聞きたかったことすら忘れ、その場から小走りで去った。はわわわと頭を抱えながら。

 トールが私の婿養子。

 トールが私の婿養子……ですって……っ!?

「マキアったら奴隷出身の男と結婚するのお? オディリール家も落ちるところまで落ちたのねえ。あたくしなんて王太子妃候補なのに!」

 わざわざ後ろについてきて、嫌味を言ってくるスミルダ。

「何よスミルダ、その言い草。あんなにトールを欲しがってたくせに」

「騎士ならば生まれは目をつぶるわよお。美形であることの方が大事。でも結婚相手となったら話は別よお。貴族の令嬢が奴隷だった男と結婚なんてあり得ない。やめといた方がいいんじゃないマキア~。オディリール家がますます馬鹿にされちゃう。ふふっ」

 私は足を止めた。

 結局スミルダも、トールを〝もの〟のように思っていて、欲しがっていても対等な人間であるとか、良きパートナーであろうという意識はないのだ。

 そこにあるのは、彼を奴隷として売買していた奴らと同じ。れいだから、欲しいだけ。

 誰も本当に、トールのことを愛しちゃいない。

「馬鹿にされる? 上等じゃない。周りに何を言われようとも、私がトールを好きなら文句ないでしょ」

「え?」

「私は偉大な魔女になるし、将来の魔女男爵バロネスよ。トールがだん様として隣で支えてくれるなら、どう考えても最強だから、まずは大嵐を巻き起こしてやる。最初に吹っ飛ぶのはあんたの大事にしてるドレスクローゼットだからね!」

 スミルダは青ざめ、そのまま自分のクローゼットを確認するため走り去ってしまった。

 私も、もうビグレイツのお屋敷を飛び出し、星の観測塔に駆け込む。

 なんだか猛烈にトールの顔が見たくなってきた。胸がぎゅっと締め付けられている。

 全力疾走でせん階段を上っていたせいか、息苦しい。途中、息を整えるために立ち止まり、自分自身の心に問いかけてみる。

 私、さっき、トールのこと好きって言った?

 そりゃあ好きよ。トールと出会ってから、ずっと大切な人であることに変わりはない。

 だけどこの好きって、もしかして……恋?


「どうしたんです、お嬢。せっかく星が綺麗に見えるのに、さっきから歯を食いしばって俺のことにらんで。怖いんですけど。……俺なんかしました?」

「……あー、ううん。いや、んー」

「何か変なものでも拾い食いしたんでしょう、お嬢ならあり得る」

 確かに私は、せっかく星の観測塔の最上階で、晴れた星空を拝めるというのにベンチに腰掛けトールの顔ばかり見ていた。

 お父様がトールを私の婿養子にしようとしているって……言った方がいいのかな。

 でも、そんなこと言ったら、トールは絶対拒否する。鼻で笑って「流石に無理です」とか「お嬢と結婚するくらいなら死んだほうがマシ」とか言うに違いない。

 というかまあ、そう言われることをたくさんやらかしてきた自覚がある。スミルダにはあんな宣言しちゃったけど、そもそもトールに拒否されたら成り立たない話なのよね。

「お嬢、どうぞこちらに」

 トールは隣に腰掛け、マントを広げる。こんな時に……っ。

「私は……別に寒くないけど。むしろ暑いくらいなんだけど」

「俺がちょっとだけ寒いので」

「…………」

 そこは確かに私の特等席だ。私はいそいそとマントの内側に潜り込み、ちょこんと収まる。小さいのですっぽりと。

「やっぱりお嬢はあったかいですね。流石は【火】の申し子です」

「仕えてるお嬢様を湯たんぽにするのは、あなたくらいでしょうね、トール」

 こんなのいつものことなのに。

 今日はトールの心臓の鼓動まで、意識して聞き取ってしまいそう。今までどうして普通でいられたんだろう、私。

「どうぞ、はちみつミルクコーヒーです。温かいですが、冷たい方がいいですか?」

「いいえ、温かい方がいいわ。……ありがとう」

 マグカップを受け取り、ちびちびと飲む。そして長いためいきと、わずかな静寂。

「やっぱり変ですよ、お嬢。はちみつを入れてないことに気づかないなんて……いつもなら甘くないって文句言うところを」

「え、あ……っ」

 今になってやっと気がついた。確かにいつもは、はちみつたっぷりのミルクコーヒーを好んで飲むし、トールもそれをよく知っているから、好みの分量を混ぜてくれる。

「わ、私だって、たまには甘くないコーヒーも飲むわ!」

 お澄まし顔でもう一口すするも、無糖であることを意識してしまい、渋い顔になる。

 トールがパッと私のマグカップを奪い、ひとさじ分のはちみつを混ぜてくれた。

「……うん。やっぱりこっちの方が美味おいしい」

「そうでしょうとも。お嬢は、そうやって素直な方がいいですよ。ひねくれているように見えて、実はとてもまっすぐで実直なところが、あなたの魅力なんですから」

「……褒められてるのか嫌味を言われてるのか、わからないわね。何かたくらんでる?」

「そううたぐらないでくださいよ。俺だってお嬢に調教されて、ねじれまくっていたものがこうも素直になったわけです」

「とぼけたような顔しちゃって……」

 でも、確かに出会った頃は、人を信じられない、捨てられたせ犬のようだったトール。

 生意気で皮肉屋なのは今も変わらないけれど、立派なオディリール家の騎士に成長した。

 私もいつか、オディリール家の魔女男爵バロネスになる。一族のために、魔力のある花婿を迎え入れなければならないのも確かだ。

 その時、別の男が私の隣に立っている?

 いいえ、やっぱり考えられないわ。トール以上に魔力のある人なんてそうそういないでしょうし、彼が隣にいてくれるのなら、それが一番頼もしく、うれしい。

 トールは私のこと、どう思っているのかな……

 とここから見える星空をぼんやりと見上げていたら、スッと光が横切った。

「あ、流れ星!」

「さっきから時々、星が流れますね。望遠鏡をのぞかなくても面白いですよ」

「トール、流れ星には願いをかけなくちゃ」

 私はマグカップを置いて立ち上がると、塔の手すりにもたれ、満天の星を見上げた。

 星が強く瞬いている。ドクドクと脈打つ心臓みたいに。

「あ、また流れ星!」

「〝お嬢が魔法学校の受験に合格しますように〟」

「……え?」

 背後でトールが願ったことに、私はしばらくぽかんとしていたが、徐々に心配になって、

「それがトールの願いなの? ダメよ、もっと自分のこと祈らなきゃ!」

「自分のためですよ。お嬢が立派な魔女になれば、オディリール家は安泰。すなわち俺の生活の安泰。そうでしょう?」

「そりゃ、そうかもしれないけど……でも、合格できなかったら?」

「あり得ないですがそれはそれで。お嬢と一緒にいられる時間が増えるので悪くないです。再来年お嬢が魔法学校に通い出したら寮暮らしになりますし、四年はまともに会えない」

「…………」

「やっぱりお嬢、今日はなんか変ですよ? 大人しいというかしおらしいというか、お嬢らしくもない。もしかして熱でもあるんじゃないですか?」

 隣にやって来て、トールは顔を傾け、私と視線を合わせた。

 どこか心配そうで、私の額や頬に手を当てて熱を測っている。

「そういやいつも熱いから、よくわからないですね……」

 なんて、しっかりボケながら。

「ねえ。トールは……ずっと、私の側にいてくれる?」

 うつむきがちになって、またしてもしおらしい私に、トールは少しばかり目を見開き、

「ええ、もちろん。俺はあなたに見つけていただいた身です。俺の願いは、オディリール家の魔女男爵バロネスとなるあなたの騎士として、側でお仕えすることです。……例えばあなたが、いつかどこぞの貴族の次男坊なんかを、花婿に迎えようとも」

 なんだか、最後の台詞せりふが、やけに切なく感じられた。

 私が妙な顔をしていたからか、トールが、

「あー。もしかしてこれですか? さっきお嬢が旦那様の元に戻った時、公爵様の紹介で縁談話でも持ちかけられたとか」

「あ……」

「やっぱり。もうそろそろかと……思ってましたよ」

 私が何も言えずにいるので、トールは勘違いしたまま苦笑し、なぜか私の耳に触れる。

「えっ!?」

「動かないでください、お嬢」

 トールは真剣な顔をして、私の横髪を払いながら、何かを耳につけた。

「……これ」

「ええ、お昼に街の露店で見ていた、紅水晶のイヤリングです。安物ですけどね。……お嬢、十四歳のお誕生日おめでとうございます」

 もう片方を一度私に見せてから、やはり真剣な顔をして耳に取りつける。

 そしてトールは、忠実な騎士らしくひざまずいてみせた。

「一生の忠誠を誓います、マキア・オディリール嬢。今日は、俺にとっても、あなたと出会えた運命の日なんですよ」

 頬をでる夜風はこんなに冷たいのに。

 トールなりの、熱と真心のこもった言葉に私は胸を打たれ、同時に焦りすら覚える。

 だから、私は、

「ねえトール。私の花婿はどこぞの貴族の次男坊ではなく、あなたではダメなの?」

「はい?」

「お父様はあなたを騎士学校に入れた後、オディリール家に婿入りさせたいと考えているわ。要するに、私の花婿よ。あなたにその意思があるのなら、私」

「ちょ……っ、ちょっと待ってください、待ってくださいお嬢。なんです、その話は」

 この爆弾発言にトールは心底驚いたみたいで、立ち上がって慌てて首を振った。

 だけど私が思っていたよりずっと、赤い顔をして焦っている。

 彼なら鼻で笑うと思ってたのに。

「だ、駄目ですそんなの! 俺なんて異国のスラム街出身で、本当にひどい、酷い親から生まれたに違いない馬の骨だ。オディリール家の品位をおとしめてしまう」

「……トール」

「見つけていただいて、育てていただいただけでも、一生お返しできないほどの恩があるのに、それなのに俺が婿入りだなんて。俺のために、あなたがそんなことまでしてくれなくても、十分、俺は……っ」

「違うわ、トール。ただ私たちはあなたが大切で、本当の家族になってくれたらなって思っているだけなのよ。だって、私……っ」

「……お嬢」

 トールは私の唇に人差し指を添え、やはり首を振る。

「お嬢、あなたはこの世界をまだ知らない」

「…………」

「これから様々な出会いがあります。魔法学校でも、社交界でも。王宮勤めだってしたいと言っていたじゃないですか。そこであなたは、もっと広い世界を知るでしょう。好きな男もできるかもしれない。まだ本当の恋も知らないうちから結婚相手が決まっているなんて、窮屈で息苦しいだけです。あなたの自由を縛ってしまう」

「でも、それは……トールにも言えることだわ」

 私は、ポツリと。

「あなただって、これから別の女の子を好きになるかも」

 こぼれるように出て来た言葉の意味を、私は後から考えていた。

 トールが別の女の子を愛し、私のことを見てはくれなくなるということ……

 そしたらなぜかすごく悲しくなって、どうしてこんなに悲しいのかわからないけど、目元が熱くなって泣きそうになる。

「お、俺は……っ!」

 そんな私を見て、トールが何かを訴えようとした。

 だけど、その時だ。

 聞いたことなどない、だけどなぜか知っている───

 そんな祝福の音が、あたり一帯に、高らかに響いた。そして周囲がいきなり明るくなったと思ったら、今までとは比べ物にならないほどの流星が夜空を駆け巡る。

「な……っ、流星群!?」

「何、これ」

 この世界にとって、流星は福音である。

 何か、尊いものの訪れを告げている。

「あ……っ」

 鋭い頭痛の後、目まぐるしい光の群れが私を飲み込むような、不思議な感覚に陥った。

 そしてなぜか、見知らぬビジョンがいくつもいくつも、脳内を駆け巡る。


 ここではない、どこか遠い世界の景色。

 受験に失敗して泣いている私を、慰めてくれた男の子。

 仲良しだったはずなのに、同じ人を好きになってしまった、もう一人の女の子。

 伝えたいことがあって屋上に走った、夕方。

 そして、の見たもの。

 真っ赤な夕暮れ、血の海、倒れている二人。

 私を殺した、金髪の男。

 ああ。これはいつもの、意気地のないえない女の子の夢だ。

 夢? いや、違う。

 これは、私の一つ前の人生───私の〝前世〟だ。

 悟った理由はわからない。だけど私は、あの夢が前世の記憶から漏れ出たものであることを、流星によって教えられていた。


 ───あなたの名前は、トールよ。


 ふと、この世界でトールを名付けた時のことを、誘発的に思い出した。

 天啓のように頭に降ってきた、無意識につけてしまった、その名前。

 トール。トオル。とおる……

 そうだ。前世の想い人の名は確か『さいとうとおる』だった。

 もしかして私、前の人生の想い人の名をつけてしまったの?

 いや。彼も私と同じ時に、同じ場所で死んだ。

 もしかして、あなたは、あの男の子の───


「ハッ……!」

 やっと、意識が現実に引き戻された。目の前を駆け巡っていた光は、いつの間にか全て通り過ぎ、流星群もおさまり静かな夜が戻っている。

「……痛っ」

 だが、隣にいたトールが胸元を押さえ、急な痛みを訴えていた。

「どうしたの、トール!?」

「い、いきなり……っ、胸に焼けるような痛みが……っ」

 トールはふらつき、手すりにもたれて、そのままズルズルとしゃがみこむ。

 彼の胸元から光が漏れていた。

 私はもう、さっき思い出したことへの戸惑いなどどこかに放り投げ、目の前にいるトールの上着を脱がし、シャツのボタンを外した。

「これは……」

 驚いた。ちょうど心臓の上にあたる位置に、不思議な印がぼんやりと光を帯びて浮かび上がっていた。その印は四枚の花弁の花のようにも見えたし、四方に光を放つ星のようにも、何かを守る四本の剣にも見えた。

「トール、お父様のところへ行きましょう……っ!」

 流星群といい、思い出してしまった前世の記憶といい、何かが異常だ。

 この印からは魔力を感じる。呪いかもしれない。

 私はどこか息苦しそうなトールを連れて、塔を下りてお父様の元へ向かった。

 だがビグレイツ本邸も非常に慌ただしく、誰も彼もが緊急事態だと騒ぎ立てている。

「星が降ったぞ」

「救世主様が降臨なさるのだ!」

 そんな話があちこちから聞こえた。救世主? 何が何だか……

「マキア、帰ってきたか」

「お父様!」

 お父様は公爵様とともに奥の間から出てきた。

「星を見ていたのなら、驚いただろう。おびただしい数の流星群で」

「そんなことよりトールの様子がおかしいんです! 心臓の、心臓の上に不思議な印が浮かび上がっていて……っ」

「……何?」

「の、呪いだったりしたらどうしよう。トールも胸が痛そうで、つらそうで……っ」

 嫌な汗を流し、顔を引きつらせているトールを見て、お父様は険しい表情になった。

 はだけた胸元の、その印を確認し、いっそう目を見開く。

「これは……」

「なるほど。〝守護者〟の一人か」

 冷静な声音でそう続けたのは、公爵様だった。お父様もうなずく。

 そして彼らは、トールを私から引き離し、医務室に連れて行くよう側近に命じる。

「トール、トール!」

「お嬢……」

 私の方に視線を向け、また苦しそうに表情をゆがめるトール。

「マキア、落ち着きなさい。トールも今は苦しいかもしれないが、じきにおさまる」

「ねえ、お父様。お父様ならトールの呪いを解けますか?」

「あれは呪いじゃないんだよ、マキア。トールは〝選ばれし者〟だったんだ」

「……選ばれし者?」

「きっと……マキアにも私にも、初めて会った時からわかっていたのだろう。あの子が特別だということを。だけど、こういうこととは……」

 お父様は少し伏し目がちになり、寂しく笑った。

 いや、私には訳がわからない。流星群も、トールの身に起こったことも。何も。

 お父様と公爵様は再び奥の間へと向かい、私は部屋で待つよう命じられた。

 トールがどうなってしまったのか、心配で心配でたまらないのに。



 翌日、お父様は私にこう告げた。

「マキア、落ち着いて聞いてくれ。トールは王都へ召還されることとなった」

 それは予想もしていない事態だった。

「あの子は選ばれた。異世界の〝救世主〟をお守りする、四人の守護者の一人として。ビグレイツ家はトールを養子に迎え入れ、公爵家の後押しをもって王都へと送り出してくださった。これがトールにとっての最良。あの子はこれから、とてもとても遠い存在になる」

「ちょっと……待って、ください。お父様が言っていることの意味が……わかりません」

 私は何度も、何度も首を振る。

「トールはどこ? 私、昨日からずっと会ってないんです。それに、話したいことが……」

「マキア……。そうだね、はっきりと言おう。トールのことは、あきらめなければならない」

「…………」

「あの子はもうマキアの騎士ではないし、オディリール家の門下生でも、使用人でもない。星に選ばれたことで、我々より高い地位を得ることになったのだ。今後私たちが、あの子の人生に関与できることはない」

 私は何も答えられなかった。答えようがなかった。

 それって要するに、トールとは離れ離れになるということ?

「トールを見つけたのはお前だ。名を与えたのも。やはりお前は、運命の名を与えることのできる魔女なのだ。祖先の〈くれないの魔女〉のように」

「……名前」

 そうだ。トールに名を与えたのは私だ。

 無意識に、前世の想い人と同じ名を与えてしまった……

「マキア?」

 私はドクドクと高鳴る胸を押さえながら、駆け出した。

 ビグレイツの屋敷を飛び出し、今、屋敷の門から馬車が出て行くのを見る。

 馬車にはトールが乗っていて、その横顔はどこか暗かった。

「待って、トール! トール!!」

 前世では想い人に気持ちを伝えられず、たくさんのことを後悔しながら死んだ。

 ならば私は、確かめなければならない。あなたが何者であるのか。

 淡くともったはずの、想いの正体を、私はまだ何一つ知らないのだから。

「トール……ッ!」

 だが馬車が止まってくれることはなかった。魔法を使って追いかけようとしたが、背後にいたお父様によって止められ、そのままトールは行ってしまう。遠く、遠くへ。

「どうして。どうしてですか……っ、お父様!」

「トールには、やらなければならない役目があるのだ。ちゃんと説明してあげるから、今は我慢してくれ、マキア」

「……嫌だ……っ!」

 到底、納得できなかった。

「嫌だ嫌だ嫌だ! 私はトールを取り戻す。何をしてでも!」

 前世の私とは違う。私は大事なものを手放さないし、奪って行くような者がいたら、全力で阻止してきた。そういう、魔女のまつえいだ。

 だけどお父様は、今にも暴れだしそうな私を包み込むようにして、抱きしめた。

「諦めなさい。マキア」

 口調は厳しかったが、多分、お父様も辛かった。トールを手放すこと。

 ちゃんと愛していたからこそ、ビグレイツ家の養子として彼を送り出すことにしたのだ。


 その後、お父様に詳しく教えてもらったのは、星降る夜の〝秘密〟について。

 それはルスキア王国に古くから伝わるという、救世主伝説である。


  星降る夜に、異世界より救世主の訪れを知らせる福音が鳴るだろう。

  同時に四つの星が散り、救世主の盾となる四人の守護者が選ばれる。

  四光の紋章は黄金の剣の下に集い、忠誠を誓うべし。

  救世主は聖地ヴァベルを目指し、こんとんとしたメイデーアを安定に導くであろう。


 まるで、どこかで聞いた、物語のよう。

 この伝説は意図的に別の物語に置き換えられ、詳しいことは隠されていたという。だが実は、今まで何人もの救世主がメイデーアに降り立っているらしい。

 この国の誰もが知る『トネリコの勇者』という童話がある。

 勇敢な若者が、四人の仲間を集めて、三人の悪い魔法使いたちを倒す物語。これこそ実話を基にして残された救世主伝説の一例で、勇敢な若者とは、まさに異世界から降り立った〈トネリコの救世主〉だったのだ。

 トールが選ばれたのは、この童話に登場する〝四人の仲間〟と同じ立ち位置の存在。

 正式には救世主を助ける、心臓の上に印を持つ〝守護者〟というものだ。

 これは星の降る夜に、流星の導きにより選ばれるらしい。

『トールのことは、諦めなければならない』

 そう言ったお父様の言葉が、やっと理解できた。

 要するに、もうトールは私の騎士ではない。私を守る存在ではない。

 ずっと私の側に居てくれると言ったのに、世界がそうはさせなかった。

 トールはもう、異世界より招かれた救世主に対し、絶対の忠誠を誓い、その身をかけて守らなければならない宿命がある。


 しばらくして、救世主がルスキア王宮により発見され保護されたと、お父様がお母様に話しているのを盗み聞きした。私と同じ年頃の少女だという。


 トールは、私ではない異世界の〝女の子〟を守る騎士となったのだ。



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