第29話

 「えっと……もう撮れてるのかな」

 白ワンピース姿の彩が、カメラのレンズを覗き込んでいた。

 「一人での撮影は難しいね。やっぱりカメラマンの陽斗くんがいないとダメだよ」

 困り顔を浮かべながら、彩はカメラから離れてゆく。辺りの景色が映し出された。

 見覚えがある。

ここは病院の屋上だ。夜空に煌々と浮かぶ、ベテルギウスの赤い光が存在感を放っている。

 「お久しぶりです、陽斗くん。もし奏汰がちゃんと、わたしのお願いを聞いてくれていたら半年ぶりですね」

 長い間耳にしていなかった彩の透明な声が、俺の鼓膜を揺さぶる。

 「わたしは、ついさっき三週間の眠りから覚めた所です。色々な検査が終わってすぐにこの動画を撮影しています」

 三週間の眠りから覚めた日ということは、この動画は俺が彩に告白する直前に撮られたものだということだ。ベテルギウスの位置から考えると、午後八時ごろだろうか。

 「陽斗くんは、きっと不思議に思っていることでしょう。どうしてわたしがこんな動画を撮ろうと思ったのか。実はわたし自身もよく分かっていません。普通に考えれば、こんな動画は必要ないんです。もうすぐ薬が届いて、わたしの病は治るんですから」

 彩は右手を自分の胸にキュッと当てた。

「でも……何となく、目が覚めた瞬間に胸騒ぎがしたんです。自分の思いを何かしらの方法で残しておかないと後悔するって。いつもの勘です。でも、陽斗くんもご存知の通り、わたしの勘はよく当たります。なので、わざわざこうして動画を撮ってみました。もしも陽斗くんが今、この動画を見ているのだとしたら、わたしの勘はまたもや的中したことになります。凄いでしょう?」

 彩は自慢げな笑みを浮かべる。

 「思いを伝えるだけなら、今すぐ陽斗くんをこの場に呼び出した方が良いのかもしれません。確かにそのとおりです。こういうことは、直接伝えたほうが良いに決まってます。でも……いざ陽斗くんと目を合わせたら、素直になれないような気がしたので、保険として、こうしてYouTuberらしく動画を撮っておくことにしました。もちろんこの後、陽斗くんとは直接お話するつもりなんですけどね……。やっぱり自信が持てないんです」

 彼女は小さくうつむいた。

 「って、こんな所でクヨクヨしている場合じゃないですよね。早く本題に入らないと……。では、わたしが陽斗くんに対していつも思っていることを話しますね」

 彩は一度、大きく深呼吸した。

 「わたしからみた陽斗くんは、いつもキラキラと輝いていています。あのベテルギウスみたいに……」

 そう言って彼女はチラリと上を向く。

 今、俺は聞き間違えをしたのだろうか。もしくは彩の言い間違え? 彩ではなく、俺が輝いていると言われたような気がする。しかしそれは、聞き間違えでも言い間違えでも無かった。

 「初めて会ったときからずっとです。陽斗くんはいつも眩しくて、わたしの憧れでした」

 何を言いたいのか、俺には理解できない。輝いているのは、俺ではなく彩だ。

「陽斗くんが初めてわたしをカフェに誘った時のこと、覚えていますか?」

 忘れる訳がない。ナンパまがいのことをした、あの時だ。

 「あの頃のわたしは、全てに絶望していました。現実も夢の中も真っ暗で希望のかけらもなくって……。だから飢えてたんです。希望とか、輝きとか、そういったキラキラしたものに」

 上空のベテルギウスに視線を向けながら、彩は話を続ける。

「そんな時、わたしは突然カフェに誘われました。正直、かなりビックリしましたよ? でも、他にやることもなかったので、わたしは陽斗くんについて行きました」

彩はフフッと笑みを浮かべた。

「そしてわたしは見つけたんです。探し求めていたキラキラを。陽斗くんの瞳の中に」

 ……そんなはずは無い。あの頃の俺なんて特にひどかったはずだ。まだ彩と出会って変わる前なのだから。

 「特に、千春ちゃんやベテルギウスの話をしている時の陽斗くんは眩しかったです。こんな風に自分の好きなことを好きなように話せる人って、とても素敵だと思いました。わたしもこんな風になりたいなって、話を聞いていて強く感じました」

 胸に当てた手を、彩は強く握る。

「そんな時に陽斗くんが言ったんです。ベテルギウスは地球から六四〇光年離れてるって。わたしたちは六四〇年前の光景を見ているって。それを聞いた時、わたしの心臓は大きく跳ねました。ただの偶然とは言え、わたしが計算した自分自身の余命と、陽斗くんが口にした数字が一致してたんですから」

 あの時、彩が息を呑んだのにはこういう理由があったのか……。

 「それで、こんな偶然滅多に無いって興奮しちゃって、初対面の陽斗くんにいきなり余命六四〇年だなんて変なことを口走ってしまいました。今まで誰にも言ったこと無かったんですけどね。きっと、キラキラと輝いている陽斗くんに照らされて、わたしもあの瞬間は少しだけ輝いてたんだと思います。だからいつもなら言わない、ううん、言えないようなことも言えました。まあ、すぐに恥ずかしくなって誤魔化しちゃったんですけどね……」

 彩が俺に照らされて輝いてた……?

 今まで考えもしなかったことを言われて、俺はひどく混乱していた。

 「それに、陽斗くんはとっても面白い人でした。何ていうんでしょう……ワードセンスが独特なんですよね。わたし、自分のバイオリンを褒められたことは何回かありますけど『最高の暇つぶしなんだ!』って言われたのはあの時が初めてです。驚きました」

 彩はそう言ってクスリと笑う。

 「あの一言で、わたしは陽斗くんにより興味を持ったんです。あぁ、こういう風に考える人もいるんだなって、この人は一体、どういう人なんだろうって。それで気づいたら、あの草原に再び足を運んでいました。今だから言いますけれど、本当はわたし、もうあそこには行かないつもりだったんです。どうしても発表会のトラウマが残ってて……もう人前では演奏したくないって思ってましたから」

 つまり、もしもあの時俺が、素直に自分の思っていることを伝えていなければ、こうしてYouTuberとして活動することも無かったということだ。

 「でも、今思えば再び草原に行って大正解でした。お陰でYouTuberになることが出来ましたから。あの時の陽斗くんの誘い文句、今でも覚えてますよ? 『ベテルギってる君の演奏をもっと聞きたかったから』ですよね? 結局、ベテルギってるってどういう意味なのか、未だに聞き出せてませんけど……」

 突然自分の黒歴史を掘り起こされて、俺は思わず赤面する。

 「この話をすると、陽斗くんが恥ずかしがっちゃうので今は置いておきましょう。とにかく、あの日以来、わたしの毎日は大きく変わりました。陽斗くんに会うまでは、寝てても起きてても良いことが何一つありませんでした。もう、このまま消えてなくなりたいって思ってました」

 彩の口から白い吐息が漏れる。

「でもYouTubeを始めてからは、毎日に光が指し始めました。そして陽斗くん自身も、毎日のようにますます明るさを増していって、本当にこの人は凄いなって思ったんです。愛想笑いばっかり浮かべて、心を覆い隠している自分自身と比較したら惨めになってしまうくらいに……」

 彩の告白を聞いて、俺は戦慄する。まさか彩も、俺と似たようなことを思っていたとは……。

俺は、才能のある彩と凡人の自分をいつも比較して惨めな気分になっていた。

 「そんな時、陽斗くんがわたしに言ったんです。もっと自由に自分の意見を言えばいいって。以前のわたしなら、そんなの絶対に無理だと断ってました。でも陽斗くんの姿を近くで見ているうちに、少しでも良いからわたしもこんな風に輝きたいって思い始めて、それで努力するようになったんです。どうでしょう? 少しは陽斗くんに近づけたでしょうか?」

 近づくも何もない。だって彩は、いつも俺のずっと先を行ってたんだから……。

 「あぁ……真冬にワンピースはやっぱり寒いですね。もしも、これがわたしの陽斗くんへの最後のメッセージになるのなら、初めて出会ったときの格好が良いかなって思って着替えてみたんですけど……。このままじゃ風邪をひいてしまいそうです」

 彩は自分自身を抱きしめるように両腕を擦った。

 「あんまり長居も出来なさそうなので、わたしが陽斗くんに一番伝えたいことを言いますね」

 彩は両腕を解くと、大きく深呼吸した。

 「陽斗くん。わたしはあなたのことが……」

 「好きです」

 俺は全身に電流が流れたような衝撃を受ける。彩のバイオリンを初めて聞いた時と同じくらい、いや、それを超える衝撃を。

そんな俺をよそに、彩は話を続ける。

 「星のことについて夢中になって説明してる陽斗くんが好きです。わたしを色々なアングルから撮影してくれる陽斗くんが好きです。千春ちゃんと軽口を叩き合ってる陽斗くんが好きです。一生懸命バイオリンを練習する陽斗くんが好きです。どんな時でも陽斗くんはキラキラ輝いていて、そんな陽斗くんがわたしは大好きです」

 彩は一息に言い切った。

 「不思議ですね。カメラの前なら、こんなにスラスラと言えるのに……。きっと陽斗くんの前では貝のようになってしまうんですから……。まだまだ陽斗くんのようにはなれません」

 違う……。俺だって彩に告白するまでには相当の覚悟が必要だった。彩と何も変わらないんだ。

 「それでは最後に、陽斗くんへ一曲披露したいと思います。せっかく白ワンピースを着てますしね。これはYouTubeにアップしちゃダメですよ? 勝手に病院の屋上を使ってることがバレちゃいますから」

 彩はイタズラっぽい笑みを浮かべる。そして側に置いてあったバイオリンケースを開けて、中身を取り出した。

 俺とは比べ物にならないくらい美しい構えを取る。

 そして……。

 弦から、弓から、音色が溢れ出した。その音色はスマホのスピーカーを通して、俺の心を優しく撫でる。彩の考えていること、彩の気持ち、その全てが美しい空気の振動に変換されて、俺の鼓膜、全身を揺さぶった。

 あぁ……そうなのか。

 今更になって気づいた。俺と彩は似た者同士だったということに。

互いが互いのことを羨ましく思い、そして少しでも近づきたいと願った。

俺はバイオリンの才能を持つ彩を羨ましがり、彩は自分の思いを素直に口に出す俺を羨ましがった。

初めて彩のバイオリンを聞いた時、あれほど心を揺さぶられたのだって同じ理由だ。彩は全てに絶望しており、その思いを音色にのせた。一方で、俺も世の中が嫌になっていた。だから彼女の音色が響いた。彩の思いに共感したのだ。

そんな似た者同士の俺たちは、YouTubeを通して共に変化していった。互いが互いを照らし合い、そしてより明るくなった。

気づいていなかっただけで、俺にも輝いている部分はあったのだ。でも、自分はダメな人間だと決めつけて、俺は何もしていなかった。なんと愚かなのだろう。

そんな俺の輝きを見つけ出して、より明るく輝ける方向へと導いてくれたのが彩だ。彩がいなければYouTubeを始めようなんて思わなかっただろうし、例え始めていたとしてもすぐに挫折していた可能性が高い。

その逆も同じだ。彩だって、一人では決してYouTubeを始めようとは思わなかっただろう。

俺たちは二人で成長していったのだ。

 こうして考えている間にも、彩の全てが流れ込んでくる。俺と出会ってから、彩が何を考え、思っていたのかが次々と伝わってくる。

 やっぱり彩は凄いよ。

 自分の口だけでなく、こうしてバイオリンを通して思いを伝えることも出来るのだから。

 俺と彩が共に過ごした四ヶ月。彩の視点からだと二年ほどの日々が、わずか数分の演奏に圧縮されて、とてつもない濃度で俺へ染み込んでゆく。ヒビだらけでボロボロだった心が、少しずつ、しかし確実に修復されてゆくのを俺は感じていた。

 背後からベテルギウスの赤い光に照らされ、口元に笑みを浮かべながら彩は弓を滑らせる。

面積を持つ月や太陽とは異なり、たった一点から大量の光を放出するベテルギウスは、地面に彩の影を鮮明に切り取った。白のワンピースと黒い影、そして彩の輪郭は赤い光に縁取られている。

 あぁ……なんて美しいんだ。

 俺は呼吸することも忘れて見入っていた。

 やがて最後の一音が、そっと空気へ溶けてゆく。

 「どう……でした?」

 彩は小さな声で呟いた。

 「わたしの陽斗くんに対する思いを、全部音色に乗せてみました」

 彩は、ゆったりとした動作でバイオリンをケースにしまう。

 「もしも今の旋律に曲名、YouTuber風に言うならタイトル、をつけるとしたら何が良いと思いますか?」

 彩は右耳に手を当てる仕草をした。いつもYouTubeにアップする動画のタイトルは俺が決めているから質問しているのだろう。でも、俺は彩の質問に即答することが出来なかった。

だって、この曲は彩の思いそのものなのだから。俺が勝手にタイトルを決めるなんて間違ってる。

 「陽斗くんが何を言っても、こちらには聞こえないのが残念です。仕方ないので、珍しくわたしがタイトルをつけてもいいですか?」

 俺は、すぐにうなずいた。

 「陽斗くんなら、きっと許してくれると信じてます。そうですね……陽斗くんは確か、いつもタイトルにインパクトを求めてましたよね?」

 YouTubeにおいて、動画のタイトルは命だ。どんなに素晴らしい動画だったとしても、タイトルがイマイチだと誰にも見てもらえない。

 「だからわたしも、陽斗くんを見習ってインパクトのあるタイトルをつけてみたいと思います。そうですね……」

 彩は顎に指先を当てて思案する。そして数秒後に、ひらめいた! という様子で顔を上げた。

 「決めました。きっとこれならインパクトも十分だと思います」

 一呼吸ついてから、彩はタイトルを口にした。


 《ベテルギってる君へ、余命六四〇年のわたしより》


 数秒間、辺りに静寂が訪れる。

 俺は彩がつけたタイトルを噛み締めていた。

 「どうですかね……。もちろんインパクトだけじゃなくて、ちゃんと意味も込めたんですよ?」

 彩はコホンと軽く咳払いをしてから、真剣な表情で話を始めた。

「もしも今、陽斗くんがこの動画を見ているのなら、わたしの余命は本当に六四〇年になってしまったということです。半年寝たきりなら、もう今後も起きる見込みは無いでしょう。だから奏汰には、わたしが目覚めなくなってから半年後にこの動画を陽斗くんに送信するようにお願いしました」

彩はカメラ越しに、じっと俺を見つめる。

「陽斗くんはこの半年、何をして過ごしていましたか?」

彩のその言葉は、俺の胸に強く突き刺さった。

「ここからは、わたしの勝手な予想です。もしも間違ってたら笑ってください」

彩はゴクリと喉を鳴らす。

「最近、何もする気が起きなくて、部屋に閉じこもってばかりなんじゃないですか?」

俺の全身がゾクリと震える。まさに彩の想像通りの状態だから。

「なんでこんなこと思ったのかというと、陽斗くんが三週間寝込んでいた時のわたしもそうだったからです。わたしのせいで陽斗くんに迷惑かけて、もう罪悪感で何も手に付きませんでした。毎日、ベッドの中でごめんなさいって言い続けてました。陽斗くんとの楽しい日々が、こんな終わりを迎えるのが耐えられませんでした」

真っ直ぐな彩の視線は、俺の心臓を貫いている。

「そんなわたしを救ってくれたのが、弟の奏汰です。奏汰は何度もわたしの部屋を訪れました。そして言うんです。『姉さんがそうやって寝込んでても、陽斗さんは喜ばない。寝込んでるくらいなら、YouTubeの撮影を続けよう。いつまでそうやってクヨクヨしてるつもりなんだ』って」

 俺が千春に投げかけられた言葉と同じだ。

「わたしは二重の意味で驚きました。一つは、奏汰がわたしたちのYouTubeチャンネルの存在を知っていたこと。もう一つは、奏汰にそんな風に叱責されたことです。今まで奏汰に強い言葉を投げかけられたことなんてありませんでしたから……。ビックリしたわたしは、そのまま奏汰を部屋から追い出してしまいました。でも、その後も奏汰は何度も何度もわたしの所を訪れるんです。あんまりにもしつこくって、最終的にはわたしも根負けしてしまいました。それで、動画の撮りダメを始めたんです。奏汰に撮影を手伝ってもらいながら」

 これも千春と同じだ。あいつもしつこいくらい俺の部屋を訪れている。何度追い返しても、どんな言葉を投げつけても……。

 「その時、ついでに奏汰に聞きました。どうして『YouTubeのことを知ってるの?』って。だってわたし、家族にはバイオリンを再開したことは内緒にしてたんです。自分のワガママで辞めておいて、やっぱり弾きたくなったから再開するっていうのは、無責任な気がしたので……」

 だから彩はYouTubeのことを家族には説明しなかったのか……。

 「でも、どうやらバレていたみたいです。わたしが毎晩、バイオリン片手に外出していたことも、YouTubeをやっていたことも。『そんなことも気づかないと思ったの?』って奏汰に馬鹿にされちゃいました」

 彩は苦々しい笑みを浮かべる。

 「家族や友達は、結構わたしたちのことをちゃんと見てるんです。それなのにわたしは、自分のことしか考えないで、周りの人たちを心配させてました。だから……陽斗くんにはわたしと同じ失敗はして欲しくありません。陽斗くんには、このまま突き進んで欲しいんです。YouTubeだってこれからも続けてください。だって……」

 一呼吸おいてから、彩は口を開く。

 「何かに夢中になっている時の陽斗くんは、最高にベテルギってるんですから」

 彩は、これまで見た中で最高の笑顔を浮かべていた。

 「前に向かって一直線に進むのは、勇気のいることかもしれません。そんな時は、周囲の人達に励まして貰ってください。陽斗くんの周りには、千春ちゃんやお父様、お母様、あとは平瀬先輩など、頼れる人がたくさんいます。きっと皆さんなら、陽斗くんに役立つ助言をしてくれるはずです。だから、きっと大丈夫です」

 彩は大きくうなずく。

 「ただ……」

 横風が吹く。彩の黒髪が、ワンピースの裾が、ふわりと広がる。

 「それでも疲れることはあります。だから、もし、ちょっと回り道したり休憩したくなったりしたら……わたしのお見舞いに来て、お話してくれると嬉しいです。もちろんわたしは夢の世界にいるので、陽斗くんの言ってることに対して返答することは出来ません。でも、ちゃんと聞いてます。聞いてますから、たまには顔を出してください。六四〇年間ずっと一人ぼっちなのは寂しいですから……」

 彩はバイオリンケースを背負った。

 「結局、随分と長い間喋ってしまいましたね……。すっかり体も冷えてしまいました。これだけ苦労して撮影しましたけど、多分この動画はお蔵入りになるんですよね。というか、なってもらわないと困ります。わたしはこれからも陽斗くんとYouTubeを続けていきたいですから」

 彩はカメラに向かってゆっくりと歩く。

 「じゃあ、本当にこれで以上です。わたしは今から陽斗くんに直接会って、お話してきたいと思います。上手く喋れるか心配ですけど、頑張ってきますね!」

 その言葉を最後に、動画は終わった。

 再び部屋に広がる静寂。

 「そっか、俺も輝いてたんだな……」

 ポツリと俺自身の声のみが聞こえる。

 口に出した今だって信じがたいことだ。けれど彩のあの演奏を聞いて、俺は自然と納得していた。

 俺は弟さんに《ありがとう》と返信すると、そのまま久しぶりにYouTubeのアプリを起動した。そして、ゆずプリンチャンネルの動画の一つをタップする。

 バイオリンを構える俺の姿が画面に写った。動画を流し続けたまま、俺はコメント欄に目を移す。そこには、大量のメッセージが残されていた。

 《次の動画が待ち遠しい!》

 《ゆずプリンチャンネルがきっかけでバイオリンはじめました。ゆずくんと一緒に練習していきたいと思います》

 《もう半年も動画が更新されてないけど、何かあったのかな……?》

 《ずっと自主練して動画の更新待ってます!》

 《ゆずくん、元気?》

 《プリンちゃんの動画も良いけど、ゆずくんの動画も素敵!》

 俺の練習動画の続編を期待するコメントの数々、俺たちを心配する声。それらが数え切れないくらい寄せられている。

 あれ、おかしいな……。

 コメントが滲んで読めなくなってしまった。画面を何度も擦るけれど、状況は変わらない。

故障を疑った時、画面に一滴の雫がぽたりと落ちる。液晶のドットが拡大された。

 えっ……。

 慌てて頬に手を当てると濡れていた。両目から涙がはらはらと流れる。

 なんで俺は今、泣いているのだろう?

 少し考えたら、その理由はすぐに分かった。

 嬉しかったのだ。

 彩に輝いてるって言われたことが、視聴者の皆に期待されていることが分かったことが、そして、自分が誰かの役に立っていたということが分かったことが。

 俺は荒々しく涙を拭う。こんな姿、他の誰にも見せられない。

それに、今の俺にはやるべきことがたくさんある。千春への謝罪、高貴への感謝の連絡、彩のお見舞い、バイオリンの練習、動画撮影。他にも数え切れない程だ。

これは暇つぶしじゃない。俺にしか出来ないことなのだ。

たったの十数分で俺をこんなにやる気にさせるなんて……

やっぱり彩、君はベテルギってる。

そんなことを考えながらベッドから跳ね上がった俺は、勢いよく部屋から飛び出した。

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