第26話

 最初に視界に写ったのは白い天井だった。首を少し横に傾けると、点滴のようなものが腕に繋がれているのが見える。そして更に横に傾けると……

 「陽斗くん……?」

 「あ……や?」

 かすれて上手く声が出せない。もう一度、目の前の少女の名前を呼ぶ。

 「彩?」

 今度はちゃんと呼ぶことが出来た。その瞬間、彼女の両手の中にあった俺の右手が、より一層強く握られた。

 「陽斗くん、起きたんですね? 良かった。良かった……」

 上から透明な雫が、銀の軌跡を描きながらポタポタと俺の頬に落ちてくる。

 「泣かないで」

 俺は彩に、出来るだけ優しく語りかけた。それでも涙が止まる気配はない。

 「無茶……言わないでください。もう二度と陽斗くんに会えなかったかもしれないんですよ? 陽斗くんの余命は百年なんじゃなかったんですか?」

 そういえばそんなことも言ってたっけ……。

 「心配かけてごめん」

 俺は心の底から彩に謝罪する。

 「本当です。わたしを庇って刺されるなんて、陽斗くんはお人好しすぎます」

 「ごめん。気づいたら、体が勝手に動いてたんだ。でもこうして二人とも無事だったんだから、それで良いじゃない」

 結果オーライという奴だ。

 「良くありません! 陽斗くん、三週間も寝込んでいたんですからね?」

 「えっマジ?」

 せいぜい数日だと思っていた。

 「マジです」

 彩は、俺のスマホを手渡した。そこには、二月二十二日と表示されている。

 「三週間って……彩以上じゃない?」

 「そうですね。わたしの最長記録は五日ほどですから……。って、そこで張り合ってどうするんですか……」

 「いや、珍しい経験をしたからちょっと対抗してみたくなって……」

 「刃物に刺されたことを、珍しい経験って言い切る人はなかなかいませんよ。やっぱり陽斗くんは変わってますね」

 目尻に雫をためながら、彩はくすりと笑う。

 あぁ……俺はこの笑顔が見たかったんだ。

 俺の中で様々な感情が吹き荒れる。その突風は、俺の心の中に浮かぶ雲を少しずつどかしていった。そして……十何年ぶりだろう? 一筋の光が地上に差し込む。

 その瞬間、俺は気がつく。彩はいつの間にか、俺の中で特別な存在になっていたことに。こんな気持ちになるのは、生まれて初めてのことだった。

 「どうしましたか? やっぱりまだ体調悪いですか?」

 一体、今の俺はどんな表情をしていたのだろう。少なくとも普段とは違ったようだ。

 「あぁ……うん、いや何でもない」

 「そうですか? 何かあったら言ってくださいね?」

 「ああ……」

 何だかいつもと立場が逆転している気がする。俺は思ったことをすぐ口に出すタイプのはずなのに、何故か今は口ごもってしまった。仕方ないので、口を動かす代わりに手を動かすことにする。LINEを起動して、家族と高貴に《復活》と二文字だけ送信しておいた。すぐさま大量のメッセージが舞い込んでくる。

 「皆、俺のこと心配してくれてたんだな」

 「ええ。この三週間、皆で代わる代わる陽斗くんのことを見守ってたんですから。ちゃんと皆さんにもお礼を言ってくださいね」

 「ああ」

 この三週間、皆に迷惑かけたことを謝ったり、放ったらかしにしていたYouTubeチャンネルをどうにかしたり、やらなくてはいけないことが山積みだ。

もっとシャキっとしないとな……。

そんな決意を固めた俺だったが……。

「ヤバい、三週間も寝てたのに、また眠気が……」

安心したからだろうか? 突然まぶたが重たくなる。

「良いんですよ陽斗くん。無理しないでゆっくりしてください」

「でも、やらなきゃいけないことが……」

そんな俺の意思に反して、全身の力がどんどん抜けてゆく。

「陽斗くん、お疲れさまでした。おやすみなさい」

耳元で囁かれた彩のとろけるような声を最後に、俺の意識は再び夢の世界へと旅立った。

何だかとても、温かい夢だったような気がする。

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