第21話
病室での宣言から数日、俺は上島さんとスマホ越しに会話していた。
「というわけで、太陽はだいたいマイナス二十七等星、満月がマイナス十三等星くらい、超新星爆発後のベテルギウスがマイナス十一等星くらいなんだ」
自室の窓から夜空を眺めながら、俺は上嶋さんに説明する。
「わたし一等星が一番明るいって思ってました。マイナスもあったんですね……。数字が小さければ小さいほど明るいってことですよね?」
スピーカー越しに上嶋さんの声が届いてくる。視覚的な情報がない分、彼女の透き通った声がいつも以上に際立った。何だか耳元で囁かれているような気分になって、背中がゾクゾクする。ASMRを聞いている時と似たような感じだ。
「そうそう。太陽と月とベテルギウスを除いたら、次に明るいのはおおいぬ座のシリウスかな。マイナス一・五等星くらいだよ」
「大分差がありますね」
「等級が一つ違うだけで二・五倍明るさが変わるから、もう別次元だよ」
「あれっ? でもそれならベテルギウスと満月だと等級が二つ違うから、明るさは……六倍くらい違うってことですよね? でもわたしには、むしろベテルギウスの方が明るく見えるんですけど……」
上島さんから鋭い質問が飛んできた。
「ああ、それは……ベテルギウスは月と違って点にしか見えないから、明るさが一点に凝縮されてるって感じかな」
微妙に不正確な説明かもしれないが、分かりやすさを優先してみた。
「なるほど……。だからベテルギウスってこんなに明るいんですね」
スピーカーからは、上嶋さんの息遣いが聞こえてくる。おそらく病室の窓からベテルギウスを眺めているのだろう。
しばらくの間、俺たちはベテルギウスの淡黄色の輝きに思いを馳せた。最初は青かったのに、気づけば白に、そして今は黄色になろうとしている。その輝き方の変化は、俺の上嶋さんに対する印象に近い。最初は、少し話しづらい雰囲気をまとっていた上嶋さんだけれど、今はこうして気軽に電話出来る相手になっていた。
「ねえ、何か他に俺にやってほしいことは無いの? 上島さんの夢の為なら何でもするけど」
もっと楽しい夢が見られるように努力すると宣言したのだから。
「いいえ。こうして寝る直前まで先輩とお話出来るだけで十分助かります。毎晩ありがとうございます」
「お礼を言われる筋合いは無いよ。普通にこうやって上島さんと電話してるだけでも楽しいし」
何か他に上島さんの為に出来ることは無いのか。俺は必死に頭を捻った。そして一つのアイデアを思いつく。
「ねえ、上嶋さんって確か今は病院から学校に通ってるんだよね?」
「ええ。起きている時は健康そのものなんですけれど、一度寝てしまうと、いつ目覚めるか分かりませんから……。お医者さんもどう扱えば良いのか困っていましたけれど、相談した上で、一応入院することになりました。あと、一人での外出も禁止されてしまいました……。横断歩道のど真ん中で寝てしまったりしたら大変ですからね。なので、今はお父さんに毎朝車で送ってもらっています。本当はお父さんにあんまり迷惑かけたくないんですけどね……」
「ならさ……明日から一緒に登校してみない?」
「一緒に……ですか?」
少し驚いた様子の声が聞こえてきた。スピーカーの向こうで、口を手に当てる上島さんの姿がありありと目に浮かぶ。
「うん。あの病院から上嶋さんの学校に行くなら、俺とかなり通学路が被ってると思うんだけど」
「確かにそうですね。でも……いいんですか? わたし、時間通りに起きられるかも分かりませんよ?」
「ギリギリまで待って、それでも上嶋さんが現れなかったら一人で学校行くからさ。どう?」
俺の提案に、上嶋さんはしばし逡巡した後、静かに同意した。
「分かりました。それでは明日からよろしくお願いしますね?」
「もちろん。もし、この前みたいに歩いてる最中に上嶋さんが眠っても、今度は俺が守るから頼りにしてて」
俺はあの日、上嶋さんが倒れた時に気づけなかったことをずっと後悔していた。これは、そのリベンジのチャンスだ。
そんな思いを込めた俺の宣言に対して、上嶋さんは「フフッ」と笑う。
「なになに、どうしたの?」
「いえ、頼もしいなって思っただけですよ。頼りにしてますね、柚木先輩」
「任せろって」
「それじゃあ夜も遅いですし、今日も寝ます。おやすみなさい」
何気なく上嶋さんが発した《おやすみなさい》の一言。
普通の人なら単なる一日の終りの挨拶に過ぎないけれど、彼女にとっては非常に大きな意味を持つ。これから長きにわたる地獄の日々が始まる可能性だってあるのだから。
一瞬、俺の全身が強張った。けれど、この気配を上島さんに悟られてはいけない。それは彼女に不安を与えることに繋がりかねないから。
だから俺は、いつもどおり普通に返事した。
「ああ、おやすみ。明日、一緒に登校する時は、今日見た夢の話でも聞かせてよ。楽しみにしてるからさ」
俺に出来るのは、こうして夜遅くまで上嶋さんと電話をして、彼女の気を紛らすことくらいだ。けれど俺は、せめて自分が出来ることくらいは精一杯やりたいと思う。
そんなことを考えながら、名残惜しい思いで、俺は通話終了のボタンをタップした。
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