第13話
ゆずプリンチャンネルを開設してから一ヶ月が経過した。この一ヶ月、俺たちは毎日のように撮影をしている。ここ最近の俺は、寝ても起きてもYouTubeのことしか考えていない。
より多くの人に上嶋さんの演奏を見てもらうためは、様々な工夫を凝らす必要がある。
動画のバリエーションを広げるために、上島さんにはワンピース以外の服装で演奏してもらったり、いつもの草原以外にも河川敷や公園へ出向いてもらった。また、撮影時のアングルや動画編集も大切だ。毎晩撮影を終えてから、俺は夜遅くまで家でパソコンとにらめっこしている。以前と比べて、俺の生活習慣はかなり変化した。
変わったのはそれだけではない。
この一ヶ月で上嶋さんが弾く旋律の曲調にも変化が起きたのだ。以前の上嶋さんの旋律は、低音成分多めでゆったりとした、どことなく物悲しさを感じさせるものだったが、最近はもう少しアップテンポで、以前よりも陽気な印象を受けるものになっている。それでいて、相変わらず俺の心を揺さぶるのだから凄いとしか言いようがない。
今日は十一月の第三土曜日。お昼ごはん兼作戦会議ということで、パスタが美味しいと評判の、近所のレストランの前で待ち合わせしている。
ところが、待ち合わせ時刻の十二時を過ぎても上嶋さんはやって来なかった。これまで彼女が待ち合わせに遅れてきたことは一度もないので、俺は少し不審に思う。
《何かトラブルでもあった?》
LINEでメッセージを送ってみるが、既読のマークすらつかない。
結局、上嶋さんから返信が帰ってきたのは三十分後のことだった。
《すません! 寝坊してひまいした》
きっと慌てて入力したのだろう。誤字脱字が激しい。
《待ってるから、そんなに慌てなくても大丈夫だよ》
起きていることさえわかれば十分だ。別に急ぎの用事という訳でもない。さっきからお腹がグーグー鳴っているのは少し気になるが……。
更に三十分ほど経過して、上嶋さんは駆け足でやってきた。
「柚木先輩、本当に申し訳ありません! 今日のご飯代はわたしが全額だすので許してください」
そう言って勢いよく頭を下げる。いつもよりも毛先がほんの少しだけ跳ねていて、急いで準備してきたのだろうということが伺えた。
「いやいや、良いって。たまにはそういうことだってあるよ。十二時まで寝てたのは凄いと思うけど……」
「すみません。目覚ましはかけていたんですけど、どうしても起きられなくて……」
前日に徹夜でもしない限り、なかなか普通は寝ようと思っても昼の十二時までは寝られない。十時くらいに嫌でも目が覚めるだろう。これも一種の才能だ。弟さんが、上嶋さんのことをねぼすけと言っていたのはこういうことか、と今更ながら納得する。
「気にしないで。それよりも店に入ろう」
このままだと上嶋さんがひたすら謝り続けそうだったので、俺はさっさと店内に入ることにした。
流石評判なだけあって、パスタは美味しかった。俺はカルボナーラを選んだが、濃厚なチーズの味わいが口いっぱいに広がって、思わず頬が緩みそうになる。それは向かいの上嶋さんも同じだった。
けれど……
「上嶋さん、ちょっと疲れてる?」
いつもに比べて、目元に覇気がないような気がする。
「い、いえ問題ありません。今日なんて十二時間も寝てしまいましたから……」
確かに睡眠時間は十分すぎるくらいだろう。なら俺の気の所為……なのか?
「そっか。でも疲れてたら言ってね? 毎日毎日、撮影大変だろうし」
「その撮影の後に、更に編集の作業をしている先輩に比べたらどうってことありません。わたしは大丈夫ですから、今日も作戦会議をしましょう?」
「それなら良いんだけど……」
何となく納得行かない思いを抱えながらも、俺は作戦会議を始めた。
「まずはチャンネル登録者数だけど、昨日遂に千人を突破しました!」
「おめでとうございます先輩」
俺たちは周りの迷惑にならない程度に小さく拍手する。
「上嶋さんのおかげだよ。ほら、動画のコメント欄だって上嶋さんへの称賛で溢れてる」
俺はコメントの一部を読み上げた。
《この演奏、メッチャ心に響く!》
《バイオリンお上手ですね》
《ベテルギウスの下で演奏すると映えますね》
一番多いのは、上島さんの演奏を褒めるコメントだ。こうして文章で感想を言ってもらえると、彼女の演奏が多くの人に届いていることが実感できて嬉しい。
「一度も人前に出ていないのに、本当にわたしの演奏が届いているんですね……」
上嶋さんも手を口に当てて、喜びを表している。
次に多いコメントは、《プリンちゃん可愛い!》といった、上嶋さんの容姿を褒めるものだ。
本当は演奏の方に興味を持ってもらいたいのだが、実際、上嶋さんはスタイル抜群で美しいので、こういうコメントが増えるのも当然だろう。動画を視聴してもらえるだけでもありがたい。これをきっかけに、演奏にも興味を持ってもらえればもっと嬉しい。
そして最後に……、あまり割合としては多く無いのだが、否定的な内容のコメントもあった。
《下手くそすぎ。俺が演奏した方がまだマシ》
《可愛いからって良い気になってんじゃねーよ》
世の中には多くの人がいるのだから、こういう感想を持つ人がいるのも仕方のないことだ。有名YouTuberのコメント欄にも、似たような感想は大量にあった。俗に言うアンチコメントというやつだ。だから俺はあまり気にしないようにしている。
けれど、こういうコメントは極力上嶋さんには見せたくない。人前に出るのが苦手な彼女が、そういうコメントを目にしたら、パフォーマンスに影響するどころか、演奏出来なくなってしまうかもしれないからだ。
そんなことを考えながら画面をスクロールさせていると、中でもひときわ強烈なコメントが目に入った。
《やっと見つけた。どうして俺の前からいなくなったんだよ! 許せない! これはお仕置き確定だな。どんな手段を使ってでも俺が見つけ出してやる。邪魔者は俺が消す。だから待ってろよ》
「うっ……」
思わず声を漏らしてしまうくらい、悪意に満ちたコメントだった。他のアンチコメントとは比較にならない。これは脅迫と言っても良いのではないだろうか。背筋がゾッとする。
「柚木先輩、どうしましたか?」
「あ、ううん。なんでも無い。ただ、こんなにコメントしてもらえて嬉しいなって」
珍しく俺は、本心が口から漏れそうになるのを封じ込めることに成功した。
「そうですね……。わたしもこうして皆さんに喜んでいただけているのは嬉しいです」
上嶋さんは、ふわりと微笑む。
その笑顔を見て、このコメントだけは絶対に上嶋さんに見せるわけにはいかないと、俺は強く思った。
動画の投稿者はユーザーのコメントを削除することが出来る。けれど俺は、コメント欄は皆が自由に書き込む場所だと考えているから、例え否定的なコメントでも今まではそのまま放置していた。それも感想の一つだから。
けれど……このコメントはやりすぎだ。いくらインターネット上とはいえ、やって良いことと悪いことがある。だから俺は、躊躇(ちゅうちょ)なく削除のボタンをタップする。
「ところで上嶋さん。コメント欄と言えば、話題のJ―POPとかアニソンもぜひ演奏してほしいって声もあるんだけど、上嶋さんはどう思う?」
俺は陰鬱(いんうつ)とした気持ちを払拭するように、提案する。
「そうですね……。正直、わたしあんまり最近の曲は知らないんです。でも、今まで手を出してこなかったジャンルに挑戦してみるのも良さそうですね。ぜひ、やってみたいと思います」
「本当? それは俺を含めた視聴者の皆も喜ぶよ」
好きな曲を、お気に入りの奏者に弾いてもらえるのだから。
「それにしても上嶋さんは良いなぁ。だって自分の好きな曲が弾けるんでしょ? 何だか、もっともっと好きな曲に対する理解が深まりそう」
凡人の俺はバイオリンもピアノも弾けない。というか楽器は何も出来ない。だから上島さんが羨ましい。
そんなことを考えながら前を向くと、上嶋さんは顎に人差し指を当てて何か考え事をしていた。そして、しばらくしてからその人差し指を前に突き出す。
「柚木先輩。わたし、ちょっと良いこと思いつきました」
口元に笑みを浮かべながら、上嶋さんは得意げに言い放つ。
「えっ、なになに?」
こんなに自信満々な様子の上嶋さんは初めてだ。
「柚木先輩もバイオリン始めてみませんか? もしよければわたしが教えますよ?」
「俺が?」
突然の提案に、俺は困惑する。
「ええ先輩が、です。そして上達していく過程をYouTubeにアップすれば、再生数も伸びると思うんですけど……」
「でも下手くそな男子高校生がバイオリンを弾く動画なんて需要あるかな?」
「わたしはあると思います。きっとバイオリン初心者の方が見てくれると思いますよ」
確かに。最初は驚いたけれど上嶋さんの言うことは一理ある。
「でも俺、バイオリンなんて持ってないぞ? きっと何万円もするんだろ? それは流石に金銭的にキツイというか……」
「それなら大丈夫です。わたしが昔使っていたバイオリンを差し上げますから。初心者向けの安物ですけど、最初はこれでも問題ないと思います」
なんと、これで道具も先生も揃ってしまった。
けれど、それでもなお、俺は躊躇していた。
「でも、俺が登場することでチャンネルのイメージが下がったりしないかな……。視聴者は上嶋さんの演奏目当てで来てるのに、俺なんかが来たら……」
俺は才能のない人間なのだ。動画の撮影や編集といった裏方の作業が向いている。俺がバイオリンを始めたところで、上島さんレベルの上手さにはなれるはずが無いのだから……。
ダメだ。出来るわけがない。不可能だ。
そんな否定的な言葉が次々と俺の頭をよぎる。けれど上島さんは、それらを一言でバッサリと一刀両断した。
「そんなことありません!」
窓から入ったオレンジ色の太陽の光は、彼女の瞳で反射されて俺を照らす。
「前にも言いましたけれどゆずプリンチャンネルは、わたしと先輩、二人のチャンネルなんです。先輩、お願いします!」
上嶋さんは、目をギュッとつぶり、細かく体を震わせながら俺の返事を待っている。
……そんな顔されたら断れないじゃん。
「分かった。じゃあお言葉に甘えて、俺もバイオリン始めてみるよ」
俺の宣言に上島さんはパッと顔を明るくさせた。この顔を見れただけでも、バイオリンを始める意味があるというものだ。それに、彼女にバイオリンを教えてもらうのもいい暇つぶしになりそうだし。
「本当ですか? ありがとうございます!」
「でもレッスン料とかどうすればいい? 流石にバイオリンまで貰って、タダで教えてもらうってわけには……」
「先輩はいつも編集頑張ってくださってるんですから、そんなの要りませんよ」
「とはいっても、それは申し訳ないというか……」
「……分かりました。じゃあ先輩は、わたしに星について教えて下さい。これでおあいこですよね?」
「星?」
「ええ。柚木先輩、星詳しいですよね? いつも撮影するときだって、『今日は月の出が深夜だからオリオン座をバックに撮るには、この時間にこの構図で……』って呟いているじゃないですか。それにLINEのトプ画だって星空ですし……」
上島さんは自分のスマホを構えながら、撮影時の俺のマネをする。声まで結構上手に再現されているので、何だか恥ずかしい。
「確かに星についてはそこそこ詳しいと思うけど……。そんなことで良いの? こんなの到底バイオリンとは釣り合わないと思うよ?」
「良いんです。これがわたしの本心ですから。本心を言わないと、ASMRのお仕置きが待っているんですよね?」
俺は大きく息を吐く。だめだこりゃ、最近の上嶋さんには敵わない。
「本心って言われちゃうと言い返せないな。それにしても最近は、ズカズカと意見を言ってくれるようになって嬉しいよ」
「ズカズカって表現は心外です……。でも、これだって先輩のお陰なんですよ?」
「はいはい、分かったよ。どういたしまして~」
そんな風に適当に話を流そうとする俺を見て、上嶋さんはニヤリとイタズラっぽい笑みを浮かべた。頬に小さく出来たえくぼが可愛らしい。
「ついでに前から気になっていたことを一つ聞いてもいいですか?」
何だか少し嫌な予感がするが、どうやら俺に拒否権はなさそうだった。
「どうぞ……」
「先輩がたまに使うベテルギってるってどういう意味なんですか?」
俺は右手で頭を押さえる。初めて上嶋さんの前でベテルギってるという言葉を使って以来、なかなか癖が抜けず、つい言ってしまうことが多いのだ。作戦会議中や撮影終了時など、時と場所は選ばない。その度に俺は恥ずかしい思いをしている。
「……内緒」
だから俺は秘密にしておくことにした。
「そんなこと言わないでくださいよ……。凄いって意味ですか? それとも感動したって意味ですか? それとも……」
上嶋さんは矢継ぎ早に意味を確認してくる。そのどれもが大体正解だった。だってベテルギってるという単語は、眩しいくらい輝いている上嶋さんを見たときに、自然に口から漏れ出るものなのだから。それは様々な感情の集合体だ。
「ってか上嶋さん、よくそれだけ次々と意味が考えつくね」
「他にも三百個くらい考えてきたんですよ?」
「どんだけ考えてるのさ」
流石に三百個は冗談だと思うけど、それにしてもよくこんなに考えてきたと思う。
「わたしには、考える時間だけはいくらでもありますから……」
少しだけ表情に陰りを見せながら、上嶋さんは、うつむきがちに呟いた。
「それってどうい……」
「柚木先輩風に言えば、ベテルギってるの意味を考えるのは丁度いい暇つぶしなんですよ」
どういう意味? と尋ねようとした俺の声を、上嶋さんは早口でかき消した。もしかしたらあまり追求されたくないことなのかもしれない。なら今は、無理に問いただすのは辞めておこう。
「丁度いい暇つぶしになるなら、俺が答えを教える必要はないよね」
「そんな意地悪は言わないでください。それで、どういう意味なんですか?」
このまま上嶋さんに詰め寄られたら、うっかり更に恥ずかしいことを口走ってしまいそうだ。だから俺は窓の外を指差して、適当にごまかすことにした。
「あっ! ベテルギウスが点滅しながら高速移動してる!」
「えっ本当ですか?」
上嶋さんは慌てて、俺が指差す方向に視線を向けた。
「飛行機じゃないですか……。そもそもよく考えてみれば、今日のベテルギウス出は八時半くらいです。こんな時間に出ているわけがありません」
「上嶋さん詳しいね」
「柚木先輩と一緒にいるうちに、いつの間にか詳しくなってました」
「それならベテルギウスについて、もう少し突っ込んだ話をしようか? せっかく星について教えるって約束もしたしね……」
俺はそんな提案をしてみるが、上嶋さんからの返答は帰ってこなかった。
「上嶋さん?」
俺は空から目を離し、向かいに目を向ける。
そこには、背もたれに体重を預け、スヤスヤと寝息を立てる上嶋さんの姿があった。胸にかかった黒髪が、呼吸のリズムに合わせてほんの僅かに上下している。つい十秒ほど前まで会話していたことが信じられない。きっとよほど疲れているのだろう。
たまにはこうして休んでもらうのも悪くない。俺は外を眺めながら、食後のコーヒーで時間を潰した。結局彼女が目を覚ましたのは、二時間後のことだった。
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