第11話
「あらいらっ……しゃい?」
予めカフェを出る時に、知り合いを連れて帰ることは連絡しておいたので、玄関では母さんが出迎えてくれた。だが様子がいつもと違う。
「あ、陽斗? こちらの方は?」
「上嶋彩さん。俺の……」
俺の……何だろう? ビジネスパートナー? 友達? それとも暇をつぶしてくれる人?
口ごもっていると、隣の上嶋さんが自己紹介を始めた。
「はじめまして、上嶋彩と申します。柚木先輩にはいつもお世話になっています。今日は突然お邪魔して申し訳ありません」
彼女は両手をあわせ、背筋を伸ばしたまま行儀よくお辞儀する。
「あ、あら……陽斗にこんな可愛い後輩がいたなんて驚きだわ。さあさあ、上がって!」
母さんに促されるまま俺たちは玄関に上がった。
上嶋さんは、リビングにいた父さんと千春にも挨拶をする。反応は概ね母さんの時と変わらない。目をまん丸にさせた千春の姿はなかなかの傑作だった。
「じゃあ俺たちは部屋に行くから」
「そ、そう? リビングでくつろいでくれても良いのよ?」
「いや、ちょっとやりたいことがあるからさ。ねえ、上嶋さん?」
「はい。わがままを言って申し訳ありません」
「いえいえ、全然気にしないで? それではごゆっくり」
背後に母さんの視線を感じながら、俺たちはそそくさと階段を登る。
「少し散らかってるけど、ごめんね?」
そう言いながら、俺は自分の部屋の扉を開けた。
散らかっていると謙遜はしてみたものの、一般的な男子高校生の部屋よりは大分綺麗なはずだ。床には本の一つも落ちていないし、ベッドも勉強机の上も見苦しくない程度には整えてある。おそらく隣の千春の部屋の方がよっぽど散らかっているだろう。掃除は割と良い暇つぶしになるので嫌いじゃない。
「いえ、むしろ先輩の部屋はかなり整理整頓されていると思います。わたしの弟なんて、いくら言っても掃除をしようとしないんですから……」
「うちの妹も一緒だよ」
案の定、上嶋さんの反応も上々だ。俺はクローゼットから二つのクッションと折りたたみ式の机を取り出す。
「さ、どうぞ」
「ありがとうございます」
上嶋さんは両手でスカートを抑えると、そのままゆったりとクッションに腰を下ろした。
この座り方は俗に言う女の子座りというやつだろうか? 正座を少し横に崩した感じだ。これまで俺の部屋を訪れたことがある男友達はもちろん、千春でさえこんな座り方はしないので目新しい。
「じゃあ早速だけど撮影していこうか。簡単な自己紹介とチャンネルの説明をお願いしたいんだけど、大丈夫?」
「……分からないです。正直、あまり自信はありません」
上島さんは胸に手を当てて、そう呟いた。
「最初は誰だってそうだよ。それにいくら失敗しても撮り直せるから、あんまり気負いすぎる必要はないって」
「そうですよね……。分かりました。頑張ってやってみたいと思います!」
上嶋さんは両頬を、手で挟み込むように軽くペチンと叩く。どうやら気合いは十分そうだ。
俺は自分のスマホを手に取った。最近のスマホのカメラは優秀だ。画質がいい上に手ブレ補正もかなり効く。動画撮影はこれで行うつもりだ。わざわざ高級な機材を揃える必要は無い。
ん?
スマホのロックを解除すると、LINEに大量の通知が来ていた。さっきからやけにスマホが振動していると思ったらこういうことだったのか。普段はこんなことないので、俺は少し不審に思う。
「上嶋さん、ごめん。一、二分だけ待ってもらっても良い?」
「もちろんです。その間にわたしは、もう少し話す内容を考えてますね」
「ありがとう」
一体誰がこんなにメッセージを送っているのかと思えば、その正体は俺の家族だった。
《一体あの子は誰なんだ? 陽斗の彼女? 彼女なのか? 答えてくれ!》
《ちょっとお父さん、そんな無意味な質問しないでよ。あんな可愛い人が兄さんの彼女なわけないでしょ? で、あの後輩さんとはどういう関係なの?》
《ねえ陽斗、お茶とかお菓子とか持っていったほうが良いのかしら? それとも部屋にお邪魔したら迷惑? ねえ、お母さんどうすればいいの?》
うちの家族は騒がしい。きっと今頃、一階ではてんやわんやの騒ぎになっていることだろう。
まあそれも無理のないことかもしれない。俺が女性を家に連れてきたのはこれが初めてなのだから。俺自身、今の状況には少し驚いている。
チラリと前を見ると、そこには小さく口を動かしている上嶋さんの姿があった。きっとセリフの練習をしているのだろう。ただただ毎日を暇つぶしとして消費している俺と違い、才能を持つ彼女は、何をやっても美しい。
整理整頓はされているものの殺風景な俺の部屋の中で、彼女の周辺だけが輝いているように見えた。その輝きはきっと、俺には欠けているものだ。俺に出来るのはせいぜい、その輝きを撮影して記録することくらいだろう。せめてそれくらいは、しっかりやり遂げたいと思う。
《色々あって彼女の手伝いをすることになっただけだから気にしないで。あとお茶も、後で自分で取りに行く》
とりあえず必要最低限の返信だけして、俺はスマホのカメラを起動した。
「よしっ!!」
彼女に倣(なら)って、俺も両頬を叩いて気合いを入れる。
「おまたせ、準備できたよ。撮影始めようか」
上嶋さんが小さくうなずいたのを確認して、俺は彼女に向けてスマホを向けた。
「それじゃスリーカウントで合図するよ。三、二、一……」
ゼロのタイミングで撮影開始のボタンをタップする。
「は、はじめまして! 上嶋彩と申します!」
「ストーップ!!」
慌てて撮影を中止した。
「す、すいません! 何かミスしてしまいましたか?」
上嶋さんは不安そうな顔でこちらを見つめる。
「いや、ミスって言うか……。本名をネットにアップしても良いの?」
「あっ……ダメなんですか? すみません、わたしあんまりそういうの詳しくなくて……」
必死に上嶋さんは頭を下げる。
「いや、そんなに謝らなくても良いって! 別に本名で活動するのが禁止されている訳じゃないし……。ただ、一般的にはニックネームで活動しているYouTuberの方が多数派かな。今の時代、本名がバレると思わぬトラブルに発展することもあるし」
検索エンジンの白い四角に単語を打ち込むだけで、何でも分かってしまう時代だ。不特定多数の人間に本名を知られるリスクはかなり大きい。
「トラブルに発展……ですか……」
彼女は俯(うつむ)くと、ますますその表情を暗くさせる。
しまった、怖がらせてしまったか?
「いや、あくまでその可能性があるってだけで、ちゃんと対策すれば大丈夫だとは思うよ? ただ気をつけなきゃいけないことが増えるから面倒くさいってだけかな。どうするかは上嶋さんに任せるけど……」
「……分かりました。わたしの本名は内緒にしておこうと思います。危うくまた失敗してしまうところでした。ありがとうございます、柚木先輩」
「いや、お礼を言われるほどのことでは無いよ。気にしないで続けよう」
俺は撮影を再開しようとするが、相変わらず上嶋さんの顔は晴れないままだ。
「どうしたの?」
俺の問いかけから数秒して、慌てたように上嶋さんは我に返る。
「あっ、いえ大丈夫です。ただ本名が使えないなら、せめてニックネームは決めないと不便かなって思って……」
ああ……随分考え込んでると思ったら、ニックネームを考えていたのか。それならとっておきのものがある。
「ゆずプリンチャンネルだし、《プリン》とかで良いんじゃないかな?」
「プリン……ですか?」
「うん。短くって呼びやすいし。なんだか親しみやすいあだ名だと思うんだけど……」
上島さんは何度かプリンとつぶやきながら、首を小さく縦に振る。
「分かりました。プリンで行こうと思います。それなら先輩は《ゆず》ってあだ名ですか?」
「えっ、俺?」
「はい。二人のチャンネルなんですから、先輩のあだ名も決めて置いたほうが良いと思いまして……。いかがですか?」
どうせ俺が表立って動画に出ることなんて無いんだから考えなくていいと思っていたが……。せっかく上嶋さんが決めてくれたあだ名だ。
「分かった。じゃあ上嶋さんはプリン、俺はゆずで行こう」
「ありがとうございます。それでは撮影を再開してもらっても良いですか?」
「ああ」
それから俺たちは、何回、何十回と動画を取り直した。たった三分程度の動画を撮るのがこんなに大変なことだとは思っていなかった。緊張で上嶋さんが噛んでしまったり、うまく言えたと思ったら俺が撮影開始のボタンを押せていなかったり、とにかく色々なトラブルがあったのだ。途中でおやつ休憩も挟みながら、二時間以上が経過して、ようやく満足の行く動画の撮影に成功する。
撮れた動画の再生ボタンを俺はタップした。
「はじめまして、皆さんこんにちは! ゆずプリンチャンネルのプリンと~」
「撮影、及び編集係のゆずです」
即座に俺は一時停止ボタンを押す。
「俺ってこんな声してたのか……」
上島さんの提案で、ほんの数秒だが俺も声で登場していた。
「ええ、これが柚木先輩の声です。ハキハキしてて聞きやすいですし、わたしは良いと思いますよ?」
「そう言ってもらえると嬉しいけど、やっぱこの部分は編集で削除したほうが……」
俺が知っている自分自身の声とは微妙に違うように聞こえて、少し恥ずかしい気分になる。
「すみません、先輩の気持ちも考えず勝手な提案をして……」
上島さんは、俺の発言に顔を曇らせた。
「いや、そういう意味で言ったんじゃ……。まあせっかく撮影したんだし、使うかどうかは後で考えるよ」
せっかく撮影が終了したというのに、微妙な空気が部屋に流れる。そんな空気を変えたくて、俺は大きく手を打ち合わせた。
「そんなことより今晩も天気は良さそうなんだけど、いつもの場所で上嶋さん、演奏する? するつもりなら、早速次の動画も撮りたいんだけど」
「ええ、特に予定もありませんし大丈夫です」
「オッケー。じゃあ一旦解散して、八時、いや、九時ぐらいにいつもの場所に集合しようか」
「了解です」
二人で一階の玄関へ向かうと、俺の家族が総出で見送りにやってきた。
「彩ちゃん、もう帰っちゃうの?」
母さんは俺と上嶋さんを交互に見つめている。
「ああ、とりあえずやりたいことは出来たからな」
「今日は突然押しかけて申し訳ありませんでした。それとおやつのプリン、とても美味しかったです。あれは今、期間限定で売られているイタリアンプリンですね?」
「凄い! 彩先輩、どうして分かったんですか?」
千春が両目を輝かせながら上嶋さんを見つめている。俺も驚いていた。今日のおやつは俺が一階で皿に盛り付けてから部屋に持って行ったものなので、上嶋さんがパッケージを見る機会は無かったはずだが……。
「わたしも気になって、この前食べたんです。一般的なプリンよりも若干弾力に富んだあの触感が大好きです」
「私もです! まさか私以外にこの違いが分かる人がいるなんて! 彩先輩、またいつでも来てください! たくさんプリン用意して待ってますから!」
「ありがとうございます。次来るときは、わたしもとっておきのプリンを持ってきますね?」
「本当ですか! 楽しみにしてます!」
千春は満面の笑みを浮かべている。
「これからもうちの陽斗をよろしくお願いします。こいつは悪いやつでは無いんですが、思ったことをすぐ口に出してしまう癖があって……」
「ちょっと父さん!」
俺は慌てて父さんの口を塞ぐ。このままだと何を言われるか分からない。
「わたしの方こそ、柚木先輩にはお世話になりっぱなしです。迷惑をかけてばっかりですから……」
「全然そんなこと無いって。それじゃあ一旦解散ってことで、じゃあね」
このままだと上嶋さんが、うちの家族に永遠に引き止められそうだったので、俺は半ば強引に彼女を送り出した。
玄関の扉が閉じた瞬間、三つの影が俺に迫ってくる。
「知り合いを連れてくるって言うから、てっきり高貴くんかと思ったら、あんな可愛い子を連れてくるなんて! そうならそうと言って欲しかったわ……。もっとリビングだって念入りに掃除したのに……」
「兄さん! あんなプリンに詳しくて美人な後輩、どこで知り合ったの?」
「陽斗! お前も隅に置けないなぁ……」
この後俺は、散々質問攻めにあって苦労する羽目になるのだった。
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