第6話

 俺たちは現在、窓際の木製のテーブルを挟んで座っている。

 俺は一体何をしているんだ……。

 自分がしでかしたことの重大性に、今更気づいて思わず頭を抱える。

初対面の女子高生をいきなりカフェに連れこむって……。これ、ナンパと何も変わらないだろ……。

目の前の彼女は、相変わらず俺のことをじっと見つめていた。

頼むから辞めてくれ……。視線が痛い……。

 耐えきれず、俺は彼女から目をそらして店内をぐるりと見渡す。

平日だというのに、このカフェは繁盛していた。新たなお客さんが来る度に、扉のカウベルがチリンチリンと音を立てる。

男女比は、一対九と言った所だろうか。圧倒的に女性客が多い。主婦や学校帰りの女子高生たちで店内は溢れていた。うちの高校の制服もちらほらと見えて、俺は思わず見を縮こませる。

こんなオシャレ空間に、無謀にも飛び込んだ五分前の自分を殴り飛ばしてやりたい。この空間は時間の流れるスピードが絶望的に遅い。まだ入店してから一、二分しか経っていないのに息が詰まりそうになる。暇つぶしとしては最悪の選択だ。

誰か俺を助けてくれ……。

 「えっと……何か頼もうか……」

 とはいえ、いつまでもこうして黙っているわけにもいかず、俺は覚悟を決めてメニューを手に取る。そこに書かれた金額は、俺の予想を遥かに超えていた。

 コーヒー一杯で六百円? 嘘だろ? これだけでラーメン一杯は食えるじゃねぇか……。

 しかし、ここで文句を言っても仕方がない。ええい、もうやけくそだ。

 「俺はコーヒーとアップルパイを注文するけど、君は?」

 「えっと……わたしは同じ……」

 「オッケー」

 俺は店員さんを呼び止めると、コーヒーとアップルパイを二つずつ注文した。

 「あっ……」

 注文を取り終えて店員さんがテーブルを離れようとした時、彼女は小さな声を上げる。しかしその声が届くことなく、店員さんはそのままいなくなってしまった。

 「どうしたの? もしかして俺、注文間違えた?」

 彼女は『同じ』と言っていたので、俺と同じものを頼もうとしているのだと思ったけれど、もしや違う意味だったのだろうか?

 「えっと……いえ、何でもありません。すみませんでした」

 そう言って彼女はぎこちない笑みをたたえた。

 「そう? それならいいんだけど」

 ここで一旦会話は途切れる。

 さて、これからどうしようか。

 このままコーヒーとアップルパイが運ばれてくるまで沈黙に耐え続けるなんて俺には無理だ。あまりにも気まずすぎる。

何か話さなければ……。

しかし一体、女子高生と何を話せば良いんだ?

 俺は全力で頭を回転させるが、所詮は凡人の頭脳。良いアイデアは何一つ思い浮かばない。

そもそも女子と一対一で、まともに会話するのなんて小学生の時以来だ。圧倒的に経験が不足している。普段は男友達とつるんでばかりだし、女子と言葉を交わすのなんて、せいぜい授業中にプリントをまわす時くらいだ。

 何をすれば良いのか分からなくて、とりあえず俺はテーブルに固定されていた視線を向かいの彼女に移した。正面からまともに彼女の顔を見るのはこれが初めてだ。

 可愛い子だな……。

 それが第一印象だ。全体的に色白で、そこにちょこんとした鼻や桜色の唇、そしてこちらを覗き込んでくる琥珀色の瞳がバランス良く配置されている。和風で品のある顔だ。クラスの席替えで、彼女の隣になった奴は幸せに違いない。

 って見とれている場合じゃないだろ……。

 相変わらず彼女は俺のことを見つめ続けている。その様子は、俺の方から何か言い出すことを期待しているようだった。

 もう知らん! どうにでもなれ!

 「今日は突然誘ってごめん。ただ、さっきのじゃ説明不足かなって思って……。それでゆっくり話したかったから……」

 とりあえず俺は、彼女のバイオリンを聞くことになった経緯を、先程よりも詳しく説明することにした。千春と喧嘩した時や悩み事があった時にあの草原に行くこと、そこで偶然彼女を見かけたこと、彼女の演奏に鳥肌が立ったこと、などなど……。

 一度話し始めると、俺の口は思ったよりもなめらかに動き続けた。彼女が何度も相槌を打ちながら、黙って俺の話を聞いてくれるからかもしれない。彼女は聞き上手だ。

しばらくして、想像以上に早く、コーヒーとアップルパイが運ばれてくる。

 俺は一旦話を中断して、アップルパイに手を付けた。ナイフとフォークからサクサクとした感触が伝わってくる。

 旨い……。

 りんごの甘みと酸味がいい感じにマッチしていて、俺が今まで食べたことのあるアップルパイの中で一番美味しかった。コーヒーにもよく合う。値段が値段なので当たり前かもしれないが……。

 向かい側では、彼女も同じようにアップルパイを口に運んでいる。薄ピンクの形の良い唇が、ほんの少し弓なりになって口角が上がっていた。どうやらお気に召したみたいだ。先程までより良い表情を浮かべているように見える。俺は店のチョイスが間違っていなかったことを知って、ホッとため息をついた。

しかし、直後にコーヒーを含んだ瞬間、弓なりだった彼女の唇は、真一文字に結ばれる。続けてミルクと砂糖を大量に投入していたので、どうやら苦かったようだ。しばらくして、ようやく彼女の満足の行くコーヒーが出来上がった所で俺は話を再開させた。

 「とまあ、あの日に草原に行ったのはそういう訳なんだ。俺の妹は本当に短気なんだよ。本当に兄妹なのかって疑うくらいには、俺とあいつの性格は違う」

 「くっ、うふふふ……」

 おっ……?

 彼女は初めて、俺の話で頷く以外の反応を見せてくれた。口に手を当てて、控えめに笑い声を上げている。

 「妹さんと仲がいいんですね」

 「いやいや、仲は最悪だよ。あいつ、すぐに俺に暴力振るうし……」

 兄妹ネタの受けはかなり良かった。どうやら彼女にも弟が一人いるようで、俺達はそれぞれの妹と弟の話をして盛り上がる。

 今ほど俺が、千春の存在に感謝したことは無い。サンキュー千春。今夜はあいつにプリンを献上してやろう。

 「わたしも弟とは全然性格が違うんです。それこそ姉弟なのか疑ってしまいたくなるくらいに。弟はどんな時も自信にあふれていて、わたしとは大違いなんですよ?」

 「それじゃあ兄妹って意外に性格が似ないものなのかもな……。でも、君はもっと自信持っても良いんじゃない? だってあんな上手にバイオリンを弾けるんだから」

 少なくとも何一つ才能を持たない俺とは違う。そう思って俺は彼女を褒めたつもりだったのだが、何故か急に彼女の表情は暗くなる。

 「いえ、そんなことは無いです……。わたしのバイオリンなんて、何の役にも立ちませんから……」

 それっきり彼女は口をつぐんでしまった。

 えっ……もしかして俺、何かミスった……?

 こういう時、女性との会話の経験値の低さが顕著に現れる。せっかく兄妹ネタで温まっていた場が、急に元の状態にリセットされる。

 どうしよう……。次は何のネタを話せば……。

 次の話題が思い浮かばず、俺が途方に暮れていた時、突然彼女はボソリとつぶやいた。

 「暇つぶし……」

 「えっ?」

 あまりに急だったので、俺は聞き間違いかと思った。

 「先程、先輩はわたしの演奏が最高の暇つぶしだって言ってましたよね? 先輩は普段、暇つぶしにどんなことをしているのですか?」

 もしかして俺の暇つぶし発言をまだ引きずってるのか?

 俺は思わず心の中でため息をつく。恥ずかしいので、あれは忘れてほしかった。でも、見知らぬ人間に突然、『君の演奏は最高の暇つぶしだ!』なんて言われたら気になるのは当然だ。だから俺は素直に話すことにした。

 「俺にとってはさ……人生そのものが暇つぶしみたいなものなんだ」

 目の前の彼女は俺の発言に、ピクリと眉を動かした。そりゃ当然だろう。これじゃ、あまりにも説明不足すぎる。

 「俺には、これと言った特技とか才能とか無いからさ……。自分が生きてても、あまり世の中の役には立たないって最近気づいたんだよ。じゃあ俺の残りの人生ってなんなんだろうなって思った時、一番しっくりくる言葉が暇つぶしなんだよね」

 彼女のように才能のある人間には、俺の言葉は届かないだろう。何を馬鹿なことを言っているんだと、切り捨てられる覚悟は出来ていた。しかし、彼女の反応は俺の予想とは異なっていた。

 「わたしもその気持ち、分かります……」

 それだけつぶやくと、彼女は下を向いたまま押し黙ってしまう。

 再び沈黙がテーブルに流れる。彼女の発言の真意を尋ねたかったが、これ以上、この話を続けるのは良くない気がした。

 何か話題を変えないと……。

 ちょうどその時、隣のテーブルの女子高生たちの会話が耳に入ってきた。

 「そのブレスレット超可愛い~」

「でしょ? 彼氏とお揃いなの。なんかね~、これつけてベテルギウスを眺めると、願いが叶うんだって!」

「なにそれ、メッチャロマンチック~!」

 これしかない。俺は覚悟を決めて口を開く。

 「そう言えば、今、世間ではベテルギウスの超新星爆発が話題だよね」

 話が面白いかどうかは、この際気にしない。俺は星に関することなら少しは話せる。とにかく沈黙を打ち破るために、俺は必死で頭を振り絞った。

 「そのベテルギウスなんだけど、実際にベテルギウスが爆発したのは昔の話だって知ってた?」

 俺の言葉に、彼女は視線を上げて首を横に振る。

 「じゃあここで問題。ベテルギウスが爆発したのは何年前のことでしょう?」

 俺は彼女にクイズを出した。彼女からしてみれば、いきなりクイズを出されてウザいだろうが許してほしい。これくらいしか話題が思いつかなかったんだよ……。

 会話の引き出しが少なすぎる己に辟易しながら、俺は彼女の返答を待つ。

 「十年前……くらいですか?」

 小さく首を傾げながら彼女は答えた。耳にかかっていた黒髪がサラリとこぼれ落ちる。

 「正解は……なんと六四〇年前」

 俺が答えを言うと同時に、彼女は小さく息を呑んだ。ついさっき、俺と彼女が道ですれ違った時と同じように。

 想像よりもずっと彼女の反応が良かったので、いい気になって俺は説明を続ける。

 「ベテルギウスってさ、実は結構遠くにあるんだ。具体的には六〇〇兆キロくらい離れてる」

 彼女は、兄妹ネタで盛り上がっていた時と同じ位かそれ以上に真剣な眼差しでこちらを見つめていた。瞳の中で窓から差し込む陽の光が反射して、キラキラと万華鏡のように輝いている。

その期待に答えられるように、俺は精一杯、口を動かす。

 「それだけ離れていると、どんなに速い乗り物に乗っても、移動するのにかなり時間がかかるんだ。ここで二つ目の問題なんだけど、この世で一番早く移動できるものってなんだと思う?」

 「えっと……確か光ですよね? 昔、理科の授業でそう習った気がします」

 「正解! で、そのメッチャ速い光でさえ、ベテルギウスから地球まで移動するのに六四〇年かかるんだ。だから俺たちは、六四〇年前のベテルギウスの様子を今見てるってわけ。六四〇年前っていうと、日本は室町時代……かな? 当時の人は天国で少し悔しい思いをしているかもね。せっかく自分が生きている時にベテルギウスが爆発したっていうのに、それを見ることは出来ないんだから。まあ例えその瞬間に生まれたとしても、六四〇歳まで生きなきゃいけないんだから、そんなの不可能に決まってるんだけどさ」

 一気にまくし立てて口が乾いたので、俺はコーヒーを啜(すす)った。乾燥した喉に染み渡る。

さて、彼女の反応はどうだろうか? 気になって向かいをチラリと見ると、目の前の彼女は薄っすらと笑みを浮かべていた。

 「ありえなくは……ないかもしれませんよ?」

 これまでよりも深みのある声で彼女はそう言った。

 でも、その意味が分からなくて、カップをソーサーに置きながら俺は尋ねる。

 「……何が?」

 「六四〇年、生きることです」

 あまりに予想外だったので、俺は一瞬固まってしまう。彼女はそんな俺に追い打ちをかけた。

 「実はわたし……余命六四〇年なんです」

 彼女はこれまで俺に見せてくれた笑顔とは性質の違う、妖艶な笑みでじっとこちらを見つめた。

 ……一体、何が言いたいんだ?

 突然のことに俺は混乱していた。

 もしかしてこれは高度なボケだったりするのか? それともJK用語では余命というのは何か特別な意味を持っているとか……? ヤバい、全然分からねぇ。

 しばらくして、彼女は突然ふっと頬の筋肉を緩めた。俺の知っている彼女の笑みが戻ってくる。

 「すみません、何だか困らせてしまったみたいですね。単なる冗談なので気にしないでください」

 その言葉に、俺は全身の力を抜いた。

 「そっか~。だよね、驚いた……。それにしても余命六四〇年って凄いな。俺なんてせいぜい一〇〇年って所だよ。ハハハ……」

 和やかな場の雰囲気が戻ってくる。あまり彼女は冗談を言いそうなタイプには見えなかったので少し驚いた。

混乱から立ち直った俺は、強烈な西日が自身を照らしていたことに今更気づく。店内の時計に目を向けると、時刻は既に五時近い。最初は時間の流れが遅すぎて辛かったが、終わってみれば意外にあっという間だった。かなり良い暇つぶしになったと思う。

 「そろそろ帰ろっか」

 「そうですね」

 俺たちは同時に席を立つと、会計を済ませて外に出た。

何とか彼女を説得して、支払いは全額俺が負担した。ナンパまがいのことをして彼女を無理やり引き連れたのは俺だし、これくらいはしないとダメだろう。

 「今日は本当にありがとう」

 俺は彼女に向かって頭を下げる。いきなりカフェに行くという無茶苦茶な誘いを了承してくれた彼女には感謝しかない。

 「いえいえ、こちらこそ。今日は支払いまでしてもらって……。本当にありがとうございます」

 彼女も俺に負けじと頭を下げる。

 その後、二言三言交わしてから俺たちはあっさりと別れた。

 金銭的なダメージは大きかったが、今まで遠くからしか見てこなかった彼女を間近で見ることが出来たので良しとしよう。

 しかし何か大事なことを忘れているような……。

 その違和感の正体は、帰宅してから突然判明する。

 連絡先どころか、彼女の名前すら聞いてない!

 このままでは彼女があの草原に行くのを辞めた瞬間、俺は彼女とのつながりを失うことになる。彼女の演奏が聞けなくなるのが嫌で、わざわざナンパまがいのことをしたというのに、その結果がこのザマだ。

 「ミスった~~!!」

 俺は自室で思い切り叫ぶ。

 「兄さんうるさい!」

 隣の部屋の千春が、壁を殴りつける音が聞こえてきた。

 本当、俺って詰めが甘いんだよな……。

俺はベッドに飛び込むと、そのまま頭を抱えながら暴れまわった。

 数時間後、いつもどおり草原に足を運んだけれど、結局彼女は来なかった。いつの間にか天候も悪くなり、空は薄青色の雲に全面覆われていた。

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