第3話 オワコン~太宰治『斜陽』オマージュ作
一
今でも英子のことを思い出そうとすると、ノートを広げ、調べものをし、何かを書き付け、考え込む生真面目な横顔が真っ先に思い浮かぶ。
私と英子は、一時はかなり名の売れた女漫才師コンビだった。女性芸人としては珍しく、政治ネタや社会風刺ネタなどの硬派な内容のしゃべくり漫才をやる風変りなコンビとして、養成所を出てデビューしてすぐにブレイクしたのだ。
誰が付けたか知らないが、「インテリお嬢様芸人コンビ」と呼ばれ、全盛期にはレギュラー番組が週に5本、地方の食品メーカーのCMなどやっていた。
それも、昔の話だ。
コンビ結成当初から、ネタ作りは相方の英子がやっていた。私がボケて彼女がツッこむ。英子が得意なのは、「例えツッコミ」と「天丼」だった。彼女は、独特の感性で、異なるものに共通性を見出すことができたからだ。それは、半分くらいは、彼女の努力の賜物だと思う。幅広い知識を集めるための、常日頃からの情報収集と勉強。ただ、それらの知識を繋ぎあわせて、笑いを生み出すという芸に昇華させるとき、どんなに努力をしても誰も追いつけない天賦の才を感じた。
マネージャーの直江も、彼女の圧倒的な切れ味のツッコミを見て、「彼女の才能は本物だ」と言ったものだ。
そのマネージャーの直江が愚痴をこぼすほどに、私たちの人気は
30に手が届く年齢となり、新鮮さや若々しさがなくなって、賑やかしの女性タレントとしての値打ちが減り、テレビ番組でも扱いにくくなったということだろう。
事務所の打ち合わせ用の部屋でエゴサをし、無責任なネット評を見ていると溜め息が出た。横にいる英子に「和美、そんなもの見ているの」と非難めいた口調で言われ、スマホをしまう。
同時に、マネージャの直江が入って来た。今日は久々の仕事の打ち合わせなのだ。
マネージャーが持ってきたのは、温泉旅館を紹介するレポーターの仕事だった。メインの絵は、二人揃ってバスタオル姿で旅館の自慢である露天風呂に浸かるシーンだという。
事務所での打ち合わせの帰りに、久しぶりで、二人一緒にファミレスでご飯を食べた。英子は珍しく酒を飲み、悪酔いして、帰り道でげろを吐いた。
二
レポーターのような仕事は、英子は苦手としていた。いや、むしろ英子自身よりも相方である私の方が、馬鹿になりきってリアクションを取るなどということを英子にさせたくなかった。
だから私は、英子の分まで大げさに料理を褒め称え、たいして珍しくもない話に大げさに「ほぇぇぇ――!」と驚いて見せ、旅館の女将の説明にいちいち大きく頷いてみせた。
番組のオンエア後――反響は思っていたよりも大きかった。悪い意味で。
私が大きな露天風呂ではしゃぎまくり、泳いでみせたことで炎上したのだ。ネット民たちが、迷惑行為、非常識、子供が真似したらどうするんだと非難し、番組ディレクターからも怒られた。ロケ中には「いいね、いいリアクションだね」と言ってたクセに。
英子だけが、「炎上商法なんて言葉もあるくらいだもの、気にする必要ないわよ」と慰めてくれた。
しかしこの頃から、英子はめっきり元気をなくしてしまった。
なぜか、その番組と同じ局の番組で、週一のレギュラーの仕事がもらえた。話題の商品やサービスを紹介するミニコーナーだ。
その番組の仕事は、無だった。スタッフも共演者も意地悪で、相変わらずネットにオワコンと書かれ、良いことは何もなかった。スタッフさんに一人いい人がいて、お弁当が余った時に貰って帰ることができた。ほかには、本当に何もなかった。
二か月後、番組自体が打ち切りとなり、私たちの仕事も終わった。
その通告を事務所でマネージャーから聞いた、帰り道のことだった。
英子から「別に、強要じゃないけど」と前置きをした上で、ひな壇芸人の仕事の打診があったと告げられた。なぜマネージャーの直江が、先ほど言わなかったのだろうと訝しく思っていると、英子はこう続けた。
「番組のディレクターは、和美一人で、って言ってるんだって。だから直江さんも、まず私に聞いて、『私の方で嫌じゃなければ、和美にも話してもいいか?』って。私はもちろんオーケーだけど、実際に仕事するのは和美だからさ」。
怒りで目の前が真っ赤になった。もちろん英子にではない。こんなことを、英子から、大事な相方の口から言わせた直江に対する怒りである。けれども、その怒りはむしろ英子に向かう形になってしまった。
「何言ってるの!? 今までコンビでやってきたのに、あんな温泉レポーターの仕事だって、英子と一緒だから、二人だから頑張ったのに……」
言葉は途切れ、目からは涙が零れた。
私と英子は、その仕事を断ることにした。
三
翌日、私一人で事務所に行った。直江に仕事を断る旨を伝えるのと、ピンの仕事の話を英子にさせたことへの文句を言うためだ。
直江は打ち合わせ中だった。来客用の会議室ではなく、パーテーションで少し区切っただけのスペースにいたので、背中が見えた。打ち合わせの相手は直江の上司だった。会話ははっきりとは聞こえなかったが、私たちの名前と、「お荷物」「結局、芸人じゃなくてテレビタレントが望まれているんですよ」と言った言葉が切れ切れに聞こえてきて、私は全てを悟った。
一度は部屋から出たが、わざわざ事務所まで来て、空手で帰るのも馬鹿らしいと思い直し、打ち合わせが終わった頃を見計らって、直江に話しかけようと思った。
待っている間に、かつて、売れていた時に対談番組で共演した大物芸人の原上を思い出した。同じようなことを言っていた――芸人じゃなくてテレビタレントが望まれている、と。
再び事務所に行くと、直江は打ち合わせを終えていた。声をかけ、ピンの仕事は断る旨と合わせて「原上さんに、今後のことを相談してみようかと思う」と言ってみた。
果たして直江は、私の言葉を聞くと顔を輝かせて言った。「原上さんに可愛がってもらえたら、この世界で無敵だよ!」と。
四
私は、以前に原上から聞いていたアドレスにメールを書いた。「今の芸風を変えたい、いや広げたい」という内容だ。
五
三回ほどメールを出した後、直江や、先輩あるいは後輩の芸人にそれとなく原上のことを聞いてみたが、誰も特に何も言ってはくれなかった。原上はメールを気にも留めていないのだろうか――そう思うと落ち込んだ。
しかし、それ以上に深刻なのは英子だった。いわゆる鬱状態になっていたのだ。
事務所の先輩芸人も英子の家を訪ねたりして、様子を見てくれたりしたが、「ダメだね」と言うばかりだった。
私の方も英子の家を頻繁に尋ねたが、それ以外の時間は仕事もないので、ただひたすら他の芸人のネタやバラエティ番組を観ていた。
そうして数か月の後、英子から「引退したい」という言葉が告げられた。
六
英子から引退を告げられても、私の中には一緒に引退するという考えは全く浮かばなかった。女を捨てて、プライドを捨てて、ここまで頑張って来たのだ。私はやはり、芸人を続けたいのだ。
しかしピンになっても、仕事は来なかった。
私は、事務所の後輩が原上のいる飲み会に誘われたという話を聞き、勝手に付いて行った。後輩は明らかに迷惑そうな顔だったが、私の方が先輩なので邪険にもできず、居酒屋に着くと、仕方ないといった様子でその場にいた他事務所の芸人やテレビ関係者たちに紹介してくれた。
私は、原上の隣に座っていた女性アイドルがトイレに立った隙に隣に座り込んで「原上さんにお笑いについてお話を伺いたいです!」と切り出した。
そうして、ほかの芸人の仕事やバラエティ番組を見て、温めていた色々な企画の話をした。
原上は意外にも好意的に受け止めてくれ、おおいに盛り上がり、気づけばほかの芸能人やテレビ関係者たちはみな帰っていた。店を出た後も話し足りず、結局、二人で原上のマンションへ行き、企画の内容を詰めるために朝まで話し込んだ。
そうして、私は原上と同じベッドで寝た。
七
直江が会社を辞めるという話は、寝耳に水だった。
送別会の挨拶で、直江は、この仕事に全く馴染めていないと感じていたこと、担当した芸人達にも力不足を申し訳なく思っていたこと、会社に対しても貢献できていないことをすまなく思っていたことなどを話し、みな、唖然としたり、涙をこぼしたりした後、銘々に直江に感謝の言葉を述べた。
私は、送別会の最後の最後に「僕がもっとうまくやれていれば、英子さんも……」と直江に頭を下げられ、謝られた。それを聞いても、私は呆然とするばかりだった。
八
私は今、番組のなかでやらせて欲しいと原上に頼むため、ネタの練習をしている。かつて、まだ直江がマネージャだったときに、彼と相談しながら作ったネタだ。
英子なら即却下するであろう、下ネタの入った、バカバカしい下品なネタ。
それでも私は芸人として生きるために、これをやる。私が引退する日は、まだ先だ。
★元ネタについて
言わずとしれた、『人間失格』と双璧をなす太宰治の有名作『斜陽』。
原作は、没落貴族のお嬢様を主人公に据えた純文学ですが、再読して要素を抜き出してみると、意外にエンタメ度が高くてびっくりです。
拙作では人は死んでいませんが、原作ではいい感じのところで人が亡くなるんですね。(←言い方!)というか、順番を巧みに配していると感じました。
もう一つ特筆すべきは、お母さまの描写の凄さだと思います。スープ飲むシーンなんか、本当に尊い方身分の方はこうなんだろうな、という説得力があります。
あまりに原作が凄すぎて、書きあがったものはかけ離れてしまいましたが、まぁ、生暖かい目で見てやってください。というか、原作未読の方はぜひ原作のほうを!
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