美少女の涙が美しいとは限らない

 明菜に話しかけられた女性アイドル。最初は驚きからか、そこそこの声量。だが、その驚きが通り過ぎると、徐々に声を小さくしていった。元来の内気な性格が顔をもたげたのだ。


「あっ、どうも。ありがとぅ……。」

「いいえ。お気になさらないでくださいねっ」


「はぁ……。」


 ふたこととはいえ、噛みごたえのないコミュニケーションに、明菜は違和感を覚えた。どうして、教室や街中での会話とは全く違うものなのか。その理由というものを明菜は全く理解していなかった。


 明菜はその違和感を引き摺ったまま、カメラの前に立つこととなった。


 その瞬間、全てが変わった。


 見る景色がこれまでとはまるで違った。日常生活ではありえない空気。険しい顔をして周囲の大人たちが自分だけを見ている。それ自体、はじめてのことだった。だが、そんなことはどうでもいい。


 恐怖だった。明菜がカメラの前で抱いた最初の感情。それは、恐怖だった。


 直ぐそばにいるのに、皆が同じく明菜のことを見ているのに。明菜には各々が全く違うことをしているような、そんな思いしかしなかった。その恐怖を明菜は自力で払拭することができなかった。


 撮影は、3分保たずに延期が決まった。


「まぁ、しょうがないよ」

「最初はみんな、そんなものさ」

「よくあることだっていうしね」

「仕切り直しをしよう」


 スタッフが口々に言った。明菜を励ましているともとれるが、なじっているともとれる。両方が混ざっているともとれる。はっきりしているのは、明菜が周囲の大人たちの期待を大きく裏切ったことだけだった。


「本当に、申し訳ございません……。」


 いくら謝ったところで、誰も許してはくれない。そうとしか思えなくなると、明菜は美しくもない涙をただぽろぽろと垂れ流すのだった。ただ甘えているだけの子供の涙だ。


 明菜の脳裏に、太郎の顔が浮かんだ。このときほど近くにいて欲しいと思ったことはなかった。だが、ここに太郎はいない。父親も母親もいない。代わりにいる身内らしい身内は、松田だけだった。明菜はすがるように言った。


「松田さん……私……。」


 明菜は眉を八の字に曲げ、とろんと目を潤ませた。これほどまでに護らなくてはと思えるものは、子猫を含めて他にない。そのまま松田を見つめると松田の男気を心地よく刺激した。


 松田がスマホを取り出しながら慰めると、明菜の反応は予想外のものだった。


「太郎くんを呼ぼうか? 彼ならきっと駆け付けてくれるだろうから」

「辞めて……ロウくんにこんな顔、見せるわけにはいかないの」


 明菜の涙は、さっきよりは少しだけキラキラしたものに変わった。




 そのころ、太郎がいたのは高校の体育館裏。一緒にいた桜子が大声で吠えると、太郎は右手で額の辺りを押さえながら天を仰ぐしかなかった。岡田は、目付きを一段と鋭く戻した。


「ひえんちゃんは今、沖縄にいる。そのことを私は知っている」

「だったら、誰に聞いた? 言え!」


 桜子は怯むことなく言い返したのだが、それには今度は太郎が大声をあげた。


「さくらさくらというアイドルが、教えてくれたのよ!」

「さくらさくらだって!」


 岡田は、妹から聞いているメンバーの名前をよく思い出そうとしたが、全く思い当たる人はいなかった。


「聞いたことがないな。一体、どんなやつだ?」

「会わせてあげるわ。その代わり5分待って」


 桜子はそう言いながら太郎の手を引き、物陰へと向かった。太郎はさくらさくらのことで頭がいっぱいになっていた。岡田は何も言い返さないのはシャクなので、言葉を検索。思い付きで言った。


「3分間だけ待ってやる」


 桜子は地味ににらみ返して言った。


「それ、だけは付かないわ。負けフラグはちゃんと立ててよね」


 このあと、岡田は言い直しさせられるのだった。


______


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


この作品・登場人物が気になる、応援してやんよって方は、

♡やコメント、☆やレビューをお願いします。

創作の励みになります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る