現場は海の彼方
明菜がこの日、学校を休んだ理由は仕事だった。前日から2泊3日での撮影旅行。行き先は沖縄の離島。メディアに本格的に売り出すためのPVの撮影だ。いくつかの少年誌・青年誌の表紙の撮影をも兼ねる。
「松田さん、新人アイドルがこんなに急に仕事が決まるものなんでしょうか」
「稀なことだと思うよ。それだけ君の宣材写真の出来がよかったんだろう」
「本当にそれだけでしょうか。まさか、父や母のことを……。」
「……気にすることはないよ」
明菜の言葉を強引に遮った松田だった。
明菜は心配していた。松田が家族のことをはなして仕事を取ってきたのではないかという心配だ。自力でテレビに出る日まではファンには内緒にしておくことを、約束してはいた。それが性急な売れ方に疑心暗鬼になっていた。
松田という男はその約束にこれっぽっちも重きを置いていなかった。あの渡辺哲也と水樹美月の娘が、親には内緒でアイドルデビューするという体で売り出していた。ファンには内緒という最後の文言に対してだけは誠実に。
「そうやって卑屈になることのマイナスは大きい」
「そうかもしれませんが……。」
優秀なスタッフが揃っていた。カメラマンからスタイリストに至るまで、超がつくほどの一流だった。これほど早くスタッフを揃えられたのにはカラクリがある。別のアイドルと抱き合わせでの撮影なのだ。明菜が割り込んだ形だ。
「彼女だってまだデビュー3ヶ月。この世界は実力さえあれば上にいける」
「そうなんですね。同期ってことね。お友達になれるかしら!」
松田が彼女と呼んだ女性アイドルは、器用に身体をくねらせていた。若い女性らしい瑞々しさや元気溌剌とした表情を振り撒いていた。カメラマンのオーダーに応えるべく、一心不乱にアイドルを演じていた。本当は内気な女の子である。
女性アイドルが休憩することとなり、カメラの前から降りてくる。カメラの前とは全く違い、疲労困憊といった表情をしていた。明菜は、とっさに置いてあったタオルを持ち、その女性アイドルに渡した。
「お疲れ様です。どうぞっ!」
明菜お得意の最高の笑顔を見せた。明菜は、これで親しくなれない人はいないと、たかをくくっていた。だが、その女性アイドルの反応は、今までの人とは全く違った。
桜子は、三枝ひえんの名を聞いて、思わず声をあげてしまった。桜子は三枝ひえんを知っていた。間接的にではあったが。ぴえんぴえんというユニットのエースで、絶世の美少女と名高いライブ系アイドルだ。
桜子とひえんはライブ会場で一緒にはなっていない。だが、何人かのぴえんぴえんのメンバーは今や桜子の奴隷同然で、内部の情報も垂れ流している。それによると、三枝ひえんは折り目正しいアイドルだという。
ひえんは最近売れだしてグラビアなどにも挑戦しているらしい。この日も沖縄の離島へPVの撮影に行っているはずだ。そのことを知り得るのは、関係者の一部と、岡田などの家族くらいなもので、非公開だ。
「三枝ひえんちゃんって、今は沖縄に行ってるんじゃないの?」
非公開であることを、桜子は知らない。だから、自分が知っていることは誰でも知っていると思っていた。桜子が何気なく言ったことに、岡田は敏感に反応した。直ぐに立ち上がり、ドスの効いた声で言った。凄んでいるようでもあった。
「どうして、それを?」
「えっ?」
「妹はライブ以外の活動内容を非公開にしている。それをどうして」
「あっ、あーっ。誰かに聞いたのかも……。」
桜子があいまいにそう言うと、岡田はさらに凄みを増し増しにして叫んだ。誰かを地の底まで追い詰めようかという勢いだ。
「誰だっ! 誰に聞いた?」
「いやーっ。誰だったかなぁ……。」
「忘れたでは、すまさんぞっ」
悪魔と呼ばれる桜子ではあるが、それは舌戦仕様に過ぎない。言葉巧みに言いくるめて相手追いやがることをネチネチと言って、最後にはとどめを刺す。そんな口喧嘩を専らとする。それでもほぼ毎日、誰かを泣かせている。
だが、岡田の舌戦にはちょいちょい実力行使がちらついている。単なる口喧嘩では終わらないかもしれないという恐怖が、桜子を襲う。それは脚を震えさせることで表面化させた。
太郎はそんな桜子を気遣って言った。
「だっ、ダメじゃないか、桜子。知ったか振りはよくないよ」
「しっ、知ったか振りだったのか……ミーハーな奴めっ!」
岡田はおさまる直前だった。だが、桜子にはそれが分かっていなかった。それよりも太郎にダメ呼ばわりされたことの方が重要だったのだ。
「ちっ、違う。私は、知ったか振りなんかしていない!」
この一言で、もうあと戻りはできなくなった。
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