日常への帰還
山吹った桜子は、街を歩くと好奇の目にさらされた。美少女ながら地味に生きてきた桜子にとっては、耐えがたいものだった。その目はこれまでは全て明菜が引き受けてくれていたのだから。
(うぅー。お家に帰りたいよぅ)
だが、桜子は自宅に戻ることができなかった。
(今の姿じゃ、ママに会えないよぅ)
太郎からの連絡に応じることもできなかった。
(太郎にだけは打ち明けようかな。いや、きっと信じてもらえないよぅ)
どうすればいいか、分からなかった。
(はぁ。困ったよぅ)
山吹った桜子には、生活の拠点がない。桜子はいつも家族や太郎と一緒だった。そのどちらも頼ることができない。
人目を避けてとぼとぼ歩くうちに、原宿を離れて代々木公園にたどり着いた。ベンチに腰掛けて、これからどうしようかを考えた。遠くに、犬の吠える声を聞きながら。
お金はある。ホテルなりなんなりを借りて、生活の拠点を自ら築くことはできるだろう。新たな人脈を築くこともできよう。だが、桜子にはそのいずれもやってみようという気持ちにはなれなかった。
(さみしいよぅ。やるせないよぅ。お腹すいたよぅ)
思っているそばから、グゥーっとお腹が鳴る。手には太郎から奪い取ったロールケーキがある。桜子は、無心でそれを頬張った。
(うん。美味しい!)
あっという間に、最後の1口を飲み込んだ。すると、急に身体が重くなり、胸が小さくなった。元の桜子に戻ったのだ。
(よかった。これでお家に帰れる。太郎に会える)
桜子はトイレに行って元の服に着替えた。そして、太郎からのメッセージに返信した。元に戻った理由というものを、全く気にしていなかった。
その少し前。太郎は思い出していた。この街を独りで歩くとどうなるのかを。それは、まるで空間をねじ曲げているよう。通行人が避けて通る。
(どうせ、俺は強面だよ)
太郎は、通行人の少ない代々木公園方面へと、桜子を捜索する範囲を拡大した。すれ違う人はほとんどいない。ねじ曲がった空間を目の当たりにすることはない。精神衛生上、とてもいい。ときどき犬に吠えられるのを別にして。
しばらくして、桜子からの返信があった。桜子もこの代々木公園にいることが分かった。
__歩道橋の下に集合しよう
うん。直ぐ行く__
太郎は歩道橋の下へと急いだ。そこには既に桜子がいた。太郎は桜子の顔を見た瞬間、キスのことを思い出した。顔が赤くなり、まともに桜子の顔を見ることができなくなった。
太郎は、自分でも恥ずかしがっているのが分かった。それはいけないことだった。明菜という彼女がいる身としては、彼氏いない歴イコール年齢の桜子に対して、常に恋愛上級者でいなければならない。そんな気概があるのだ。
だが、キスして数秒で気持ち良くなって気を失った。そんなこと、桜子には絶対に言えない。
一方の桜子にもうしろめたいことがあった。さくらさくらが自分だというのを黙っていることと、ロールケーキを奪い取ったことだ。だが、そんなときにうしろめたさを完全に隠して前へと突き進むのが、桜子なのだ。
「タロ、超絶美少女幼馴染にお土産の1つもないわけ?」
「お土産? そんなもの……。」
太郎はそこまで言って思い出した。お土産はあった。だが、今はない。さくらさくらにあげてしまったのだ。短い握手と引き換えに。太郎は、はじめから用意していなかったことにした。
「……そんなものは、はじめっからないよっ!」
「うそ! タロったら、きっと私のロールケーキを誰かにあげたんでしょう」
「ロールケーキ! どうして、それを?」
「馬脚を著したわね! こっちはカマをかけただけなのに」
カマではない。桜子は、太郎がお土産にロールケーキを用意してくれたのを知っている。奪い取ったのは自分自身なのだから。太郎は桜子とさくらさくらが同一人物だとは、夢にも思っていない。だから、素直だった。
「ごめんなさい……。」
「まぁ、タロが誰にロールケーキを贈っても構わないけど!」
「はい……。」
「タロの好きにすればいいのよ!」
「はい……。」
「でもね!」
「はい……。」
「そうやって嘘をつくのがダメなのよ」
「はい……如何なる罰ゲームでも構いません」
ここまでに一連のやり取りは、小学生の頃から続く2人のお約束。嘘をついた太郎は、バレたら桜子にこっ酷く叱られる。桜子の課す罰ゲームをするのだ。
「よろしい。じゃあ、キスして!」
「なっ、なんでーっ!」
太郎と桜子は仲がいい。
______
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
これで『第1章 原宿のアイドル』は終了です。
明日からは更新時刻を夕方に変更し
『第2章 秋葉原のアイドル』をお送りいたします。
よろしくお願いいたします。
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