明菜の自信
「要するに、俺が明菜を全力で支えればいいんですね」
「全力かどうかは別として、互いを高めあってほしい」
「分かりました。できるだけ頑張ってみます」
「うん。頑張ってくれれば、ありがたい限りだよ」
松田のはなしは終わった。太郎は別れないで済むのなら、よかったと思っていた。その片隅に、桜子とのキスの衝撃を隠して。
神妙にしてずっと待っていた明菜が硬い顔をほんの少しだけ崩した。そして、静かに言った。
「あの、松田さん。私からも、おはなししたいことがあります。ロウくんにも」
「ん? なんだろう。そんな顔されると、聞き辛いなぁ」
松田は、口ではそんなことを言いながらも、まだ余裕があった。ここ数分の会話を通して、太郎のことを高く評価していた。明菜の正面に座ったまま、明菜と太郎に大人の余裕を見せつける。
太郎も満更でもない表情を見せていた。心の奥に潜む桜子への想い。それよりも今は、目の前にいる明菜を大切にしたいという思いの方が勝った。心の有り様は別にして、どう振る舞うべきかが見えたばかりだったのも大きい。
太郎も松田も、明菜の言うことを聞き終わるまでは、平静を保つことができた。明菜は、承諾書の偽装についてはなした。あまりにも神妙にして、毅然としていた。笑えない冗談というわけではない。
「冗談などではありません。本当にごめんなさい」
「ははは。明菜くん、自分が言っていることの意味が分かるのかい」
「はい。深く反省しています」
「偽装は立派な嘘。契約の見直しさえありうるよ」
松田は、あえて声を荒げてそう言った。それに対して明菜は、1つも慌てたところを見せずに返す。だから、松田はブチ切れる寸前にまでなった。
「多分、契約の見直しにはならないと思います」
「そんなの、事務所が決めることだよ!」
それでも、明菜は一切怯むことがなかった。元々、明菜は特にマイナスの感情を顕にすることが少ない。太郎にとってはいつもの明菜。松田にすれば、空恐ろしいとしか言いようがなかった。
「はい。事務所は、私との契約を解除できないと思います」
「どっ、どういうことだい」
明菜は、肝を据えたまま、言葉を続けた。松田は黙って聞くことしかできなかった。太郎にとっても、はじめて耳にすることだった。
「その前に、私の父母についておはなしいたします」
「……。」
「私の父は俳優の渡辺哲也」
「えっ? 渡辺哲也って、映画でお馴染の?」
「じゃあ、明菜くんのお母さんって……。」
「水樹美月です」
「あっ! どこかで聞いたことあるような」
「演歌歌手。それも大御所級だよ!」
「父母は私が芸能界入りするのを熱望しています」
アイドルとして活動することを反対される可能性は皆無。望まれているほどなのだから、後付けで承諾してもらうことは造作もない。明菜は本気でそう思っていた。そして、その言葉には信憑性があった。
「これが、事務所が私との契約を解除できない理由です」
「はははっ。これは驚いたよ……。」
松田は明菜が醸し出す恐ろしさの本質を理解し、落ち着きを取り戻した。
「驚かせてしまい、恐縮です」
そのあと、明菜はアイドルへの想いは本当だと語った。松田はそれを上の空で聞きながら、明菜の売り込みと自身の立身出世について考えていた。
その頃、ライブハウスの控え室では……。
「芸名を決めないとな!」
「『みづきみづき』とかどうでしょう」
「いるよ。そういう人、いるよ。かなりの大御所だよ」
「じゃあ『青井葵』は?」
「いるね。女優さんだね」
「では『雪野由紀乃』!」
「いるんだよ。残念だけど、漫画家さんだよ」
「仕方ありません。とっておきです。『真弓真弓』」
「いたー! 有名ブランドの創業者。怒られるよ!」
「じ、じゃあ。えーっと、えーっと、えーっと……。」
「もう、『さくらさくら』でいいんじゃない」
「はいっ。そうさせていただきます」
桜子は、名字が『さくら』なのがちょっぴりうれしかった。
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