アイドル誕生

スカウト、松田郁弥

「私たちがクレープを食べ歩きしていたときのこと。ロールケーキではなくね」


 桜子はそう言うと、不敵な笑みを浮かべた。


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 明菜と桜子はクレープを食べ歩いた。向かうはロールケーキの美味しい喫茶店。その途中、声をかけてくる男性がいた。


「あの。もしよろしかったら……。」


 この男性、ナンパ師ではない。駆け出しだが大手有名芸能事務所の社員で、松田郁弥という。松田が明菜に声をかけたのは、モデルにスカウトするためだった。その途中、松田は明菜が身につけているものに気付いた。


 松田は明菜を瞬時に再評価した。松田が気付いたのは、ピアノのストラップ。好きなもののストラップを身につけるような少女趣味の持ち主。しかもそれはピアノという音楽家のマストアイテム。


 ならば、目の前の女性はモデルよりもアイドルの方が向いているのかもしれない。松田は名刺を取り出し、明菜に渡しながら言い直した。


「……もしよろしかったら、アイドルになりませんか?」


 明菜は、松田が言い終わるより少し早く、食い気味に返事をした。


「はい! なります」

「えーっ?」


 これまでにモデルにスカウトする男性を完全無視で玉砕させてきた明菜。それが、ふたつ返事でアイドルになることを了承したのだから、桜子が驚くのも無理はない。松田は涼しい顔をして続けた。


「では、詳しい説明をさせていただきます。こちらへどうぞ」

「はい。よろしくお願いいたします」


 呆気にとられていた桜子、我に返って明菜に言った。


「待って。アイドルだなんて、ロウはどうするの?」

「別れる! はい。これとこれ。渡しといて」


 明菜は言いながら、買ったばかりのプレゼントといつ書いたか分からない手紙を桜子に渡した。手紙の宛先は太郎。明菜はいつアイドルにスカウトされてもいいように、こうして別れの手紙を準備していたのだ。


「け、けど。アイドルになるのって、親の承諾とか要るんじゃ……。」

「あるわよ、ほら! 承諾書」


 明菜は言いながら、紙切れを取り出して桜子に見せた。そして直ぐにそれを松田に渡した。


「う、歌は?」

「私、絶対音感あるしっ!」


「ダ、ダンスは?」

「バレエとジャズダンスを少々!」


「ファッションアイテムとか……。」

「センスには自信があるわ! 自分でデザインだってするし」


「えっ、笑顔は?」

「それ! 私の1番の得意技じゃないの」


 桜子が聞けば聞くほど、明菜のアイドル適性と準備周到振りが証明された。もう後戻りはできない。桜子は観念した。


「完璧! 完璧じゃないの。明菜、貴女はアイドルになるために生まれた子よ」

「ううん。私、天使よっ!」


 明菜がそう言い切ったとき、桜子には清々しい気持ちしかなかった。


「分かったわ、明菜。ロウには、私からちゃんと説明してあげる」

「桜子、ありがとう。貴女が友達でよかったわ。ロウくんをよろしく!」


 こうして明菜は、松田と一緒に桜子の前から消えた。


 桜子が太郎にメッセージを送ったのは、その直後のことだった。


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 桜子の言うことが、太郎には信じ難かった。太郎とて、デートの最中に明菜がモデルとしてスカウトされる現場に何度も出くわしている。その度に明菜は無視を決め込み、スカウトを玉砕させている。


「なっ、何でさ? どうして今になってスカウトなんかに……。」


 太郎には事実がまだ受け入れられないのだった。


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