十四番:中吉 今あるものの大切さを知るでしょう

 次の日、俺はいつも通りの一日を過ごした。朝起きて学校に行き、授業が終われば身支度をして帰る。しかし、俺は家に帰らず、寄り道をしに行った。神崎や天文寺の帰りのお誘いを断り、一人で。そんな俺が向かう先はあの、高級マンションの最上階だった。

「来てくれたんですね、鬼山くん。」

「まあ別に、断る理由もなかったし、それに…。」

「あ、昨日のお兄ちゃんだ!こんにちは!」

挨拶ができるなんて偉いな。俺はそっと少女の頭をなでる。おっと、いけないいけない。目的を見失うところだった。俺が用があるのは、この男だ。

「あんたが一体何者で、神崎とどういう関係なのか。俺には知っておく必要がある気がするんだ。」

「そうかもしれませんね。立ち話もなんですし、どうぞ中に入ってください。」

俺は二日連続で、この高級マンションの部屋にお邪魔するのだった。

 今朝、登校中に、黒い服の男が俺に紙切れを一枚渡してきた。紙に書いてあったのは『どうも、偽物占い師です。昨日は取り乱してしまいすみません。今日の学校の帰り、もしよければ私の家に来てください。もちろん急な話ですので、お忙しいのであれば無視してしまってかまいません。下記の部屋番号にてお待ちしております。』という文。丁寧で読みやすい字だった。そして紙に書いてあった部屋番号に今やってきたというわけだ。

「おにいちゃん、パパとお友達なの?」

「そうだね、僕は君のパパと大親友なんだ!」

そういうことにしておこう。

「大親友なんて、照れますね。」

こうしてマジマジと見るとよくわかる。そしてこの照れ方。おそらくこいつが、こいつこそが、神崎の父親である。


△▼


 マンションとは思えないほど広い部屋。そんな部屋に、一人の男と、一人の少女が住んでいた。そして男は喋り始める。

「まずは正式に自己紹介から行きますか。すまないが、鬼山くん、先にお願いできるかな?」

「鬼山歩夢だ。他に特に紹介するところはない。さあ、あんたの番だ。」

「神崎。君はもう気付いているようだけど、神崎美緒の父だ。そしてこの子は養子の…」

「ひなです!小学一年生です!」

ちくま…?なんて字を書くんだ?

「それにしても、こんな近くに住んでいて、よくばれないものだな。」

「今年になってから、あまり外に出てないからね。」

だからああやって変な格好で外にいたのか。俺にばれたとしても、神崎は気付くまい。

「私が今日君をここに呼んだのは、頼みごとがあるからなんだ。だけどその前に、君の話を聞こう。君が私に聞きたいことは何かな?」

「ひとまず、敬語はやめたのか?」

我ながら年上に対して、偉そうな質問である。

「まああれは、占い師であるときの営業みたいなものだよ。」

「じゃあ、あんたは今いくつなんだ?」

「今年で四十になるね。」

全然そうは見えなかった。ただ、16歳の子を持っているなら、当たり前の歳である。

「最後に、なぜ神崎たちと別居しているんだ?」

俺が、一番聞きたい質問だった。きっと真剣な顔をしていたと思う。そんな俺をひなちゃんは、目をぱちくりとさせながら見つめていた。

「やはり君が気になっているのはそこはそこだよね。そしてそこが、私の頼みごとの大部分を占める。」

康彦さんはひなちゃんを自分の膝の上に座らせて、ゆっくりと話し始めた。


「大学院を出て建築会社に入社した私は、私と妻、そして美緒とこの町の借家で、平穏に過ごしていました。毎日、妻や美緒の笑顔に見送られながら仕事に行き、あの笑顔を守りたい、その一心で仕事をひたむきにがんばっていました。そしてある日、私の企画が大きく会社を動かし、私の昇格は決まりました。住んでいた借家をマンションに建て替え、その最上階に、三人で幸せに過ごしていました。このマンションも多くの入居者が決まり、仕事の調子も上々でした。ところがある日事件は起きました。マンション用の倉庫があったのですが、そこから声がするとの電話があり、確認をしに行きました。倉庫を開け、中を覗いてみるとそこに女の子が…


捨てられていたんです。


△▼


「捨てられていた…?もしかしてそれが…!?」

「そう、この子です。ちょうど今年の初めのころです。」

「親はどこに行ったんだよ!そんな…無責任な…。」

俺はきっと、家族にかなり大切に育てられている。だからこそ、そんな人がいることがショックで…無念で…仕方なかった。

「おにいちゃん、どうしてそんなに暗い顔してるの?」

「君は怖くなかったのか…?寂しく…なかったのか…?」

「ぜーんぜん、元気だよ!だからおにいちゃんも、笑って?」

そんなわけはない。普通の子供はこんな状況、耐えられるわけがない。

「この子は会った時からこうでした。私が見つけた時、明るく挨拶をしていました。この子は、怖いとか、苦しいとかそういうのがないんです。」

「それって…どういう…。」

「成長の過程で、マイナスの感情をどこかに捨ててしまっているんです。」

「そんな…どうして……あっ…」

聞こうとした途中で、俺は理解してしまった。負の感情を捨てるとは、どういうことなのかを。この子に要らなかったのではなく、そんなものがあってはいけないような、そんな状況に置かれていたということである。まるで人形のように、かわいいだけでいるように、そう育てられたのであろう。それはあまりに、残酷なことだった。

「私はすぐさまこの子の親を特定しようとしました。ですがもうすでに退去済で、警察に通報するほかありませんでした。その後、この子の両親はなくなっていたことが判明しました。自殺でした。」

この子が名前を憶えているし、それに珍しい苗字だ。特定はそんなに難しいことじゃない。そして親は自分の娘にこんなことをするくらいには、何か大きなストレスを抱えていたのだろうか。そんな真相は、俺には知る由もなかった。

「私はこの子をどうするか、深く悩みました。養子として誰かに渡しても、この子が感情を取り戻すとは限らない。ですが唯一、感情的で楽観的で子供も好きで人の気持ちにしっかり寄り添える、そんな女の子を、私は知っていました。そして、あなたも知っているはず。」

そんな奴、他に誰がいるか。バカで優しくて一生懸命な女の子。

「…神崎美緒。」

「私が仕事で忙しくしている間、気付けば娘はとてもいい子に育っていました。周りに気遣い、人の気持ちをよく理解している。まあ、少し自分に甘いところはありますが。」

確かにな。

「千曲ひなを救えるのは、あの子しかいない。そう思い、私はまず、妻にこの子を見せに行きました。しかしそれが、大きな誤算を産みました。」

すると康彦さんはひなちゃんを俺に預け、立ち上がり、ワインとグラスを取って、飲み始めた。

「私の妻は…この子を見た瞬間、隠し子がいたの!?と聞いてきて…必死に否定はしたんだてんけど…信じてもらえなくて…。ついカッとなって…家を追い出して…。」

康彦さんが泣きながらそう言った。

「よーし、ひなちゃん。目の前にダメな大人がいるよ?よしよししてあげれるかな?」

「うん、分かった!パパ、泣かないで。よしよし…。」

ひなちゃんは康彦さんの頭をなでた。

「ありがとう…ひな…ありがとう…。」

「つまりは俺に、誤解を解いてほしいってことですか?」

「そうなんだ…。以前から君に接触していたのはこのためなんだ。君にはあの二人に、ゆっくりと信頼を築いてもらいたい。まずは、美緒が抱えている悩みを、聞いてやってほしい。そしてこの話は、時が来るまで秘密にしておいてほしい。」

「わかった。黙っておくよ。ところで、神崎が抱えている悩みって何なんだ?」

「それは、自分で引き出してほしいんだ。そのためなら、どんなことだって手伝うよ。」

結構手順を踏ませてくるんだな。

「今日は私の話を聞いてくれてありがとう。これは私の連絡先だ。いつでも連絡をくれて構わない。この子に会いに来たくなったら、ここに来てくれたっていい。」

「了解。じゃあ俺はこれで失礼するよ。ひなちゃんも元気でね。」

「バイバイおにいちゃん。」

手を振るひなちゃんにこちらも軽く振り返し、玄関を出た。しかし俺はそこで固まった。考えてみれば、避けられない展開だったのだろう。

「あ、歩夢くんじゃないか。どうしたんだい、こんなところで。」

「あ、いや…その…。」

さきほど時が来るまで秘密にしてくれと言われた。それは天文寺とて例外ではないだろう。

「もしかして、ボクを待っていてくれたのかい?」

いや、もうちょっとあるだろ。なんでロビーを抜けれたのとか、なんでこの階にいるのとか。まあでも今は、バカで助かったと言わざるを得ない。

「そ、そうだ。ちょっとまた、昨日の紅茶が飲みたくなってな。」

「そうなのか!あれくらい全然出すさ。さ、あがってくれ!」

俺は今日も、あの上品な香りが漂う紅茶を飲んで帰ることになった。


「今日は学校二日目だったが、どうだったんだ?」

「どうと言っても、ボクはいつも通りのボクさ。前の学校で送っていた生活と、なんら変わりはないよ。」

「そうか。今日の昼は何を食べたんだ?」

今日は俺は屋上で一人飯を楽しんでいたため、こいつとも神崎とも一緒ではなかった。

「今日は君の友人の神崎くんに、あの高校の食堂のおすすめメニューを教えてもらっていたよ。」

こいつ、もう神崎と接触したのか。ああ、もうだめだ。こいつ明日にはきっと、友達がまた三人くらい増えていることだろう。クラスで鎖国してるのは俺だけだ。

「それにしてもこの紅茶本当にうまいな。バカ舌の俺でもわかるよ。こんなことを聞くのもあれなんだが、これって、一体いくらするんだ?」

「これかい?この紅茶なら、一杯二万円だよ。」

それを聞いた瞬間、俺はむせた。昨日二、三杯は飲んだ気がするが。

「とはいってもこれは来客用でね。普段ボクは、一杯千円程度のお茶を飲んでいるよ。」

それでもたけえよ…。

「ごちそうさま!さーて、俺はそろそろ帰ろうかな!」

「おや、もういいのかい?もしかして、今日の入れ方はお口に合わなかったかな。」

「いやいやいやいや、もうね、大満足よ大満足。最高!天文寺最高!」

「それならよかった。じゃあ、また来てくれ。」

「おうよ!!」

俺は急いでその場を去った。今はここにこれ以上いたら、おかしくなりそうだった。今俺の中に二万円…。昨日の分も含めると、八万円!?こんなの歩く財布じゃねえか。俺はそのまま走って家まで帰った。


△▼


 家に着くと、もう午後七時になっていた。

「ごめん姉ちゃん、遅くなった!」

「も~遅いよー?連絡くらいしてくれたらよかったのに。」

「すまない、ずっと人と話してて…。」

「ま、ひとまずお帰り。ご飯にしよ?」

姉はそう言って、ぬいでいたエプロンをもう一度着た。

 午後七時十分。お腹を空かせてのごはんだった。

「なあ姉ちゃん。」

「なあに、歩夢。」

「俺、今日色んな家に行って思ったんだけど、やっぱりこの家に生まれてきてよかったよ。」

「高校生でその言葉が言えるなんて、歩夢も大人になったねえ。」

「姉ちゃんは家族のこと、どう思ってるんだ?」

「ずーっと一緒にいるとやかましいけど、いなくなったらそれはそれで寂しい。家族って、そういうもんじゃないのかな。」

なるほどね…。

「あ、そういえば!」

姉はそう言って立ち上がり、何やら棚をあさっていた。

「さっきね、神崎ちゃんが家に来たの。それで、これを渡してきたのよ。」

近所のドーナツ屋さんのドーナツだった。

「神崎ちゃん、『今日鬼山くんとあんまり話せなかったから、嫌われちゃってるのかも―』って、心配してたよ?」

一日話さなかったくらいで、何をそんなに…。

「今歩夢、別に大したことないだろーって思ってるでしょ。でも、女の子には大したことなの。」

「はあ。」

「明日は二日分しっかり一緒にいてあげなさい?」

「まあ、姉ちゃんがそう言うなら。」

でも思い返せば、あまり人のことは言えなかった。バス停の待ち時間でさえ寂しいとかんじて、見えないものを呼び出してしまうくらいには。神崎には明日、菓子パンでもおごってやるかと、そう思うのだった。


十五番に続く

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