七番:大吉 周りの人があなたを救うでしょう

 翌日の朝。いつも使っている箸が、今日はやけに重かった。昨晩たどり着いてしまった結論が、俺の体にのしかかる。もっと早く始めていればよかったんだろうか。もっとうまくやれたのだろうか。様々な公開と懸念が。朝から頭の中をぐるぐると回る。最悪のメリーゴーランドである。

「どうしたの歩夢、そんなお通夜みたいな顔して。親戚のみんなはピンピンしてるわよ?」

「ちょっとな…。姉ちゃんはどうしようもないときってどうする?」

「気持ち悪い質問ね。どうしようもないなら何もできないわよ。」

「だよな…。」

「でもね歩夢。案外、本当にどうしようもないときってのは少ないの。」

「本当にどうしようもないとき?」

姉の表情が少し変わった。姉は俺を慰めるわけではない様子だった。

「そ。もしかしたら歩夢がどうしようもないって思ってるだけで、ほんとはどうにかできるかもしれない。徒競走の選手が負けを確信して途中で歩き始めたらかっこ悪いでしょ?」

「確かに…。」

「なにしてるかは知らないけど、歩夢のことだから」一人で全部やろうとしてるでしょー。」

「うっ…。」

あまりに見透かされた一言に、ぐうの音も出ない。

「少しは他人を頼ってみるのもいいんじゃない?それこそ明るく元気な神崎ちゃんとか。ってちょっとちょっと、そんなに急いで食べるとのどに詰まるよ?」

姉の言葉で、眠っていた脳がやっと目を覚ます。あきらめるにはまだ早い。詩間先生に言った通り、俺はこのくらいであきらめるべきではないのだ。神崎はいつも、俺より家を出るのが少し早い気がする。俺は下品ながらも素早く飯を食い、同様に身支度も済ませた。

「ありがとう。姉よ。」

「いいってことよ。」

「行ってきます。」

「昔はあんなことなかったのにな…。歩夢も変わったな。まるで神崎ちゃんみたいに。」

△▼

 俺は家を出た後、がむしゃらに走った。神崎に追いつくことだけを考えて、一心に。途中で水たまりを踏んだりしても走り続けた。すると、後ろから誰かに追い抜かされ、その人は目の前に現れた。

「なんで止まってくれないの?さっきからずっと呼んでたのに。」

なんで今日に限って俺より家出るの遅いんだよ。俺の青春走りを返せ。

「すまない、気づかなかった。おはよう神埼。」

「おはよう鬼山くん。」


 マジでなんで俺より走るの早いのにお前だけ息が切れてないの?とか、同じルートを走ってたのになんでお前は水たまりをしれっとよけてるの?とか、色々疑問はあるが今はどうでもいい。今すべき質問はただ一つだった。

「なんで鬼山くんそんなびしゃびしゃなの?」

うるせえよ。

「神崎、お前の力を貸してくれ。」

「何のこと?」

「かくかくしかじかでな…。」

「そっかー。そうだったんだねー。文化祭まで、大体あと一か月くらいだよね。」

「そうだな。」

「直接会ってみればいいんじゃない?」

「それはさすがに難しいだろ…。」

「鬼山くん、BLADE5をアーティストとしてしか見てないんじゃない?」

「どういうことだ?」

「BLADE5は、麓川高校の『卒業生』なんでしょ?」

「…そうか!流石神崎!」

彼らは大物アーティストであるが、先生たちにとってはただの教え子である。事務所を通さなくても、恩師の願いとあらば交渉ができるかもしれない。

「流石って言っても、私は何もしてないよ。鬼山くんが忘れてただけなんじゃない?」

「確かにそうかもな…。なんにせよありがとう神埼。俺は先に行くよ。」

「うん!ばいばーい。」

教師陣は授業が始まると忙しい。できるだけ朝に、いろんな人を当たろう。そう思い、俺はまた走り始めた。

△▼

「だめだ…見つからない…。」

姉と神崎からもらった勢いもつかの間。否、数日は経っていた。放課後はクラスや生徒会のことがあるので朝しか回れず、しかし何も得られなかった。というのも、彼らが卒業したのは六年前。それだけ長くいる先生はもうこの高校にはいなかった。他校に言った先生に片っ端から訊きまわる時間はもうない。おまけにここ数日かなり動いていたせいで、足も痛めてしまった。身体能力が低いわけでもないので日ごろ運動などしていなかったが、こういう時に響くのかと、日々の俺を恨みながら保健室に向かった。

「おっさん、足が痛い。」

「んだよクソガキ。今いいとこなんだよ。」

東仁田のパソコンの画面には、野球中継が映っていた。いくら人が来ないからって、なにやってんだよこいつ。

「そこに座ってじっとしてろ。症状はなんだ?」

「多分筋肉疲労かな…。ここ数日少し無理をしていた。」

「お前生徒会しかやってないだろ?何やったらそうなるんだよ…。」

「文化祭にBLADE5を何とか呼べないかと思って…。」

「は?あいつらがここに帰ってくるってのか?勘弁してくれよ…。」

東仁田が何気なく言った一言を、俺は聞き逃さなかった。

「おい東仁田、あいつらってどういうことだ?」

「お前もしかしてあいつらのファンだったのか?そいつは悪かったな。」

「違う。いや違わないけどそうじゃない。東仁田、あんたはいつからこの高校にいるんだ?」

「もうここに雇われて十年にはなるな。ずいぶん長く居させてもらってるよ。」

灯台下暗しとはこのことだろう。彼らの存在をよく知る唯一の教師は、保健室にいた。

△▼

「あいつらはここで軽音部をやってるとき、ライブをやるたびにm茶なパフォーマンスをしてよくケガしていた。意味わかんねーケガとかするから大変だったぜ…。校長もそのふざけたパフォーマンスに何も言わねえしよお。」

「そうだったのか…。今はあんまりそういうのはやってるイメージないな。」

「ま、あいつらも大人になったってことなのかね。」

知られざるBLADE5の過去に聞き入ってしまっていたが、俺はシップを貼られながら、本題に入ることにした。

「さっき言った通り、俺は文化祭に彼らを呼びたいんだ。」

「学校はいくら用意できるって?」

「10万だ。」

「そいつは舐めた話だ。今のあいつらがそのくらいで呼べるわけがねえ。」

実際呼べなかったしな。

「ちょっと待ってろ。」

東仁田はシップを張り終えると、野球中継の画面を閉じ、何かを調べ始めた。

「お前、5月1日はどうせ空いてるよな。」

どうせって。まあ空いてるけれど。

「チケットが二枚ほど明日お前の家に届く。その日それを使って東京に行ってこい。」

「と、東京!?でもそんな急に…。」

「安心しろ、きっちりあいつらに連絡はつけておく。チケットもつてがあるからかなり早めの配達だ。」

「そ、そうか…。でも何で二枚なんだ?」

「なんかお前だけで乗ると墜落しそうだからな。あの眠り姫といちゃいちゃしてろ。」

うん、それは怖いから本当にありがとう。

「あいつらは俺に貸ししかないからな。」

東仁田は俺が数日かかって何一つ進展しなかったことを、たった十分で大きな希望にした。

「あんた一体何者なんだ…?」

「別に何者でもねえ、ただの社会人だ。あまり大人をなめるなよ?」

東仁田はそう言って、俺にデコピンをした。 

 今まで一人で生きてきた俺は、自分で何でもできると思っていた。けどそれは間違いだった。自分より長けている人などいくらでもいた。俺はそれを知らなかっただけだったのだ。これまでどれだけ自分が無知な子供だったかを、思い知らされる4月だった。

△▼

「ねえ鬼山くん。」

「なんだ神埼。」

「なんであたしたち東京に向かってるの?」

「俺もわけがわからん。」

東仁田の迅速な対応によりチャーターされた飛行機に、神崎と二人で乗っていた。明日は学校なので日帰りである。

「鬼山くんが『お前がいないと死ぬ』っていうからついてきたんだけど、鬼山くんもしかして飛行機怖いの?」

「そうだな。」

強ち間違いではない。

「そうなんだ…。ちょっと期待したのに…。」

俺が墜落することに?

「せめて東京のどこに行くか教えてよ。」

「お台場だ。BLADE5に会いに行く。」

 テレビにラジオにネットメディア。いろんなところに引っ張りだこの彼らは空き時間を割いて、俺たちと話してくれるそうだ。しかし何の話をするのかは言ってないらしい。東仁田いわく「それくらいは自分で言え」とのこと。俺からしたら「それくらいはついでに言っておいてくれ」だが、ここまでしてもらっておいてまだ頼むのも気が引ける。今はとりあえずファンであることは忘れて、交渉に集中するのだ。


「着いたね鬼山くん!」

「そ、そうだな。でも…。」

東京駅に着いた俺は切符売り場の前で棒立ちしてしまっていた。俺は東京は初めてであり、そもそも電車もあまり利用しない。そんな中で、目の前に現れたその図はあまりに異様だった。

「なんだこのイヤホンが絡まったような路線図は…。」

地形や街の発展状態的に仕方なかったのかもしれないが、もう少しきれいに作れなかったものだろうか。一つ一つの路線はそこまでいびつではないのだが。それが重なり合ってもはや認識不能である。

「お台場に行くんだよね鬼山くん。」

「お、おう。」

「それなら、京葉線に乗って新木場で地下鉄に乗り換えて、あとは豊洲からモノレールみたいなやつに乗ったらいけるねー。」

神崎はかなり落ち着いたトーンで言った。

「神崎お前まさか…!」

「東京はこれで6回目です!」

神崎は腰に手を当てどや顔をする。こいつを連れてきてよかったと思った瞬間であった。

△▼

 神崎のおかげで俺は無事、お台場にたどり着いた。

「着いたはいいものの…、どこにいるかとか聞いてないな。連絡手段もないし。」

「まあ適当に歩いてたら会えるでしょー。」

それは楽観的過ぎるだろ。

「あ、あれじゃね?おーい。」

遠くから声が聞こえた。少し距離はあったが、誰かというのが認識できた。あれは間違いなく、BLADE5ボーカルの伊達さんである。

「あ、なんかあの人こっちに手振ってるよ?おーい。」

お前は何のんきに手を振り返してんだよ。

「君たちが東仁田さんの言ってた子たちかい?」

「はい。麓川高校生徒会の鬼山です。」

緊張を押し殺して捻出した自己紹介の言葉だった。

「同じく、麓川高校生徒会の神崎です!でもなんでわかったんですか?」

こいつは緊張してないな…。

「見慣れた制服が見えたものでね。」

「ああ、なるほど~。」

今日は学校のものとして来たので、制服で来ているのだった。やはり制服という文化は捨てがたい。

「今は休憩中なんだ。他のメンバーもそこのカフェでゆっくりしてるよ。良かったら、君たちもどうだい?」

ぶぶ、ぶ、BLADE5とカフェに…。しかも全員と…?そんな、あまりにも恐れ多い…。

「いっきまーす!!」

しかし俺の隣にいるのは恐れ知らずであった。

△▼

 BLADE5という名前だけあって5人組なのかと思いきや、実は彼らは4人組である。その4人を目の前にして、俺は今世紀最高に緊張していた。

「で、今日はなんの用なんスか?」

ギターの織田さんが言った。

「ちょっと、緊張しちゃってるじゃないですか。織田君は距離が近すぎですよ。」

ベースの宮本さんが言った。

「…(こく)。」

ドラムのさんが無言でうなずく。

「まあまあ鬼山くん、そう緊張しなくたっていいよ。今日の僕たちは東仁田さんに呼ばれたただの卒業生だからね。ほら、隣を見てみなよ。」

神崎はおごってもらったパフェをおいしそうに食べていた。なんなんだよこいつ。でもそんな神崎を見たら少しだけ緊張が解けた。

「うちの高校、5月20日に文化祭があるんです。麓川高校は年々入学者が減っていて、学校側も今年の文化祭は盛り上げようとしています。無茶を言ってる自覚はあります。ですがどうか、その日の文化祭に出演してくれませんか?」

「いいっスよ、俺らその日オフだし。」

「へ?」

あまりの二つ返事に、阿保な声が出てしまう。

「…なにも断る理由はない。…それに恩師『東仁田』もそう言っているなら…。」

テレビとか含めて喋ってるとこ初めて見たよ麻さん。

「飛行機はこっちで手配するよ。その代わり、軽音部から楽器を借りて用意してもらえるかな?」

「も、もちろんです!」

「も、もしよければ軽音部室にある、僕らの名前が書いてある楽器を使いたいので、軽音部の人たちにメンテナンスを頼んでおいてください。」

「わかりました!」

「じゃ、当日を楽しみにしてるよ!」

「ありがとうございます!」

俺は深々とお礼し、仕事に戻っていくBLADE5を見送った。なぜ最初からこうしなかったのだろうと思うくらいには、話がスムーズに進んだ。自分でも何を言っているかわからないが、筋肉疲労になってよかった。

「いい人たちだったねー。」

「そうだな…。」

「すみません、パフェもうひと…むぐっ!」

「帰るぞ。」

追加注文しようとする神崎の口をふさぎ、いただいたお金で会計を済ませた。なんて気前のいい人たちなんだ…。いや待てよ…?

「お金はどうすればいいんだ…?」

すべてが解決したと思いきや、根本的な問題を残したままに、大都市東京を後にするのだった。


次って八番だっけ?でも続くよ。

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