四番:中吉 まじないがよく効く日でしょう

 日も落ち空が緋色に染まるころ、俺と神崎は一緒に帰っていた。というか、半分くらいは俺が神崎について行っているようなものである。神崎の赤点が発覚し、俺は神崎の家で勉強を教えることになった。なので神崎の家に向かっている途中なのだが、俺はその向かう方向に違和感を感じていた。

「神崎の家って…どんな家なんだ?」

「ちっちゃなボロ家だよ~。ほんとに狭いけど我慢してね。」

「あ、ああ。それは気にしないんだが…。」

どうみても俺たちが向かっているのは、数年前にできたこの町最大の高級マンションである。神崎はこれをぼボロ屋と言っているのか?それは少し謙遜が過ぎるのではないだろうか。別に俺の家はそんなに小さいわけでもなくむしろ少し大きめであるが、あのマンションの部屋がボロ屋なら俺の家なんてダンボールハウスである。

「すまない…小さい家に招いて…。」

「え?鬼山くんの家めちゃくちゃおっきかったじゃん。」

「そ、そんな無理に褒めなくても…。」

「ほんとだってば~。うちの何倍もあるよ?ほら見てあれ。」

神崎が指した方向を見ると、やはりあの高級マンションがある。

「ごめん、ほんとにごめん…。」と俺はすすり泣きながら言った。

「も~鬼山くんなに言ってんの~ほら着いたよ?」

そういわれてウソ泣きしていた顔を上げると、そこは皆が憧れる高級マンション。の、ふもとにある小さな和風の家だった。

「な、なるほどね。なんだ~驚いたよ。」

「ちょっと前はあっちに住んでたんだけどね~。お父さんに追い出されちゃって今はこっち。」

いや結局住んでたんじゃねえか。

「いい家じゃん!こういう和風の家好きなんだよね。」

突然の声に後ろを振り向くと、親の顔より見た我が血縁者の顔があった。

「姉ちゃん!?たしかにさっき電話で呼んだけどいつからそこに…。」

「歩夢が勘違いし始めたあたりからかな。」

忍びのものなのか?

「ただいま~。あ、どうぞ上がってください。」

「「おじゃましまーす。」」

姉と俺も導かれるがままに玄関から上がると、奥からお母さんらしき人がやってきた。

「今日は娘のためにお越しいただいてわざわざお越しいただいてすみません。美緒の母の美香です。先日は娘がお世話になりました。」

「こちらこそ突然お邪魔してしまってすみません。いつも弟がお世話になってます。」

姉に合わせて俺もお辞儀をする。普段はふざけた人だがこういう時姉はしっかりしている。

「まあまあ、堅苦しい流れはそのくらいにして、上がって上がって。」

神崎にそう言われたので、俺は当人のいるリビングのほうに行き、そっと正座をする。すると神崎の母が謙虚な口調で喋りだした。

「こんな豚小屋みたいなところに来てもらってすみません…。」

卑下の具合がすごいな。

「いやー、ここが豚小屋だったらうちなんて犬小屋ですね!」

今まで姉と過ごした中で一番意味不明なことを言っているんだが。

「だったらお姉さんは番犬になりますね!」

「そうですね!わっはっは。」

あまりの異常な会話に困惑し、神崎に小声でこの状況の理解の手助けを求める。

「神崎、お前のかあさんは日ごろから何か悪いキノコでも食べているのか?」

「え、いつも通りだよ~。何か変だった?」

「あ、いや、これが通常運転ならそれでいいんだ。」

なんだ。悪いキノコを食ったのは俺だったか。

「さ、お母さんはご飯の用意でもしようかな!」

「あ、わたし何か手伝いましょうか?」

「ありがとね~。でも大丈夫だよ。普段から大変なんだからたまには家事休んで。」

「す、すみません。ではお言葉に甘えて…。」

「鬼山くんも足崩してもらって大丈夫だからね。」

「あ、すいません、ありがとうございます。」

俺たち姉弟は、神崎のお母さんの言葉で一気に肩の力が抜けた。俺が正座していること、そしてうちの姉が毎日家事をしていることに一体いつ気が付いたのだろうか。そう思い姉をじろじろと見てみると気が付いた。手だ。毎日の家事で姉の手はうっすら荒れていた。姉と毎日過ごしている俺が全く気付かなかったことにこの人は一瞬で気づいたのか。俺が『主婦の観察眼』というものに圧倒されていると、姉が文句を垂れてきた。

「ちょっと歩夢?いくら弟だからってそんなにじろじろ見ないでくれる?」

「別にいいだろ?減るもんじゃないし。」

「減るよ!残り閲覧回数が!」

「なくなったらどうなるんだ?」

「そ、それは…。」

「鬼山くんの運がさらに悪くなる。」

「そ、そうそう!流石神崎ちゃん~。」

「待て待てそれだけはやめてくれ。」

今以上に運が悪くなると、いったいどうなるだろうか。おそらく一日に五回はこけるだろうし、自動販売機のおつりは全部十円玉で帰ってくるだろう。想像するだけで身の毛がよだつ。

「でも二人とも仲がいいですよね。」

神崎の一言に俺は「そうか?」と返し、一方姉は「まあね~。」と返す。

「ま、歩夢はあたしのこと大好きだもんね~。」

「うるせえうるせえ!ていうか俺はここに雑談をしに来たんじゃねえよ!勉強道具を出せ神崎!」

「わかりましたせんせーい。」

「先生でもねえ!」

 そうして俺は五教科を丁寧に教えた。でも案外神崎の理解力は高く、教えたことをすすすと飲み込んでいった。各教科45分ほど、計四時間で合格ラインまでは教えられた。そういえば神崎のお母さんが作ってくれたご飯はとてもおいしかった。特に唐揚げはサクサクジューシーという感じで結構食べてしまった気がするが、神崎は俺の倍は食べていた。揚げ物は姉が油跳ねを怖がってあまりうちでは出ないので、家でから揚げを食べるのはなんだかとても新鮮な感じだった。

△▼

五教科すべて教えていたので、最後の英語を教え終えたころにはもう夜の九時だった。

「じゃあ俺はそろそろ帰るぞ。」

「わかった~。ありがとね!」

「最後に一つ、今日はもう勉強せずに寝ろ。」

「え、でもまだ九時だよ?」

「気持ちはわかるが明日に響いたら意味がない。どうせ追試は明日の放課後だからまだ時間はある。しっかり休んで明日の朝は早めに来い。」

「そっかー。わかった。」

「こんな夜遅くまですみません、晩御飯ごちそうさまでした。」

「いえいえこちらこそ、こんな時間まで娘に勉強を教えてもらってすみません。」

「師匠!今度揚げ物教えてください!」

「あら、弟子ができちゃったわね。またいつでも来てね。」

なんだか姉が弟子入りしているが、俺は片づけを終え玄関へと向かった。

「では、お邪魔しました。」

「気を付けてねー。」

「ありがとうございましたー。神崎ちゃんもまたねー。」

「はーい!」

 こうして俺と姉は神崎家を後にした。明日の朝も勉強を教えることにしたのでその日は俺もすぐに寝た。

△▼

部屋に明かりが差し込み、目が覚める。

「朝か…。」

俺はそのまま制服に着替え、姉のご飯支度を手伝うことにした。

 階段を降りると、姉はもう支度を始めていた。

「あら、今日は自分で起きたのね。」

「まあたまにはな。」

「じゃ、ご飯とみそ汁よろしくう!」

「あいよ。」

こうしてたまに用意するのはいいのだが、これを毎日続けられるかと言われたら正直怪しい。それをやってのける主婦たちはやはりすごいのだなと思いつつ、ご飯を茶碗によそう。姉っていつもどれくらい食べてたっけ。まあ適当でいっか。

「それは多いよ。神崎ちゃんじゃないんだから。」

「あ、そうなのね。」

「もー、また神崎ちゃんのこと考えてたの?あの女のどこがいいのよ!」

「めんどくさい女みたいなのやめろ。てか、神崎とはそんなんじゃねえよ。ただ都合が合うだけだ。」

「ふーん。でも、神崎ちゃんは歩夢の思っているより頑張り屋さんだから、無理させないようにね。」

「そうか。」

別に無理をさせた覚えは今のところあんまりないので、大丈夫だろうと思い若干聞き流す。そうこうしてるうちに朝ごはんも用意ができたので二人でゆったりと朝ご飯を食べた。

△▼

 俺は正直あまり朝が得意ではない。なのでこの時間に出るのはかなり珍しいことだった。朝七時頃のことである。俺は特に変わった道を通ったわけではないのだが、ローブ姿で水晶の周りで手をうねうねとさせている、怪しげな占い師が道端にいた。関わると厄介そうなので、できるだけ離れて歩いていたが、しっかり声をかけられてしまった。

「そこの少年、ここはひとつ、占っていかないか…?」

低い男の声だった。

「悪いが俺はそういうのに興味はないんだ。」

そう言って立ち去ろうとすると、その男はすごい勢いで近づいてきた。

「お願いします一回占ってください!無料なんで!お願いします!」

「うるせえな…。わかったから土下座だけはやめてくれ。」

道端で土下座でお願いしてくるので、さすがに断れなくなった。なんでこの男がこんなに必死なのかは謎だが、とりあえず椅子に座る。

「では、手を出していただけますか?」

手相占いか。手にできたしわの線から、その人の人生を占う形式だ。じゃあその置いてある水晶は何に使うんだよ。手相だけでいいなら何にも映らないだろそれ。

「あなたは今までとても不運な人生を送ってきた。間違いないですね?」

「ふうん、占いとしての実力はあるんだな。」

「そ、そうですよ。当り前じゃないですか。」

当たってたのに何でこいつ動揺してるんだ…。まぐれだったのか?

「ですが最近、ある女の子と出会い、それが変わり始めている。」

「そうだな。じゃあこれから俺はどうすればいいんだ?」

「その女の子をどうか、どうか大事になさってください。そうすればきっと、あなたの不運な運命は変わっていくことでしょう。」

「なるほどねえ。んじゃ、もういいか?」

「はい。ありがとうございました。あ、最後にこれを…。」

そういって手渡されたのは、小石をつなげたブレスレットだった。若干クオリティが低いようにも思えるが。

「有料だったりしないよな。」

「はい。こちらは河原の石…ではなく、パワーストーンですので、しっかり腕につけていたらきっといいことがあるでしょう。」

「お前今、河原の石って言ったよな。」

「気のせいです。では、お気をつけていってらっしゃいませ。」

「あ、ああ。」

なんだかんだもらったブレスレットを腕につけつつ、通学路に戻る。よく思い出すと俺を見送った左手には、指輪がついていた気がする。あんな占い師でも結婚できるのなら俺も結婚できるだろうと、人生においての不安を一つ解決しつつそのまま学校に向かった。

 学校に着くと、すでに神崎は教室にいて、一人で勉強をしていた。集中しているのか、まったく俺に気づいていない様子だったので、声をかけてみた。

「ちゃんと来てくれたんだな。」

「先生のお願いなんだから当たり前じゃん!」

「だから俺は先生じゃないって。今は何の教科をやってるんだ?」

「数学~。この教科がやっぱり一番苦手かもしれない。」

「でも数学ってのは案外簡単な話でな…。」

神崎は地頭はいい。おそらくどこかで勉強に置いて行かれて苦手意識が付き、そのまま勉強をしなくなっていったのだろう。または何らかの理由でずっと勉強ができなかったのかもしれない。今まで見たこいつの高すぎる身体能力も気になる。やはりこいつは運動部だったんじゃないのか?でも運動部に入る気はなかったと言っていたし、そしてその時の表情…。あれは一体何だったんだ…?

「解けた!」

「うわびっくりしたあ。しかも違うし。」

「え!?ちがうの?」

「ここで計算を間違えてる。だがまあ式はあってるから、もう一度落ち着いて解いてみろ。」

「わかった!でも、先生トイレ!」

「先生でもトイレでもねえよ。さっさと行ってこい。」

突拍子もないやつだな。神崎はすごい速さでトイレに向かった。だが神崎が向かった戸が閉じると同時に、もう一方の戸が開く。

「随分と仲がいいのですね。」

入ってきたのは担任の詩間先生だった。

「そんなに仲がいいつもりはないですが。」

「でも、先週あったばかりでしょう?」

「まあそれは確かに。」

なんだかやけに突っかかってくるな。神埼に対してなにかあるのか?まあ、流石にそんなことはないかと思っていると、詩間先生が喋り始めた。

「ということは中学の神崎さんは知らないということですね。」

「先生は知ってるんですか?」

「もちろんです。生徒のことを把握するのも教師の仕事の一環です。」

「じゃあ、神埼の中学の時の部活は?」

「陸上部です。かなり多くの記録を残しています。」

「そうだったんですね。じゃあ、俺の中学の頃の部活は?」

「え?あ、えっと…、軽音部とか…。」

「帰宅部だ。俺は楽器はできない。他の生徒も把握してないんじゃないですか?」

「ま、まだ把握できてないだけでこれから…。」

「まるで神崎のファンみたいですね。」

「そ、そ、そそんなことはないですよ!?いくら容姿端麗で類稀な身体能力を持っているのにちょっとバカで、だけどとっても優しい子だからって、一人の生徒に肩入れするなど、教師にあるまじき行為なので…!」

「めちゃめちゃ肩入れしてんじゃないですか。」

「そんなことありません!神崎さんなんて…神崎さんなんて…!」

先生はそのまま走り去っていった。真面目で落ち着いた先生だと思っていたが、こんな一面があったとは。人は見かけによらないってこういうことなのか?そう感じていると、当の神崎が戻ってきた。

「なんか先生が私の名前を呼びながら走り去っていったけど、わたしもしかして見捨てられた?.」

「いや、むしろ逆だと思うぞ。」

「ドユコト?」

疑問符を浮かべる神埼をよそに、俺はそのまま勉強の続きを教えた。

△▼

 準備万端で迎えた放課後、神崎は追試験の場所に向かった。神崎には「私行ってくるから、待っててね!」と言われ、俺も結果くらいは気になるので教室で待つことにした。とはいえ何をするかを特に決めていない。思えば俺は、時間をつぶすのはあんまり得意じゃないのかもしれない。趣味がそんなに多いわけではないし、そもそもこうやって人を待つ機会なんてあまりなかった。生徒会だってそうだ。俺はもう万年帰宅部だと思っていたがこうしてどこかの集団に属することがあるとはな。そういえば、以前の生徒会会議で資料をもらっていたことを思い出した。その資料を取り出そうとかばんに手を伸ばすと、何かに当たった。

「ほにゅっ!」

ほにゅ…?

「ついにばれてしまいましたね鬼山くん。でも『鬼山くん』だったらちょっと硬いよね…。ヤマキ君?めんつゆくん?」

「別に何でもいいですよ…。」

「そうもいかないよ!」

机の横にいたのは、生徒会長の望月先輩だった。手が頭に当たってしまったようだ。

「どうしてしゃがんでたんですか?」

「いや~、教室に入っても全然気づかないし、いつになったら気づくかなーって思って机の横に隠れてみたのだよ。」

『のだよ』ってなんなのだよ。

「何をしてるの?キヤマ君。」

「先日もらった資料に目を通そうかと。会長こそ何か用事ですか?」

「楓で良いのに―。」

友達かよ。

「美緒ちゃんに用事があったんだけど、今はいないのかな?」

「今は…。」

さすがに追試と言うわけにもいかないし、何かいい言い訳はないだろうか。例えば、先に帰ったとか。でもかばんは教室に置きっぱなしだしな。売店に行ったというのはどうだろうか。神崎のカバンの付近をよく見たら財布も置きっぱなしだった。不用心が過ぎるだろ。

「何か言いづらい理由があるの?」

このままではまずいと思いとっさに思いついたことを言う。

「あ、詩間先生に校舎裏に呼ばれてましたよ。何か内密な話があるのかもしれないですね。」

「ほえー。」

『ほえー』って。でもばれてる感じでは全然ないな。大丈夫そうだ。

「じゃあ美緒ちゃんに言っておいて。気にしなくていいよって。」

「なんだ…、知ってたんですね。」

会長の言う『気にしなくていいこと』とはおそらく成績のことだろう。まあ副会長が知っていたなら会長に相談していてもおかしくはない。

「美緒ちゃんのこと聞いたときにちょっと目が泳いでたから、遊んでみたんだ~。」

そういった会長の表情は無邪気そのものだった。特に悪意も感じられないのであまり悪い気もしない。不思議なものである。

「知っての通り今神崎は追試を受けています。ほかに何か伝えることがあったら伝えておきますよ?」

「ん―そうだなあ。あ、それだよそれ!」

会長は俺が取り出した資料を指してそういった。

「来週までに文化祭の企画案を考えてきてね!特に美緒ちゃんの企画には期待してるよって伝えておいてくれる?」

「わかりました。」

「では、よろぴっく!」

そう言って会長はこちらに手を振りながら去っていった。俺は「元気な人だ。」とつぶやいた後、資料を見始めた。

△▼

 誰もいない教室で一人、企画案を小一時間考えて集中力が切れたころ、すさまじい速さでこの教室に向かってくる音が聞こえてきた。

「お待たせ、鬼山くん!」

おもむろに廊下を走ってやってきた神崎は、一目見るだけで結果が分かるような表情をしていた。追試験は問題数が少なく、先生がその場で採点してくれるので結果がすぐにわかる。早速尋ねてみることにした。

「結果はどうだったんだ。」

「なんと…。」

「なんと?」

「満点でした!」

神崎は取り出した解答用紙を大きく広げる。破れんばかりに引き伸ばされたその解答用紙を見て俺も少しだけ誇らしくなる。

「まあ、あれだけ勉強したしな。ある意味一夜漬けだけど。」

「イエーイ!」

神崎は右手を高く上げ、こちらに近づけてくる。

「い、いえーい。」

俺も渋々それにこたえ、神崎とハイタッチをする。

 パチン

その音と同時に神崎が俺のほうに倒れこんでくるので、抱きかかえる形で受けとめる。

「おい、神崎、神崎!」

「くれーぷ…。」

「クレープ!?」

一瞬訳が分からなかったが、それは神崎の寝言だった。神崎はハイタッチの瞬間に寝たのだ。まるで糸が切れたように。

 さすがにこのままイタリアさながらのハグみたいな状態でいるわけにもいかないので、俺は神崎を背負いそのまま保健室に向かった。

「失礼します。」

「あいよ。症状を言いな。」

「神崎が倒れるように眠った。ベッドを貸してくれ。」

「今度は逆のパターンね。そこに寝かせるぞ。少し支えておけ。」

そういって髭の生えた養護教諭は神崎を空いたベッドに寝かせる。と、ここで初めてこいつの名前を知らないことに気づく。

「そういやおっさん名前なんて言うんだ?」

「東仁田だ。難しいから覚えなくていい。けどなんで俺には敬語を使わないんだ?」

「いや、あんたなら別にいっかなって。」

「あんたならって…。まあいい。軽く診るからそこ座ってろ。」

「ん。」

東仁田はそういって神崎を診始めた。俺が東仁田に直観的に敬語を使わなかった理由はよくわからないが、この人は何となく俺と似ている気がする。なんというかこう、常に目が死んでいる。

「おいクソガキ、こいつは昨日ちゃんと寝たのか?」

「え?昨日は早めに寝たはずだが。」

「いや、こいつは明らかに寝不足だ。おそらくこいつは昨日徹夜している。」

「徹夜!?寝てないってことなのか?」

昨日俺は確かに早めに寝ろと言ったはずだ。なんでそれを破って徹夜なんか…。

「ん…。」

「あ、悪い。起こしちまったか?」

「かれーぱん…。」

「カレーパン!?」

東仁田も一瞬困惑したが、すぐに「あ、寝言か。」と言った。

「ただの寝不足だが、一応話は聞いておこう。どうしてこうなったかわかるか?」

寝ている神崎に配慮し、少し声を押さえて東仁田は俺に問う。

「神崎は今日追試で、昨日の夜9時くらいまで俺が勉強を教えてたんだ。帰り際に今日は早く寝ろと言ったんだが…。」

「お前の言っていたことを無視してこいつが徹夜で勉強していたと。」

「でも神崎は言ったことを守らないような奴じゃない。きっと何か理由が…。」

「お前が優しすぎたのかもな。」

「え…?」

「知り合って一週間で、夜遅くまで勉強を教えてくれる奴なんてそうそういねえよ。そんなお前の優しさに応えたくて、こいつなりに頑張ったんだろ。」

「でも別に俺は、俺の都合で関わってるだけで…。」

「都合でここまで付き合ってやる奴がいるかよ。」

「ほんとだよ!」

「うわーお、びっくりした!」

神崎が突然目を覚ました。

「クレープとカレーパンはおいしかったか?」

「それが食べられなかったんだよ~。いやいや違うってば。」

「違うのか。」

「鬼山くんはやっぱり変だよ!知らない人にプリン買ってあげたり、いきなり家に帰らないとか言い出す人を家に泊めてあげたり、赤点取った人に勉強教えてあげたり、勝手に徹夜して倒れた人を介抱したり!」

「最初以外全部お前だけどな。」

「最初も私だよ!」

「あれお前だったのかよ。でもとにかく俺は俺の都合で…。」

「どうでもいいよそんなこと。私は鬼山くんに優しくされたから私も鬼山くんに優しくしてあげるだけ!異論は認めないよ!」

「お前もお前だろ…。」

「おいうるさいぞ!イチャイチャすんならよそでやってくれ。」

「「はい…。」」

そういえばここは保健室だった。保健室で騒ぐのはよくないので、俺と神崎は東仁田に謝りつつ、保健室を出た。

△▼

 一件のあと、俺は神崎とともに下校した。若干の気まずさがありお互いしばらく黙っていたが、神崎が口を開いた。

「怒らないの?勝手に徹夜したこと。」

「別に今更どうでもいいさ。お前が今元気ならそれでいい。」

「結局鬼山くんの言う『都合』って何なの?」

「お前といると悪いことがあんまり起きない。むしろ良いことさえ起きるから、勝手に俺がお前といるだけだ。」

「そっか。でもさ、都合が合うだけっていうけど、都合が合うのが友達なんじゃない?」

「そういうもんかね。」

「そういうものなの!」

神崎がまた怒りそうなので「わかったわかった」となだめつつ、別の話題を提示する。

「そういえば会長が文化祭の企画案、お前に期待してるって言ってたぞ。」

「そうなの?じゃあ期待に応えないとね!」

「でももう無理はすんなよ。」

「ごめん…。」

別に責めるつもりはなかったが、本人も今回のことは反省しているようなので何も言うまい。そうこうしているうちにもう神崎の家である。

「じゃ、また明日ね!鬼山くん。」

「じゃあな。」

手を振る神崎に手を振り返した後、その手をポケットに戻したときに腕にブレスレットをつけていたことを思い出す。

「ま、たまにはこういうのも効くもんなのかもな。」

そう呟いて、俺は帰路に戻るのだった。


五番に続く。

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